ユメのとおりみち


1 〜信じたいもの〜

 プロデューサー。
 このように称されている男が、『彼女』と関わり合うことになったのは、ひとえに彼が得ていたこの肩書きによるものであった。

「きらり、迎えに来たぞ。約束通りに」

 彼―プロデューサーが、その名を呼ぶ。
 ただ、面白そうだからと足を踏み入れたこの道―事務所で、出会った一人の少女。
 誰の目に見ても個性的な、文字通りに『比肩するものなき』特徴の持ち主だった、彼女との。

「Pちゃん……」

 彼女の名は『諸星きらり』。Pちゃんとは、彼女がプロデューサーを呼ぶときの愛称だ。
 彼女を『アイドル』に育て上げること―それこそが自分の果たすべき使命だと悟り、その一念を胸に事務所や同僚の力を借りて全力疾走、どうにかこうにか形にすることに成功。
 これはアイドルの中のアイドル、即ち『トップアイドル』への道が、うすらぼんやりながらも見えるまでに成長した彼女と、それを陰から支えてきた彼の物語である。
 この時既に、アイドル界に燦然(さんぜん)と輝く星の一つであった―その名前に相応しく。

 物語は、僅かに時を遡ったところから始まる。



 倚子取りゲーム。
 余人のことは知れないが、この諸星きらりを担当しているプロデューサーがプロデュースについて、抱いているイメージだ。
 アイドルたちには、活躍の場として様々なステージが用意されている。
 しかし、当然数には限りがある。
 そこで、それを奪い合うための儀式―たとえばオーディションなど―が行われる。
 これをくぐり抜けて担当アイドルをステージに送り出す作業は、まさに前述のゲームの様相を呈する。長所を余すことなくアピールし、短所は足を引っ張らないようにカバーし、活躍の場を与え続ける一連の作業……プロデュースとは、これの繰り返しだ。
 結果を積み重ね続けることで、たどり着ける境地がある。
 積み重ね続けることでしか、たどり着けない極地がある。

 トップアイドル。

 あるいは、この世界での言葉なら……。

 シンデレラガール。

 担当アイドルがこの栄冠に輝く瞬間を見たいがために、多くのプロデューサーが才幹の限りを尽くしているわけだ。
 無論、彼もまた。



 そんなこんなで彼は今日も、存分に『倚子取りゲーム』の最中にあった。
 無論、実物の椅子を奪い合っているわけではない。
 既に争奪戦は終わりを迎え、自分の担当アイドル―きらりの椅子があるか、取ることが叶ったかどうかの確認をしているのである。
 その会場は他でもない、事務所の会議室内。
 なんのことはない、椅子の取り合いは外で行われるものだけではないのだ。
 川(リバー)の水を奪い合った関係を指す言葉が、そのままライバルの語源であるように。
 さておき、今回奪い合っている椅子の名は、

 “Wonderful M@GIC!”

 次に予定されている事務所主催のライブ、そのタイトルがこれであった。



 彼が所属しているのは、アイドルブーム覚め遣らぬ芸能界に突如現れた、新進気鋭の芸能プロダクション。
 伝統も何もない、あったのは社屋、いたのは社長とアシスタントの千川ちひろだけという、それは見事に空っぽな器としての事務所だった。
 しかしそれが奏功してか、旗揚げ以降爆発的な勢いで伸張し、気がつけば二百人近いアイドルを抱える大所帯へと変貌していた。空の器は、多くのアイドルとプロデューサーを受け入れるのにうってつけだったのだ。
 もはや、一介の下請け孫請け的な存在のプロダクションではない……主体的にイベントを開催できるほどの存在であると、世間に示すために立ち上げられた一大事業。
 それが先の“Wonderful M@GIC!”なのである。



 しかし時間には限りがあり、会場の大きさにも限りがある。
 そんな中で約二百人に及ぶアイドルの全員を登場させて、完全なパフォーマンスを発揮させることは不可能である―これは自然と、誰もが考えることであろう。
 そこから導き出される結論は、選抜という行為に依らねばならないという事実。
 人選を企画の発案者である社長に一任して、ただ、待っている。
 ゲームの勝敗―椅子の取り合いはここに、他のプロデューサー共々集められた段階で、既に決しているのだが。業務として全プロデューサーが招集されたということは、つまりそういうことなのである。
 あとはただ、示される結果を受け入れるだけのことだ。
 ここに辿り着いた道程のうちに、結果が定まっている。
 現時点における集大成に参画出来るのか、否か。
 そこに存在するのは、すべてのプロデューサーに喜べた話ではない、ある意味では酷な現実。
 プロデューサーとして幾度か味わってきた、絶望と歓喜の狭間。
 数分後に見(まみ)えるのは、はたしてどちらの色か。
『それでは私から、参加が決定したアイドルの名前を読み上げさせて頂きます。担当のプロデューサーさんは、大声を上げることがないようにお願いしますね。……この場では』
 会議室に設置された、仮設のポータブルスピーカーから聞こえてきたちひろの声は、良く言えば穏やかであり、悪く言えば抑揚が薄い印象があった。
 主に歓喜を得たプロデューサーの、暴発的な感情の発露を抑えようという魂胆なのだろう。その気持ちは、彼にもよく理解できた。どちらの立場にも立ちうる身分であればこそ、外れそうな箍(たが)は予(あらかじ)めキツく嵌めておかねばならないのだ。
 今でこそ同じ川の水を奪い合うライバルだが、ひとたび外に出れば会社の同僚として、余所を相手に協力して水を確保するべく力を合わせる存在―仲間なのだから。
『それでは―発表します』
 一人、また一人、名前が読み上げられていく。
 発表は順不同、敬称(愛称)略。
『……』
 この人ではない。
『――』
 この人でもない。
『〜〜』
 この人でもない。
 ちひろは正しく、ゆっくりとしたペースで名前を読み上げている。
 ただ、彼の頭に残らない。情報として形を結ばない。
 総ては上滑り、彼の耳を右から左にすり抜けていく。
 彼の耳が求めている情報は、ただ一つ。

 も ろ ぼ し き ら り

 ひらがなに分解したときにこの順番に並ぶ、一意の文字列。
 この瞬間、この場所にいる彼にとって、それ以外は何の意味も持たない。
 意味を見出せないものに、形も名前もあるはずがないのだ。
 そして……その時はきた。

『諸星きらり』

(んっ!!?)
 かのプロデューサーは息を呑んだ。思わず。出す方向の行為が先(せん)だって、咎め立てられていたからだろうか?
 あるいはもっと単純に、声の出し方を忘れていたから……かもしれない。
 この瞬間まで、彼の世界には音がなかったのだから。ちひろの声以外は。
 そんな状況だったからか、聞き慣れたはずのちひろの声が、この時ばかりは彼にもどこか―尊いように思えた。
 気のせいかも知れない。むしろ、気の迷いの方が近いか。
 しかし迷いに塗れたものながらも気が通ったことで、やっと気付いたことがあった。
 ずっとちひろの声しかしないと思っていた会議室の、そこかしこから聞こえてくる、息を呑む声―声にならない声の数々。
 おそらくは自分もまた、この声を出していた一人だったに違いない。
 一人の名前が挙がる度に上がる、明らかに音色の異なる音。
 恐らくは名前の挙がったアイドルを担当する、プロデューサーであることだろう。
 彼らもまた、彼と心を同じくして。



『―以上です』
 大事(おおごと)のはずだが、終わりはあっさりしたものだった。
 ちひろから、続く言葉はない。
 何かを選んだということは、何かを選ばなかったということ。
 器の大きさから、総てを詰め込むことが不可能であったのは自明の理。
 それでも、割り切れないものはある。
 そこに辿り着くために、足りなかった『何か』。
 否が応でも、頭を擡(もた)げてくるのだ。
 例えばオーディションに落ちたときに襲い来るような、決定打を欠いた感覚……とでも言うべきか。
 社長の一存とはいえ、そこに至るまでに参照された資料は、それぞれのアイドルとプロデューサー……その働きを指標としたものであることに、疑う余地はないのだから。
 しかし、その後に巻き起こったのは……。
 パチ……パチ……。
 初めは一つ二つと、まばらで―。
 パチパチ、パチパチ。
 やがて波のように広がっていき―。
 パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!
 やがて万雷となった、打ち付けるように激しい拍手の嵐だった。
 それが誰から始まったものかは、分からない。今後も、分かることはないだろう。
 選から漏れたアイドルのプロデューサーから、悔しさが消え失せたわけではない。
 それは、ここまで事務所がやってきたことに対しての謝意。
 そこに与らなかったプロデューサーは、誰一人としていないのだから。
 そして、選ばれたものに結果を求めるための激励。
 先に倚子取りゲームに喩えたプロデュース活動ではあるが、一つ、普通のそれとは異なる点も存在する。
 それは、椅子の数を増やすことも、やり方次第では可能であるということだ。
 アイドル界隈が盛り上がるごとに会社として、事務所として、あるいはユニットとして活躍していくことで、総枠を広げることができるのだ。
 それは次の展開へ―未来へと続いていくゲーム。
 事務所としての『団体戦』と捉えれば、そこでの成績が全体に及ぶことは明々白々。

 つまりは、来るべき日のために、今を託すための儀式―祈りだ。

 拍手が鳴り止んだ頃には、彼の頭を擡(もた)げていた『何か』も、何処へかと消え去っていた。
 現金なことだが、人間は気分で動く生き物でもあるのだ。
 プロデューサーは気分が軽くなったところで本来の喜びを思い出し、勢いのままにメールを打ち出す。電話も悪くないが、推敲に時間を掛けられる分、こちらの方がよいとの判断だ。何を書いたかが手元に明確に残るので、遺(い)漏(ろう)も防ぎ易いことであるし。
 勢いのままに打っていることで誤字脱字のオンパレード、発見の度に見直してはクールダウン、さらに遺漏を見つけては追記、その間にもテンションが上がって勢いづいて……というループからの脱出に、どれほどの時間を掛けてしまったことか。
 それが割と就業時間を圧迫する程度だったのは彼にしても痛かったが、ともあれ、相応のクオリティに仕上がった文面との引き替え……故に、致し方なかったと納得。
『送信』をタップするだけの指に、無駄に力を込めてしまったのであった。
 相手はもちろん担当アイドルの、きらりである。
 伝えたいのは、想い。
 伝えなければならないのは、義務。
 その両方を、デジタルデータに織り込んで。



 翌日。
 彼はひたすらに、不安なままの出社を余儀なくされていた。
 何故か?
 これだけの重大事の連絡に対して、きらりから寄せられた返信が受信したことを知らせるだけの、短文一通しかなかったからである。
 確かに子細は事務所でという一文を記載したのはそうなのだが、彼が予想していた反応から、ほど遠いものだったからだ。
(知らず知らずのうちに、何かやらかしてしまったのか?)
 彼女のプロデューサーとして今までそれなりにやってきたのだから、関係は良好であるはずだ―と、自分では思っていた彼をへこませるに、それは充分な衝撃をもっていた。
(どこかで彼女―きらりのことを、分かりきったつもりになっていた?)
 仮に、もし、彼女の何かを侵してしまったのだとしたら、どうすればいいのか。
 考えても考えても結論は出ず、夜もろくに眠れず迎えた朝。
 そこに連なっている、この瞬間。
 プロデューサーは、事務所のドアを開いた。
 恐る恐る、きらりの姿を求めて。
「Pちゃん、おはよー」
 そこには、確かに彼女の姿があった。
 最も恐れていた事態、総ての予定を狂わせる出社拒否(ドタキヤン)は免れたようだ。
 だが、懸念が払拭されたわけでもない。
「おはよう。今日は元気がないな、きらり?」
 姿形こそいつも通りだが、その物腰は、いつものきらりからはほど遠い。
「……うーん? 今日のきらりんも元気だよ? ほんとだよ? だって、ほら、はぴはぴ☆だにぃ☆」
 どこからか取って付けたような『はぴはぴ☆』。抑揚にも欠けていて、いつのもような力強さはどこにもない―まるでハリボテのように。
 そこにあった笑顔もまた、同じく。
「……」
 プロデューサーはそんな彼女の顔を、無言で見つめた。
 どんな理由があるにせよ、彼女はいつものきらりではない。
 幸いにして、避けられている風ではない。
 むしろ、彼女は待っていてくれたのだ。先に事務所に来てまで。
 それならば、あるはずなのだ。
 伝えたいと想っている、何かが。
 だから、彼は待つことにした。
 彼女が心の扉を開く、その瞬間まで。
 雲間に隠れている太陽を待ちながら、空を見上げるように。
「……やっぱり変、かなぁ?」
 ややあって、きらりの言葉。
『やっぱり』に込められていたのは、覆い隠そうとした自覚。
 黙ったままプロデューサーが頷いたのを見届けたきらりは、そのまま言葉を続けた。
「ううん。違うの。元気がないわけじゃないんだよぉ。ただね、ちょっとだけ心配なんだぁ……」
「心配?」
 何か不安にさせるような文言を含めただろうかと、昨日送信したメールの文面を思い起こしてみたが、ネガティブな言葉は使っていないという結論に達した。それも、割と早くに。むしろ無駄にアッパーテンションになってしまうことを、避けるようにいじくり回したのだから。
 初期の案より落ち着きはしたが、ネガティブには至らない……至るはずがない代物。
 思い当たるフシがないのだから、具体的なことは言えず鸚鵡(オウム)返し。
 あるいはもう少し気が利いたことを言えたなら、避けられたのだろうか?
 そんなことを考えるのがやっとだった。
「みんなのライブが開かれるんだよねぇ? それは、しゅごいことだにぃ☆ きらりんも呼んでもらえるの、うれすぃよ☆」
 彼女の口から語られたのは、彼が元々予想していた、彼女の返信予想文。
 間違ってはいない。
 しかし、正しくもないということか?
「でもでもでも、『みんなといっしょ』は、きらりん……ダメかもしんないって思うんだぁ。Pちゃんなら、わかるかなぁ?」
 とても彼女の口から出てきたものとは思えない、弱気含みの言葉。
 彼女は、何かを欠いている。
 何かが、欠けていると思い込んでいる。足りないと思い込んでいる。
(自分は一体今まで彼女の、何を見てきたのか)
 即座に彼女が思っている―思い込んでいる迷夢から目覚めさせるだけの言葉一つ、持っていないとは。
 彼は断固として否定したかった。いや、心の中では既に、叫んでいる。
『どこにダメなことがあるものか!』と。
 しかしこれを、今の彼女にそのままぶつけるのは、正しくない気がした。
 態度を繕おうとしていた彼女の表層にしか、届きはしないだろうと。
 プロデューサーが逡巡している間も、きらりの話は続く。
「……きらりは、ふつうじゃないから。きらりみたいな子がいたら、ダメになっちゃうかもしんないって、思っちゃったんだぁ……」
「そんなことない!」
 流石に、これ以上は聞いていられなかった。聞いていたくない一心で、思わず大声で遮ってしまった。
「Pちゃんがそう言ってくれたら、すっごくすっごくうれすぃよ。うぇへへ☆」
 この言葉が嘘だとは思わない。
 しかし、やはり足りていない。届いていない。迷夢から目覚めさせるには、足りていない。危惧していた通りに。
 届いていたら、きらりがこんなに儚げな笑いを、見せるはずがない。
「うん……きらりん、ちょっと考えてくゆ。だからね、お願いがあるの。Pちゃん、きらりを迎えにきてほすぃな。お願いね☆」
 踵を返して去って行くきらりを、プロデューサーは見送ることしかできなかった。
 答えを掴んでいない手で、彼女の手を取って引き留めることは―叶わなかった。



 幸いこの日はきらりに大きな仕事はなく、表だった影響は出なかった。予定に入れてあった基礎レッスンにもきっちり参加していたことが分かり、ホッと胸を撫で下ろした。
 そこはそもそも、心配するべきところでもなかったか。
 彼女はいつだって、真摯な努力家だった。そこには疑うべきところなど微塵もない。現場で力加減を誤ったが故の失敗は度々あったが、それはむしろ彼女の姿勢を裏打ちしているものでさえある。手を抜けない真面目さがあればこそ、起きた失敗なのだから。
 それだけに、彼は考えなければならなかった。
 彼女が残していった、言葉の意味を。
 そして、いつもの笑顔を見せなかった理由を。

(続く)



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