忍者偶像伝 〜華の章〜


1 〜あやめの野望〜

 それは、伝説に過ぎなかった。
 既に時を刻み終えた時計のように、決して動かないモニュメントのようなもの。
 誰もが知識として知ってはいるが、誰もが現実に見たことがない。
 そう、彼女がこのステージに現れるまでは……。



 照明が消えた、ライブ会場のステージ。
 立ちこめるスモークの中に忽然と現れる、影が一つ。
 ドォン!
 響き渡る爆音と共に風が吹き、光が差し込む。ステージを覆っていたスモークは何処かへと消え失せて、ただ、中央にある彼女の姿を照らす。
 そこにいたのは、マイクを九字の印を結んだ形の中に握り込んでいる、一人の少女。
 その名は、浜口あやめ。
「あらゆるファンを逃すまじ! くノ一あやめの、必殺の一曲を受けてみよ!」
 ステージにあっては、忍ぶことなきを信条とするくノ一アイドル―『忍ドル』である。



 あやめには、夢がある。
 それこそが彼女をしてその存在を、アイドルたらしめているもの。
 忍者という存在を己の礎(いしずえ)とするあやめが、アイドルになった理由。その根源が、そこに。
 先のステージに立つことになることを告げたとき……数えて、幾月か前のことだ。
「プロデューサー殿、あやめはいつか忍ドルとして大ブレイクして、日本に再び時代劇黄金時代を作ってみせます! そのためならば……粉骨砕身、すべてを賭けて挑んで見せます! ですからそのお仕事、謹んでお受けいたします! ニンッ!」
 純然たるアイドルとして、彼女をライブのステージ上げることにした折に、プロデューサーが言われた言葉である。
 我流とはいえよく磨かれていた身のこなしと、古風な言葉遣いに独特の世界観を伴って芸能プロダクションの門を敲(たた)いた彼女のこと、その動機は自然というか、流れに沿ったものではあったように思えた。
 ただ、途方もなく大きい夢であるだけで。
 それは夢(ドリーム)というよりは大志(アンビシヤス)、あるいは、野望(グリード)という言葉のほうがしっくりくる大きさだ。
 数多の人や業界を巻き込まねば、到底叶えるべくもない希望。
「随分と、大きい夢だったんだな……」
 プロデューサーとして関わるようになってからこれまでの間、彼女のこだわりを徒や疎かにしてきたつもりはなかった。
 ただ、この言葉を聞いた今では、それでも正しくは掴めていなかったのではないか……そんな気がしているのだ。
 いや、実際、そうなのだろう。
 彼女の『らしさ』を損なわないことに注力してきたプロデュース方針が、はたして彼女の『夢』を叶える道であったのか?
 実現の可能・不可能を判断する以前に、そもそも慮外であったのだから、採点するにも及ばないだろう。
 およそ白紙の解答用紙は、恥じる以外に無いものだ。
 今、この瞬間であっても。
「はい! いつかは時代劇で主役を張りたいです! その晴れ姿をおじいちゃんに見せたくって!」
 祖父の、喜ぶ顔が見たいがため。
 そのことに喜びを感じる自分のため。
 彼女の動機は単純かつ、純粋だった。どこまでも。
 それはなによりも尊い、アイドルとしての素養と精神ではなかったか。
「そうか……よしっ!」
 プロデューサーは自分の頬を両手でパンパンと叩き、気合いを込めた。
 彼女の覚悟に釣り合っていなかった、長き己の不明を恥じつつ。
「ぷ、プロデューサー殿っ!?」
 あやめの目には唐突な行動に映ったらしく、上擦った声が動揺を告げていた。
「あーいや、気合いを入れただけだ。気にしないでくれ」
 ともすれば奇行と思われかねない行為だったかと、僅かに反省したのだが。
「そうですね! このような大仕事を前にすれば、気合いが入るのも当然のこと。プロデューサー殿にそこまで思っていただいて、あやめは幸せ者です! しからば……あやめも!」
 あやめの両手が頬に向かったその瞬間、彼の両手は彼女の両手首を掴んでいた。
「ぷ、プロデューサー殿っ!?」
 先程より、一層上擦った声がプロデューサーの耳に届いた。
「あ、いやホラ、アイドルは、顔も命……だからね」
 実のところ条件反射的に止めに入ってしまったので、なにも考えていなかったところでひねり出したロジック。
 不明を恥じただけの者のために、あやめが僅かでも痛みを覚えるようなことが、あってはならない。
 これは彼の―プロデューサーだけの咎だから。
「は、はいっ」
 取り除きたい。
 この天真爛漫を絵に描いたような少女に、似合わないことの総てを。
 護りたい。
 この子が燃やしている、大いなる野心を。

 ―ただ、あやめのために―

「あ、あの……プロデューサー殿」
 おずおずと、あやめが口を開いた。
 顔も僅かに、赤みを帯びているように見える。
 視点も定まっていないようだ。目線がプロデューサーを外している。
「どうした!?」
 まだ何かあるのだろうかと、プロデューサーが身構えていると……。
「あ、あの……手、手がですね……ニンッ……」
 手首を掴んで体を寄せたままだったことを、控えめに教えられたのだ。随分と。
「ああっ!」
 プロデューサーはぱっと手を離すや否や、後方へと飛び退いた。
「ごめん! 痛かったか!?」
 傷を負わせまいと誓ったそばから、既に加減を間違えているとは。
 ますますもって至らない身を猛省している彼に、あやめの声が届いた。
「べ、別状ありませんっ! プロデューサー殿が案じるようなことは、なにも! これこの通りですっ、ニンッ」
 手首をフリフリ、クルクルと動かして見せ、事無きをアピールするあやめ。
「それなら、いいんだけど……」
 まだ何か心配そうな表情を浮かべるプロデューサーに、あやめが言った。
「百聞は一見に如かずと言いますから、レッスンで思う存分あやめの殺陣をごらんにいれましょう! これどうですか、プロデューサー殿!?」
 それが彼女なりの気づかいと、気付かないほどには彼も鈍くはない。
「……そうだね。 ライブのプランも考えないといけないし、ちょうど良いかな」
 そして断る理由もないのだから、流れは初めから彼女の想うところに行き着くのだ。
「では決まりで! 善は急げといいますから、ここは惜しみなくこの術を使います……忍法・駆け走りの術!!」
 言うが早いか、脱兎の如く駆けていくあやめ。
「あ、待ってくれ!」
 身軽な彼女の後を追うのは、中々に重労働だ。
 それでも、これからの仕事よりは軽いが。
 彼女の夢を、現実にしていく仕事よりは、余程。

 そして彼は、ここでもまた一つ見落としていた。
 彼女の赤面の意味と、術を使ってまで駆けだしていったことに相通じる、その心根とを。
 忍者を捉えることは、斯くも難しいことであるのだ。
 ……恐らくは。



 そして、時は今に戻る。
 たった今あやめは大勢の聴衆を前に踊り、歌っている。
 それはまさに、現代に蘇った伝説だった。
 過去という軛(くびき)から、現在に向かって解き放たれたモーメント。
 誰もが目の当たりにして息を呑んだ、知識と経験が結びついた瞬間の開明感。
 なるほど、確かに彼女は忍者だ。
 しかし、それだけに留まることはない。
 あらゆるファンを逃さないための、妥協無きステージパフォーマンス。
 一方で、瑞々しさと若々しさに溢れる、年齢相応ののびのびとした歌声。
 間違いなく、彼女はアイドルでもある。

『忍ドル』

 この語句には、なんの誤謬(ごびゆう)もない。一にして十、遍く彼女を言い表している―あやめそのものと言えるだろう。
 この総てを彼女の夢を叶えるために、あるように仕向けていくこと。
 プロデューサーとして果たすべき、使命であると彼が胸に刻んだ瞬間だった。



 時代劇黄金時代の再興という、一人の少女が抱くにしては、あまりにも大きい……大きすぎると言っても、決して過言ではない夢。
 しかし、だからこそ貴く、替え難いのではないか。
 御家再興の物語は洋の東西を問わず、人々に古くから愛され、親しまれてきた。
 例えば、三国志。
 あるいは、ローマ帝国衰亡史。
 はたまた、忠臣蔵など……組織や目的の大小こそ差として存在するが、そこには知略の限りを尽くして、本懐を遂げようとする人々の生き様が並んでいる。
 であれば、時代劇全盛時代の再興に賭ける彼女―あやめの物語も、本質的にはおなじことであろう。
 故に、これから紡がれていく一編の物語は、トップアイドルという高みに向かって天翔けていく、あやめとの活動記録なのである。

 態々(わざわざ)シンデレラに、擬すまでもなく。



2 〜応援無双〜

 かくしてあやめのプロデュースは、いかに多方面に亘ってその存在を喧伝し、ファン層を拡大していくかという課題を抱えることとなった。
 ひとつの衰退したジャンルを立て直そうというのだから、特に知名度を向上させて、ファンの耳目をそこに集める必要があるからだ。
 かつ、元来の時代劇ファン層である、比較的高めの年齢層のことも考慮しなければならない。
 次に語られるのは、そんな折に抱えた仕事の話である。



「うーん……参ったな。さっぱり解らん」
 手にしている企画書をパラパラとめくりながら、プロデューサーは困り顔でつぶやいた。
 それは、誰に向けた言葉でもなかったのだが。
「どうしたのですか、プロデューサー殿? 浮かぬお顔のようですが」
 背後からあったのは、彼の言葉に応じた声。
 気配は感じなかったが、それはいつものこと。注意深くあるように気を張っていても、捉えきれないことさえあるのだ。どうして集中力を企画書に投じている彼に、彼女の気配が感じ取れるというのか。
「百聞は一見に如かず、だ。まずはこれを読んでくれ、あやめ」
 手にしていた企画書を頭上から後方に掲げると、声の主―あやめがそれを押し頂いた。
 振り返らずとも声を聞けば分かるのだから、今更慌てることも、驚くこともない。
 彼女が標榜する忍びとしての間合いも、そこに至るまでの行動も。
 何もかも―とまでは行かないが、プロデュース業に支障が出ない程度には。
 そんなレベルにあるプロデューサーさえ悩ませる企画書、その正体は……。
「トーク……バトルショー??」
 この全く聞き覚えのない、耳慣れない番組の企画書。
 当然のことだった。
 なにせたたき台も前身もない、まっさらの新番組なのだから。



 プロデューサーが座っていたデスクの近くにもう一つ椅子を寄せて、あやめと肩を並べて座り直し、改めて企画書を手にする。
 二人一緒に、微妙に手が重ならないようにしながら。
「なるほどなるほど、前例がない番組なのですね……」
 明確に意味を読み取れる項目だけを抜き出して、二人で頭の中に並べていく。
 その筆頭であり、もっとも目を引く部分がこれだった。
「うちの事務所に来た話だったから、蹴る理由もないということで拾ってみたんだが……思いの外、企画書の中身がフワフワしててなあ。分かったのは、よく分からないって事実(コト)だけだったわ」
 家庭向きのバラエティ番組という、ざっくりした表題にピンとくるものがあって、颯爽と立候補したまではよかったのだが……届いた資料がこれで、頭を抱えていたというわけである。
 このままではプロデューサー自身が理解できていないことを、アイドルにさせようということになる。それは存分に情けなくて……彼の表情を曇らせるに、足るだけの話だった。
「心配は要りませんプロデューサー殿! そこはこの、くノ一あやめにお任せ下さい! ニンッ!」
 ドンと利き手の左で胸を叩いて、自信の程を露わにするあやめ。
「もしかして……理解できた? この企画書?」
 だとすれば、あるいは足りていないのは案外、プロデューサーとしての自分の能力だったか。
「いえ、全く! プロデューサー殿に理解できないことが、あやめにわかるはずありません! ニンッ!」
 ニンッの掛け声と共にビシッと決まった早九字の刀印。
 言葉と態度の間に横たわる齟齬撞着(そごどうちやく)ぶりが、今の彼の目にはトークバトルショーの企画書よりも不可解であった。
 少なくとも、自信満々に言うことではないはず。
「その割には、自信ありげに見えるけど……」
 怪訝な表情を隠そうともしないプロデューサーと、得意げな表情を抑えようとしないあやめ。
「お忘れですかプロデューサー殿? あやめは忍ドル……そう、アイドルである前に忍者、くノ一なんですよ。くノ一には、くノ一のやり方がある……そう思いませんか?」
 二人の対照的なコントラストは、ますます強まるばかりだった。
 そんな彼女を前に、彼は一つの判断を下した。
「思いません」
 きっぱり。
 はっきり。
 くっきり。
 それは、乗ずる余地を与えない否定だった。
「プ、プロデューサー殿、判断はあやめの話を聞いてからでも遅くないかと思うのですがっ!?」
 アワアワと力説し出すあやめに彼が感じ取ったのは、ある種の危うさ。
 およそ彼女自身の能力と気力、そして善意により導き出された、極めて前向きな結論。
「くノ一の技を使って情報を集めようとか、台本をとってこようとか……きっと、そういう話だろう?」
 前を向きすぎている余りに、足下が見えていない……結果として向こう見ずな提案。
「そ、その通りです! そこまであやめのことをわかっているのに、どうして……なのですか?」
 信頼している相手から寄せられた、理解した上での拒否。
 理由は問われて当然。
「それは……」
「そ、それは?」
「忍法は、見せ場で使って欲しいからね。スクリーンやテレビの画面に大写しになるような忍法を、誰も観ていないところで披露する忍者は……いないだろう?」
 お約束ナイズされた表現論に過ぎないが、半ば英雄譚として出回っている忍者のそれは往々にしてそういうものなのだ。それこそ、人目に付くことを前提としているのだから当然な訳だが。
 彼女が蘇らせようとしている時代劇の世界にあって、当然のように扱われる常識(コモンセンス)。
「た、確かに……」
 勢いに乗せてよい局面と、そうでない局面がある。
 ここが明らかに後者である限り、彼の説得は止まない。
 プロデューサーとして、あやめの理解を得られるまでは。
「俺はあやめには、大きい忍法を使えるようになって欲しいんだ。ファンの耳目を集めて離さず魅了し続ける……そんな大きい、忍法の使い手にね」
「プロデューサー殿……」
「それに、もうあやめは『忍ドル』なんだから、そこから『アイドル』が切り離されることはないんだ。もう、何があってもね。だから『アイドル』として、他の子と同じステージ上で『忍ドル』であって欲しいんだ。なにせこっちも『アイドル』の『プロデューサー』だからね」
 総ての輝きは、ステージの上で放たれるべきなのだ。
『アイドル』である以上は。
『アイドル』というカテゴリーの中に、『忍ドル』もまた存在しているのだから。

(続く)



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