The Game Must Go On!




1 〜ゲームと黄金の日々〜

 それは、宿痾とでも呼ぶべきものかも知れなかった。
 プロデューサーとしての意識を、決意を、あるいは覚悟を容れる前から備えていた気質。
 アイドルとしての存在を、立場を、はたまた地位を得る前から宿していた本質。
 この二つが密接に結びついたその瞬間、物語が動き出す。
 ゲームよりもゲームらしい、ゲームのための日々が……。



「これ……本当!? プロデューサーさん!」
 瞳を輝かせながら食い入るように見つめてくる三好紗南を前にして、逃げることなく避けることなく面を突き合わせるように見つめ返しながら、プロデューサーは告げた。
「この机と椅子の前で冗談を言ったことが、一度でもあったか?」
 プロダクションの一角、書類が山と積まれている机の隙間に鎮座するかのごとき様相を呈しているノートパソコンとプッシュホン、そしてスマートフォンの充電スタンド。
 そこは冗談を持ち込む余地などない、れっきとした仕事場である。
 しばしば考え込んだ後、紗南は口を開いて答えた。
「うーん……ないね!」
 モニターを前にしてコントローラーを握っている時とは、訳が違うのだ。
「だろう? ってことは、これはちゃんとした仕事の話ってことだ!」
 続く言葉を聞いた紗南は何かに―あるいは自分の心に―弾かれたように突き合わせていた面をプロデューサーから離してみせると、歓喜に満ちた叫び声を上げた。
「うぅわ……やったあーっ!!」
 全身全霊での喜びを表すかのような、特大のジャンプとバンザイ付きで。
 ぴょいんぴょいんと飛び跳ねるのに合わせて、編んだお下げが揺れている。
 この姿を見られただけで満足してしまいそうになるプロデューサーだったが、無論それはよろしくないことである。
 実際には、まだ何も始まってはいないのだから。
「えー、オホン」
 しばらくしてから、わざとらしい咳払いを放ち、彼女に落ち着くようにと促した。
 話を進めたいプロデューサーの意向を悟った紗南は、着地するや否や手元に書類を引き寄せて先程まで掛けていた椅子に座り直した。その書類に書かれていることこそ、冒頭で彼女が『これ』と呼んだものの正体である。

『三好紗南によるゲーム実況配信番組(仮)』

 二人がそれぞれ手にしている企画書の表紙には、このように大書きされていた。それも、よくよく目にすることのある明朝体で……そのくらいには急ごしらえの代物なわけである。
 ちなみに紗南が手にしている方には、めくった形跡は一切無い状態だったりする。
 事務所にやってきた紗南に、出し抜けにプロデューサーはこれを差し出したのが、先程の歓喜の絶叫に至るすべての理由であった。
 つまるところ、どんな内容なのかを彼女はまだ知らないことになる。
 それでいてあれだけ喜んでくれたところに、彼女らしさが現れていたとも言えよう。
 即ち、彼が楽しくない話を持ってくるはずがないという信頼の念である。
 さて、プロデューサーが無言のままページをめくると、それを見た紗南もまたページをめくる。紗南に読ませることを前提に書いた企画書、目の動きから彼女が淀みなく読み進めていっていることを伺ったプロデューサーは、特に何の声も発さない。
 彼女が目を留めて顔を上げるまでは、その必要はないと。
 事務所内にいる他のアイドルやプロデューサーたちの喧噪(けんそう)の中で、ゆっくりと時間は過ぎていく。時折目線が行きつ戻りつする、彼女の在り方と同じくらいの緩やかさで。
 それはどこか、ゲームのローディング時間に似ていたかも知れない。
 この瞬間を自覚的に待つことができるのは、この世界に自分だけなのだ―そんな喜びにどこか、彼は無自覚のうちに浸っていた。
 そんな瞬間は程なく終わるわけだが。余り長くても困るのも、また真理というもの。
「この企画ってさ……もの凄く大きくない? ひょっとして」
 書類から目を切るなり、紗南は問いかける。
 その表情に、冗談めいた気配はない。真剣そのものだ。
「ああ、大きいよ。究極的には、ゲームの存在意義を世間に認めさせたいって趣旨の番組だからね」
 答えるプロデューサーの表情も、同じくらいには真剣だ。
「やっぱり『コミュニケーションツールとしてのゲームの価値を広めるために』って書いてあるの、そういうことだよね……」
 そこに横たわっていたのは、先程まで味わっていた喜び以上に重くて大きい責任感―喜んでばかりもいられないという、重圧に他ならなかったからである。

 訪れつつある、未曾有(みぞう)の危機を前にして……。



 ゲーム……殊更コンピューターを活用してのそれを悪と見なし害と見なす向きの話は、そうそう珍しい話でもない。それこそ生まれた時から付き纏っている悪評と言えるほどには、その歴史と歩みを共にしている感すらある。それはもう、全く喜ばしくないことに。
 しかし誕生から四半世紀を越えるだけの時間が流れ、生まれた時からゲームが存在する世代からすれば、関わり合いにならなければいいだけの言説でしかない、本来は。
 そう、相手の側から、法的強制力をもって近付こうとしてさえ来なければ……。

『ネット・ゲーム依存症対策条例』(案)

 高校生以下の子供を対象にゲームやインターネットなどの利用時間を一日六十分、休日九十分に制限する―こんな噴飯物の条例が紗南の出身地・香川から吹き出てくるとは。 もはやこの話自体が、タチの悪いジョークとしか言えなかった。
 しかし、まだジョークで済んでいる。今のところは。
 現時点では、(案)でしかないために。
 しかしゲーマーアイドル・三好紗南をプロデュースしている身分としては、決して座視することのできない危機であった。地元で大っぴらに看板を掲げられないなんて、哀しい憂き目に彼女を遭わせるわけにはいかないのだ。
 しかし彼女は未成年であり、参政権はない。大っぴらには干渉する手立てを持たない。そしてプロデューサーは当該自治体には住んでいない身分である。これまた直接干渉する手立てを持たない。
 ならば、どうするか?
 今更ながら、ゲームの持つ価値を敷衍(ふえん)すること―特にコミュニケーションツールとしてのゲームの価値を広めることで、これが規制を要するような代物ではないと広めていく。
 プロデューサーが立てた企画の骨子としては、こういうところである。
 現実の状況の進行する速度に対して、方法論として余りにも迂遠であるかもしれない。直接的に効果があるとも言い切れない部分もある。
 それでも、彼はこれしかないと考えている。
 彼もまたゲームに惹(ひ)かれ、ゲームと共に育ってきたがために。
 これは紗南のための計画ではあるが、それだけではない。プロデューサー自身の祈りと願いさえ籠もったものなのである。
 その熱意の程は、この計画の立ち上げの早さに表れていた。
 話が世上に出回るや否や、事の成り行きを見守ることもなく具体化に着手したのだから……人生最速の決断で以て練り上げ、今日この時を迎えたくらいに。



「で……どうだ? やれるか?」
 問いではあるが、答えは一つした想定していない。
 彼女がプロデューサーの良く知っている紗南であるなら、決まっているからだ。
「もちろんやるよ! あたしの大好きなゲームも、ゲームの大好きなあたしも、誰にも否定なんてして欲しくないからね!」
 その表情に浮かんでいるのは、闘志。
 狙ったハイスコアを出すまでは決して諦めないという、やる気に満ち満ちたそれだ。
「……よし!」
 プロデューサーは想像通りの流れを、想像以上の決意で飾ってくれた彼女を前にして、思わずガッツポーズ。
 彼女の存在自体が嬉しくて、頼もしかったのだ。
「任せといてよプロデューサーさん! 難しいゲームほどやり込み甲斐がある……そうでしょ?」
 彼はただ、大きく頷くだけだった。
 もはや必要なのは、言葉ではない。
 必要なのはゲームと、ゲームで以て繋がる相手である。
「あたしはやってみせるよ……誰とでも、どんなゲームでもね!!」
 紗南は腕を撫(ぶ)して、その瞬間に思いを馳(は)せる。
 これから始まるゲームの時間を、総ての人が楽しめますようにと願いながら。



 斯(か)くして始まることとなった、紗南のゲーム実況。
 それはゲーム自体に楽しみを見出してもらうことと同時に、ゲームを介して他人とわかり合うことを定立(テーゼ)とした、彼女が挑む新たなゲームである。
 どれだけ明るく、楽しく見せられるかを競うのだ。
 大袈裟に言えば、理不尽を押しつけてくる社会に相対(あいたい)することになった、ゲーマーアイドルとしての挑戦。

 それはゲームを取り巻く黄金の日々を、守り抜くために―。



2 〜ゲームとセメント(真剣勝負)〜

 準備を重ねること幾日。
 いよいよその瞬間―本放送開始の時間が迫りつつあった。
 幾日程度で済んだのは、ゲーム以外の備品がすべて事務所にあるもので揃ったからに他ならない。一個人で配信を行うことさえ容易(たやす)いのが現代。これから実況しようというゲームたちが発売された頃には、考えられなかったことである。
 温故知新(おんこちしん)、ゲームにもこの言葉を用いて違和感が無いほどには、時も流れた。それを知らしめることもまた、動機に含まれているわけである。



「遊ぶのはできるだけ、古めのゲームの方がいいの?」
 遊ぶゲームについてのジャンルやハードウェアについての打ち合わせで、プロデューサーが示した方針について、手を挙げながら紗南が尋ねた。マンツーマンなので特に挙手の必要はないのだが、この辺りに年相応のらしさを感じずにはいられない。
「古いと言っても、ファミコンが発売されたあたりが下限と考えて欲しい。上限は、いま新品が簡単に手に入るようなのは避けて……ってところだな。それと、アーケードゲームも同じくらいの時期のものならアリで」
「理由、聞いてもいい?」
「あんまり古いと手に入れるのが難しいし、全く知らない人に興味を持って貰って先に繋(つな)ぐのも難しければ、知っている人たちに懐かしんで貰うことも難しい。手間の割には効果が薄そうだから。逆に新しい……それこそ現在売ってる・サービスしているゲームだと、競合するゲームの仕事を受けることになった時に問題になりかねない。事務所として仕事でやる以上は、あんまり濃い色がつくのはちょっとね。スポンサーがついてる訳じゃないけど、それも今の時点のことだし」
 並べ立てるは大人の事情、返ってくるのは返事と嘆息。
「そっかぁ……。まあ仕方ないよね、お仕事でもあるわけだし」
 紗南が言葉の前にふぅ……と吐いた一息に、理解はしたが言わずにもいられなかった感が滲(にじ)み出ている。
「……残念か?」
「本当に……ホントのホントにちょっとだけ、ね。ゲームってやっぱりさ、好きだからとか、面白いからで遊ぶものでしょ?」
 紗南は親指と人差し指で僅かな隙間―コピー用紙が何枚か挟める程度の隙間を作って、プロデューサーに見せつけた。
「耳が痛いわ、その言葉」
 全く同じ想いを抱きつつも、プロデューサーとしてレギュレーションを課さざるを得なかった側、アイドルとしてそれを甘受しなければならなかった側、想いは同じだった。
 どちらも『ゲーマー』を接点として、結びついている間柄であることらしく。
「でも勘違いしないでね、プロデューサーさん。すっごくこのお仕事を楽しみにしてるあたしがいるのも、ホントだから! だって、動画でしか見たことのないゲーム、ブログのプレイ日記でしか見たことのないゲームに触れるんだよ!? こんな素敵なお仕事、他にはないよね! あたしがアイドルになったの、ゲームのお仕事がしたかったからなんだから。だから、夢がまた一つ叶ったことになるんだよ、プロデューサーさんのおかげでね!」
 思うところはないでもないが、それ以上に楽しみにしている―こういうことらしい。
 どんなゲームにもストレス―負荷となる箇所―は存在するものなのだ。
 むしろゲームがゲームとして成り立っているのは、この負荷に対応する行為に楽しみを見出すことができるからだと言っていい。
「夢……そうか、そうだったな」
 紗南に突きつけられた形の『夢』と言う言葉で思い出したのは、一番初めに出会った時に、開口一番に言われた言葉。
『アイドルになればゲームのショーとかゲームのお仕事とか出来るんでしょ? これは目指すっきゃないよねー!』
 彼女はここまでに、いくつかの目指す姿を手に入れてきた、アイドルとして。
 加えてアイドルとして活動するうちに、新たに手に入れた姿もある。
 この力を集束して、この叶えた夢を守るために働く。『ゲーマーアイドル』とは、そんな彼女に相応しい形容であるべきなのだ。
 単なるゲーマーであるだけでなく、また、単なるアイドルであるだけでもなく。
 紗南の目を真剣に見つめ、先程からの言葉に繋いだ。
「ゲームという道具での遊びを通して、人の『夢』を引っ張り出すこと。そこに視聴者にも『夢』を見てもらうこと」
 プロデューサーは両手で紗南の両肩を、ポンと軽く叩いて言葉を締めた。
「―頼んだぞ」
 それは彼女を支えることしかできない、表舞台には立ち得ないゲーマーとしての託孤(たくこ)。
「任せてよ!」
 大きく胸を張り、右手で叩きながら答えた。
 表情には、自信と希望に満ちた不敵な笑みを浮かべて。
 これでいい。
 これがいい。
 彼女はゲームに対する愛で以て、この世界を渡っていく存在であるが故に。
 さて、残された大きな問題が一つ。
「……ところで、初回のゲストなんだけど」
 この番組の趣旨に添うようなエピソードを引っ張り出せる、ゲストの人選についてだ。
 個人的にはゆくゆくは事務所の全アイドル、あるいは他事務所のアイドルにも出て貰えるくらいに大きいモノに育てていきたいという意志はあるが、そのためにはまず、番組を軌道に乗せることを考えなければならない。
 紗南の他にもゲームを嗜んでいる、あるいはやっているアイドルも当然いるが、初手から彼女たちを起用することは番組の趣旨にそぐわない気がしてならないのだ。かといって番組の流れが全くできていない段階で全くの未経験者を起用するのも、危険な気がする。
ゲームの枠が覚束(おぼつか)無くてもトークが弾む要素があり、かつゲームを話題に絡められそうな適性があり、意外性もある人物。普段からユニットを組んでいるような相手でなければ、なお良し。
 そんな都合のいい人物を探してみたのだが、そうそう思い浮かぶはずもなく、この段階まで白紙の状態が続いていたのである。
 口調から表情から一転して弱気になっているのを見せつけられて、プロデューサーが困っていることを否応(いやおう)なしに悟らされた紗南だったが。
「そのことなんだけどさ、……さんはどう?」
 いともあっさり、とある人物の名前を推挙してみせるのだった。
 彼の要望総てを満たせる、とびきりの逸材に違いなかった。
 何より、意外性において。
「―いけるか?」
 色んなものを心で天秤(てんびん)に乗せ、その可否を問うプロデューサーに対し、紗南は再び答えた。
 先程より大きく胸を張り、先程よりも力強く叩きながら―二回も。
 表情には、確信と歓喜に満ちた明るい笑みを浮かべて。
「任せてよ!!」
 身長百五十センチメートルにも満たない彼女が、とてつもなく頼もしく見えた。ある種の神々しささえ感じられるくらいに。
 彼女がこうあってくれる人だからこそ、自分もまたプロデューサーでいられる……そんな喜びに浸らざるを得なかった瞬間。
 総てをゲームに巻き込み準えていく、彼女の才幹(さいかん)あってこその大計画。
 その道行きの明るきを、想起せずにはいられない喜びを噛みしめた。



 初回放送当日。紗南の自室の一角という体にセットした、事務所内の一角。
 ゲーム機を家のテレビに繋ぐような話は終わった。
 今ここから始まる彼女の伝説―になるに違いない、一本の生放送配信番組。
 初回ゲストを迎えるに当たって用意したソフトに縁のある人の言葉で語るとするなら、これだろう。

 時は来た!
 それだけだ!

 ―と、力強く。



「皆さんこんにちは! 初めての人は初めまして! ゲーム大好き、ゲーマーアイドルの三好紗南です! 今から始まるこの放送、『三好紗南のゲーム実況(仮)』は、ゲームを通していろんな人と仲良くなるのがコンセプトの、コミュニケーションツールとしてゲームを遊んじゃおうという企画です! ゲームが好きな人も、ゲームを知らない人も、放送を通してゲームの魅力とか、あたしたちアイドルの面白さ……これも魅力って言っていいのかな……? まぁいいや、とにかくそういうのを知って欲しいってことで! 面白かったら評価とチャンネル登録、よろしくお願いします!」
 前説を一気にまくし立てては、カメラに向かってぺこりと頭を下げた。二つのおさげが跳ね回る勢いのよさだ。
 興奮と緊張とが、彼女の心を急(せ)かしている。
「そしてこの放送の記念すべき初回ゲストは……この方です! どうぞ!」
 そこに現れたのは、赤いパーカーにジーンズのラフなスタイルが印象的なこの人物。
「ゲストの桐野アヤだ、よろしく!」
 桐野アヤ。
 アイドルとしてはユニットの『レッドバラード』や『フランメ・ルージュ』で活動する、これまで特にゲームとの接点が取り上げられるようなことはなかった人物である。
 紗南とはLIVEツアーカーニバル『超撃公演ディーバファイト ゼロ』で、ディーバという生命体とそのトレーナーとして共演した過去がある。ライブロワイヤルにも同公演の宣伝のために出演したことはあるが、表だって継続して活動しているユニットはないという、そこだけ見ればさして親しくは見えない間柄と言えそうである。
「アヤさんいらっしゃい! 今日はよろしくお願いします!」
 今度はアヤに向かってぺこり。
 愛用のドット絵がプリントされた灰色のパーカーにジーンズ、ファッションの方向性が図らずも似ている二人が向き合う姿には、そんな疎遠な感じは微塵(みじん)もない。
「こっちこそよろしく! でもよ、本当にアタシがゲストでよかったのか、紗南? ゲームはサッパリだぞ」
「全然大丈夫だよアヤさん! この放送は、ゲームに触ったことがない人に触ってもらうのも目的の一つだから。それにアヤさんだって、格闘技を見たことがなかったあたしを一緒に見に行こうって誘ってくれたじゃない? それと同じことだよ」
 そう、紗南は前にアヤに誘われて、格闘技を見に行ったことがあるのだ。選手が大技を極(き)めるたびに、頭の中に格闘ゲームの入力コマンドが思い浮かんでいたという感想のつぶやきは、ゲーマーにありがちなこととしてファンに拡散されたものである。
「あー、なるほど。そういうことか。別に上手い必要も詳しい必要もないんだな。興味をもって楽しんでくれたらいいってことか」
 かつて自分が紗南を格闘技観戦に誘った時に考えていたことに照らして、アヤはその趣意を理解した。それはもう完全完璧に。
「そうそう! そういうことなんだよアヤさん!」
 理解される喜び。この時点で感極まっている紗南である。
 無理矢理気味にアヤの手を取ると、上下にぶんぶんと振り回す。シェイクハンドという呼び方の、シェイクが実にしっくり来る勢いだ。
「おおっ……と。それより紗南、放送を進めようぜ?」
 親切心半分、照れ半分から紗南に進行を、場面転換をアヤが促す。
 自然に終わるのを悠長に待つには、少々気恥ずかしさが先だったのか。
「あ、そうだね。まずはゲームを始めなきゃだもんね、放送的には」
 紗南はアヤの手を離すと、カメラの方に向き直した。
「それじゃアヤさん、あのセリフを一緒にお願い」
「ああ、あれね! こっちはいつでもいいぜ!」
 それは予めお願いしてあった、番組開始の合図―合い言葉。
「それじゃ行くよ……せーの!」
 深呼吸を一つ。改めて、ここからゲームを始めるために。
「「スイッチオン♪」」
 幕開けを告げるそれは、あたかもゲーム機に電源を入れるかの如くに。



「というわけで今日はアヤさんとゆっくりゲームをしながら、色々な話をしていきたいと思いまーす」
 パチパチパチ。
 二人プラスαの拍手の音が鳴り響く。プラスαは機材を操作しているプロデューサーが流している効果音。
 人手を取る前提で組み立てなかったこの企画、プロデューサーはひたすら裏方仕事だ。
「おお、これがコントローラーってやつか」
 モニターからゲーム機本体に映像音声端子が、ゲーム機本体から二人分のコントローラーの線が延びている。この時点ではゲーム機には布が被(かぶ)せられていて、アヤは用意されているコンテンツが何かを知らない。
 灰色地にボタンが八つ(セレクト、スタートボタンを含む)、それと十字キー。紗南やプロデューサーは勿論(もちろん)のこと、紗南ファンで『これ』の正体が分からない人物は、まずいないだろう。それくらいにメジャーな、往年のゲーム機のコントローラーである。
 それを手に取って、早くもカチカチガチャガチャとアヤはいじり回している。
 モニターにもゲーム機にも電源は入っていない。つまりは完全な興味本位からの行動だ。
「そうそう。それでは発表します。今日のゲームは……」
 ドゥルルルルルルルルルルルルルルルルル……ジャジャーン!
 軽快なドラムロール音が鳴り終わる頃に、かかっていた布を紗南が取り払った。
「スーパーファミコンの……」
 そこに鎮座していたのは、九十年代前半を代表する家庭用ゲーム機のハードウェアだ。興味があるもの……例えばゲーマーなどであればどの世代であれ手にすること、目にすることもそう難しくはないが、興味や縁がなければ接点がなくてもおかしくはない。
「おー」
 言うまでもなく紗南が前者、アヤは後者である。
 そして肝心の、スロットに刺さっているソフトは……。
「スーパーファイヤープロレスリング!」
 プロレスゲームの金字塔、その一作目だ。
「……! なーるほど、そういうことか」
 タイトルを告げられたアヤは一瞬驚いた後、うんうんと何度も頷いた。まるで総てを理解したかのように。
「なるほど……って、なにが?」
 ライブ感を優先しようということで、細かい打ち合わせなどは全くない状態からのこれである。だいたい、本当にこの瞬間までハードのこともソフトのことも伏せてきたのだから。そうでなければ、先程のような感想がアヤから出るはずもない。
「つまりアレだろ、このゲームで遊びながら……アタシの格闘技愛を確かめようってんだろ? 上等だぜ!」
 腕を撫(ぶ)してやる気十分、アヤは本気だ。
 この瞬間まで、見たことも触ったこともないゲームだというのに。
「ん〜……まあ、そういうこと……かな?」
 強烈に前のめり気味なアヤに気圧(けお)される形で、言葉の歯切れが微妙に悪くなる紗南だ。もう少し穏やかな流れを考えていたというか、ここまで思った以上にノってくれるとは思ってなかったというか。
「じゃあ早速始めようぜ! スイッチスイッチ!」
 アヤはコントローラーを握り、言葉と態度で紗南を急(せ)かす。
 その勢い、正に炎の( フランメ )如(ごと)し。
「はいっ!」
 本体のスイッチを入れると同時にモニターにも電源が入り、ゲーム機は起(た)ち上がる。
 今のように長い起動時間を必要とすることなく、速やかにタイトルロゴまで表示された。
「おーし! 行くぜーっ!」
 コントローラーを握りしめてアヤが叫ぶ。
 それに合わせて、紗南ももう一つのコントローラーを手にした。
 しかし……何も始まらない。始まらなかった。
「……で、この後どうすればいいんだ?」
 そう、アヤは初心者なのだ。コントローラーを始めて握ったくらいに。



『ダメだ』
 のどかなBGMの合間合間に、無慈悲な男性型の合成音声が響く。
 アヤがゲームに慣れるために『レスリング道場』と言う名の練習モードでキャラを動かしているのだが、技を掛けるのに失敗すると先の合成音声が流れるのである。画面上のテキストメッセージでは『ダメだ、早すぎる』と『遅すぎる、もっと早く』の二種類があるのだが、音声はただ『ダメだ』の一言しかない。
 このシュールさが、往年のファンにとっては懐かしさをこれ以上なく掻(か)き立てるスパイスとして働いているわけである。
 万事そつが無いばかりが、ゲームの味ではないということだ。
 黙々とアヤがトレーナー相手に技を掛けては『ダメだ』の掛け声を返されている中で、紗南はふと思ったことを尋ねてみることにした。
「アヤさん、一つ聞いていい?」
「んー、何だ?」
『ダメだ』
 会話の間も、アヤの練習は続く。
「あの時さ、なんであたしを格闘技に誘ってくれたの?」
「あー、そのことか」
『ダメだ』
「面白そうだったから遠慮しないで飛びついちゃったけど、後から考えたらどうしてあたしだったんだろうなーって。ほら、ゲストがアヤさんなのは、はあたしがアヤさんに誘われたことがきっかけでしょ? そのきっかけが、どうやって生まれたのかなって」
「ああ、それか。別に大した話じゃないんだよ」
『ダメだ』
 合間合間に挟まる『ダメだ』は、手が止まっていない証である。
「と、言うと?」
「アタシはもともと格闘技が好きで、たまに一人で見に行ってたんだけどさ」
「うんうん」
『ダメだ』
「まあ何回も見に行ってると、選手にも顔見知りくらいの人はできるんだよ。で、そういう人たちからチケットを買ったりするようになるわけだ」
「え、選手の人がチケットを売ってくれるの?」
「アイドルだって駆け出しの頃、自分でチケットを売ったりすることもあるだろ? ウチは事務所が割としっかりしてるからあんまりやらないけどさ」
「あー、確かに」
「選手も名前と顔を覚えてもらいたいからな。冷静に考えたら、そういう意味ではアイドルに似てるかもな」
『ダメだ』
「グッズとか買う時も、知らない人のものって買わないもんね」
「そうそう、そういうこと。だからアタシは応援も兼ねて、選手からチケットを買うようにしてるんだけどさ……その日は二枚買ったんだ、なんとなく。絶対に誰かと来たいとかそういうのはなかったんだけど、本当になんとなくさ」
「あ、分かる分かる! そういうことってあるよね!」
 特に使う予定がない時点でもコントローラーを二つ揃(そろ)えたりしたことのある紗南には、よく頷けた話だった。
「で、買ったら買ったで使わないともったいないだろう?」
 しかしチケットには、コントローラーと違って具体的な使用期限が設定されている訳で。
「うん」
「じゃあ誰か誘おうかって、まあ誰でも思うよな」
「うんうん」
「アタシも最初はやっぱりいつもユニット組んでる誰かを誘おうかって考えたけどさ……色々考えて『あ、やっぱこりゃねえな』って思ったんだよ」
『ダメだ』
 合間合間に挟まる『ダメだ』の頻度が下がっているのは、徐々に技の成功率が上がっているからである。久々の『ダメだ』の前には、いくつもの無言の成功があるのだ(それ用のテキストメッセージは流れているが)。
「え、どうして?」
「いやあ……アタシのいるレッドバラードのみんなを思い浮かべてくれよ。格闘技観戦にはどう考えたって向いてそうな気はしないだろ? 頼めば来てはくれるだろうけどさ……特に面倒見がいい礼子さんとかあいさんあたりは」
 レッドバラード―シックかつエレガントな装いを基調とした、この事務所でプロデュースを手がけているアイドルユニットの一つである。
 高橋礼子、東郷あい、相川千夏、黒川千秋、そして本人である桐野アヤ。
「あー、確かに……格闘技を見てるイメージが想像できない所はあるかな」
 格闘技観戦の趣味ベクトルは、あまり共有されそうにない印象は否定できないところだった。
「そうだろう? みんな落ち着いてて、観客席で絶叫するようなタイプじゃないっていうかさ……」
「それじゃあ、フランメ・ルージュの伊吹さんと志保さんは?」
 次に紗南が持ち出したのは真紅のダンスユニット、フランメ・ルージュのメンバーだ。 アヤの快活な側面をクローズアップしたとき、こちらの方がそれっぽいしノって貰えそうな雰囲気を感じるのだが。
「あー、伊吹は初めから考えてなかったな」
『ダメだ』
「へぇー?」
「ああ見えてさ、メチャクチャ乙女なんだよ伊吹。あ、『ああ見えて』は余計って怒られそうだな……訂正するわ。メチャクチャ乙女趣味だからさ、伊吹は。そもそも誘う選択肢に入らなかった」
「そういえば、よく奏さんと映画を見に行ってるって……」
 速水奏。彼女はクールビューティーを絵に描いたようなアイドルである。
「奏も奏で恋愛映画はあんまり得意じゃないらしいけどな」
「それでも、よく一緒に見に行ってるね」
「得意じゃないから好きじゃない……とも限らないと思うんだよ。例えばさ、遊園地のジェットコースター、乗ると叫びまくるし怖いのに乗りたがる人っているだろ? 多分そういうノリなんだよ」
「確かにあたしも、そんなに得意なジャンルじゃなくても好きなゲームはあったりするから……そういうことなのかな?」
「まあ、そういうことだと思うぜ。紗南だってゲームって土台の上で人と話したりしたいって思ってるだろ? あの二人にはそれが映画なんだよ」
「一人より二人、そういうことなんだね。今のあたしたちみたいに」
「多分な」
「志保さんの方は?」
「その日限定のスイーツを出す店があるって前々から言ってたから、それ以前の問題だったな。アイツのスケジュール帳はすごいぞ。事務所から行ける範囲にあるスイーツ屋のイベント情報でぎっしりだ。正直胸焼けするレベルで」
「そんなに凄いの……?」
「そうか、紗南はアイツと仕事で組んだことはなかったっけ。何かの機会に一度見せてもらったらいいぞ。ホント、スイーツの専門家先生になれるってレベルだぞ」
「あたしには、スイーツファイブのお声はかからなさそうかなあ」
「まあそこは、先々の希望ってことで」
『ダメだ』
「あとそうだ、こずえちゃんは?」
「試合の時間が、こずえはおねむの時間でさ……仕事でもないのに起こしておくのもかわいそうだろう? 寝る子は育つって言うしさ、寝るのの邪魔はしたくないんだ」
「なんだか、お母さんみたい……」
 ここまで淡々と喋ってきたアヤが、突如色めきだった口調に切り替わった。
「お、お、お、お……お母さんんん!?」
「あれれ、あたしなんかおかしいこと言っちゃった?」
「アタシはまだ未成年だぞ! まあ成年になるのもそんなには遠くないけどさ……それをお母さんって……なあ?」
 アヤの面倒見の良さは、事務所内では周知の事実でしかない。もはや一般常識レベルで。それを持ち出しただけで、こんなに狼狽(うろた)えるとは紗南も思っていなかった。
「でもこの間も、こずえちゃんとお人形で……」
 そう、全く思っていなかったので、さらに一枚踏み抜いた―アヤとしては伏せて欲しいと思っている急所を。
「あーあー!! あーあー!! そんなことよりさ、もう練習は充分だと思うから、早速勝負を始めようぜ! 紗南もそろそろゲームを始めたい頃だろう!?」
 これ以上ないくらい露骨なフリだが、紗南には拒む理由もなかった。トークコーナーとしての取れ高も充分過ぎるほどにあったことだし。
「え、もういいの? それじゃあ始めよっか!」
 容赦なく本体のリセットボタンを押し、タイトル画面に戻す。
 さあ、本題はここからだ。
「ああ、やろうぜ! 明るく、楽しく、激しく、そして……真剣なゲームを!」
 既にそこに居るのは、コントローラを介した一人と一人のファイターだった。



 (続く)



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