小松伊吹はなぜ『ダンス・ダンス・ダンス』を勝ちきれなかったのか



1 〜デッドリー・シリアス〜

「大興奮、再び! 『リ・フューチャー・ダンスバトル』閉幕! 優勝者は……」
 テレビの中の司会者は、大仰な身振り手振りでその興奮の度合いを視聴者に伝えようとしているのが見て取れた。
 そうしたくなるのは分かる。実際、現場に立ち会った自分だって興奮していたのだから。まぁそうでなくても、番組司会者として煽りの一つ二つは入れるだろうが。
 それが本物の興奮に裏打ちされていると理解している者としては、それが彼の立場上発しなければならない言葉でしかない、ある種の世辞でないことは事務所の一員として素直に嬉しかった。
「こんにちは。『ルミナス・アズール・デュオ』の高垣楓です。みなさん、応援ありがとうございました」
「アーッハッハッハ! 下界の魔力を吸いあげ、我に届けたのは、汝ら眷属たちの業! 闇に飲まれよ!」
 優勝者インタビューに答えている高垣楓と神崎蘭子が、画面には大写しになっている。その姿を見て思ったことが、ただ一つだけ。

 この場面に写っているのが担当アイドルだったならば、もっと素直に喜べたのだが……。

 それが偽らざる、小松伊吹をプロデュースの軸に据えている彼の気持ちだった。
(注:この事務所には複数のプロデューサーがおり、それぞれ軸として据えているアイドルがおり、先の『彼』は、その軸に小松伊吹を据えていると考えられたい)
「あんまりノってるってカオじゃないね、プロデューサー? こんだけいい番組を見てる人がする表情じゃなくない?」
 事務所建屋の一室、自分に与えられた執務室。
 備え付けのテレビを、自分の肩越しに同じ視線で見つめながら呟いたのは、小松伊吹その人だ。わざわざ後ろ側に回り込んで、中腰で椅子に座ったプロデューサーと同じ視線の高さでテレビを見ている。伊吹の顔は、ほぼ彼の真横――振り向けば掠ってしまうかもしれないくらいの近さにある。
「……そうだね」
 一瞬チラリと横目で伊吹を見て、再び視線をテレビに戻す。
 表情は、先程より少しだけ柔らかくなった。彼自身に、それに気付く手立てはなかったが、それに気付いた一人だけは、満足げに微笑んだ。
「……とにかく全てが熱戦、紙一重の勝負でした」
 二人のやりとりの間にも、インタビューのシーンは進んでいた。
 ちょうど司会者が、総括するように全体についての評価を述べているところだった。
 そして流されていく、それぞれのダンスシーン。
 時系列順送りで流されているのだから、最初は当然第1ステージ。
 つまり、まさに伊吹と水木聖來とのコンビIS☆WAVY≠ェ登場する所からだ。
 優勝候補との下馬評には鼻が高かったし、そのように周囲からも見なされているということが何よりも嬉しかった。
 必ずしも甲乙の格をつけるべき類のものでないことは、百も承知。
 それでも乙よりは甲とされたほうが、気分がいい。
 正直な所、イベントが一般的なライブ形式のものから、数回次に亘ってステージが用意されるトーナメント式に変更されたときは、『しめた』と思っていたのだ。
 実力次第で、ステージ数を稼ぐことができるのだから。
 そしてIS☆WAVY≠ナ大会に挑むこともできた。元から伊吹も聖來もこのイベントには登場する予定だったからスケジューリング的な問題がないことは分かっていたが、誰が誰と組んでもいいという形式は、他の誰かと聖來が組む可能性もあったことになる。その懸念を解消することにも成功した……この時点で勝ち筋に乗ったと思っていたのだ。
 番組に前後してして行われた部外アンケートDance IDOL≠ナ、弊社所属のアイドルのうち、ダンスが最も上手な人は誰だと思うか? というアンケートに於いて、堂々一位に輝いたのが彼女である。
(ここでも伊吹を勝たせることができなかったことについては、忸怩たる思いはあるのだが、これについては後ほど触れることにする)
 少なくとも、そこに見合うだけのカウンターパートナーと思われていることは純粋に誇らしいことではある。ここでは、まず大切なのはそれだけだ。後は些事に過ぎない。全てを決するステージの上で、揃って輝いてくれればそれでいい。
 むしろ、それだけでいい。
「今ここから始まる熱い戦い! 最初にステージに上がるのは……IS☆WAVY≠フ熱い太陽、小松伊吹だあッッ!!」
 公正厳正な抽選マシーンによる割り振りの結果、IS☆WAVY≠ヘ第1ステージの先行、つまり開幕戦を任される形になった。
「それに続くはIS☆WAVY≠フ煌めく月光、水木聖來!! 二人揃ったここはもはやステージではない……数万の大観衆が見守る大通り(ストリート)!! 遮るものがない未来への一本道、彼女たちはどの様に彩るのか!? Check it out(チェケラツ)!!!」
 それは本来、幸運なことのはずだった。トップバッターということは、自分たちで流れを作ることができるということなのだから。
 二人の息は今さら言うまでもなく、レッスン中からピッタリと合っていた。元から仕事に関係なく踊り明かすこともある間柄の二人に、今更説くようなことは何もなかった。
「全力で行ってこい!」
 二人を贈りだしたときの言葉は、それだけだったと記憶している。

 テレビの中では今まさに、二人が魅せてくれた熱がそのまま再現されている。
 どこにも失敗らしい失敗はない、見事な仕上がり具合だった。贔屓目抜きにしても、あるいは贔屓だからこその厳しい目で見ても、だ。
「ホラここ、ピタッと止まれてバシッと決まってる! 本当にこの時はキレッキレだったよね、アタシも聖來さんも」

 ダンスに難しいことはいくらもあるが、そのうちの一つが『動きを急に、綺麗に止めること』だという。人類史上で、最も音楽アルバムを売ったことが世界記録に残されているアーティスト――キング・オブ・ポップの名を欲しいままにした彼――は、ダンスもまた超一流だった。そんな彼は常に動きを『止める』ことを念頭に踊っていたという。まだ個人向けのVTR装置が普及途上にあった時代、日本でも指折りの男性アイドルがその精度に驚嘆し『なぜこの早さでの動きをピタリと止められるのか?』を研究するために、特定シーンの再生と巻き戻しを繰り返し見ていたらテープが擦り切れた……なんて話もあるほどだ。

 閑話休題。
 とまあ、そういった方々を引き合いに出しても恥じることのないダンスだった。
 そう『思う』のではない。そう『だった』と言い切ろう、プロデューサーとして。
 やがて、曲が終わる。
 オーディエンスからの、割れんばかりの拍手と歓声。
 テレビから聞こえるそれには、相応の調整がかかっているのでまぁ賑わっている程度に感じる程度なのだが、一度でも現場でそれを聞いた者が、忘れられるはずはなかった。
「あはっ♪」
 機嫌よく顔を上気させながら、感嘆を一語で表す伊吹。言葉で説明できるほど小さい感情ではないのだろう。
 そしてそれをステージ裏から見ていた彼は、最高のスタートダッシュを決められたと、そう思っていた。
 恐らく、イベントとしてのそれとしては、正に完璧だった。
 だが、それ故に……IS☆WAVY≠ヘこのイベントを勝ちきることができなかった、とも言えた。
 相手が悪かった……いや、良かったおかげで。
「ヘーイ!!」
 この一言だけでオーディエンスの歓声を完全に止ませ、すぐにまた異なる歓声を響かせる力を持つ器の持ち主。
 それが、彼女たちの対戦相手。
「ここからは……」
「ワールド・イズ・ヘレンよ!!」
 ステージに立っていたのは、一組の『ヘレン』だった。



 どう見ても二人。
 どう見てもヘレン。
 会場では大して気にもしなかった……している余裕もなかったが、やはりこう……。
「ホント……なんだろうね、これ?」
「わからねぇ……何もわからねぇ……」
 違和感しか無いのだが、受け入れてしまう。
 確かにレッスンの段階でも、誰をパートナーに選ぶでもなく、独り黙々……というには騒々しかったか……何やらやっているのは聞いていたが、まさかこう来るとは……。
 彼女を軸にプロデュースしている同僚に、事後トリック? について尋ねてみたが、
「だってなぁお前……ヘレンだぞ?」の、一言だけで済まされてしまった。

 せっかくなのでそれを今、伊吹に伝えたが、
「そっか……そうだね」と、これもまた一言だけで済まされてしまった。
 なんというか、スケールが大きい。おそらく目盛りは地球を測れる単位で刻まれているのだろう。凡人に、それを推し量ることは敵わない。
 地球隆々、世界悠々。
 二人一組のヘレンは、力強くステージにあった。
「ヘレンさんってさ、一挙一動がなんというか……大きいんだよね。全然威圧的じゃないんだけど、凄く圧してくるというか。でも堅苦しさや息苦しさは感じなくて、面白いけどおちゃらけているのとも違うし……」
 画面を食い入るように見つめながら、伊吹が考え込んでいる。明朗快闊を地で行く伊吹にしては、珍しい姿だった。
「それなあ。同じこと思ってたわ。この辺で、もう完全に空気ごと丸呑みにされてたような気がするんだわ」
「熱ごとそっくり、やられちゃったね。あの時はこのステージ裏で、ここからどう燃やし返してやろうかって聖來さんと盛り上がってたんだけどさ」
 ダンスバトルの瞬間には使えなかった時間を使って考えていると思うと、なんだかとてもいじらしい。そう逆説的に説くならば、ダンスバトルに身を置いている間には、どうということもなかったのだろう。
「そうだったのか。事前に教えてもらってた組み立てと、なんか違うなぁって思ってたんだわ、2曲目のとき」
 ヘレンの1曲目のダンスが佳境を超えた辺りで明かされた、初耳の裏話だった。

 そう、『リ・フューチャー・ダンスバトル』というタイトルに変わり、ダンスバトルがメインとなったため、トーナメント制が敷かれることになったとき、色々と課題点が出てきたのである。
『一組のユニットに、何回(何曲)踊らせて勝負とするのか?』
 一発勝負か、はたまた複数回か。
 課題曲はある程度テーマを持たせるのか、それとも自由とするのか。
 元は他社での合同プロジェクトから戻ってきた、楓と蘭子の『ダンス・ダンス・ダンス』が目玉となるはずだった企画である。
 そこを踏まえるのか、或いは敢えてその二人だけのものとするのか。
 色々と揉めたが、なにせ主力アイドルを合同プロジェクトにホイホイ出向させる――よく言えば残っているアイドルたちで充分やっていけると考えている――人物が割と上流にいる事務所である。テレビ番組で扱われることを考慮して1回戦あたり3曲ずつ、特に縛るテーマもなしとなった。なんとも自由なものだ。
 実際出向中も通常営業だったし、終わったら終わったで持ち帰ってきた成果を、事務所全体で分け合おうという趣旨にも見えそうなイベントの企図が起点と思えば、そこからして自由というか、相手からしてみればなんとも食えない印象になったりしないかと思ったりもしたものだが。
 出番が貰えるなら、なんだっていい。
 ある意味、灰被り姫の原点に近いとさえ言えよう。
 だからこそ、自信を持って送り出したのだ。
 舞踏会の場へと。



 2曲目と3曲目はもう、正面切っての殴り合いと言ってもいような内容になっていた。殴る道具が拳ではなく、ダンスというお互いの武器を使っての、全力の殴り合い。
 まさにそれは、龍虎相打つ熱気の坩堝。
 太陽がてらし、月が輝く地球を、一息に飲みにかかる世界レベル。
 2曲目は『何かが違う』程度だった構成は、3曲目にはもうほとんど即興レベルの組み立てに切り替わっていた。
 無言で仕掛ける伊吹と、それに合わせる聖來。
 一瞬目が逢えば、それで成り立つ意思疎通。
 仕事の内外で、踊り続けた時間も密度も色濃い二人だからこそ成立する技術だった。
「ここはね、聖來さんが同時にここに来ることで立ち位置が対照的になるし、オーディエンスの視線が重なるようになるから、無人のリハのときよりリハのときより良くなるよねって……」
 今まさに3曲目に突入しているところだが、横で伊吹が意図を解説してくれていなければ、真意は分からず終いだったことだろう。
「そうだったのか……」
 伊吹の一語一語に、どれだけこの言葉を呟いたことか。
 まだまだ知らないことばかりだ、と痛感させられた。
 長く付き合ってきたようで、分からないことだらけ。
 だからこそ、興味は尽きないのだが。



 3曲。普段の彼女たちを燃え尽きさせるには、あまりに短い時間だった。
 しかし二人は、3曲に全てを注ぎ込み、そして燃え尽きた。
 あのヘレンの側もそうだったのだろう。自ブロック最後の曲が流れ終わり、ステージを去る折に、
「未来の歴史は、あなたたちのヒストリー……」
 と満足げな笑みを浮かべて、結果も見ずに去って行った。
 言葉の意味はよく分からなかった――そも歴史とヒストリーに何の違いあるのかなど、言いたいことは山ほどある――が、何かを垣間見たのだろう。
 以前、前述したヘレンのプロデューサーから『ヘレンは襲名制なんだよ』なんて聞かされたことがあったか、確か。
 与太話の類だと聞き流していたことを、ふと思い出した。
 しかし、本当の所はどうなのだろうか?
 この二人が全力を出し尽くさねば、燃やし尽せなかったのだ。そんなアイドルが、いったいどれほど存在するというのか?
 などと、埒があかないことで悩んでいる間にも、第1ステージで完全燃焼した……すべての手の内を曝け出すことになったIS☆WAVY≠ヘ、次のステージであっさりと消えていった。
 もちろん、勝ち上がってきた相手の仕上がりが素晴らしかったことは言うまでもない。
 これが総当たり式とは異なる、トーナメント式マッチアップの妙味なのだ。
「いやー、それにしても楽しかったなあ。またあんなステージに立ちたいって、今もウズウズしちゃってさー♪」
 画面の中でも外でも、その顔には一部の曇りもない。
 勝ち負けなんて、些細なこと。
 踊り尽くせる仲間がいて、相手がいてくれたことに比べたなら。
 本気で彼女は、こう思っているのだろう。
 その一途さは、正に太陽に比して恥じることがないものといえた。
 どこまでも『熱い太陽』。
 そんな彼女だから、彼は思っているのだ。小松伊吹のプロデューサーであり続けたいと。
 そんな思いを抱えながら特番を見終わった頃に鳴る、デスク上のビジネスフォン。
 まるでタイミングを見計らっていたかのようだ。メモの準備を整えてから、そそくさと電話を取る。
「はい左様です、私が小松伊吹の担当をしています。……ええ、少々お待ちください」
 用件を聞き終えると保留のボタンを押し、伊吹に向き合って尋ねた。
「明日のことだけど、小さいクラブのイベントで出場者に病欠が出て、急遽代打を探してるってさ。どうする?」
 伊吹の答えは、いつだって明朗快闊だ。こと、ダンスに関しては。
「それ、アタシに聞くまでもなくない?」
「ま、一応ここは会社で、これも仕事の話だからな」
 本当の所では、聞くまでもないことくらい分かっている。ただ、職責としてのそれを果たしたまでのこと。
「それではすぐに参ります。こちらこそ宜しくお願いします。では」
 電話を切ると、さっと立ち上がった。
「行くぞ……新しいステージだ!」
「へへっ! そうこなくっちゃ!!」
 小松伊吹は、踊り続けるだろう。
 熱い太陽の光が皆に届くその日まで。
 たまにある曇りの日がなんだというのか、今更。
 太陽も月も地球も、いつだってそこにあるさと、どこかの誰かに言い聞かせながら……。
 流れている番組は記録であり、縫製されたときには最早、過去一つ
の出来事でしかないのだから。
 誰かが言った。『陽はまた昇る』と。



 しかし、言い聞かせるだけで終わってはいけない。
 あるいは、だからこそ考えなければならない。
 光が届かなかったことを嘆くのは、仕事ではない。単なる愚痴に過ぎない。
 どうして光を届けられなかったのか、どうすれば光を届けることができたか。それを深掘りすることこそが、役目ではなかったか?
 次の機会へと、繋ぐために。

 ここから先は、ある意味慚悔録(ざんかいろく)でもあるだろう。
 彼女たちを勝たせられなかった、力及ばなかった者としての。
 大真面目に考えた(デツドリー・シリアス)、祭りの後先の物語。



 (続く)



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