![]() −浜口あやめ遠征記− ![]() 1 〜冬の霹靂は大地から来たりて〜 令和6年――西暦にして2024年、閏年の6月。 浜口あやめは、ユニット『可惜夜月』の一員として石川のステージに立っていた。 ユニットのメンバーである脇山珠美、道明寺歌鈴、『羽衣小町』の塩見周子、小早川紗枝、『かくりよがたり』の白坂小梅、依田芳乃といった、和≠絶対基準としたユニットで固めたライブツアー……ConnecTrip! の最終公演という、なんとも誉れ高いステージに。 フィナーレを飾るステージだけあって仕上がりは上々、コンセプトツアーだったこともあり、事務所として蓄積してきた経験もあり、自信を持って言いたい。 非の打ち所がないものだったと。 その証拠にステージ上には、満面の笑みを浮かべたあやめがいた。他のアイドルたちも同様。 (無論、各々の楽曲中では、それに相応しい表現をしていることは言うまでもない) しかし、その笑顔に辿り着くまでには、それなりの時間を要した。根っから朗らかな彼女でさえ。 それは、本来立つべき時に、この場所に立てなかったから。 一番槍として切り込んでいくはずだったステージに、最後に立っている意味。 それを感じたときに、決して楽しいばかりではなかったことが、そうさせていた。 時は、半年ほど前に遡る……。 * お正月のテレビと言えば、時代劇。 あやめの価値観は、幼い頃に面倒を見てくれた祖父のそれも手伝ってか、まさにこれであった。地上波では縮小傾向にあるが、それでも幼い日に植え付けられた価値観という物は、そうそう変わるものではないのである。 むしろ縮小傾向だからこそ、自分のような存在が頑張らねばならない……あやめ自身はこのように考えている。 自分が楽しいと思ったもの、面白いと思ったものを広めたいというのは、ごくごく自然な欲求である。 ただそこから一歩……どころか五十歩か百歩か抜け出して奔り、『忍ドル』という存在にまで上り詰めたのは、彼女が彼女の感性と行動力を持っていたからなのだが。 五十歩百歩とは言うが、前に進む者のそれは一歩でさえ偉大である。 まして、ジャンルの定義をも含んでいるのであれば、尚更。 アイドルは正月に仕事が入る人も多いが、この時期のあやめの出演番組は収録作品であることが多い。というより演劇でもなければ、時代劇の生放送などそうそうあるものではない。 というわけで彼女は帰省し、家族共々こたつに潜り込みテレビに齧り付いていた。 その理由は、もちろん自分の仕事ぶりを直接家族に見てもらいたいからである。 普段は東京の女子寮に住んでいるので、中々顔を合わせられない。まして自分の出演している番組をリアルタイムで見ている様子を見ることは、なかなか叶わないものなので。 「さあさあ、間もなく始まりますよっ!」 お茶にお茶請けの和菓子、どれも事務所で情報交換や物々交換を駆使して手に入れた、当地ではなかなか珍しい代物ばかりだった。品質も折り紙付きである・ 年初の家族行事を終え、ひたすらゆっくりするだけの三が日。 時が過ぎれば、正月明けに予定されている仕事――石川でのライブの最終調整、程なくして本番という、重要な仕事が待ち受けている。 アイドルも好きでやっている仕事とはいえ、それはそれ、これはこれ。時代劇が好きな一個人としての、息抜きの時間は必要なのだ。 それを同時に楽しんでくれる、家族の笑顔共々。 それは取り留めてどうということもない、浜口家の正月の姿だった。 そう、あの瞬間がやってくるまでは……。 * 1月5日。 それぞれの帰省先から帰ってきた『可惜夜月』の三人が女子寮に揃っていたが、表情は一様に硬かった。帰省先から持ってきたお菓子にも、入れたお茶にも誰も手をつけない。無言の時間――空白の時間が流れている。 電源を入れてはあるが音声をミュートしているテレビの画面には、その理由が明々白々に映し出されている。 誰しも理解しているのだ、仕方のないことだと。 何が悪いわけでもないと。 誰が悪いわけでもないと。 だからこそ、ただただ、哀しいのだ。 空いてしまった、一週間先のスケジュールが。 新年早々、カレンダーに書き込まれた文字を二重線で消していくときの、なんとも言い難い消失感。 熱々の御茶を入れたはずの湯飲みからは、もう湯気は上がっていない。 三人揃って俯いて、どれほどの時間が流れただろうか。 「……私たちは」 どれほど続いたか分からない沈黙の壁を破ったのは……あやめだった。 「私たちの『可惜夜月』という名前は……明けるのが惜しいほどの美しい夜に浮かぶ月、でしたよね?」 あやめの言葉に、歌鈴が即座に反応した。 「そ、そうでしゅ!!」 返事で思い切り噛んだが、特にそのことを気にするような素振りはなかった。 「人を照らすのは何も太陽だけではなく、惜しむに値する月明かりのように優しい光もある……そんな優しい名前だと珠美は思っていますよ、あやめ殿」 歴史小説の一節を諳んじるように解しながら、その意を説く珠美。 あやめとの付き合いも長い珠美、言葉に何やら思うところがあったらしい。 「はたして見上げて貰えぬ月に、存在する意味はあるのでしょうか……?」 くだんの家族で見る予定だった番組は直後の地震で差し替えられてしまい、そのまま放送が中断されてしまったのだ。正月特番として予定されていただけに時間が長く、こちらの方も再放送の目処は立っていないという状況にあった。時節の状況に合わせて構成されている番組は、こういったインシデントに弱い。テレビ局がそのままお蔵入りにするような番組でもないが、尺が長いだけに平日深夜にノルマは果たしたといわんばかりに流されてお終い、ということもままあるものである。 普段は一緒に見ることができない、家族の表情を見ながら見ること。 遍く人々に、時代劇の面白さを、良さを知らしめること。 この二つの事案が重なってしまったことで、心が大いに落ち込んでいたのだ。 らしからぬ弱音。 されど本音。 その呟きは、悲しみに暮れる十五才から繰り出されたものだった。 アイドルであればこそ、忍ドルとして自らを定義してしまったからこその。 テーブルに、涙が一滴。 「あります!」 大声で叫ぶより早く立ち上がったのはのは、歌鈴だった。 椅子がすっ飛ぶほどの勢いで立ち上がると、あやめを抱きしめにかかって……蹴躓いた。いつものように。 「はわはっ!?」 「!」 何かを予期した珠美が、意図して椅子をすっ飛ばし、小柄な体を生かして滑り込む。経験則に基づく、瞬速の判断と体捌きが成さしめる業前。 そして抱きつかれたあやめも、その一瞬があったことで体を動かせた。およそ数秒前まで生気の欠片もなかった体に、忍者の魂が戻ったかのように。 結果としてあやめと珠美が受け身を取りつつ、すっ転ぶ歌鈴を受け止めるという、よくある日常のワンシーンが生まれることになった。 そう、こちらの方が彼女たちにとっては「日常」なのだ。 「お怪我はありませんか、歌鈴殿!?」 「ご無事ですか!? もしやお疲れだったのでは!?」 「そういえば歌鈴殿は三が日から働きづめでしたよね!?」 「これは珠美としたことが……ここに集まるより先に、歌鈴殿にはお休みいただくべきでした……不覚!!」 「私はだいじょうぶ、だいじょうぶですからっ!」 「ご無理はいけません!」 「そうですとも!」 「ホントのホントに大丈夫ですから! 私は転ぶプロですけど、怪我しないプロでもありますからっ! そ、それよりっ」 「「それより?」」 「二人とも、いったん離れてもらえませんか! あやめちゃんに飛びついた私から言うのもなんですけどっ!」 今更ながらに、歌鈴は恥ずかしさを感じているようだった。 良くあるワンシーンだからといって、必ずしも平気というわけではないのだ。 * 「あやめちゃんのつらい気持ち、凄く分かります。でも、あんな風にまで思い込まなくても大丈夫ですよ! こんなにドジな私でも、ここまで来れたんです! あやめちゃんがあやめちゃんらしくしていれば、見てくれる人はちゃんと見てくれます! あやめちゃんだって、私のことをちゃんと見ててくれたから体が動いたんでしょう?」 「そうですぞ。それにあやめ殿は常々『忍びの道』を珠美たちに力説するではありませんか。珠美は剣の道を歩む者ですが、境地にはそう簡単にはたどり着けないと思っています。珠美自身も、未熟さに泣いたこともあります。ですが、それでも……珠美はここにこうしているのです! 嘆くには、まだまだ早いのではありませんか?」 二人が、口々にあやめを慰めた。 悔しいのは、二人も同じはずなのに。 そして、同じくらい悔しく思っているであろう人々の姿が思い浮かんだ。 同じライブに出演予定だった周子に紗枝、小梅に芳乃。 今まで陰に日向に、応援してくれているファンの皆。 ライブに関わるスタッフの顔。知っている顔だけでなく、下で支えていてくれる人々の影。 ライブの開催地にあって、施設を維持している人たち。それを支えている、さらに多くの人たち。 そして何より、このライブを企画し、形にしようとしてくれた人――プロデューサー。 悲嘆に暮れるより、他に成すべきことがある。 そう思うと、次の提案は早かった。 「歌鈴殿、珠美殿、提案があります」 ごくりとツバを飲みながら、二人はあやめの言葉に耳を傾けた。 「まずは熱いお茶を入れ直し、ここにあるお菓子をいただきませんか? 甘い物は人を幸せにしてくれますし、熱いお茶は、お菓子の甘さを引き立ててくれます。今の我々に必要なことは、まず我々自身が幸せになることだと思うのです、ほんの少しでも」 ないものを、与えることはできない。 アイドルとして、自分が何かを与えたいのは誰だったか? 何だったか? 思いがけない不幸で見失いかけたそれを、あやめは取り戻すことができたのだ。 これは余人の耳には届かない、『可惜夜月』の中だけで終わった、小さな物語である。 何年か後に、ちょっとした思い出話としてだけ語られるであろう、とてもささやかな。 * 頓服したお茶と茶菓子は覿面に効いた。 いつ食べても甘い物は美味しく、熱いお茶はその甘さを引き立てると同時に、口の中に残りがちな甘ったるさを吹き飛ばす。心身共にそこそこ整った気がしている三人。 しかしこれはこれで、次の課題が湧き出す行いでもあった。 満ち足りた気力体力の、行き先がない。宛所がない。 じっとしているのも落ち着かないが、かといってレッスンなどは行えば、この落ち着いた状況がぶり返しかねない。 三人共に、薄々と感じているところである。 何か、全く新しい空気が欲しい――三人共に薄々と、そんなことを考えてはいたものの、具体案が浮かばずに誰もが沈黙していた……そんな時である。 ガチャリ。 扉は開いた、唐突に。 もっとも部内者であれば出入り自由の女子寮、誰がいつ来ようとおかしくもないのだが、今は正月中ということもあり、仕事のスケジュールが空いているアイドルはあらかた帰省しているし、仕事のあるアイドルが戻ってくるには早すぎる、そんなタイミングでのことである。 姿を現すまでは、誰かの見当もつかない、思い当たるフシもない。 三人は固唾を呑んで、その姿が現れるのを待った。 そして、姿を見せたのは――槍の穂先。人の姿ではなく。 「新年早々軍議の折と折とお見受けするが、その労苦多大とお見受けする次第。陣中見舞として一差し、舞を奉じたく推参仕った。我が名は……前田慶次郎利益!」 口上を述べるや否や、スイと長柄の槍を担いだ人の姿が現れた。花吹雪を身に纏いながら。 「……なーんてね! 慶次様の名代として、丹羽仁美推参!! 三人とも、今年もよろしくね!」 「「仁美殿!」」「仁美さん!」 共に『センゴク☆華☆ランブ』を組んでいるあやめと珠美が殿付けで、そうではない歌鈴がさん付けで呼びかけたその相手は、既に名乗っている通りに、丹羽仁美。戦国時代の武将である前田慶次に心酔していたら、いつの間にか自分が人を心酔させるアイドルになっていたという、数奇な運命の持ち主である。 その精神性は、既に憧れの人にかなり歩み寄ってしまったようである。先に姿を見せた長柄の槍に留まらず、服装は個人衣装として設えられた、バリバリの戦装束風味のそれ。 浮世に名を馳せた彼の人を借りるに恥じぬ傾奇者ぶり、数奇者ぶりと言えよう。 「あたしもいるっちゃ! あやめさん、珠美さん、歌鈴さん! よろしくね♪」 仁美の影から颯爽と現れたのは、首藤葵。仁美が登場した時に花吹雪をまき散らしていたのは、彼女である。彼女は晴れ着がベースだが幾分体が動かしやすくなっている、隠し芸を披露したときの衣装を着ていた。 つまりこの場に『アイドル』として、現れたわけである。 「あ……こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」 思わぬ不意打ちに戸惑って固まっていた三人のうち、真っ先に我に返ったあやめが返礼した。 挨拶は大事なものである。 「! お願いしますっ!」 そのあやめの流れを受けた珠美は幾分落ち着いたが、さりとて元気さであやめに負けじと声を張り上げた。 「お願いしましゅっ!」 歌鈴は、いつものように舌を噛んだ。 もっとも彼女は仁美や葵とユニットを組んでいないため、あやめや珠美ほど強い関係性は有していない。事務所の同僚としてのそれ(挨拶)であることを思えば、平素となんら変わりがないことは、どうということでもない……言い換えれば、自然体で接している ことの証明となるだろうか。 「うんうん、よろしいよろしい」 三人の驚きぶりが想定通りだったことに対して、仁美は喜びを隠しきれずにいる。 「駆けつけた甲斐があったっちゃね」 それは仁美の手助けをした、葵も同じようだ。 「お二方とも、私たちのために……?」 「わざわざ衣装と小道具を借りて……?」 「来てくださったんですか……?」 可惜夜月の面々がその意は一つとばかりに、打ち合わせたわけでもない言葉を正確に繋いで、二人に尋ねた。 その様子を見て、仁美は自らの判断が誤っていないことを悟った。 それは仁美に呼応した、葵にしても同じことだった。 * これだけ心身共に揃ったユニットが、披露する場を失うことの意味。 年長者にして『センゴク☆華☆ランブ』のリーダーでもある仁美には、それが余りに切実に感じられた。 だからこそ彼女は誰に頼まれるわけでもなく、自分からプロデューサーに掛け合い三人がここ女子寮に集まっていることを確かめた上で、『推参』したのだ。 推参とは本来、押しつけ、押しかけを含意する、好ましからぬ行動を指す言葉である。 ただ、それでも彼女は自らの意思にのみ従ったのだ、憧れの傾奇者のように。 そして話を持ちかけられた葵は、二つ返事で快諾した。 元々以前に受けた新春隠し芸の仕事が当たったために、正月中は帰省せず居残っていた側だったこともあるが、何よりも大きいかったは仁美の意思への圧倒的な同意による所が大きかった。『センゴク☆華☆ランブ』では最年少のため、何かとフォローされることが多かった葵である(もっとも、年上三人が割合暴走しがちなので、貴重なストッパー役でもあるのだが)。二人が落胆する姿は想像に難くなかった。そして自分の誕生日であり、実家の神社が最も大勢の人で賑わっているタイミングで今回の一報を受け、落胆するであろう同僚……歌鈴の姿も。 アイドルとして成すべきことは、何か? 多くの人に新春の隠し芸を披露して笑顔を得るごとに、その想いは強まる一方だった。 可惜夜月の三人も、年上の同僚である以前に、人間なのだから。 身近な人たちから笑顔が失われることを、座視できるはずもなかったのだ。 そして二人は万障繰り合わせた結果として、ここにいるわけである。 * 「チッチッチッ……『わざわざ』じゃあないのよね、葵っち?」 三人の問いかけを否定するかのように指を振った仁美の所作だけは『わざわざ』だが、それだけだ。答えは彼女も知っていると言わんばかりに、何の躊躇いも無く葵に振る。 「そうそう、あたしたちはアイドルだから、みんなを笑顔にするのがお仕事っちゃね。そのための準備なんだから、『わざわざ』じゃなくて、当たり前っちゃ!」 そして葵の答えは、仁美の想いに違うものではなかった。 そこに可惜夜月の三人は、確かに見た。 形こそ無いが存在する『義』の姿を。 「仁美殿……葵殿……私は……私たちは……本当に果報者です」 「お二人の心遣い、珠美は決して生涯、忘れることはありません……!」 「ううっ……ありがとう……ございましゅ……」 「それは私たちの、演舞を見てから言って欲しいかなぁ」 「いつかやってくるステージで、ファンの人たちにその想いが還ってくれれば、あたしは十分っちゃね」 それは扉が開かれる前に、あやめたち可惜夜月の面々で既に、気がついていたことではあった。しかしそこには、合格発表が遅いテストを受けた後のような空気があり、当事者たちにこれを吹き飛ばすことは難しすぎた……当事者であるがために、仲間内での答え合わせは、どうやっても自問自答の域を出ないから。 しかし、直接の当事者ではない二人が携えてきてくれた答えは、それだけで論拠に値すると思えたのだ。その正しさを信じて進んで良いと――自分たちが無条件に、やってきた二人の言葉を受け入れられたように。 その日まで、『義』の心で刃を研ぎ続ければいい。折れぬように。曲げぬように。 「それでは一差し、舞うとしますか。本当ならこの槍で舞いたいところだけれど、危ないから無しで」 仁美が手にしていた槍を、そっと床に置く。大武辺者を名乗った慶次が所持していたとされる皆朱の槍を模した、中々に派手な代物だ。無論切っ先は刃入れのされていない模造品だが、長物であることに違いは無い。これを事務所の倉庫から運び出したとあれば、結構な手間があったはずである。それを惜しげも無く、さておく。 本当に、ただ名乗りを上げるのに使いたいがためだけに持ってきたのだ。こんな大物を小道具として。 諧謔のためには手間を惜しまない姿勢は、さんざん仁美に聞かされた前田慶次のそれに思えてならかった。少なくともあやめには、そう見えた。 懐から扇子を取り出した仁美に、あやめが言う。彼の人が用いたとされる扇子に絡む話もまた、よくよく聞かされたものである。 「これはまた冷静で的確な判断力……そして原作再現ですね、仁美殿!」 天下人を前にして、堂々と振る舞う姿。それは勇姿に他ならない。 それは意地を見せることでもあり、勇気づけてくれるものでもある。そのことに、あやめは気がついたのだ。 そして居合わせる人に迷惑をかけないための、心配りがあることも。 「気付いてくれたか〜、さすがはあやめっちだね〜」 仁美の言葉は飄々としているようで、明らかに上擦っていた。 理解者の存在が嬉しいことは、彼女も同じなのだ。いくらか歳が離れていようとも。 「私と仁美殿とは『センゴク☆ランブ』の頃からの付き合いですからね! ニンッ!」 目的地や通過点は違っても、決して変わらないもの――出発点が、そこにはあった。 * そして時は、今に戻る。彼女は仲間たちと無事にその日を迎え、ステージの上を華麗に舞い踊り、そして楽しげに歌うのだ。思いは一つ。 『それはただ、義のために』 義――「人として行うべき道」と、国語辞典にはこう書かれている。 義勇忍侠花吹雪、今まさに、ここに極まれり。 * 彼女浜口あやめが故郷からも、拠点としている東京かも離れたこの地にて歌い、踊るに到った流れを詳らかに紐解けば、それはまさに『奇縁』とでも呼ぶべき事柄が折り重なり、編み上げられたことによる、ある種の奇跡と形容すべき出来事と言えるだろう。 そもそもからして、彼女は初め、アイドルを志していなかったのだから。 しかし今の彼女は、どこに出しても恥ずかしくないアイドルであり……また、忍者である。 この平坦とは言い難く、平穏とも無縁だったアイドルとしての道程。 今回の物語はそこに生じた、また一説風変わりな――彼女しか起き得ない物語。『忍ドル』となのって憚らない、彼女にしか。 舞台が幕を開ける前には、必ず舞台裏があるもの。 そこに起きたことは、語られることがなければいずれ忘れ去られ、何事もなかったかのように……無として記憶されることになろうだろうか。 だが、それでいいのだ。 冬の北陸に湧き出た、青天の霹靂と称する以外にない厄災に連なる連枝など、事細かに記憶しておく必要はない。 ただ彼女たちはアイドルとして、成すべきことを成し、もたらすべきものをもたらせばよいのだから。 ファンに。 開催を支えてくれた人々に。 そして、その機会を与えてくれた場所に。 個人としての『浜口あやめ』としてだけでなく、『和』を体現した三組七人のユニットのうちの一つ、『可惜夜月』のメンバーの一人として。 あるいはその場に揃うことはなくとも、彼女を支えた心の支柱としての『センゴク☆華☆ランブ』の一員として。 だからこれは、義の礎として埋もれるほかにない、無の物語と言えるかも知れない。 それでも良しとされるなら、ご照覧あれ。 義……その根底から生ぜし、彼の地にて巻き起こりたる、忍の( しのび )一文字に満願成就の花が咲く、その時までの遠征記。 それではしばし、お付き合いの程を。 2 〜義のために素数を割る〜 「ふー……」 久々に落ち着いた様子で椅子に腰掛けると、プロデューサーは大きく一つ息を吐いた。 件の地震以降も度々出社はしていたからまるっきり座っていなかった訳でもないのだが、必要分の書類を作り、必要な相手にメールを送り、印刷を掛けては紙束を抱えて外出……といったサイクルの仕事が続いていたために、どっかりと腰を据えていた記憶がない。当人的には中腰くらいの感覚だった。 それが今、やっとのことで一段落した所だったのである。 「お疲れさまでした、プロデューサーさん」 アシスタントの千川ちひろが、カップをトレイに乗せてやってきた。 注がれていたのは定番のコーヒーではなく、なにがしかのお茶のようだった。清かな香りが口にする前から辺りに漂っている所からして、ハーブティーの類だろうと察した。 「ありがとうございます。……ふー」 なんとも落ち着く香りが鼻腔をくすぐる。この場で二度目の「ふー」だ。今度は本当に、肩の力が抜けた気がした。 コーヒーは仕事の友と言えるくらいの間柄、これの世話にならずに夜が明けることを迎えた例しがない。冬の長い夜には、濃く苦く熱いそれに、何度世話になったか知れない。 しかしそれは仕事と等号で結びつくことを意味する。気合いを入れるにはいいが、気を抜きたい時にはどうだろうか? この辺りは個人差もあるのでなんとも言い難い。フレーバーや入れ方でいくらでも変わる部分でもある。コーヒー愛好派のアイドルならば、この辺りで工夫を凝らしてくることだろう。そうでなくても個々のアイドルに任せたなら、それぞれに自分の推しを遠慮なく持ってきただろう。 そしてちひろは、明確にそれと分かる形のリラックスを前提とした提案を超えて、実践してきたということになる。 この事務所には大勢のアイドルがいて、その嗜好は千差万別。給湯室に足を踏み入れれば、多種多様な飲料の素が置いてある。 その中から、アシスタントの彼女がこれ、と推してきたものである。効果は抜群だ。 直接仕事をしなければならない局面であれば、臆面なくスタミナドリンクやエナジードリンクのガブ飲みを勧めてくる彼女が、である。 「落ち着く味ですよね」 「ええ。ちひろさんも、お疲れさまでした」 ちひろの言葉からは、彼女もこれを飲んだことが察せられた。 プロデューサーが全力で駆けているとき、それを後ろで支えているのは彼女だ。 であれば、負荷も応分というもの。一段落すれば、安らぎが欲しい瞬間というのもあろう。 その落ち着いた時間を、一杯のハーブティーで共有したのだ、この瞬間に。 * ひとまず石川での公演は順延という形に収めることができた。予定していた会場周辺に大きい被害はなく、持ち回りで行脚している間に流通・交通網も落ち着くだろうという目処が立ち、開催に支障はないと判断されたためである。 また、過剰な気遣い……開催の遠慮は、相手方にとってむしろ好まざるところ。 落とし所としては、満額回答と言っても問題ないだろう。 最初の相手が天変地異だけに、先行きが見通せない状況。初動はひたすらに情報袖手と関係各所への連絡。 状況が明らかになるにつれて、そこから見通せるだけの予定を立て、人と機材の押さえにかかり、対外告知。答えを延ばせるものと即答しなければならないものとに区分して、順次捌いていく。 そうこうしている間に、本来であれば二公演目になるはずであった山形公演が一番手として繰り上がる。そこから先しばらくは、予定通りの路線に乗れば流れ作業だ。ある程度余裕というか、落ち着きも出てくる。 今はちょうど、そんな時期に来ていたのである。 * 「本当なら石川に参加するみんなには一番手として、のびのびとやって欲しかったんですがねえ」 石川での公演には『可惜夜月』の他に、塩見周子と小早川紗枝の『羽衣小町』と、白坂小梅と依田芳乃の『かくりよがたり』も参加を予定していた。全員ライブも初めてというわけでもない。そうそう無駄に固くなるメンバーというわけでもなかったが、それはそれとしてプロデューサーは思ったのだ。ある種の親心と言えようか。 比較的態度が飄々としている『羽衣小町』や『かくりよがたり』の面々より、『可惜夜月』の三人は熱意や感情が強く前面に現れる傾向があることが、彼の念頭にはあった。 構成人数が三人のユニットは、多数派になるため自然と、この公演の核となると目していたからだ。 「そこは繰り上がっちゃった山形に参加する子たちの方が、思うところがあるかもしれないですねぇ」 この理屈で行くと、山形公演の核になるユニットである大槻唯、八神マキノ、桐生つかさにより構成されているユニット『ルビーカウンテス』に負荷がかからないか? とちひろは言いたげであった。 「そこは流石のあの三人って話ですよ。地震の次の日にはマキノはいくらかのパターンを読んで準備しておくって言って来ましたし、つかさは社長業兼務の経験からか落ち着き払ってました。唯は二人とは逆に、どっしり構えてるというか……何らいつもと変わらない感じでしたし。他のユニットもまあなんというか、落ち着いてましたからね。どうということもなく、って感じで」 他が宮本フレデリカと一ノ瀬志希の『レイジー・レイジー』に、新田美波と速水奏の『デア・アウローラ』の二ユニット。 総じて見比べれば爆発力より安定感、といった布陣であった。 高いレベルにあっての、微差と言っても差し支え無いものではあったが。 「だったら、どっしり構えていればいいじゃないですか。それとも、何か心配でも?」 当初の想定と変わったとはいえ、山形でのライブが不首尾に終わる未来は見えない。ちひろにはプロデューサーが、何を思い悩んでいるのかが今ひとつ見えなかった。 「一番手の何がいいかって、前に誰もいないことですよ。ただひたすら、思いっきりぶつかればいい。でも順番が後になればなるほど、前の積み重ねが見えてきてしまう。大トリですよ、大トリ。それも、石川の地で」 石川公演の延期開催の道筋をつけたはいいが、それは図らずも他のユニット全ての成果を見た上で、事に臨まねばならなくなったことを意味する。 当然、演じる側に求められる心構えも、多少なりと変わってくる。 「それくらい、乗り越えられない彼女たちではないと思いますけど……?」 「私も当然、そう思ってますがね。新年早々にライブがある前提でスケジュールを組んだおかげで、仕事に微妙なムラが生じてしまったことと、ギリギリまで高めていたテンションが落ち着いてしまったのを、どうやってライブまでに再度高めていくか……この辺について、考えが纏まらなくて。最高の状態でステージに立たせてやりたいじゃないですか。彼女たちのためにも、ファンのためにも。そして、石川のためにも」 直接的にはアイドルたちのため、ファンのため、ひいては事務所のためだが、今回は事情が事情だけにそれ以外の要素も乗っている。少なくとも、彼の地に足を運ぶということがその一端なのだ。 であれば、それが最善のものとなるように尽くしたい。 これもある種の義と言えるだろう。 『それはただ、義のために』 この時点での、彼に宿っている義が、彼を悩ませていたのだ。思ったように休まらない心身も道理というもの。他のユニットライブツアーを圧迫せず、事務所の他アイドルの仕事を共食いすることなく、彼女たちのテンションを、適切な時期に最高の位置にまで持っていくこと。単なるレッスンやミーティングを重ねるだけでも一定の効果はあるかも知れないが、今ひとつ動機として弱い気がしたのだ。 やるからには、最高であって欲しい。 「それでしたら……」 ちひろはおもむろにキャビネットを開くと、数冊のファイル――パイプ式の厚みがある、いかにも使い込まれた風の――を取り出すと、それをプロデューサーの前に並べた。背表紙にはそれぞれ、石川公演に出演するアイドルの名前がラベリングされている。 「じゃん! 過去の資料を当たりながら、色々と考えてみましょう! アイディアを出す段階ならパソコンを見つめるよりも、こういったものの方があれこれ閃いたりすることもありますし、二人で一緒に探すには向いていると思いませんか?」 既知の明確な答えのあることなら、検索をかけた方が早いかもしれない。 あるいはそれが未知に類することでも、パソコンの方が得手という人もいるだろう。ここまでに名前の挙がったアイドルの何人かは、恐らくはその系譜だ。 だが、記憶より印象の一発勝負なら、こういったアナログな手法も悪くないかもしれない。 少なくとも答えらしい答えを持たないプロデューサーにしてみれば、ちひろの提案を拒否する理由は、どこにもなかった。 「ええ、是非に」 「それでは、アシスタントとしてお手伝いさせていただきますね! プロデューサーさんの答えを探すために!」 あるのかないのかさえ、分からない答えを探す。 それはどこか『空想探査計画』に似ている……ふとぼんやり、プロデューサーはそんなことを考えた。 ぱらり。ぺらり。ぱらり。ぱりら。 複数のページと共に、何かが舞った……気がした。 * ライブに出す前提で仕上げていたユニット三組、そうそう大きい穴がある訳がない。 さりとて大きい仕事を組むのもまた色々と障る。 さして大ぶりでもなく、しかし必要分の刺激を与えて、テンションを上げる仕事。 大枠があらかた固まっているところに新しいパズルのピースを嵌め込むようなもので、存外これという決定打は出なかった。 しかしながら資料を紐解いているうちに、共通項として見出したものに、使えそうな要素は幾らか見受けられた。 ただ一つ、前提として立ち塞がる問題もあった。 「どうしますか? 今までも、ユニットの各個人に課題を出してそれを乗り越えさせることで、一層成長を促したことはありましたよね。それと同じことと思えば、悪い話でもないかと思いますが……」 ちひろの言葉には、明らかに当惑の色が浮かんでいた。 「今でも三つのユニットはそれぞれ、高いレベルで仕上がっています。このまま送り出しても、なんら問題はないでしょう。ですが、どうせならさらに一歩、磨きをかけたいと思うんですよ。かといって全員集めて合宿というのはスケジュール的な負荷が大きいですし、どうもピントがズレる感じがして……」 それに応えるプロデューサーの言葉もまた、歯切れが悪かった。明らかに逡巡している。 ユニット内の関係に不安点はない。強いて言えば、ユニット同士の連携が少し物足りないかという所である。『和』と言う明確なコンセプトの元、かなりカッチリと纏まってはいるのだが。 今回のツアー、人数的に最大……といっても、三人組でしかないのだが……なのは、言わずもがな『可惜夜月』である。 これを中心として『羽衣小町』と『かくりよがたり』との連携強化を模索した結果が、先程ちひろが発した言葉の正体である。 ちょっとした試練というわけではないが、割り振ってやらせてみたい、大ぶりではないが、確実に気を張ってくれるであろう仕事がいくつか思い浮かんだのだ。 しかしそのためには、一度軸となる『可惜夜月』を分けて動かす必要を認めた。 その決断が、プロデューサーにはできなかったのである。 そして原案のままでは、そこに偏りが生まれてしまうという問題。 二つのユニットに三人を割り振るとなれば、どうあっても、2:1という比率になる。ここに、なんとなく収まりが悪いものを感じたのだ。 特に彼女たちは気にもしないだろう、そこに強い含意があるわけではないから。 ただ、その含意のなさこそ、テンションを張ることへの妨げになりはしないだろうか? そこが気掛かりだったからこそ、決断に到らなかった。到れなかった……という訳である。 「ひとまず、ネタ出しはこんな所ですかね。立てた素案のいくつかは、相手方に明日以降に話を振ってみます。そもそも相手からダメだといわれたら、それまでですからね」 「そうして残ったものの中から、選んでいく……と?」 「一番良くないのは、宙に浮いた時間が続くことです。それよりは、なにかしらあった方がいい。最善ではなくても、次善にはなるでしょう。それに……」 「それに……なんですか?」 「今までだって全部が全部狙い通りだったなんてこと、ないですから。動かしている間に思っていたよりもいい方向に動いていたなんてこと、珍しくもないでしょう?」 その証こそ、ここに拡げられている資料でしょう? と言わんばかりにうっすらと笑いながら、目線を眼下の机に落とした。そこには拡げられ付箋があちこちに貼られた、先程のファイル群が置いてある。 「ふふふ……そうでしたね!」 ぽむっと一つ手を打つと、ちひろはにこやかに微笑んだ。彼女もまた、その生き証人だ。ある意味では、最も――プロデューサーよりも、強い。 「それでは今日は本当に、この辺りでお開きということで。熱が入ったせいで、結構いい時間になってしまいました」 「それでは、片付けてから帰りますね」 「ああ、ファイル類はこのままでいいですよ。すいませんが、カップの類だけ」 「分かりました。それではお先に失礼します」 手慣れた仕草でカップをトレイに戻し、ちひろは退出していった。 部屋に残されたものはプロデューサー一人。 ……では、なかったりする。 「出ておじゃれ。いかに上手く隠れていても余が眼は誤魔化せぬものぞ、あやめ殿」 何処かの公家と武家のセリフが綯い交ぜになった、やたらと芝居掛かったプロデューサーの物言いの後から、部屋の景色を揺るがして現れた人影が一つ。 「気付いておいででしたか、プロデューサー殿」 揺れたと思ったのは、壁と同じ柄をした布。そこから出てきたのは、もちろんプロデューサーが呼びかけた通りに、浜口あやめその人だ。 所為『忍法・壁隠れの術』をやりおおせた訳である。何処かの段階で見破られたようだが。 「その壁の模様の布、よくできてるな。最初に気が付いたのは、ちひろさんがファイルの束をキャビネットから取り出した時だ。少しだけ、布が揺れたのがちらっと見えたんだ」 『ぱらり』という紙をめくる音に紛れ込んだ違和感の正体こそ、この瞬間だったのだ。 「あの時でしたか……。恥ずかしながらこの浜口あやめ、そこなファイルにどのようなことが記されているのか気になり、心が乱れまして……。このわたくしも、まだまだ未熟者ですね。痛感いたしました」 背景柄の布の束を綺麗に丸めながら、照れ笑いを浮かべて見せた。 「それにしてもよくできた術だった。あれがなかったら終ぞ気がつかなかったかも知れん。他にも、事務所の柄に合わせた布が?」 それは何の気無しの、ある意味おふざけに近い言葉だったのだが、あやめはさも当然と言わんばかりに応えてみせた。 「事務所各所の模様であれば、一通りは用意してありますよ! 忍術とは、己が技だけでなく道具にも依るもの……どちらも下準備が物を言うのです。ニンッ!」 丸め終わった事務所内の布を仕舞い込むと、今度は別な数枚の布をチラ見せしてきた。 通路、休憩所、屋上、広場、レッスン場……等々。言葉には一部の誇張もなく、全てが真。 この下準備、そして手際の良さ。 一転して真剣な眼差しを見せたあやめにプロデューサーが抱いたのは、紛れもなく本物の敬意。 本物の熱意と努力に裏打ちされた技は、それだけの価値を認めるに充分過ぎたのだ。 * 図らずも長いこと立ち聞きさせてしまったあやめにソファーを勧め、お茶を出す。 ちひろは既に下がったあとなので、プロデューサーが手ずからに入れたそれなりに熱いお茶、そして事務所に常備されている来客接待用の和菓子――羊羹があやめの目の前にある。 羊羹は冷暗所に密封状態で置いておくと日持ちするので、意外と重宝するのだ。 「この羊羹は、周子殿のご実家のものですね」 「純粋に旨いのもあるが、お客さんが来たときの話の種にもなるからね。甘くて旨いってだけじゃないのさ」 「一挙両得、というわけですか」 「こうやって、話が広がるからね。さ、まずは一口。お茶が冷めないうちに」 「それでは……いただきます!」 手を合わせて恭しく一礼すると、羊羹を口にした。 そして彼女の口から出てくる「……ふー」という、安堵の吐息。 大真面目に隠れ身の術を使い続けるのは、疲れることなのだ。そこに癒やしの手が差し伸べられた瞬間と言えた。 味の感想は……表情が全てを物語っている。万言より雄弁な無言の、満面の笑み。 しばらくは、そんな穏やかな時間だけが続いた。 一息ついたところで、おもむろにあやめが口を開いた。 「この度のプロデューサー殿のお悩みは、全て聞かせていただきました。その上でこの私にも一案があります。耳を傾けて頂けますか?」 先程までの羊羹で綻んでいた顔はどこへやら、その眼差しは真剣そのもの。 「思う存分、言って欲しい」 異論など、あるはずもなかった。 「それでは申し上げます。まず最初に……我々『可惜夜月』は、三分割で構いません。先程どう分けても二人と一人の分け方になると悩んでおられたようですが、全員バラバラで問題ないのですよ。ありがたいことに私は、珠美殿歌鈴殿と幾度もステージに立つことができました。ご心配には及びません」 実績に裏打ちされた、自信に満ちた言葉。重ねていたリハーサルでも不安要素は見当たらなかった。 「まぁ、それはもっともだ。それでは、どのように割り振る?」 そう、聞きたいのは、ここから先の具体的な話である。 特に、三つに分けるとなれば、誰か一人が確実に余る。そこに誰を当て、何を成さしめるのか。 その発想がちひろとの会話で俎上にも上がらなかったのは、どこかしらでこの案は「ない」としていたからに他ならない。 そこについて具体的な提案があるのなら、それはとても望ましいことに違いないのだ。 「まず珠美殿ですが、『羽衣小町』の周子殿紗枝殿と共にされるのがよろしいかと。お二人は初披露の新曲を奉納される議を耳にしましたが、であれば、珠美殿にもその資格はあるはずです。音源としては発表されていますが、まだ珠美殿の歌を直接聞き届けた方は、どなたも居られない……であれば、神様にお聞き届けいただくのもよいのでは?」 「なるほど……先に神様に聞いて貰う、か」 「珠美殿と紗枝殿は私を含め『春霞』を組んでいた間柄ですし、周子殿は『GO―KENGO』で共にフェスティバルに出たこともあるお方、程よく珠美殿を充実させていただけるはずです」 先程ちひろが引っ張り出してきた資料には、かつての仕事がつぶさに記されている。かつて開催されたドリームライブフェスティバルに、周子や紗枝の他に矢口美羽、氏家むつみと組ませてクインテットユニットとして送り出したことがあった。 なるほど、『袖擦り合うも多生の縁』と言うが、それに比べれば何と濃いことか。ただ一度きりのユニットであったにせよ、それは確かに存在したのだ。 「……悪くないな。それで、もう一つは?」 納得したかのように頷くと、今度はあやめの頭の中に存在するであろう、もう一つの提案を引き出しにかかった。 「歌鈴殿ですが、『かくりよがたり』の芳乃殿小梅殿と共に行動されるのがよろしいかと。あのお二方の歌は、文字通りかくりよから、どなたかを連れ帰ってきたとか。……感の薄い私には、にわかには信じがたいことですが」 「歌鈴に祓わせるのか、彼女を?」 あやめはあえて、首を横に振ってから答えた。そこにあったのは、強い否定の意思だ。 「芳乃殿と小梅殿が言うには、その連れ帰ってきた方を含めての『かくりよがたり』とか。それならば、見届ける人も必要でしょう。その期待に応えられるのは、歌鈴殿をおいて他にないかと。それに……」 一通り道理を説いたところで、あやめは不意に言い淀んだ。見たところ、言うか言うまいか迷って言葉に詰まった、という所だろう。 「それに?」 プロデューサーは、言葉を紡ぐように促す。ややあって、あやめは続けた。 「歌鈴殿は、自宅の社殿では一度も転んだことがないと言っています。あの歌鈴殿がですよ?」 ややもすると歌鈴を揶揄するような言葉に聞こえかねないことを、あやめは憚っていたのだ。それが如何に周知の事実であっても、褒められる行為ではないとの思いからだろう。 「その噂なら、聞いたことがあるな」 「これは、余程大きな力が働いていなければ起き得ないことだと、私は思っているのです。ならば、その場に身を置いて心身を磨いて貰うのも、よいことではないかと」 「つまり、歌鈴に自宅……神社に『かくりよがたり』の二人を連れて行ってもらって、そこでやはり曲を奉納して貰う、と?」 「神様とご家族の方々の前で一曲奉じるともなれば、程よく仕上がりましょう。それに珠美殿たちとの釣り合いも取れるかと」 自信満々に答えるあやめ。なるほど、一理も二理もある。 だが、現時点では満額回答にはならない。 そこに加えて、三理目に当たる物が無ければダメなのだ。 「二つの提案について、理解はした……そしてあえて聞こう。あとの一つは?」 それは即ち、君自身は何をするつもりなのか? という率直な質問である。 「ふっふっふ……よくぞ聞いてくださいました、プロデューサー殿!!」 勢いづいて立ち上がり、グッと拳を握りしめる。よくよく見れば、そこには苦無がある。つまりは、立ち上がりさまに引き抜いたのだ。太腿に備えている仕込みから。 早業である。 「今こそっ! 私にっ! 石川への潜入任務をっ!!」 その動きから、冗談などではなく本気だと窺い知れた。 「……その心は?」 本気の提案なのは肌で感じられたが、その意味までは理解しかねる。そんなニュアンスがプロデューサーの言葉には表れていた。 「恥ずかしながら私は、石川という地のことをよく知りません。何分、縁のない土地ですので」 「うん」 「ですが石川……加賀という地は、かの前田慶次殿と深い因縁がある土地だと聞いております」 「そうだな」 そこまで歴史に精通していなくても、関わっているアイドルが詳しい事柄については、多少なりとも頭に入ってくるものだ。『センゴク☆華☆ランブ』に関わった時点で、前田慶次(正しくは前田慶次郎利益)のことを耳に入れないことなど、到底不可能。 一言の「そうだな」の前後に、三万余言の注釈を振ることさえ可能だろう。ここでは割愛することとするが。 「私はこの度は『可惜夜月』の一員として石川の地を踏みます。ですが私を忍ドルとして在ることができるのはひとえにプロデューサー殿と……私と初めにユニットを、『センゴク☆ランブ』を組んでくれた、仁美殿あってのことだと思っているのです。そして今はそこに珠美殿、葵殿を加えた『センゴク☆華☆ランブ』となりました。ですから私は、この目で確かめたいのです。私を日向に陰に支えてくださっている、仁美殿の源流にある街を、葵殿と肩を並べて歩くがごとき想いで。だから私は一人であって、一人ではないのです。そう、私のステージのように」 あやめのソロ曲『Shinobi4.0 忍者のすゝめ』のステージに、複数の『あやめ』が立ち並ぶ姿は、最早彼女がライブに出演する際の風物詩とも言える光景になっている。 一人だけど、一人じゃない。 これを堂々と言えるアイドルは、そう多くはない。 三人が三組という割り振りであれば、平等だろう。 彼女はこう訴えている訳である。 「なかなか考えたな。この立ち聞き中にまとめたアイディアとは思えないほどだ」 「はい、必死に考えました。この事務所には知恵者の方も多いですから、真似ているうちに似ついてきたのかも知れませんね」 そう言うと彼女は、屈託無く笑ってみせた。 そこにあったのは一つの、そして多くの笑顔だった――。 * こうしてライブまでの間に、具体的な目的が立ち上がることとなった。あやめの提言に近かったプランをたたき台として、それぞれ形を成していった。 相通じているのは『目に見えるものばかりが、全ての相手ではない』ということ。 今回は石川でのライブにこれまでの成果を結実させるというのが、仕事の区切りとなるように設定した。それがイレギュラーにより横滑りしたため、間に色々と挟む必要が生じた。有り体に言ってしまえば、それだけのことである。 挟む必要などない、平穏無事に進んでくれれば起き得なかった物語。 ただ、時に現実は非情であり、苛烈である。 それが感情の起伏を促す流れをして、これを物語と称する。 ただ、彼女たちは、流されるだけの存在ではない。 むしろ、流れを作ることさえ、できるときはできるのだ。そこに強烈な意思と、実力さえ伴えば。 忍の技は、ここに一つの『物語』を刻んだのだ。 そして本番はまだ、これからのこと――。 (続く) ![]() |