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1 〜チープ・キャンディー ―チープ(cheap)・スイーツ(sweets)【英】 駄菓子(だがし) ―チープ(cheap)・キャンディー(candy)【米】 (ジーニアス和英辞典 第3版) * 「うぐぐ……」 事務所内、資料室の一角にて。 シャープペンシルを握って何時間も国語のドリルと格闘を繰り広げていた、メアリー・コクランは口の端から呻き声を知らず知らずのうちに漏らしていた。 アルファベットの26文字でさえ書き続けていれば疲れるというのに、向き合っている紙面にはひらがなとカタカナと漢字が入り交じっている。それらを全部読んだ上で書き込んでいかなければならない。はっきり言えば、割と苦痛の類である。 しかし、仕方がない。日本でアイドルになると決め、日本のことを深く知るためにとインターナショナルスクールへの編入を拒んで、一般の小学校に通うと決めたのは他ならぬ自分なのだ。アメリカからやってきた経緯は自分の意志ではないが、その先は間違いなく自分の自由意志。何度も念押しされた上での決断だったのだから他の誰のせいでもなく、紛れもなく自分の責任である。 そう、確かこう言う言葉でまとめられていたはずだ――『自業自得』と。 「まとめですよ、がんばってください」 手が止まったのを見て、右隣で見ていた橘ありすが声を掛けてきた。メアリーが行き詰まって手が止まったと考えたのだろう。 そう、確かこれは励ましの言葉――『叱咤激励』というものだ。 「サンクス、アリス。大丈夫ヨ、少し考えごとをしてただけだカラ」 「わぁ〜、メアリーちゃん、本当にあとちょっとです〜。小春も〜、負けないようにがんばらないと〜」 左隣で古賀小春が呟いた。同じくドリルに取り組んでいる彼女の方が、実のところ先に進んでいたりする。 「もうチョットでコハルは終わるじゃないノ。今のところ、アタシの一人負けだワ」 先に激励の言葉を掛けてきたありすは、既に全ての宿題を終わらせていた。進捗状況をもって勝ち負けを測るならありすの圧勝、このままでは小春にも負けるというのがメアリーの読みだった。二人を監督するかのように見ているありすを前に、出来に大差は生じない。横槍でも入らない限りは、このまま開いた差は縮まることなく終わるだろう。 マイペースではあるが滑らかに進んでいく小春と、どうしても読解に熟慮を要する場合があるメアリーの勝負では、明らかにメアリーの分が悪かった。 そこから暫く、黙々と手を動かしている二人と、それを眺めている一人の時間は流れていく。 「終わりました〜」 案の定、先に小春に上がられてしまった。 「お疲れさまでした」 「ホラね、やっぱり負けちゃった。でもアタシ、へこたれないワ!」 小春の言葉にありすは労い、メアリーは闘志を燃やす。 それは友であり、同時にライバルである同僚に向けるのに相応しい感情だった。 「その意気ですメアリーさん。メアリーさんも、ゴールは目前です」 「終わったらお姉ちゃんたちが、おやつを用意してくれるって言ってました〜」 冷静なようでいて熱い心を持つ友の再三に亘る励ましと、言動共に穏やかな友の妙に即物的な――言い換えれば子供らしい――目標の提示、メアリーの心に響いたのは。 「ソウヨ! ティータイム! セイカとネネのことだから、エレガントなティータイムだワ!」 思い切り即物的な方だった。メアリーの考えでは『レディはエレガントなティータイムを嗜むもの』だから、そこに向けてやる気を振り絞るのは決しておかしいことではない。そう、目標は具体的であるべきなのだ。 俄然やる気を出した、メアリーの問題を解いていく早さが上がる。能力とテンションは、ある程度までは比例するものなのだ。だいたいの人にあっては。 見つめてくる相手が一人から二人に増えたことも、彼女の加速に拍車を掛けていた。見られていることを意識することで効率が上がるか下がるかは、人によるところが大きいが、メアリーについては断然前者だった。 注目を浴びれば浴びるほどやる気が出る。この気質があればこそ、彼女は異国の地でアイドルになるという風変わりな選択をしたに違いないのだ。 「やっと終わったワ……」 そこから暫くしてメアリーはシャープペンシルから手を離すと、手をプラプラと振りながら終了を宣言した。疲れているのは、頭よりも手の方だと訴えているようにも見える。 「メアリーさんも、お疲れさまでした」 「ちゃんと終わりましたね〜。よかったです〜」 「本当に疲れちゃうワ『国語』って。ひらがなにカタカナに漢字……こんなにたくさんの字を覚えないと、台本の一冊も読めないんだカラ」 今書き終えたばかりのドリルをパラパラとめくる。そこには今まで手をつけてきたペンシル跡が残るページと、これから手をつけなければならないプリントされた字が載っている。 メアリーは、露骨に嫌そうな顔をしてみせた。気疲れの先取りとでも言おうか。 「私たちに渡される台本はひらがなが多めで、漢字にも読み仮名が振ってあります。大人の方々に渡される台本は、もっと難しい漢字が沢山並んでいますよ」 「ソウなのよネ……。ダイワナデ、じゃなかった、ヤマトナデシコへの道は遠くて険しいワ」 来日早々に大和撫子のことを『ダイワナデコ』と呼んでしまったことは、メアリーにとっては忘れ難い失敗の記憶である。大きい目標を掲げておきながら、早々に足下の小石に躓いて盛大にずっこけた、恥ずかしさと共にあるものだからだ。 「でも〜、小春思うんですけど〜、メアリーちゃんって日本語上手だし〜、小春が知らないような言葉も使ってますよね〜?」 のんびりとした平坦な言い回し。確かに彼女に接していると、実際の年齢よりもやや幼さを感じる瞬間があった。 「小春さんの言う通りです。メアリーさんの言葉は、私たちとの日常会話では遜色ありません。漢字の読み書きが私たちよりできないのは、日本で育っていなかったからというだけのことでしかありません」 理詰めで道理が通った言い回し。小春の言葉を補ったありすの言葉は、実際の年齢よりも大人びた雰囲気で耳に届く。 「そうカシラ?」 自分では自信が無いのか、単に判断しかねるのか。重ねて問い直す。 「先程メアリーさんは『一人負け』と言っていましたが、日本語に慣れていないと出てこない言い回しでした、あれは」 「はい〜」 二人とも、ここでメアリーにお世辞を言う必要などない。つまるところ、本音から出た言葉ということだ。 「確かに最近は、一々英語で考えて日本語に訳す、ってやってないワネ。先にパッと言葉が出ちゃうのヨ。もちろん、家でファミリーと会話する時は英語で考えてるケド」 「羨ましいですね。私たちはどうしても、一回日本語で考えてからでないと英語になりませんから……」 「小春は〜、国語もゆっくりなので〜、英語もゆっくりしかしゃべれません〜」 二人の瞳に、メアリーは確かに羨望を見た。 「こう言えばいいのカシラ『隣の芝は青い』って」 「それは『イグザクトリー(その通り)』ですね」 交錯する、互いに母語としない言葉と言葉。 だが心は、確かに通い合った。 「二人ともすごいですね〜。そう思いませんか、ヒョウく〜ん?」 小春はいつの間にか、連れてきていたペットであるイグアナのヒョウくんを抱きかかえて、語りかけた。 今でこそ完全に慣れたが、最初はメアリーもありすも盛大に驚いたものだった。 言葉や姿形に驚かないという意味では、彼女の自然体は事務所でも指折りの存在感を有している。 驚かされるということは、まだ自分の及ばない領域が存在するということ。 そんな領域に多く接することができる事務所にいることの幸せを、ひしひしとメアリーは感じた。驚くたびに、自分は一歩ずつ日本のアイドルに、そして大和撫子に近付いている気がしたので。 そこには、間違いなく喜びと幸せが存在した。 二人も恐らく、似たような気分だろうと思うと、一層。 「ではそろそろ、リフレッシュルームに行きましょうか。星花さんやネネさんの準備も、そろそろ終わっている頃でしょうし」 資料室は基本的に飲食禁止となっているため、休憩のための飲食は専らリフレッシュルームで行うことが恒例となっていた(例外あり)。各自手際よく片付けていったが、ありすがこの場に存在することで、不要な物品がその場に展開していなかったことによる効能が大きい。お目付役不在で散らかり放題、と言うパターンがなくもない、というか、割合としてはそちらの方が余程多かった。 「アイム・OK!」 「お片付け、終わりました〜」 態度への現れ方は様々だが、全員の足取りは軽い。 苦痛の後のご褒美が、楽しみではないはずがないのだ。 それはもちろん、移動を促したありすにしても例外ではなかった。 「なんでダガシなのー!?」 エレガントとはほど遠い棒状の駄菓子を前にして、メアリーは叫んだ。 美味しいことは知っている。それは名前に『うまい』がついている、スティック状のお菓子。 「選ぶのが楽しくて……」 「こういうのもいいですよねー♪」 涼宮星花と栗原ネネの二人が、口をそろえて言った。 棒状のそれ以外も、すべてが二人によって駄菓子屋で選ばれてきたものばかり。 美味しいけれど、違うのだ。求めていた物には、それは余りにも遠すぎた。望んでいたものは「アフタヌーンティー」に相応しいものだったのだ。これは所為、『おやつ』と呼ばれるものである。このことは初めから、小春が伝えていたことでもあった。オチだけ見れば、メアリーが勝手に多大な期待をしただけのことに過ぎない。 いつだって、願いと予感は間違えやすいのだ。 特に苦情を申し立てずに駄菓子を楽しんでいるありすと小春が、それを裏付けている。 チープ・キャンディー(駄菓子)を噛みしめながら考えたのは、『甘くない』という日本語。 キャンディーのはずなのに。 しかし皆の笑顔を前にして一人でむくれているのも、レディらしくない。 なんで出てきたのかよく分からないごく微量の涙と共に、棒状のそれを噛みしめる。 サク、サク、サク、サク、サク……。 とても美味しかったのが、また少し癪に障った。 そうして一本目のそれが、棒から単なる円環くらいの長さになったとき、ふと思い出した。 「こういう穴が開いたお菓子を、日本人は『見通しがいい』から縁起がいいものとして扱うんだよ」と教えてくれたのは、同郷人だが英語がサッパリのキャシー・グラハムの言葉を。その時は馴染みがなかった『エンギ』という言葉の意味について尋ねたとき、暫く悩んでから「……ラック?」と、自信なさげに呟いていた姿が忘れられない。 駄菓子を包んでいた袋を捨て、直に手に取って穴から周囲を覗き見る。 するとそこには、先程まで机を並べていたありすがいる。小春がいる。そしてこの駄菓子たちをチョイスしてきた、星花がいる。ネネがいる。 「どうしましたかメアリーさん。まるで、五円玉を覗き込むみたいにして」 「大きい五円玉ですね〜」 「キャシーが教えてくれたことを思い出してたノ。見通しがいいのは……エンギ? がいいって。これでもいいのカシラ?」 余程のことが無い限りは、美味しいものを食べながら不機嫌で居続けることは難しい。少し癪に障った程度のメアリーの不機嫌は、既にかなり改善されていた。キャシーから教わった、役に立つかどうか分からない豆知識を記憶から引っ張り出して、話の種にできるくらいには落ち着いている。話の種に使い終わった棒の切れ端は、もう彼女の口の中へと消えた。 「そういうことなら、こっちの方が面白いかも知れませんね」 言いながら駄菓子の山をかき分けてネネが取り出したのは、穴の空いた硬貨に似せて作ってある、小さなチョコレートのパッケージだ。 「ワォ!」 世界的に見て、現在でも穴あきのコインを常用している国というのはそれほど多くはない。その『多くない』の例外側に含まれているのが日本である。そして殊更五円玉を「縁起がいい」と、大層な金額でもないのに有り難がっている。説明されて頭では理解していても、まだどこか納得しきってはいない自分がいることに、メアリーは気付いている。 そんなところに差し出された件のチョコレート。 お金を食べる。 今度は、納得以前の部分――理解で引っかかった。 だからこそ、驚いたのだ。周囲には大袈裟に見えたかもしれないが、本気で。 「お金を食べるって、凄い発想ですよね。ウィーンでは見かけませんでしたもの」 音楽の都と呼ばれる、ウィーンに留学していた経験を持つ星花は、どちらかと言えば自分と同じ感性のようだ。 「パーティーグッズのダミーなら、そんなに珍しくもないのニ……不思議よネ」 「そういうものですか……」 良く言えば理論派、悪く言えば理屈屋のありすに、実感が乏しく判断しかねているようだった。 「小春、考えたこともなかったです〜」 万事マイペースな小春は、分からないがそれを気にするでもない。ただ周囲の反応の新鮮さには、十分に心が動いている。楽しんでいる。 「そういうところも、駄菓子の楽しみ方なんですよ♪」 何かに似ているけれど絶妙に違うとか、なんでこの形に収まったのかが分からないとか、そういった駄菓子は数多い。 『こういうものいい』と言っていたのは、確かにネネだった。つまりネネは、こういった反応を見たくて、あえて駄菓子というチョイスに走ったことになる。買い出しの最中に星花が見せた、反応からして楽しかったのだろう。 この余裕、正しくレディの風格が漂っている。 「負けたワ……」 「学ぶべきことは、まだまだたくさんあるということですね」 一緒になって、負けたつもりになってくれているありすの存在が、不謹慎ながらも頼もしい。自分は一人じゃないとメアリーには思えたから。 「二人とも〜、美味しいから大丈夫ですよ〜。かな子お姉ちゃんがいつもそう言ってますから〜」 二人の敗北感が醸し出すオーラにも、小春は一向に動じない。スイーツを作る方も食べる方も一流、そんな同僚である年上アイドルの言葉を引き合いに出し、ふんわりと包み込む。実際彼女の中には、この手のことに勝ちも負けもないのだろう。 「……その言葉には、素直に賛成してはいけないと思います。同意できる部分がないこともないですが……」 ありすの言葉の歯切れが悪い。基本的には相手が誰でも、ビシバシ切り込んでいくタイプなのだが。言葉を発してくれた小春が、自分たちを思いやって言ってくれたことだけに強く切り返すのは、それはそれで道理に外れることだからなのか。 言いたいことは言わせてあげたい。なぜなら、自分も言いたいことは言いたいから。 それなら、自分が引き受けてしまえばいいか。正直なところ、似たような感想をもっているのだし。 懊悩とした表情を浮かべているありすに、メアリーは尋ねた。 「Evidence(エビデンス)が足りないって、アリスは言いたいのネ?」 聞いた瞬間、憂いが晴れて輝く友の顔。そして、がっしりと握られた手。 先程まで手にしていた駄菓子の脂分でメアリーの手は少しばかりつきものがあるのだが、お構いなし。 「わかっていただけましたか、メアリーさん……!!」 そして熱視線。 なにもそんなに……と思いもしたが、喜ばれて悪い気はしない。 冷静なようでいて、激情家。 あれこれと計算をしながらも、それを感情のまま、遠慮なく捨ててしまえる行動派。 その気質は、メアリーにとって好ましいものだった。 「二人とも、仲良しさんです〜。小春も混ぜてください〜」 そして当然のように、そこに混ざってくる小春。手もしっかりと重ねてくる。 万事マイペースで、自然体で他人を自分のペースに乗せることにかけては天才的。 およそ激情というものを持っているようには感じられない、温篤家(おんとくか)。 この気質もまた、メアリーには好ましかった。 それこそ、統一性もなく並べられた、駄菓子のように個性的で。 「あらあら」 「駄菓子にして良かったですね、本当に♪」 そんな自分を含めた三人の姿を、屈託無く眺めている星花とネネの二人もまた、そこに あるに相応しい人たちだ。 「ここに来てよかったワ、本当にネ」 こことは、休憩室か。 あるいは、事務所か。 はたまた、異国である日本に来たことか。 メアリー自身、どれを指しているのか、自分でも分かっていなかった。 ただ、何かに感謝したい気持ち共にある――そんな、漠然とした気分からの言葉だった。 * 甘いだけが、キャンディじゃない。 でもやっぱり、甘さも欲しい。 ここにいるのは、そんな欲張りな子供たちだ。 それでいいじゃない、成長途上のレディなのだから。 (続く) |