甲 Kabuto 
北鉄奥能登バス 宇出津〜穴水


2009年8月25日


 能登線「甲」。その名前のかっこよさと、能登の海岸線というロケーションと、構内に郵便車オユ10が保存されていることで、少年の夢をかきたてる駅であった。 しかし、尋ねることができないまま年月は経ち、2005年3月ついに廃線となってしまった。郵便車はもちろん、鉄路もなくなった甲を、ようやくその4年後、尋ねることになった。
 2009年8月25日、金沢8:00発の宇出津真脇特急バスで珠洲へ。宇出津から真脇、小木、九十九湾、恋路と風光明媚な海岸線をたどる。 珠洲市役所前に11:05着。このダイヤは、往年の急行「能登路1号」とほぼ同じ。手元の1978年8月の交通公社時刻表を見ると、 金沢8:01発、珠洲10:55着とある。特急バスは、穴水まで高速道を疾走するものの、このディーゼル急行に追いつかない。 珠洲では、草に埋もれた珠洲飯田駅跡を探索。港のショッピングセンター内の食堂で昼食をとり、能登飯田12:58発の穴水行普通便で宇出津に戻った。

宇出津駅前 14:35 → 兜診療所前 15:13  北鉄奥能登バス 穴水総合病院行

 いまだプラットホームと駅舎が残る宇出津駅で、14:35発の岩車経由穴水行のバスを待つ。ここの駅舎は今も開放されていて、バスの待合所となっている。
 宇出津から穴水までの北鉄奥能登バスは、A線からC線の3系統がある。鉄道跡より北側を行く明千寺経由のA線。 国鉄バス奥能登線のルートを踏襲する能登瑞穂経由のC線。鉄道に沿うように海岸線を廻るのが、この岩車経由のB線。やって来たのは中型の日野車。 この車は窓が大きく視界がよい。一番前の特等席を陣取る。
 5人ほどの客を乗せたバスは、国道249号を廃線跡に沿って鵜川まで南下。波並、矢波と駅跡が右手に残る。鵜川駅前を過ぎると県道34号線に入り、 さらに海岸線を南へ。古君・前波・沖波と集落の細道をゆっくりたどる。この辺りは、〜波という地名が続き風情を誘う。
 黒崎のバス停を過ぎると、やがて右手の集落の奥にプラットホームの屋根が見えた。甲駅が今も集落を見守るように、その一番奥に鎮座していた。 「兜診療所前」のバス停で下車。

                     

                宇出津の町

                古君付近 



甲駅跡

 県道から右の道に入り、先ほど見えた屋根の方角を目指す。左手の静かな入り江に見とれて振り返ると、路地の奥に立派な駅舎が目に飛び込んだ。 駅舎のドアは締め切られ入ることはできないが、中にはいまだ自動券売機が残っている。駅前には、「ようこそ!!くつろぎの郷甲へ」と書かれた看板も残る。 駅舎の裏には、線路は撤去されているものの、広い構内に草生したホームが堂々と残っていた。急行停車駅の風格が今も漂う。 宇出津方を見渡せば、視界が開け海へと路盤は続く。山間を走ってきた列車はここから海に出たのだ。しばし時を忘れて立ち尽くした。

                    

              

                



甲の港

バス停に戻り、県道を先に行くと小さな港に出る。静かな小さな入江の向こうには、真っ青な七尾湾が開ける。カメラを方々に向けていると、 通りかかった郵便屋さんが「いいとこあったかね」と気さくに声をかけてくれる。ちょうど下りのバスが、入江に架かる小さな橋を渡っていった。  

                   

                 

               





兜診療所前 16:15 → 穴水駅 17:01  北鉄奥能登バス 穴水総合病院行

 診療所前のバス停に戻り、16:15発の穴水行を待つ。たった1時間で次のバスが来るのだから、鉄道時代に比べたら充実のダイヤだ。 地元のおばさんが「もう来ますかね」とまたまた気さくに声をかけてくれる。見るからにあやしい旅人にも土地の人は温かい。
 バスにはサッカー帰りの小学生が二人、眠りについていた。 ここから先、さらに道は狭くなる。鉄道では見られなかった海岸線。曽良の集落は特に趣き深い。 そこから鹿波までしばらく集落はなく、絶景の狭隘路が続く。鹿波より先も、穴水マリーナの付近など所々狭隘区間が残る。
 比良駅前で国道249号に戻り、穴水駅に17:01着。部活帰りの学生が、折り返しのバスを待っていた。

                   

                 曽良

               曽良〜鹿波



 甲に鉄路がはがされても、人も風景もさびれた雰囲気はない。鉄道よりもはるかに便利で、車窓の景色もよい路線バスが、その後を受け継いでいる。 駅の跡は、没落したというより、その役目を終えてほっと体を休めているようだった。駅は、決して寂しさをもよおす廃墟ではなく、 その歴史を静かに懐かしく思い出させる場であった。集落の奥に残るそのプラットホームの石積みは、これからも城郭のごとく甲を見守り続けていくことであろう。
                         夏草や兵どもは入り日さす甲をおきてどこへゆきけん



参考; MORI-SAKETEN.com 北陸ローカルバス探見隊