八郎潟の向こう側へ 
能代〜五明光〜秋田


2010年8月25日


 1990年高校2年の冬。その日は、降りしきる雪の中、まだ明けやらぬ青森を発ち、五能線で荒れ狂う日本海を辿り東能代に着いた。秋田行の奥羽線に乗り換えると、しばらく海も見えない。しばし眠りの時とボックスシートの窓枠にもたれかかると、にわかに日が差し始め、曇りガラスの向こうに一面の雪原が広がった。それは果てしなくどこまでもどこまでも続く、ただただ真っ白な風景だった。それが、初めて見た八郎潟であった。 その一面の雪原の遙か彼方に低い山並みが見える。あの向こう側には何があるのだろう。地図で見れば海があるに決まっているのだが、多感な少年は何かこの世を超える世界を見ようとしていた。それをもう一度確かめようとしてか、翌年の冬にも秋田から奥羽線に乗っている。 あれから20年。その向こう側に細々と路線バスが走っていることを知った。

能代バスステーション 11:35 → 五明光 12:34  秋北バス  五明光行

              能代バスステーション

                 国道101号 

 八郎潟西岸の五明光(ごみょうこう)行秋北バスの始発は、能代バスステーション。秋北バスは「ターミナル」ではなく、しばしばこの「ステーション」の名称を用いる。花輪営業所は「秋北バスステーション」を名乗り、大館駅前にも「駅前ステーション」というターミナルがある。ただそのモダンな呼び名とは裏腹に寂れているところが多い。能代駅から北に1キロ弱、15分ほど歩く。花輪や大館とは異なり、新しくきれいな待合室だった。しかしそこは老人ホームの談話室と化していた。明らかにバス待ちではない老人たちが占領している。ここは、バスの発車の案内放送があるが、全く立ち上がる気配はない。酷暑の中この冷房の利いた待合室は格好の溜まり場なのだろう。この夏は記録的な猛暑で東北も例外ではなかった。
 11時35分、運転手さんの丁寧な案内放送とともに発車。10名ほどの乗客があった。能代駅を経由して能代市街を一直線に南下、八竜町に入り大曲で右折して浜田集落の細い道となる。この浜田の集落内ですべての乗客が下車すると、運転手さんとの話しが始まった。定年間近と思われる温厚で気さくな方であった。 大口で右折して砂丘温泉ゆめろんを経由し、海辺の集落の釜谷まで往復。釜谷集落の奥の狭い転回場を巡り、大口に戻るといよいよ八郎潟の西岸に出て、曲がりくねった国道101号を南下する。
 さて、運転手さんの津軽弁に近いその言葉は、半分以上いや8割方聞きとることができなかった。それでも何とか話しはできるものだ。乗り継いで秋田まで行くと言うと、少し前にテレビ局が芸能人と一緒に乗りに来たことを、自慢げにうれしそうに話してくれた。旅番組の取材であったのだろう。一方では、このところバス会社もいよいよ厳しく、手当ての安さを心底嘆いておられた。そんな中、終点が近づいてくると、バスの旅はお金もかかるだろうという話しになり、降りる時には志をいただいてしまった。これまで長く旅をしてきたが初めての経験である。禅僧は托鉢をして修行の糧にする。旅の修行は誰にでもできるものではない。がんばって修行しなさいと励まされたのだ。旅人は単なる趣味人ではない。自分の旅する姿というものが、その土地の平凡な日常に風穴を開け、人に何かを期待させたのだとしたら、それは本当にうれしいことだ。12時34分五明光着。

                     

                

                



  海岸へ

 30分後に乗り継ぎのバスがあるが、海岸まで歩くために2時間後のバスにする。海岸まで片道1.5キロ、20分強の道のりだ。 五明光のバス停から少し先に行くと右に入る道がある。ほんの小さな峠を登り振り返ると八郎潟が一面に見渡せる。そこを越えると海に向かって一直線の道になる。民家もなく人の気配は全くない。途中、国鉄のコンテナが一つ放置されていた。丘にそびえる木々は、みな冬の風に吹かれて一様に傾いている。
 やがて道は尽き、広大な砂浜が開けた。男鹿半島の先端から、北は釜谷の風車群の先に能代、大間越方面まで見渡せる。しかし海岸には無数のゴミが散乱していた。よく見ると、それは人が残していったものではなく、海から打ち上げられたと思われる漁具であった。今日は穏やかな夏の終わりの海であるが、荒れる冬の日に海岸に取り残されたものたちなのだろう。行政もここまで手が回らないのだろうか。やっとたどり着いた八郎潟の向こう側は、やはり人の手の届かぬ場所であった。それにしても人がいない。ここであれば永遠に誰にも見つからないような気がする。日本にもまだこんな贅沢な隠れ家があった。

                    

              

                



下五明光 14:38 → 荒町 15:25  男鹿市・秋田中央交通  みなと市民病院行

 五明光に戻り、八郎潟の入り口である五明光橋まで散策する。「菅江真澄の道」という案内板を発見。かつては広い湖に面した穏やかな入り江を巡る街道であった。
 乗り継ぎの秋田方面のバスは、先の下車したバス停より能代側に500メートルほど戻った下五明光という転回場から出発する。14時38分発のみなと市民病院(男鹿)行は、10分ほど前に到着し折り返しを待つ。最後部の席に陣取って出発。国道101号、県道54号を南下するが道は狭い。左手には広大な八郎潟が見渡せる。しかし日本第2位の面積だった八郎潟を干拓するとは想像を絶することだ。これがすべて湖だったとはにわかには信じがたい。すでにそのことも知る人も少ないであろう。 途中おばさん2人の乗客があった。他に乗客がいることにおどろいた様子でこちらを一瞥する。運転手さんとは顔なじみのようで、話し始めるなり缶コーヒーを差し入れた。この暑さの中うれしい差し入れだろう。
 若美総合支所でおばさんたちが下車すると、おもむろに運転手さんが振り向き、大変恐縮した様子で、「すいませんここで一度精算になります」という。このバスは、船越駅を経由してみなと市民病院まで直通するが、この若美総合支所までは 男鹿市のからの委託運行路線で、その先が秋田中央交通の路線となる。その関係で一度精算となるようだ。船越駅の手前の荒町で15時25分下車。  

                   


下五明光

                   県道54号

                   八郎潟 



天王橋 15:44 → 天王グリーンランド 15:57  潟上市  天王グリーンランド行

 船越水道を渡る天王橋の向こうに、潟上市マイタウンバスの天王橋バス停がある。このわずか500メートルの区間は4月に廃線となったばかり。折しも男鹿線の気動車が轟音を立てて橋を渡っていった。 ここから秋田行の出る天王グリーンランドまでは、1日2本しかないが、いずれも秋田行と接続。15時44分発、潟上市マイタウンバスであるが、やってきたのは秋田中央交通の古い車両であった。国道101号を南下。始発から終点まで乗客はなかった。せっかく残した路線だが先行きはあやしい。15時57分着。 

                   

                 

               

天王グリーンランド 16:01 → 秋田駅 16:52  秋田中央交通  秋田行

 天王グリーンランドのバス停は、「道の駅てんのう」の中にある。接続するバス同士が仲良く並ぶ。グリーンランドは広大な公園で、男鹿半島が一望できるというスカイタワーもあるが、すぐに次のバスに乗り込む。 16時01分発、ここからは国道を離れ、男鹿線沿いの松林の中の道を南下する。ちょうど学生の下校時間帯で、この便は秋田西高校経由であったが、その校門をくぐり校舎の玄関前まで乗り入れたのは驚きだった。しかしほとんどは自転車通学のようで、待っていた学生はほんのわずか。それでもようやく活気ある車内となった。追分三叉路で国道7号に合流し、奥羽本線としばらく併走。土崎市街で脇道に入り、県道56号(新国道)で秋田に向かう。秋田駅16時52分着。

                 天王グリーンランド 


 旅の修行とは、向こう側にあるものに思いを遣る心を磨き続けることだろうか。八郎潟の向こう側には、遙か空の彼方を静かに思い遣る場所があった。今夜は初めて「日本海」のA寝台に乗る。夜汽車の中で、もう一度あの雪原の向こう側の夢を見たい。