ハーブの歴史
 古代エジプト文明のエーベルス・パピルスの文書にも記されていることからもエジプトの医師たちはたくさんの薬草の特性を熟知していたことが分かります。香料として使われたものには没薬・カラムス・オレガノ・ビターアーモンド・ジェニパー・コリアンダー・ショウブ・乳香・サフランその他。 特にミイラ作りには大量の没薬が使われミイラの語源は没薬(ミルラ)がであるとも言われています。 またシダーウッドに浸したリネンの包帯を巻くことによって永久に守られるものと信じられてきました。
 エドフの寺院の絵画には学名(リリウム・カンディドゥム)という白百合の花から香料を採取している様子が描写されています。ギリシャ人たちは香料の特性・製造法・用い方など多くのことをエジプト人から学びなかでも有名なのがアポロとコロニスの息子で医学の神とされるアスクレピオスで自分こそアスクレピオスの正当な医術を受け継ぐとして多くの人が神殿を建てどこも繁盛し巡礼の病人が跡を絶たなかったと伝えられています。アスクレピアドの息子で医学の父とされるヒポクラテスは病気は何らかの原因によって引き起こされたものだと考え始め「人間は身体の中に血液・粘着・黒・黄の胆汁をもっておりこれらの調和がとれていれば健康となりこの調和を失えば病気になる」とする『四液体説』を唱えました。「人には回復しようとする力がありこれを助けるのが医術であり、病気はその症状対する自然の反応で治癒に向かって進む過程である。しかし人によって自然治癒力に差異があり個人の体質の違いを見極めそれぞれに合った療法を施すことになる」としています。
 彼を尊敬し「自然の観察なしには医学は成立しない」と説いたプラトンはアカデミーを開き多くの優秀な学者を輩出しました。後にアレキサンダー大王の家庭教師となったアリストテレスが有名で初めての自然科学者として多くの論文を残しルネッサンスに至るまで絶大な権威を誇っていました。その門下に植物学の祖といわれるテオフラストスがいて初めて植物を喬木・灌木・亜灌木・草木に分類し属・科のようにグループ分けを行いました。また体外に使用された精油が体内の器官と組織に影響するとも考えていて著書である『植物誌』は薬草の貴重な文献として後世に伝えられました。
 ローマ時代にはネロ帝とウェスパシアーヌ帝に仕えたディオスコリデスが『マテリア・メディカ(De Materia Medic a)』を著し起源、形態、調整法、効能などを細かく記した薬物書で16世紀に至るまで広く利用されました。この時代において最後となるガレノスはヒポクラテスに次ぐ最も有名な古代医者として知られ以降17世紀に至るまで西欧医学に大きな影響を与えました。血管には血液が流れていると考え、心臓が骨格筋とは異なった特徴を持ち意志とは別に動く(不随意筋)で出来ていることを発見しました。 また今まであった薬を「特殊薬・毒薬・解毒薬」に3つに分類し病気と自然治癒力に沿って調剤しました。
 10世紀末に蒸溜法を発明したとされるアブ・アリ・アル=フセイン・イブン・アラー・イブン・シーナはアリストテレス哲学を学び中国・インド・西洋の知恵を取り入れイスラムの医学「ユーナニ医学」を確立し今でも伝統的な医学として残っています。著作の「医学の典範(カノン)」は17世紀頃まで西欧の医学大学の教科書に使われその中で「マテリア・メディカ」のコリアンダー・クローブ・アニス種・ディル・カミルレ・ジュニパー・ペパーミントなど多くの精油について触れています。
 ヨーロッパではアウィケンナと呼ばれ最初の実験材料として「グル・サド・バルク」という名で有名なケンティフォリア種のバラを用いたといわれています。この時代にはアルコールの製造も可能 になり油性ベースの必要のない香水が作られスミレ・ハス・ユリなどの香水も作れるようになりまた。バラは当時最も人気のあった香水でバラ水の生産の中心はダマスカスに移り、ダマスク・ローズが誕生しました。他の様々な香料やエッセンスもヨーロッパに持ち込まれ13世紀の終わりには独自の香料が研究されイギリスではラベンダー水が親しまれるようになりました。また体の内部の病気や症状に対して外から油を塗布して治療するといったことも14世紀以前から用いられていたといわれ現在の芳香療法(アロマテラピー)の基礎な手法。
 16世紀ではイギリスの植物学で有名なウィリアム・ターナーは薬用植物を熱・乾性は陽、冷・湿性は陰としまた数字の高いほど効果があるとして熱・冷性の度合いを1〜4度に分類しました。
 17世紀には薬草についての人々の知識は非常に深まり歴史的に名を残した人がいます。当時の医者を批判し自らの健康は自ら守ることを主張したニコラス・カ ルペッパー、ロンドンのホルボーンの薬草園が有名で1597年「本草あるいは一般の植物誌」を著したジョン・ジェラード、チャールズ1世に仕え「広範囲の本草学書」著したジョン・パーキンソンなど有名な薬草学者が活躍し薬草や製油を利用した医療が盛んになりました。1648年ロンドンでペストが大流行しましたが薬草の持つ殺菌・消毒効果が認められ世の中に広がり1928年「芳香療法」という本を出したのが化学者ルネ=モーリス・ガットフォセで彼の著書は人々の関心を非常に集めました。も う一人イタリアのカヨラ博士の研究は製油の心理作用からをスキンケアへの応用に及びましたが第二次世界大戦の影響や近代医学の進歩に伴いその後ハーブ医学は衰退します
 1964年数多くの論文の発表の後に医学博士ジャン・バルネが「aromatherrapie」を著し現在の芳香療法が資格のある療法として世に認められるようになりました。フランスの医療的な薬用効果を求めるのとは対照的にマッサージに基づくホリスティック療法や医粧療法(メディコ・コスメテイツク・セラピー)の基礎を作ったのがマグリット・モーリー博士で1961年いくつかの論文を発表し「大切なもの-若々しさ(ル・キャピ タル-ジュネス)」を著し1962年美容学・化粧品学国際賞(シデスコ賞)を授与される。精神と肉体のバランスを正常化するという方法論が後にイギリスにおけるホスティック・アロマテラピーと呼ばれるようになりました。
 1970年代に入りミラノの植物誘導体研究所長のパオロ・ロベスティはオレンジ ベルガモット、レモンの柑橘類の精油が神経症やうつ病の症状に効果があることを発見し日本においても香りによる刺激・鎮静作用の研究がされました。