青白き光彩

 翌年の六月の半ば、また岐阜の里にゆくことになった。

大垣の駅から二つ車両の列車に乗り換え
田んぼの中の駅に着くと、
もう夕刻だった。


数軒並んだ日用品を兼業に売る農家と社の森を抜けると
見渡す限りの夕日を写した水田である。


道中に大きな一本松があり、
そこは祖先の人達が土に還った墓地である。

田を挟みわずかしか離れていない所に
幾つかの墓石や石碑が並んでいる。

そのなかに不思議なものがあった。
石に円を描くように名前が連なり彫られている。


ずいぶん後に知ったことでしたが
それは傘連判状を石に彫ったものでした。

からかさ連判状には凄い知恵を感じさせる。
継子立ての構図にも似ていた。

昔この地にも一揆があったのでしょう。
円形に連判すれば首謀者がわからない。

そう解釈するのが普通なのでしょうけれど、
厳しい自然に生きる者達が、危機に際し仲間と運命を共にする
壮絶なる証だったのではないでしょうか。

三角形ではない共同体意識の芽生えだったのかも知れない。



次の日、恐いもの見たさに禁断の地のように
思っていた一本松の墓地に
一人、肝だめしに行くことにした。


昼間に畑からもいでおいた胡瓜と塩と懐中電灯を手に内緒で家を出た。

その日はよく晴れていて、月を映した水田から、やかましいほど
蛙の鳴く声が聞こえ、月光に霜のように浮く土道は立体感を奪い、
早く歩けばつんのめりそうになった。


ざわざわとする小川に架かる石橋を渡ると
すぐに草の繁った細道が見える。
それが墓地への入り口である。


懐中電灯を点けたが光の外がより暗く見え、すぐ消した。
さわさわと草にこすれる自分の足音に怯えながら、細道の終わりの
卒塔婆の立つ黒い土に着いた。

背の高い松の後ろには小さな建物があり、
中に収められた弥勒菩薩や石仏が奥の深い空間をかもしだしている。


草叢のなかからたくさんの蛍がこちらを伺うように輝いていた。
ここがどこだとも知らず夜露をすすり、静かに息を吐くように光り、
吸うように消える。


もはや足が動かなくなっていた。

その時でした。ふと青白き蛍火の一つがふわりと舞い立った。

そしてゆっくりと弥勒菩薩の前を横ぎり、
松の枝の間をくぐりぬけ、
満天の星にまぎれていった。

天の川に集う星に隠れた蛍を探していると、
今度は下を見るのが恐い。


そっと視線を墓地に戻すと、頭の中が真っ白になり、
何かに押されるように無我夢中で走り帰った。


心にうつったもの、それが美なのか恐怖なのかはわからない。
その時どんな顔をして逃げ帰ったかもわからない。



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