九官鳥の学習

わが家に二代目の九官鳥がおりまして、
初代のQ と名づけた九官鳥はもうおりません。

ある日のこと、二代目の九官鳥をおもむろに示す出来事がおきました。

どんっ、ぐらっ、ふらり、ゆらゆら 寝耳に水。
地震。とかくこの国は忘れた頃によくゆれる。

襖が開き、蟻のように顔を突き合わせ、地震だ震度は、テレビをつけてと言い合う。
収まった頃、やっとバタバタ騒ぎ始めた鳥がいる。それがわが家の二代目の九官鳥の九です。

『 先代なら揺れる何秒か前に僅かな予兆を感じて知らせていたのに。』 とぼやく



しかし彼には、初代ではなしえなかった、あやしげな才能があった。

ツルルルルル。と電話が鳴ると間髪いれずに「ハイモシモシ◎◎デスガー」と先走る者がいる。
先に電話とるなーと思いつつ受話器をとり「ハイモシモシ◎◎デスガー」と復唱し微に憤りを感じる。


教えようとする言葉以外を簡単に覚えてしまい、人を翻弄させる才能です。

たまに古くなった冷蔵庫の音マネも挑戦しようとしているがさすがにこの音は苦手みたいです。
彼曰く 「グぉ○オっグ○×△ 」 ? ?  あ〜ん。。騙されないぞ、まだ買い換えないよ。
揺らぎのある音はさすがに初代と鳩にはかなわない。

ところが最近 「オフロガワキマシタ」 とハッキリ喋るお風呂がついた。それを密かに聞く黒い影。

『 これは近年稀に見る絶好の獲物 』

それを憶えられると、うっかり冷たい風呂もいやだけど、
特に朝、事情を知らない近所の人に、聞えるような声でそれを喋らないでほしい。

早朝 『お風呂がわきました。』 と

危ない。危ない。



思えば、初代 Q はヒナの頃、教えようとする言葉をただ懸命に聞いていた。

朝に「オハヨウ」と言えば「アーヨーアーヨー」と必死に教えている親鳥(人)の真似をしようとしている。

しかしあまりに長時間、言葉を教えているとふぁーとあくびをする。
やはり人も鳥も食べること以外は飽きやすいみたいだ。

そんなQにも、ある日突然、うぎゃーと奇声を発した後、ついに、「オハヨー」と初の日本語が産まれた。
それからは少し首を傾げて、言葉を聞いていると思えば、数日後には突然その言葉を喋り始める。

同時にすぐ噛む、わめく、つめを立てる、個と個の分化でもありました。
自然界なら、親鳥のほうが自立をうながすはずだけど、ここではそうもいかない。

噛まれても、噛んではいけないことを、あらゆる方法を使って伝える。

それとヒナ鳥の頃の、飼い主を必要とし必要とされ、必死で後を追う姿。
その思い出がなければ野鳥との関係になっていたでしょう。


次々と学習する鳥もいれば、本を覗くと、暴れるだけの鳥もいるらしく、
これは感受性の高さがゆえの表裏一体かも知れません。

ただ憶えた言葉を場面によって少し使い分けできるようになってからは状況は少し変わった。
朝は「オハヨウ」の連発で飼い主を起こし、「イタダキマース」で餌を要求する。

「イランノ」で言葉の練習や手渡しの餌はもういらない、もしくは、かまうな。

言葉が意味を持ち、わずかなコミュニケーションが発生したのです。
成鳥になってしばらくはヤマアラシのジレンマ。 いや単にハリセンボンの出会いだったのかも。



幾つかの冬を乗り越え、ベランダで他の鳥に向かって仲間を呼ぶような鳴き声をたてるようになった。

呼び方を間違えたのか、カモメらしき大きな影がQの鳥篭を横切ると、あわてて身を伏せていた。

もっと怖そうな鳥が来たときには、バタバタと怯え自分がひっくり返ったことも忘れたのか、
コウモリのように止まり木に逆さにぶら下がっている。

こちらがそれを見て笑うと、われにかえり
ポコッと腹を上に落ち、そそくさ、正しい止まり木の止まり方で何事もなかったように立っていた。

やがて玄関に人が立っただけでピーと興奮するようになった。
知能の高い集団性を持つ鳥がゆえの孤独。

その頃には、つめをねかせ飼い主の腕を傷つけないようになったような。
でも、もういない。



二代目は初代と流血の末、共に得た様々な知識にのっかってあたりまえのようにいる。
人間はささやかな違いをさも重大事のように騒ぎたてるといいたげに。


彼を求めたときなぜか、店の人は逃げられないように注意してくださいねといっていた。

店にむかいに行き謎が解けた。

彼の尾羽はもう立派に生え、ショーウィンドの中で一羽、ポーとうなだれている。

それでは彼を急きょ歓迎しようと、奥の手を使う。

先代は「バナナも食べたんや」といいバナナを出すと、
へー、これがここのもてなしかいな、と言わんばかりに。
近寄って顔を突き出し左右の目で交互に確認しながらあっち向いてホイ。

ふっ。現地でキャビアでも食べていたかな。

いったい尾羽が生える長い期間、何人の人の顔を刷り込んでスレてきたのか。
思い込んだ親鳥が二桁もいればそうなるのか。

というべきかよく見ると彼のくちばしの先は釣り針状にまがっている。
イソップのキツネとツルではないけれど単にバナナは食べにくかったみたいです。

そして憶えてほしい言葉を教えているときに、
飼い主の口に合わせ、口をパクパクさせ無邪気に聞いている。

意図する空気も読んでほしい。



ある戦国ソフトから不純に歴史好きになった者として、歴史家から聞いた話があります。
武田信玄を語る甲陽軍艦の中の話です。

武者三人が武辺話している。そこに四人の子供がいて話を聞いている。

一人目の子は口をあんぐりさせ、話す者の顔ばかり見て聞いている。
二人目の子は耳をすまし、少しうつむいて聞いている。
三人目の子は話す者の顔をみて少し笑い、聞いている。
四人目の子は途中で出ていってしまった。

信玄は武者からその仔細を聞き

一人目の子はわきまえのない、なげやりな頼りない男になるだろう。
二人目の子は将来の心配はない。
三人目の子は武勇をたてるが、傲慢で人から憎まれるだろう。
四人目の子は臆病者になるだろう。

多少言葉を変えていますが信玄はこのようなことを語っている。

奇麗事では生きてはゆけない。持ち場を間違えれば大変な事態になる。
そして彼のいい所は、武将には向かない者もその長所を見つけ別の居所に登用している。

経験からなのでしょうか。
自由奔放に見える童の時から、また木片を見て、なりたいその姿を観てとる木喰のように。



それから二年後。

二代目よ。頼むから、日向ぼっこ中、暇つぶしに
しぼりだすような大きい声で 「シンドイワー」「シンドイワー」と叫ばないでほしい。

なんと一人があちこち見渡し、一人が振り向いたではないか。

それにもまして、どんな飼い主かと思われるではないか。

二代目はその反応を見て、やったと、わきまえもなく首を伸ばし外を覗きこんでいる。

まだこのような鳥でございます。でも

どうみてもこの後に続く、でも 、は今はまだございません。

今後、姿見のようなこの鳥は何色に染まり、なにを喋り、どんな鳥になるのでしょう。

常にフィードバックしていなくては、これからこの鳥なにを口走ることか。



時を与えてくれた青い鳥。

見方を変えれば少しのことでも毎日喜べる青い鳥になる。
でも足元にいた青い鳥も、やがてはどこかに旅立つ物語。

感動が最大の記憶とすれば、初代は粟飯が食べたくて見た夢。

そして栗飯の夢の中から、栗飯の炊ける間にうっかり眠り、見る夢へ。

何でもいい、何かを感じていないと、つかのまの邯鄲の枕。

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