アフォーダンス


< 風の姿 >

黄色い落ち葉がまぶしく遠く

田畑や街が見える丘の上そこは冬の並木道。



懐かしい友人と歩いていると、

小さな崖の下の奥まったところに地蔵様の祠が

見える。

目をやっていると祠(ほこら)の前の

降り積もった銀杏(イチョウ)の落ち葉が少し浮き上り

そしてそれは回転を始め

下の葉っぱも巻き込んで

続々と高く持ち上がってゆきました。


まるで誰かが立ち上がりなめらかに移動して

ゆくようです。


そこに見えたものはつむじ風の姿


見えないはずの風の姿が落ち葉の動きで

はっきりと形を成し見えるのです。


いやそれは落ち葉が円を描くように運動して

いるだけなのに脳がかってに目の前に風の姿を

みているのです。


そうしてしばらく歩き回ったあげく

着ていたすべての落ち葉を一か所に

脱ぎ捨ててどこかに消えていきました。




つむじ風の散歩道を眺めながら

連想したものは昔に衝撃を受けた


アメリカの知覚心理学者ギブソン(1904-1979)の
知覚理論「アフォーダンス」でした。

アフォーダンスとは
afford(与える、提供する)の造語です。

周りにある状況がその人に

なにかを与えている(提供する)価値情報です。

例えばコップはギブソン以前は、丸くて、少し重く、

円柱で中が空洞で硝子か陶器、金属、木で

できていて表面は滑らかでひんやりか常温の肌触り

と脳は物理的に内的に知覚するというものでした。


でもアフォーダンスではコップは

水を飲む、歯ブラシを立てる、乾杯をする

書類を風に吹き飛ばされないように

重石にするなどなどをコップは人に意味

を与えてくれているもの。

それを人は喉が渇けばコップは水を与えるもの

として受け止め、

風が吹けば紙の重石として

受け止める。


それまで知覚実験室の実習で

分銅を持ち替えてはある領域の

重さの弁別閾を地味に調べたりしてたのは

なんだったんだと思うようなものでした。


例えば公園のベンチは「座るを与える」

「立って遠くを見るを与える」「寝るを与える」

と多様にアフォードしている。


おーーい大丈夫か

身近にあり知っているものではそろばん、

そろばんの鳴る転がる形状は幼児に

転がしたり音を鳴らしたりの遊具として

受け止められ、

成長しそれを少し知るものは弾く数える計算する

教具と受け止められる。

。。。。。。。


そしてその能力がもっと上がり

頭の中でも今までできなかった計算が

できるようになれれば自信が付き

それにより他のことにも積極的になってきたりと

自己の認識が変化しそれにより

人付き合いも習慣も変化が変化をよんでいく

そんな関係性の変化により

後天的性格パーソナリティまでも変化してゆく。

その時々によって人は物や環境を価値情報の

関係として受け止めているというものです。

これもアフォーダンスの一つでしょう。

なんか変に宣伝ぽくなりましたね。



一見、無表情に見える能面。



でもこれを被り上手な人が能を舞えば

楽しい場面の軽快なしぐさの演技では

能面が笑っているように見え

肩が震え悲しいしぐさの場面では

悲しんでいるように見えてくるのが不思議です。

元の能面に変わりはないのに

おそらくこれもアフォーダンス理論に

似た一つでしょうか。


そして今では認知科学者のノーマン(1935--)

の使用者に機能的で使いやすく

分かりやすくという物のコンセプトで

デザインや建築物にも生かされている

ということです。



まだ分からないことが多すぎますが
2/20微修正

なぜかわくわくするアフォーダンス

そしてここまで読んでくださりほんとうに

ありがとうございました。

なおアニマアニムスはまだまだ続き

書くつもりです。

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