天才と謎の存在


前回の天才につぶやいた謎の存在<人>の映画の

お話ですがタイトルが長ったらしいので、今後は

"天才と謎の存在"とします。

天才数学者ラマヌジャンにとって部屋に祭られた
特別な存在小さな女神ナマギーリ

朝起きるとその小さな女神ナマギーリの舌から
ぞろぞろと現れる謎の数式。
(インドのアーユルヴェーダにとって舌とは
朝いちばん、ペロリンと出して掃除するもの)

その数式をめぐって残り少ない命の
独学の天才数学者ラマヌジャンと
彼の死を予感し数式の証明を急ぐ数学者ハーディの
息詰まる毎日

天才とはかくも不遇なものなのでしょうか

ラマヌジャンに限らず

--その数学の先見性のため学校から追放され
また後におそらく秘密警察に投獄され
「弟よ、泣くな、二十歳で死ぬために
僕にはありったけの勇気が必要なのだから・・」

と直後、決闘に倒れたガロア(1811-1832)--
著書、遠山 啓 「無限と連続」
(多少推測と順序言葉を変えています)

死の前に必死で書き残した数式と理論
当時、彼の理論を理解できる者は身近に
ほとんどいなかった。という
彼の業績が真に認められたのは40年の後でした。


同じ頃、同じ分野(アーベル群)の
アーベル(1802-1829)は肺結核で
この世を去っています。享年26でした。

<群への序論>
群の理論がはじめて出てきたのは18世紀の終わりですが
1830年を中心とする2から3年の間に群論は飛躍的に
発展をとげました。それは主に代数方程式(たぶん5次方程式)
の可解性についての
ガロアやアーベルの多大な貢献のおかげでした。
(数学者の文章は独特なので自分なりにまとめました)

<群とグラフ>より I.グロスマン/W.マグナス著
朝野啓三 訳 



宮城音弥さんは天才の著書の中で
天才の独創は分野別にづれはあるが
主に30代前後を中心とすると書かれている。
要は若いころに発揮するということです。


それに対して多くの業績を残し
慎重な生き方をした数学者ガウスは享年77。
(1777-1855)なんとアーベルやガロアよりも
早く生まれ彼らよりずっと後まで
コツコツと生きられた印象です。

そしてガウスさんの予兆は、まだ言葉を
覚える幼い頃、もうすでに計算問題が出来ていた
ということです。(三才の頃)

その頃にビネー(心理学者)の知能検査があれば
針(数値)が振り切れていたでしょう。
(正規分布表の端っこで孤独に生きる人)

この件について、 集合 !

俺は楽しそうな仲間の多い真ん中がいいよ

朴訥な仲間の多い少しずれたとこがいいな
私はもっとずれた所がいい
だって鶏頭なるも牛後となるなかれでしょ

あーーお腹減ったー
あんたさっきまで食べてたやん
劣等感の強い権力者はパラノイアになりがちだ

この件の定義とは知能検査の話なのに ?
集合A = { b | 知能検査の正規分布を話す人 }
別案件の人達が混じっているわね
この件についての 集合は崩壊しました !
解散

なお知能検査の結果は年齢やそれに
対する学習によってその時々変化するので
絶対ではありません。


数の基本は指や石などの対象のある一対一対応です。
それを四則計算するということは量を捉える
科学の入り口であり、日常生活に役立てるものであり、
論理的思考の入り口でもあります。
ガウスさんは幼少の頃より便利な鍵を持って
いたんですね。


また宮城音弥さんによればガウスに限らず天才には
幼少や若い頃に何か驚異的な能力を現す者もいるが
(今ならギフテッドという呼び方もある)
(十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人ということも
よくあることです)

それは何かインスピレーションに似たもの伺う
ことはできるかも知れないがそれを天才と呼ばない
天才の特異能力は新しいものを生み出すものである。
と論じている。


あんた天才にあこがれていたんじゃないの
隅っこでけだるく聞いていたお姉さんだね
少し知れば、天才は生前の絵や詩や小説が売れなくて貧乏暮らし
だったり、科学や数学の業績が生きてるうちに認められなかったり
あげくのはては決闘、投獄、病気早死、極貧、狂人扱い

なんだか絶対マネをしてはいけない人達に思えました。

それでどう変わったの

学校に内緒でメロンパンやカレーパンのおいしい
店を探してほっつき歩いていただけの凡人には天才は刺激的で
時々勇気をもらうい泣き笑いできる手の届かない
遠い人達になりました。

なんだふられたんだ そうそれからなにか変わった

はい、死ぬまで希望のもてる大器晩成に
あこがれるようになりました。

じゃ私に付いてきなさい




おーい ! 大変だ 奴、なにかに取り憑かれているぞーー


アッハハハ
フフフ
アッーハハハ



そして眠りから覚める

その映画は始まった



--奇蹟がくれた数式--始まります


<字幕>英国 ケンブリッジ大学 トリニティ・カレッジ
1920年

ハーディーのラマヌジャンとの感想から始まった。

彼(インド人のラマヌジャン)と英国人が正しく
理解し合うのは

簡単ではなかった・・・

彼との研究は 私の人生での
ロマンあふれる出来事だった・・・


そして場面は切り替わり

<字幕>インド マドラス 1914年

インドの天に抜けるような青い空の情景から
地には低い塀に囲まれた広大な敷地の寺院
大樹の元に象がいた。

つづく


二日前
共に暮らしていた九官鳥のキュウ
19年間の思い出を残し
先立ちました。思い出すと

視界が急にゆらぎだし
また今度映画のつづきを語ります。
2022 / 10月10日

ありがとうございました

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