天才と謎の存在、5


Spring has come

春が来ちまった

あっつ暑い! なんやの今頃

いつまでもこんなことしている場合ではない

ということで心機一転。
ところで今何時

<ダリの時計>

いつも基準にしている柱時計の
時刻は午前10時15分
じゃ、まだ10時だと高を括っていた。

このアナログ時計いつの間にか

するするすると15分も勝手に進んで
それから何を思ったのかピタリとそれ以上
進むのを止めた。
そして15分のゆとり生活が始まった。

いつもと同じ様な生活をしているのに
あ、まだ大丈夫だと
ゆったりとした時間がながれる。

そのうちに・・

そういえば道で知り合いらしき人に
こんにちはと挨拶されたとき
何気なくこんばんはと返していたのを覚えている


それは別の意味で危ないな

ところがある日そんなルーズさを悪とみなし
それを許さない人が現れた。

<時の番人>

その日は何か特別な気配がしていた。

じっと柱の時計を凝視すると釘に掛けられた
時計自身の角度が微妙に違っている

そこで針の角度と距離の無い数値が自分に
向かってどんな行動を催促しているのかを読み解くのに少し
時間のかかるデジタル表示の電波時計をみると

合っている。

どうも時の番人が柱時計を更生させたようだ。

それからというもの日常生活になぜかゆとりを
感じられなくなった。

失われた15分はどこにいったのか ?
どうも睡眠の中に溶けていったみたいだ。

ゾウの時間 ネズミの時間(本川達雄著)も面白いよ

なんぞ御用でっか

出たな ! 元型 トリックスター

時計がまともになっただけで大げさな言い方
をすれば日常の感覚まで麻痺してくる。

もし天上のいたずら好きな時の神様がいて
悠長な日々に飽き飽きしてちょっと時間の進行を
早めてやれと時を操作すると

下界のスーツを着こんだビジネスマン達も
買い物途中の女性達、プレー中のスポーツマン達も、他
あれあれあれ
突然ビデオを早送り >> したようにちょこまかと
チラチラ腕時計や駅の時計を見ながら
目まぐるしく動きまわるようになるでしょう

本人達はそれには気づきません。

現代人はこんなものに支配されていたんだ。


なんやいよいよ私の出番か
では一つ時の神様の目論む座興を教えてやろう。
鎮座して動かない神様からみれば動き回っている
人達は縮んでみえるんだよ。






おもろうないもっと早送りしてみよう





キャッキャ あっははは

これをローレンス収縮という


薩長連合の妖術か (当時32才)

山岡鉄舟殿まずは刀を収められよ

そのようなつまらぬことに構っちゃぁいけねぇよ(その時45)
それより駿府城におもむき徳川 慶喜公(31)とおいらの
使者として西郷殿と直接談判頼めねぇか

勝海舟殿、西郷殿はどのようなお方でござりますか


おいどんが 西郷でごわす(40才)


うっそ


江戸城の無血開城の件、わかりもした。(1868)
齢16(よわい16)の 皇女和宮様、齢26(よわい26)の篤姫様にもご心配
かけもうすこともできませぬゆえ




かくして勝と西郷の本交渉は始まりました







ずっと無言の二人だったが
しかし最後に一言


分かりもした

なにが分かったというのよ

国を思う疑心なき二人には無用な言葉など
必要ありません。

かくして勝海舟と西郷隆盛の薩摩藩邸での交渉は無事
戦うことなく城を明け渡すことで成立いたしました。



<江戸時代の精神的自立度>

このような国の大事を今なら信じがたい
若い年齢層の人々が中心となって
奔走していました。

興味深いデータを思い出しました。

出典資料は今は手元にはありませんが
某大手生命保険会社が江戸時代の人と
今の人と比較したデータです。

それによると今(見つけたのは平成)の人の年齢に0.7かけた
江戸時代の年の人と同じ精神年齢ということらしいです。

つまり今の人の40才程度の精神年齢は江戸時代では
もう28才程度で到達しているということらしいです。


江戸時代の人は亜光速で生きていたのか
亜光速で生きると時間はゆっくり進む 例えば
勝海舟さんが江戸城の無血開城を成し遂げた瞬間平成の時代に
現れたら64才程の精神年齢になるんだね。

私たちの元型 永遠の乙女でいられるわね

永遠の少年だろ 俺達だって若返るぞ


物理と一緒にしたらあかんやん


残念だけど勝さんは貧乏旗本に産まれ
小さい頃から時を惜しんで勉学や
武芸に励み成人してからも命がけで海外に渡航して学んだり
前例のない時代に
自らの頭で考えて難題に取り組み、時にはしくじって
落ち込んだりもしただろうけれども、それでやっと
到達した境地なんですよ


やっぱ今のままでいいよ




そして享年の75才(平成換算なら100才を超えている)
死の間際に言った言葉が
「つまんねぇなぁもう終わりかよ」だって(逸話)

そして興味深いのは勝さんの考えでは
いつの時代も見えない聞こえない
どこからか分からない時代のつぶやきを
敏感に感じ気づく人が数少なくとも
現れ出てくるんだって。

天才現出のひとつのヒントがここにも
あるのかも知れない。

ちなみに余談ですが、一休さんの最期(さいご)の
言葉は「まだ死にたくねぇよー」だって(逸話)

死は観念の中にあるとすれば
死を考えるということは、どう生きるか
どう生きたか、人生にどんな物語を演じ
作ったか。生きるということにつながって
くると思います。
それはさながらユングの心の中の一対

の考え方と同じように

じゃお前は最期に何が言いたいんだ

願わくばもう一度、同じ時、同じ人生をくださいと 
最後に言えるように今を生き続けたい

自画自賛や、しんどい人やね
お嬢さん達、私の頭に乗るんじゃないよ



映画<奇蹟がくれた数式>

あれー

5月中にもう一本語りたいので
残しておきます。



ここまで貴重な時間を割いて
御覧くださいましてありがとうございます
御覧くださった方のこれからの人生も
分厚い幸せに恵まれますように

心だけのささやかなものですが
お受け取りください。

あらためて、ありがとうございました



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