天才達の贈り物十四話。特別篇
みなさん特別、変の間違いかもしれませんよ
しっ
本日これから語ることは特別長く
文字のお好きな方はどうぞお読みください
文字が多いのはどうもなぁと思われる方も
無理して読んで何もなかったということは多分ないかと思います
それはフランクルが現実において
命がけで彷徨った境地を引用に語ったことが大半ですから。
フランクルは4歳のとき人はなぜ生きるのだろうと
どこから聞こえてきたのか分からない問に答えるために
医師になる決意をし学び始めた。
今回の話は人生の意味の中で
フランクルが追認した
どんな逆境の中でも
生きるには生きる価値があるというお話です
それはなにかって
それはそれぞれ感じたことが価値であり
それによりこれからの自分の人生を
よりよく創造したくなったのなら
意味につながったということでしょう。
<夜と霧、その四、非情の世界に抗して>
一、プロローグ
二、アウシュヴィッツ到着
三、死の蔭の谷にて
四、非情の世界に抗して
五、発疹チブスの中へ
六、運命と死のたわむれ
七、苦悩の冠
八、絶望との闘い
九、深き淵より
の中で
三、死の蔭の谷にて の最後のほうに
囚人の夢においてすらも性的な内容はほとんど
浮かんでこなかった
(これは重要な記述です)
しかし精神分析の意味における「目的を阻まれた努力」が
すなわち愛への囚人の深い憧れや、・・より高い要求は、
夢の中にきわめてしばしば現れてきたのであった
という記述がある。
(最初にフランクルは精神分析のフロイトに師事していた
次にアドラーに傾斜してフロイトとは別れている)
(そして心理ばかりに偏っている両者に違和感を感じ
結局アドラーとも決別している)
ここは次の「非情の世界に抗して」への
キーワードとして押さえておけば、とある驚きの現象として
肉体から生まれる、生きる原動力リビドーとしての発露でない
何かどこからか別の力が作用したとしか思えない
崇高で純粋な愛が心を支え温めたのであった。
いや「目的を阻まれた努力」だったのか
他にも・・それは分からない
それは読んでくださった方の判断にゆだねましょう
![]()
<<隠されたテーマ生きる意味を支える体験価値>>
はいはい、では 「非情の世界に抗して」の本文に忠実に
流れに沿って読み起こしましょう
長いですよ長い文章の苦手な方は無理をなさらないでください
まずこの項目ではアウシュヴィッツ収容所から
バイエルンのダッハウ支所へ送られる途上から
始まります
鉄格子小窓の死の貨物列車から見える懐かしい
生活の場であったウィーンの横町(小道)
そこには師と仰いだフロイトや後に影響を受けた
近くに住んでいたアドラーがいた
そんな湧き出る感傷も周りの若き囚人達の非感傷性に
たちどころにかき消された
そしてそのことは囚人達の精神的問題に言及する
こととなった
文化的冬眠が支配した囚人達のたった二つの関心は
一つは政治的関心もう一つは宗教的関心であった
政治的関心は軍事情勢などの噂であり
それは当然、戦争終結の希望であった
しかしそれはいつも失望させられる結果に終わった
そしてもう一つの宗教的関心はそれは想像以上
のものであり飢え冷え暗い貨物の中バラックの隅
での一寸した祈りや礼拝は最も印象的なものであった
さらにそれはアウシュヴィッツにいた時バラック小屋の
中で失われた人生を賭けた原稿の再編を始めた時に
そばでは
死を悟った
一人の仲間が発疹チフスの譫妄の中で何かを祈ろうと
していたのだが熱で言葉にすらならなかったと
淡々と何かを思い出すように語っている ---祈り---
過酷な収容所の内でも
心理学の専門家でもあり医師でもあるフランクル
には様々な縁が生まれるそれを察知した収容所の
医師から居室に呼ばれフランクルも人生で初めての
秘密会合のような交霊術まで体験した
この話は長々と紙面を占めているので
よほど印象的だったのでしょう
↓↓↓↓↓↓
-目的のない収容所生活、生き延びること-
を生きる意味とする
春秋社
「それでも人生にイエスと言う」--V・E・フランクル著
より
↑↑↑↑↑↑
あるいはこんな酷い状況の中でも行いを通して
生きる意味を満たす
「価値」があるといいたかった
のでしょうか
それから強制収容所においての内的な生活にまで
話は及び、陥っていくあらゆる原始性にも
拘わらずたとえ稀ではあれ著しい"内面化への傾向"
があったという・・・
「かくして元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間
繊細な性質の人間は頑丈な身体の人々よりも
収容所生活をよりよく耐え抜い得たというパラドックスが
理解され得る」と記述されている
そこから、かかる体験を理解せしめるためには
個人的なことを語らざるを得ないのであるとある
(これは体験を通した証明にもなる)
そしてそれは早朝、作業所へと行進して行く
姿から始まる
いつもの命令と号令での行進、厳冬にもかかわらず
門をでる時には脱帽を命じられる
薄暗い中、行進を照らすサーチライト
少しでも行進を乱せば怒鳴られ銃の台床でぶん殴られる
みんな一言も交わされなかった。
未明の氷のような風がその方が賢明である
ことを示していた。
そんな中、上衣の襟を立てたその陰に口を覆いながら
並んでいた仲間が突然、呟いた
「なあ君、もしわれわれの女房が今われわれを
見たとしたら! 多分彼女の収容所はもっといいだろう。
彼女が今われわれの状態を少しも知らないといいんだが。」
すると私の前には私の妻の面影が立ったのであった。
それからというもの、我々が何キロもの雪の中を渡ったり
凍った場所で互いに支えあったり転んだり、よろめき
進んでいる間もなんの言葉も語らなかった
しかしわれわれはその時、各々が、その妻のことを
考えているのを知っていた
(ここよりは本文にますます忠実に引用させてもらいます)
時々私は空を見上げた。
そこでは星の光が薄れ暗い雲の後から朝焼けが
始まっていた。 そして私の精神は、それが以前の
正常な生活では決して知らなかった驚くべき
生き生きとした想像の中でつくり上げた面影に
よって満たされていたのである。
私は妻と語った。
私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。
私は彼女の励まし勇気づける眼差しを見る-----
そしてたとえそこにいなくとも-----
ーーーーーーー
その時私の身をふるわし私を貫いた考えは、
ーーーーーーーー略ーーーーーーー
多くの詩人がそれについて歌ったあの真理を、
生まれて初めてつくづくと味わったということであった。
すなわち愛は結局人間の実存が高く翔り(かけり)得る
最後のものであり、最高のものであるという真理である
私は今や、人間の詩と思想とそしてーーーーーーー
信仰とが表現すべき究極の極みであるものの意味を
把握したのであった。
愛による、そして愛の中の被造物(注)の救いーーーーー
これである
注(ここでの被造物とは聖書の中の神が創造したものか)
(うーん、しかしフランクルは神の存在を認めていない)
(神に代わりえる何かが人間の精神の中にあるということか?)
人間はーーー瞬間でもあれーーーーー
愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって
浄福(清々しい幸福)になり得るのだということが私に判ったのである。
----これより長いので独断で略します----
悲惨な外的状態の中においても
愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことが
できるのである。
目の前で一人の仲間が倒れ、後ろの者もぞくぞくと倒れる。
すぐさま監視兵が来て彼らをぶん殴りかかった
私の想像の中の生活は中断された。
しかし直ちにまた私の心は高く飛翔した。
またもや愛する者との対話を始めた。
私は問い、彼女は答えた
彼女は問い、私は答えた
「止まれ !」我々は作業所に到着した
「総員、道具を取れ!、鶴嘴とシャベルだ!」
「早くしないか! この豚犬ども」
凍った地面は鶴嘴の先で砕け火花が散った。
頭はぼんやりとし、仲間達も語らなかった。
しかし私の精神はなお愛する者の面影によりかかっていた。
まだ私ははそれと語り、それは私と語った。
その時私は或ることに気がついた。
すなわち私は妻がまだ生きているかどうか知らないのだ !
そして
////////////////////////////////////////////////
私は次のこと知り学んだのである。
すなわち愛は、一人の人間の身体的存在とはどんなに
関係薄く、愛する人間の精神的存在(哲学者の呼ぶ本質(根源、あるべき姿))
とどんなに深く関係しているかということである。
彼女がここにいるということは、もはや問題ではない。
愛する人間がまだ生きているかどうかということを私は知らなかったし、
また知ることができなかった。
しかしこの瞬間にはどうでもよいことであった。
愛する人間が生きているかどうかーーーーーー
ということを私は今や全く知る必要がなかった。
そのことは私の愛、私の愛の想い、精神的な像を愛しつつ
みつめることを一向に妨げなかった。
もし私が当時、私の妻がすでに死んでいることを知って
いたとしても私はそれにかまわず今とまったく同様に、
この愛する直視に心から身を捧げ得たであろう
少し略
そしてこの瞬間、私は「我を汝の心の上に印の如く置けーーー
(妬み・・が入る)
そは愛は死の如くつよければなり」
(雅歌八章ノ六)
という真理を知ったのであった。
うーん ?
(旧約聖書で死は人に確実に訪れるものそんな強い真実を
前にした愛は死のように強くその妬みは炎のように激しく、故に
(ここでは運命により引き離された二人であっても)
二度とは私を見放さないでください、
死の如く強い愛ならば汝の心に封印してください)
(と思う)
夜と霧ではこれからも次々と
生きる意味を具体化する価値が生まれてきます。
乞うご期待
夜と霧 つづく
////////////////////////////////////////////////
さてここで区切って少し趣向を変えましょう。
他民族からすれば問題点もありますが
考え方や生活の知恵が詰まったタルムード(教え)
ユダヤ人は学ぶことを重視します
(もちろんすべてのユダヤ人がそうであるとは限りません)
それは歴史的体験が物語っています
苦悩した者は知っています
お金は盗まれたり分け与えればなくなってしまいます
しかし頭の中にある知恵や知識は
盗られても分け与えてもいっこうになくなりません
そこにタルムードを編纂したラビ達が加わり
ローソクを使ってこう表現しています。
一本のローソクの炎で他のローソクに火をつけて
いっても
最初のローソクの炎の勢いは衰えない
また
ユダヤ人の書いた書物に接して
いると日本人との違いを少し感じます、まず
彼らは論理的にものを考えます
そして数値の見方、感覚が鋭い
日本人の人口に比べればほんとうに少ない
ユダヤ人ですがいままでに多くの天才や秀才
大富豪を生み出してきたのは上記のことも一端に
あるのではないでしょうか
日本人は直観力や情緒、想像力にたけています
日本の昔話には結論より・・・とさ、とか
その後はどうなったかは分からなくなっています
ふわっとなんとなく終わっているのです。
英語ならアルファベットの文字数は26です
日本語は漢字を入れれば膨大な文字があります
そして英語で例えれば
父ならばほぼ father 一語で賄います
ところが日本では状況、立場、育ち、性別、
文語口語によって使い分けます
父、父上、親父、おとうさん、おとうちゃん、ご尊父
とと、てて親
父が何人いるのかと思うくらい使い分けがみられます
そしてふと当たり前に思っていた日本の慣用句をもう一度
日本語を学ぶ外国の人の身になって
見つめてください。例を挙げてみます
アゴが落ちるくらい美味い
(まずこれ外国の人が聞けば日本人って時々アゴが落ちるんか ?)
あんた水臭いやんか
(日本人には水臭い人がいると勘違いされる)
あの人に説明を求めても上手に煙にまくんや
(日本人には忍術を使う人がいる)
私、無実なのにみんな白い目で見るんよ
(説明する必要もなし、不気味)
この子のことは長い目で見てあげてください
(ますます不気味)
相手の手に乗るな !
(相手ってキングコングなんか ?)
あの人、人を食ったようなこと言うの
(日本人って人を食うのか !)
あの人、昔から、焼き魚に目がないの
ゲゲゲッ
~~~
今回小ネタはお休みとします
![]()
))
しっしっ
![]()
![]()
![]()
私達も副業があるので今回はお休みとさせてもらいます
今度の寸劇を楽しみにしていてください
シフトも入ってないのに一人やる気マンマンだな
くせもの どこにいる 尋常に勝負
最近ほんとうに日が落ちるのが早いですね
それは秋を飛ばして冬ということですか
今度の冬はどんな冬なんでしょう
さて音楽でも聴いて寝ましょう
最近はなぜか竹内まりやのいのちの歌などを
聴いて寝ています
ではここに来てくださった方
素通りされた方、ありがとうございました
また来てくださいね
おやすみなさい
|一つ前へ(あまりにも個人的なページ)| | TOPへ戻る|