分厚い幸せ


昨年の晩秋だったかな新聞のコラムに
何か魅かれる文言が書かれて
いた。

分厚いしあわせ」、これ

なにかひっかかる
つぎを読んでみるとやはり
河合隼雄の名がでてきた。

河合隼雄さんはここで何度も名前を書かせて
もらっていますが日本の臨床心理学者です。

京都大学名誉教授、元文化庁長官
教育学博士・・他色々

当初は理数系だったらしいです。

そして専門はユング分析心理学、 臨床心理です。
(1928-2007)
日本に分析心理学を普及された方です。

これじゃなにか分かりにくいので
身近なもので一つ

学校で箱庭というものを見かける機会
もあるのではないでしょうか。
それを使った箱庭療法を日本に導入された方です。

箱庭には砂が敷かれて掘れば
底板は青く、川や海、池など表すこと
が出来、家を置いたり木や動物、人形など
を配置することもできます。

それらを使って自由に楽しく
やがて夢中に何かを形作ってゆくと、

そこには言葉にならない
心の内なるものが表現されていきます。


さて河合隼雄さんという方
肩書を見れば何か難しい人そうですが

若いころは心理を学びながら
高校の数学の先生をやっていて、

それで時々相談にやってくる生徒の悩みに
なんとかしてあげたいと
数学的思考法で解決しようとしたのですが
うまくいかない

なんとかしてあげたいんだけど
数学ではどうしようもない、
じゃもう一つやっていた
心理学だと思ったそうです。


けっこう身近な方です。


そしてユングの分析心理学を学びに渡米し
その後にユングの本場スイスに渡る


時は流れ

沢山ある河合隼雄さんのある著書の中の

最後のほうに

幸せについての考え方が書かれてありました。

数多くの臨床の経験からそして

ユングから学び至ったのでしょう。


そんな河合さんの思いを感じたままにまとめれば

お金があるからといって幸せとは限らない
地位や肩書などがあっても幸せとは限らない
みんなから愛されていても幸せとは限らない

愛されたりお金持ちになったことでかえって
不幸の始まりになることもある

世間的な成功が幸せとは限らない
私はこうしたからこそ幸せになった
私のようにすれば幸せになれる
そんな決めつけた幸せを人に押し付けては
いけない。

幸せを願い追っても探してもしかたがない。
ここまではよく聞く話です。


じゃあ なんだ
幸せってメーテルリンクの幸せの青い鳥
とかで締めとなるのだろうか。


<幸せってなんだ>

幸せってなんだろう。

早く教えてくれ

おもむろに幸福の基準は人それぞれですがと
前置きされながら
河合隼雄さんは私が思う重要な条件二つと
提示された。

まずは"将来に対して希望がもてる"

"自分を超える存在とつながっている
又はその存在に支えられている。"

これも"自分を超える存在"と言う文言以外
普通に聞こえる

自分を超える存在とはおそらく個人間の繋がりでは
なく集合的無意識のことをさしているのでしょう。


しかし最後に

幸福ということが、どれほど素晴らしく

あるいは輝かしく見えるとしてもそれが

深い悲しみによって支えられていない限り

浮ついたものでしかないということを強調したい。

恐らく大切なのはそんな悲しみのほうなのであろう。

<著書>河合隼雄の幸福論 (昔はしあわせ眼鏡でした)


以前はその意味さえ理解できなかった。
早く世間的な幸せを手に入れたいそんな欲の一心だった。

そうしてこの著書はC定食券に物々交換された。

今日のハムカツちょっと分厚いな、でもなんで、いつも
トマトやキャベツの野菜多すぎや、バッタになりそうやと
その野菜の意味にも気付かず
遠い国に赴任してしまった一人息子を持つ
調理のおばさんの背中に言ったり
仲間と戯(ざ)れ言を言いながらふわふわとした
幸せにひたっていた。

深い悲しみ ? なにそれ。

でもそれがなんとなく感じられるときがきた。

それは言葉であり言葉ではない感じだった。


梶井基次郎作<桜の樹の下には>
以下は青空文庫さんより抜粋させていただきました。

"桜の樹の下には屍体が埋まっている
これは信じていいことなんだよ。
なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて
信じられないことじゃないか。
俺はあの美しさが信じられないのでこの二三日不安だった。
しかしいま、やっとわかるときが来た。
桜の樹の下には屍体が埋まっている。"

以下短編ですがずっと独り言のように続いています。

病弱で毎日死と向かい合っていた梶井基次郎だからこそ
普通では意識されない何かを感じていたのでしょう
"美"や"生"がなんによって支えられているかを

そしてまた
梶井基次郎作の"檸檬(レモン)"

得体の知れない漠然とした不安や憂鬱、悲しみ

そして光あふれるカリフォルニアで育った
明るく鮮やかな黄色いレモン

この二つは対比されているように思えても
一つの心から浮かんだ一対いっついです。

そうして不吉な魂の重みとみずみずしく鮮やかな
黄色いレモンの重みがやがて
レモン爆弾として一対に収れんされてゆく。

悲しみと幸せ、美と醜、明るさを引き立てる影
自立と依存、愛と憎しみ、生と死、
楽あれば苦あり、禍福は糾える縄の如し

ああこれなんだ



これらはみな一対なんだ。

心にしみる名作にも名画にも名曲にも

どこか悲しみや影が支えになっている。

これが分厚い幸せの正体なのか



あれ


ほんにそらみんな寝るわな



おーいみんな起きてくれ

新年のご挨拶ご挨拶

遅くなりましたが明けましておめでとうございます



そろばん共々今年もよろしくお願いいたします

2022年一月吉日



<訂正>記憶の大間違い
(そうしてこの著書はC定食券に物々交換された)
この著書は河合隼雄のしあわせ眼鏡ではなく
別の著書でした。後から読んだ本と学生時代の
部分が合体してしまいました。 二月先負け日


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