放浪犬ポンとチコ

 一つ放浪犬はむやみに吠えない
 一つ放浪犬は人を噛まない
 一つ放浪犬は色がわからなくともなぜか赤信号を守る

 放浪犬の生き残るための三戒でした。

いつ頃かわからない日付も時計も意味をもたない犬にとっては
時間は欲望のつながりでしかない。

言葉も名も人のためにあり犬には意味がない。
それでは特定できないのでここでは仮にポンと名づけてみた。
記憶にポンと現れたからです。

ポンは鎖につながれていないこの町に実在する放浪犬なのです。


人聞きには幼い頃には飼い主がいたようで
人懐っこくあらわな警戒心は見せない、
ひょうきんで憎めない犬です。

なぜ捨てられたかは知らない、その後どうして生きてきたかもわからない。
幸運にも町の人達から可愛がられる
今に生き延びられたのは上の三戒を守っていたからでしょう。


記憶にのぼった最初は、
薄茶毛の小汚い顔に赤くへのへのもへのといたずら書きされた情けない姿でした。

ほんとにもう少しゴミ箱あさりを続けていたなら誰の記憶にも存在しないまま
この世を去っていたことでしょう。


ある家人に巡り会い人の世で生きるための首輪をもらい
屋外に小さなベッドまでもらいました。

そうしてその鎖のない小さな命を通して
この町の多くの人達が小さな交流を持つようになりました。


ポンは世話人の飼い犬が先に食べるまで後ろで舌をだしながらじっと待っている。

ポンは可愛がってくれる人と出会っても相手が手ぶらだと
ぜんぜん関わりない顔をして真っ直ぐ前を見て通り過ぎます。

ポンはチーズか肉を持っていそうな大人しか相手にしません
魚だとプイとよそを向き他をあたりにゆきます。

鎖につながれた強そうな飼い犬にでくわすとふんと
少し迂回して、てくてくと歩いてゆくだけです。

同じ鎖のない強そうな犬に出くわすと一応ワオーンと吠え
すぐに知り合いの人の所まで走ってその背中に隠れます。

こんなことからも一匹で生きてゆくため
学習や苦労をしてきたプロの放浪犬だと感じています。


チコは新米の放浪犬です。

そしてチコはまだ自分が捨て犬だということがわからない子犬である。

チコは誰にでも飼ってくれと言いたげについてゆく
同じ境遇のポンとチコが出会ったのは運命だったのでしょう。

チコはポンのまわりでよく遊んでいました。

ポンがノミのいる頭をかいているときも、
だらりと足を伸ばしコンクリの歩道の上で寝そべっているときも
横に座って人の子が遊んでいるのをながめていました。

ポンは餌を手にした大人にしか興味をしめさないが
チコはやはり犬でも人の子と波長のあう同じ子なのです。
綺麗に飼われている子犬をみても近づくことは許されません。

それはチコにはノミがたくさんいて汚いから
飼い主が嫌がるのです。


チコはポンの食べ物のおこぼれをもらって生きていました。

この町には塀のある家はすくなく、
夜になるとポンやチコはよく美味しいたべものをくれる家の前にすわり
じっと家主がでてくるのをいまかいまかと待っているのです。

でてくると飛びついて喜んでいます。
お母さんが子供達になにか食べさせているときなど子供達の間から
ひょこっと顔をだし同じように貰おうとしたりもします。


なにかに疲れたときポンとチコをぼんやりと眺めていると
2匹が語っているように見えるときがあります。

気が弱くなったときの妄想なのでしょう。

チコ「僕らはどうして生きてるの」ポン「食べているからさ」チコ「なんで死なないの」

ポン「犬はじぶんで死を選ぶことはない」チコ「じぁ僕らはどうなるの」

ポン「考えることはない時期がきて食べられなくなればいずれ
みんなの記憶からも消えるただそれだけさ」

ポン「チコ、これからも生きてゆくにはくれぐれも人を
噛むな吠えるな車には気をつけろよ」

そんな風に話しているようにもみえました。


そんな時は長くは続きませんでした。
あるときからチコの顔をみかけなくなったのです。
たかが子犬一匹と誰にも聞けず不安な気持ちを隠していました。

チコが車にひかれて死んだらしいということを風の便りに聞きました。
人は物事を言葉にしたり浮かべたりして考えこんでしまう動物のようです。
チコは無機質なアスファルトの上で
命が直線になり静かに目を閉じてしまったのだろうか。

知るすべもなくただもう見かけることはありませんでした。

今でもポンのいる道を通りがかったとき呼んでも 胡散臭そうに目だけ動かします。

なにか期待をもたせてもう一度呼ぶと
眠そうに起き上がり足を前に突き出し大きく伸びをしてから
こちらにやってきてボリボリとノミのいる頭を掻きながら
なにもくれないと知るとすたすたとどこかにいってしまいます。


やはりタダモノではない。

放浪犬にとって生きることは食べること他者を振り返らないこと
そしてポンにとってチコは目に見えなくなっただけ。

これからも放浪犬ポンは、

一つ放浪犬はむやみに吠えない。
一つ放浪犬は人を噛まない。
一つ放浪犬は色がわからなくともなぜか赤信号を守る。

の三戒を連綿と繰り返して生きていってほしい。


補足;犬は色をある程度識別するという研究をされている方もおられます。
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