---読書と逃避 ---



私事で恐縮です

昔、人付き合いが辛くて何年も
本ばかり読んでいた時期がありました。

そこには自分と同じ痛い思いをする
主人公がいてその悩みを賢明な作者
が勇気をもって解決させていったり
読者を奮い立たせたりもしていた。

親にも言えず一人苦しんで
いた時だったので溜飲を下げた。

本は味方だった。
もう一人の自分だった

いつしか本の魅力に取り憑かれ
前は象形文字にしかみえなかった
訳の分からないものにまで
手を出し読みふけった。

時に彼ら賢人達の世界観に圧倒され
色々な世界を疑似体験したり

賢者の洞察力に自分の心を
後ろから覗かれているような
恐ろしさにぞくっと振り返ったり


一人っ子は以下、皆同じでもないが
人を頼ったり相談するのが苦手で
悩み事を一人で抱えてしまう傾向がある。

独占欲が強いわりに、
人と争うのが嫌ですぐ自分の世界で
かってに解釈して納得したり楽しんでいる。

一人が好きなわりに寂しさに弱く
公園に誰か友達がいないか探しに行く。
しかしまたすぐに一人になりたくなる。

マイペースで、独自の世界に身を置いている。
人に言われて自分の考えを曲げないと
いうところがわがままと思われる。

しかし何事にも真面目で努力をおしまない。

そして時間にルーズである。

以上が昔の私を振り返った感想です。

これだけでも条件は整っていた。


何周目かの四季が過ぎた晩夏。

公立図書館の一室で一人受験勉強をしていた。

そこに解離したもう一人の自分が現れ
じっとリアルな自分をやさしく
ただ見つめている。

コップの中の嵐は去ったのか。
以後、思春期の稀な離人症はなくなった。


大人になって自分のいた幼稚園を
訪れればきっと驚きに包まれるだろう。

幼児の頃、あんなに巨大に見えた遊具やプールが
なんと小さかったかと。

そこではガリバーになった自分を感じる。

呪縛から解放された瞬間


離人から逃避へ心の変遷

人はよく逃げることを卑怯と言うが
人類を何百万年さかのぼれば

我らの祖先は猛獣に追いかけ回され
必死の形相で逃げまわっていたに違いない。


途中何匹も食われ、逃げきったのが
父や母の祖先、そうして自分がいる。

そう思えば逃げることは生存の知恵として
遺伝子に組み込まれていることだろう。



逃げること、逃避は心理の世界では
重要な防衛機制である。

他に補償とか例えば芸術活動に打ち込む昇華とか、
がまんもあるけど、

どれもしんどい。

いやいや退行現象もあったけども
これはさすがに恥ずかしくていやだ。

兵法の極意にもどうしようもない時は
三十六計逃げるが勝ちである。

また逃げているうちに心地よい居場所を
見つけることもできる。

書物の中の知恵や優しさ
深く広い世界は心地よい居場所だった。
世界の賢者は色々な考え方があることを教えてくれた。


逃げよう。

口の悪い人、怪しげな人と話す時は、
足は出口に向けておこう

大変な用事を任される前に
能ある鷹は爪を隠しておこう。

会食では、空腹でもしばらく我慢して、周りの人の
表情を見て安全を確認してから食べよう

足るを知り、何もなかった人生を
それが幸せだったと喜ぼう。


逃げた先に子孫の笑顔と幸せが待っていることを

信じよう。


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