ヤマアラシのジレンマ

ヤマアラシのジレンマ


御用とお急ぎでない方はまずは

心理学のトリセツこと取扱説明書を
お読みください。


心理学の起源は古代ギリシャの哲学にあった。
(らしい)

その古代ギリシャにプラトンとアリストテレスと言う
哲学者がいて心のことを霊魂と呼んでいたそうです。

それは紀元前のことでした。

そしてアリストテレスは心は躍動的な心臓が
つくり出しているものと考えていたそうです。

心というものは実際、臭いも、音も、色も、
形もないし、あるということさえ分かっていれば

そう考えても不思議じゃありませんね。

今でもよく胸にハートマークを描いたり、
胸に手を当てて考えてみなさいと
使われるのは、心の所在地=心臓、と考えた

アリストテレスの名残なのかもしれないですね。

そう思うとアリストテレスさんに
親近感が沸いてきます。

下記は両者の基本的な考えです。↓
プラトン

人は生まれたときから人としての
能力を身につけて生まれてくる

アリストテレス

人は生まれた時は白紙、学習と経験に
よって人としての能力を獲得する



とここまでは順調に霊魂研究もはかどっていたのですが

この後キリスト教御用達の天動説のように

人の心の有り様も

みな神様のおかげとなりました


しかし、神様が考えてくれているので自分は考えるのを
やめて楽しようと思う人ばかりではなかったみたいです。

天動説の矛盾を見つけたコペルニクス

次に続くガリレオ・ガリレイ

最後にトドメを刺したアイザック・ニュートン


ともかく

17世紀自然科学の勃興の波に心の世界も

影響を受けてゆくことになります。

そしてロックやヒューム、哲学者で数学者のデカルト
(高校の数学を難解にしてくれた功労者の一人)

実験と観察で実験心理学の扉を開いたヴント
(1832--1920年)当時にしてはとても

長生きされた方々御一行様を経てようやく

本日の真打、オーストリアの精神科医フロイト
ベラックさんの登場となります。


フロイトさんもとても長生きされたそうで
(1856-1939) なによりです。

フロイトさんと言えばお医者さん出身で
ヒステリーなどの治療研究をしていたとか、また

人の心には意識しているものの他に普段は意識しない

無意識の存在を見いだした凄い人です。

他、乳幼児は口唇愛期から肛門愛期・・

段階を経て成長してゆくと言えばこの方の弁です。


フロイトさんは毎日医療現場で心を病んだ人達を
診ているうちにもっとも強いエネルギーを持った

感情を「愛情と憎しみ」と考えました。

一見正反対のようですが、じつはこの感情
表裏一体、コインのうら表のように一対をなして
いるのです。


事実あれだけ愛していたのに
どちらかの裏切りにより狂ったように
相手を憎しみ攻撃するようになる。

このようなスキャンダルや週刊誌ネタは
枚挙にいとまがありません。


愛情が深ければ深いほど憎しみの
ネガティブな感情も深くなるのです。


そこでほとんどの人はそのバランスを
無意識のうちにとろうとします。

そのような心の葛藤を精神科医のベラックが

心の中に同居している愛情と憎しみ
を説明するのに

この話いいんじゃないかと

ショーペンハウアの寓話を引き合いにだし
「ヤマアラシのジレンマ」と名付けました。

ではヤマアラシのジレンマとは
どんな話でしょうか。

手短に。

寒い寒い山の中に二匹のヤマアラシがいました。

二匹は離れていると寒くて死にそうになるので
近づいて温め合おうとします。

しかし近づきすぎると互いの体の針が刺さり
痛いので、また離れます

今度は離れすぎるとまた
寒くて死にそうになる。

そんなことを繰り返しているうちに

針がささらなくて適度に温かい距離を
見つけてゆきます。

よかったね。


思春期からの周囲との関係もこの葛藤と
試行錯誤をくりかえしながら

適度な距離を見つけ大人になって
ゆきます。

現在ではこの愛情と憎しみの心の話は
人間関係全般に引き合いにだされ
紹介されています。


ここまで読んでくださった方へ

「ほんとうにありがとうございました」

こんな堅苦しい話がなんの役にたつんだ

時間の無駄だと思われるかもしれません

でも最近マスコミでも心理のコメンテイター

も増えてきました。

それはAIでも手におえない心の不思議が

いまでも顕在化するからでしょう

できれば無用の用とお思いください。

そして今でも続々とレポートが
提出されているところをみれば

心の研究はまだまだこれからの
分野でもあるとおもいます。


ときに間違ったこと記述しているかも

しれませんがその時はバカな奴

だと笑って許してやってください。

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