「とらいあんぐるハート」より
『月 光』
作者:武陵桃源

 
 私立風芽丘高校。
 自由な校風とバリエーション豊かな制服、スポーツの強豪校と
して知られている高校だ。

 この高校には旧校舎が残っている。
 木製の校舎。近く取り壊しが決まっている校舎。
 使用されていない、滅多に使用されない、そんな教材がここに
は集められている。

 そこに滅多に人が入ることはない。
 普段から薄気味悪い雰囲気があるのだが今は夜、尚のこと人
の気配はない。

 古い教室。

 銀の影が窓辺に浮かぶ。

 古い教室。

 月の光が窓から入り教室の半分を照らし出す。

 古い教室。

 色々な学校用具が詰め込まれた教室。

 
 満月。


 冷たい冷気の中、凛と引き締まった銀の光が照らし出す教室。
 動く影も無く、生きている影も無い。
 その教室にある物は、時の経過と共に忘れさられたものばか
り。
 月光に照らされ、静寂が空間を支配している。
 そんな中、ゆらりと一つの影が浮かぶ。
 そう唐突に…

 髪の長い少女の姿。


 彼女の名は「春原七瀬」
 もう長いこと幽霊をやっている。
 この校舎に取り憑いている『自縛』霊だ。
 彼女もまた、この教室にあるもの同様に忘れさられた存在な
のだろうか?

「暇ね……」
 どこか寂しげな横顔。
 教室を照らし出す月を見てぽつりと七瀬は呟いた。

 七瀬はふと昼にこの旧校舎に現れた少年のことを思い出し、
笑みをもらした。
 名前は知っている。
 よく一緒にいる、のっぽの女の子とちっちゃい女の子から「真
一郎」と呼ばれているのを聞いているからだ。
 実際のところ彼の顔だけはもうずいぶん前から知っている。
あの女顔だ、中々忘れられようも無い。
「面白そうな子だよね……」
 古い机に座り足をぶらぶらとさせている。
 もう一度、月を見上げる。
 たいして変化の無い毎日に久しく訪れた変化の時。


 すっ、と机から降りる。
 踊るような足取り。
 教室を出て廊下へ。
 行き先は……
 月夜の晩に彼女のお気に入りの場所。

 階段の最後の段を上る。

 目の前に扉。

 手を触れずして扉が静かに開く。

 月の光があふれている。

 月光のステージ。

 屋上は月の光に包まれている。

 久しく感じていなかった感覚がある、そんなことを七瀬は思っ
ていた。

 屋上の端まで行き、ふわりと舞う様に手すりに腰をかける。

 そう、生きていた頃に感じていたような感覚。
 いや、生きていた頃に感じたことがあったのだろうか?
 七瀬は軽く首を振り、生きていようと死んでいようと関係のな
いことだと思った。
 自分はまだここに存在しているのだから。
 自らの意思、心、思い、そういったものがまだ自分にはある
のだから。

 月に手をかざす。

 時がその手から零れ落ちるような錯覚を覚える。

 自分はこれからどうなるのだろう?
 どうしたいのだろう?
 いつか来る、そう先ではないその時に、自分はどうなるのだ
ろう?

 精一杯ここにありたい、と思う。
「ちょっとらしくないかな」微笑みながら手を下ろす。

 月の光は何も語らない。


 そして、二十日ばかりの物語は始まった。



【おわり】

武陵よりちょいと一言:
「とらハ」から春原七瀬さんでした。
このひと「とらハ」の中では一番お気に入りのキャラ。
こういう性格の人は好きかも……


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