「痕」より
「縁側の猫」
                                   作者:武陵桃源





 6月の初頭。
 春はもう過ぎ去り、夏の初めというにもまだ早く、梅雨にもまだ今年は入っ
ていない、そんな中途半端なこの時期。
たしかに暑い日もあるがまだまだすごしやすい。そんなとある平日の午後。
 暖かな日の光を受ける柏木家の縁側に一匹の猫がいる。


 微風が心地よく吹いている。


 たま。この猫はそう呼ばれている。
 たまは柏木家の家族の一員。柏木の血を引かない唯一の住人でもある。
 ここ暫くはとある事情も重なって姿を消していたのだが、どうやらようやく
顔を出す気になったらしい。
 その事情を考えれば二度と姿を現さなくともおかしい事では無い。
 事件が発生したのだ。
 柏木家の住人であれば絶対に忌避すべき出来事がたまの身に降り注い
だ。
 その日の夕食。
 特別な料理が出された。
 豪華といえば豪華な料理。
 柏木家の家長自らの手料理。

 柏木家の長女、千鶴の料理。

 いくら食材だったものでも、食べられなくなったものは食べられない。それ
が調理したての料理でもだ。
 たまは怪しげな料理の披見体として、不名誉、不幸にも選ばれ生死の境
をさまよい、柏木家の四姉妹が気がついた時には姿を消していた。死亡説
すら流れたくらいだ。
 何にせよ、たまは家に戻り平和な時間を満喫していた。尋常ではない生
命力だ。


 背を伸ばし、あくび。その後に毛繕い。気分良さそげ身を丸め尻尾をぱた、
ぱた、とゆっくりとゆらす。ときおり前足でひげを整える。
 あくまでその姿は優雅でいて怠惰だ。


 風がゆるゆると吹いている。


 ふいに顔を上げ廊下の奥、玄関につづく通路をはたと見上げる。
 動きが止まる。
 玄関のほうから戸を開ける音がする。
 小さく「……」なにか声がした。
 閉じる音がそのすぐ後にする。

 停滞したような時間。
 微風がさらりと流れていく。

 毛繕いを再開。
 
 暫くの時間の経過。

 縁側に木目細やかな日本人形を思わせる少女が現れる。柏木家の三女、
楓。
 彼女が現れるとたまはその足に擦り寄り一声「にゃー」甘えるように鳴く。
 楓の顔に少しの微笑み。すっとしゃがみ、たまの頭を撫でる。
 ごろごろ、と気持ち良さげにのどを鳴らす。


 そんなことを暫く続けていると玄関のほうから元気の良い「ただいまっ」と
いう声がする。
 楓が立ち上がり玄関に向かう。
 名残惜しそうなたま。


 廊下の奥から話し声。たまもその声に耳をたてている。
「お帰りなさい、梓姉さん」
「おう、ただいま楓」
 柏木家次女、梓が学校から帰ってきたらしい。
 がさがさとビニール袋の音。今晩の食材だろうか?
「なんか嬉しそうだな、学校でなんかあったのか?」
 二人が姿を見せる。
 ふるふる、と顔をふる。
 楓が目配せで廊下の奥の方を見る。
 とことこ、とたまが二人のほうへ歩いていく。
「おっ。たまじゃないか」
 スーパーのビニール袋と鞄を脇に置く。
「おいでおいで」たまが近づいてくる。
 よいしょっと抱き上げる。
「おー、元気にしてたか」
「にゃー」
「ひどい目にあったからな」
「にゃー」
 そんな光景をみて微笑む楓。
 やや暫くそんな会話が続く。
 
 そのころ鶴来屋では…
「くしゅんっ。風邪かしら?」
 千鶴が会長室でくしゃみをしていた。


「おーし。今日は美味いものを食べさせてやるからなっ」
 楓にたまを渡す。
「にゃー」
 おうよ、たのんだ。と言っているかのようなたま。
「…手伝う」
「いや、楓はたまと遊んでやんな。楓に一番懐いてるんだからさっ」
 たまを床に放そうとする楓に笑顔で答える梓。
 ちょっと困った顔の楓。
「にゃー」
 そうだそうだ、と言わんばかりのたまの声。
「ほらほら、たまも遊んでくれって言ってるし」
 楓の腕の中のたまの頭を撫でる。
「初音ももう帰ってくるだろうし、ねっ」
 たまの顔を見る楓。期待した顔で見つめ返すたま。
「わかった。…ごめん、梓姉さん」
 ビニール袋を手に持つ梓。笑顔で楓を見て。
「気にしない気にしない。そいじゃ、夕飯の用意をするカニ」
「にゃー」
 がんばれよー、といた風のたまであった。
「頑張るカニ」と食材を置きに台所へと向かっていった。


 時間がまたすこし過ぎ、夕刻。

 台所からは柏木家四女、初音の声と梓の声がし、夕食の良い匂いがし
始める。
「たま、帰ってきてよかったね。梓お姉ちゃん」と初音。
「ああ。千鶴姉にも今度はきちっと言っとかないとね。おし、そっちの鍋、塩
コショウを入れて」てきぱきと指示をだす梓。
「そろそろ千鶴姉、帰ってくるころだね」
「そうだね。もうそろそろだね」
 そんな会話をしつつ夕食の仕上げをしている二人。

 縁側では…
 一人と一匹が安らかな寝息をたていた。
 楓は柱に寄りかかり、たまは楓の膝の上で丸くなっている。
 
 
 心地よい風が安らかな寝顔をやさしく撫でていく。

「…耕一さん…」
 微笑みがその顔に浮かぶ。どうやら幸せな夢を見ているらしい。
 膝の上でたまが身じろぐ。

 玄関から「ただいま」と声がする。
 ぱたぱたと歩いていく初音。その際に楓とたまを見て「ふふっ」と笑い玄関
に向かう。
「お帰りなさい。千鶴お姉ちゃん」
「ただいま。初音」
 次第に二人が楓とたまのいる方へ近づいていく。
 台所から梓も出てくる。
「ありゃ、楓ってば寝ちゃってる」
「気持ちよさそうなところ起こすのは可哀想だけど、もうご飯だしね」
 梓と初音の言葉の脇でニコニコと笑う千鶴。
「あら、たまじゃない」
 初めてたまに気がつく。
「もう変なもの食べさせたらダメだからねっ、千鶴姉」
 釘をさっそく刺す梓。 「あれは、たまたまたまの調子が……」
 ばつが悪そうに言い訳をする千鶴。
「まぁまぁ二人とも」
 苦笑いで仲裁をする初音。

 風が流れ始める。

「……あれ…わたし…」
 目を覚ます楓、と同時にたまも目を覚ます
「さあ、楓ご飯にするぜっ」梓が笑い。
「楓お姉ちゃん」初音が笑い。
「ご飯にしましょう、楓」千鶴が笑う。
「うん」楓が笑う。
「にゃー」とたまも返事。

 幸せな風が吹き始め、穏やかな空間が広がっている。
「にゃー」
 縁側の一匹の猫を中心に……。



 
【おわり】

武陵よりちょいと一言:
第二作目は「痕」でした。
たぶん「たま」の設定がすこしずれていると思います(汗)
うまく四姉妹を書き分けられればいいのですが……
精進あるのみです。


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