針の木岳から爺ヶ岳

日  時;2001年12月30日〜2002年1月2日
メンバー;中西・高橋(真)・小池・中村・長谷川・柳下・宮内

急行アルプスで信濃大町へ向う。待ち合わせ場所のキオスクでビールを買おうと思ったらしまっている。
柳下くんと買いに行く。北口の方へ行ったがコンビニ無。仕方ないので南口の方へ行き、バス通りへ出るとあった。走る。登山靴で走るとは夢にも思わなかった。今回の合宿で、ある意味一番疲れた。

1日目
昨年の青空とは違って、どんよりとした中、ゲートに靴などの荷物をデポして出発。同じ道を快適に歩く。暑くも寒くも無。扇沢から雪道を行く。初めはツボ足で、途中からワカンを付けて歩く。大沢小屋の1時間くらい手前のところで降りてくるグループと会い、「2200mまでトレースありますよ」とのこと。「良かった良かった。」この時点で予定より1時間半遅れているはず、トレースがあれば、尾根上に天幕が張れると思った。取付地点にはテントが一張りあり、下山者だろうか。中では酒盛りをしていた感じだった。樹林帯の中を一歩一歩進め、1900m付近に着く。テントの張れる空間があり、幕営をする。
小雪舞い、風もある。
テントの中に入って水を作っても、中は寒々とした空気が漂っていた。夜、小池さんのIモードで大町は晴れの予報。明日は、テントを置いて、行けるところまで上を目指すことになり、就寝。夜半も雪と風は続き、端で寝ていた自分は、何となく雪に圧されて感じがしていたが外に出る気にもならずシュラフの中で踏ん張っていた。

2日目
風はあるが、雪は降ってなく雲も薄明るい。しかし昨日まであったトレースは無く。最初からラッセルとなる。交代で行なうが、ラッセルしないときは寒く、手の先がすぐ冷たくなり、ラッセルすると熱を持つの繰り返し。先へ進むためのラッセルではなく、体を温める為にラッセルする感じになり、針が進んでも景色変わらず。変わるは短針の位置のみ。それでも所々青空が出てきて、稜線も見えてくる。振返ると爺ヶ岳の南尾根が見えている。雲の流れは早く、好天は長く続かない模様。2206m付近に到着したのは、出発から6時間後、標高差300mを登った。時間当たり50mである。先は長かった。目の前にある稜線は、手の届かない所にあった。下りは、約20分。天幕到着後、中村さんは小池さん指導の下、ラッセルの練習。
>今日の行動において、白毛門ですぐ疲れたラッセルも、今回はなかった。しかし、ラッセルをしたというより雪の中でもがいていただけだった。技術がないのだろうか?
夜、月が出ていた。朧月夜だった。美しかったが、「山にいるな」言っているようにも見えた。
遠見尾根にいた服巻パーティーは、「明日五龍アタックか下山か思案中」、と長谷川さんが言っていた。
我がパーティーは、下山。

3日目
下山日。朝、西の空に月が出ていた。雲は重く高く。稜線の向こうに広がっていた。朝食、おいしく雑煮を頂き、出発。大沢小屋付近までトレースは消えていて、高橋(真)・小池先行で降りて行く。あっという間に小屋到着。この先から最後までトレース有りと思ったが、途中から無かった。登り斜面を中村さんがラッセル。自分が言うのも何ですが、練習の成果が出てましたよ。見習おうと思いました。この先、トレースが出てきて扇沢まで自分が先頭。ついつい歩きが速くなってしまう。「後ろと離れすぎ」と高橋(真)に注意を受けました。以後、気を付けます。
扇沢でタクシーの連絡をし、ゲートへ。長谷川さんの軽やかな歩きに続き、それぞれの思いのままに歩く。小雪舞う中、所々凍結した車道を歩く。服巻パーティーも下山したようで、布田・源水の両名は、帰浜。服巻・倉林は合流して、宿泊して翌日帰ることになった。大町駅近くの七倉荘に宿泊。乾燥室に濡れたもの。部屋に荷物を置き、ふと見ると休息コーナーのテーブルに一升瓶がある。「ご自由にどうぞ」とある。小池さんに「ありますよ」と言うと、疲れた顔が笑顔に変わりました。

みんなで飲んでいると、服巻パーティーも到着。みんな真っ黒。布田・源水は、入浴して帰浜とになる。
8割ほどあった信濃錦は、空になり。続いて出た黒部を半分空けてお開きになった。
皆さん良く飲みましたね!
夕方、竈神社へ初詣。四十五円お賽銭した。「始終ご縁があるように」となるそうな。と、長谷川さんがお話になりました。私、男であるゆえ、女性にご縁があればそれに越したことがないが、山ともご縁があってほしいとおもう。そうお願いした。母なる海と言うが、雪山は女性でしょう。遠くから見る白き肌は美しく。故に行くのだが、なかなか微笑んでくれない。今回の合宿のように。
山と女性は、同性なのだ。新年早々、両方を望むのは贅沢だろうか。
夕食後、部屋に集まり懇親かつ反省会。それぞれ、笑いと反省を言った。
今回の合宿で、何回か、中西さんは「会の実力ではここまでかなと言い」小池さんは、「完登できる山行に行こうと言った」・・

干支に関する言葉。
北鎌倉にある建長寺の開山・大覚禅師法語の一節
(法語は、毎年11月初めにある宝物風入れのとき、方丈で見ることが出来ます)
「鞭影ヲ見テ後ニ行クハ即チ良馬ニ非ラズ訓示ヲ待テ志ヲ発スルハ実ニ好僧に非ラズ」
意訳すると
「鞭を見てからのちに、走り出すのは良馬とは言えない。そのように、人の訓示を聴いてのちに、 志を立てるようでは、立派な人間とは言えない」

その夜、七倉荘での小池さん、服巻さん、中西さんが話していたことに通ずるかなと思います。
1.小池さんの「自ら進んで教えない。付いて来ようとする人には、それなりに教える。」
2.服巻さんの「色々な疑問を投げかける人が少ない。教えるだけの一方通行。」
3.中西さんの「事前に調べて今回の合宿に参加する人がいなかった。仲良し山行になってしまった。」

自宅に着いて、洗濯しテントを乾かしながら思ったことです。
昨年の合宿で「目標は?」と言われ、「沢登りに多く参加する」と言いましたが、結果は前半に4本行っただけです。
その夜、「今年は目標を立てない」と言った記憶があります。ほんとうは違います。会に入ったのは、岳連の登山教室で教わったのがきっかけです。実は、登山教室には平成7年にも一度だけ、沢の教室に参加したことがあります。その時も講師に小池さんがいました。雰囲気は今と少し違っていました。参加人数も30人以上いて、講師以下参加者たちの話は、その時、山岳会に興味を持ち始めていた自分には、敷居が高かったような気がしました。初級教室なのに場数を踏んでいる参加者ばかりで、気後れしてしまいました。山岳会に所属している人もいた感じでした。
自分の山歩きと山岳会の山とは、世界が違うのかなと感じてしまいました。
回り道をして、今ここにいます。
昨年の4本しか行けなかった沢は、自分にプラスになりました。葛葉川本谷・鶏冠谷右俣・キュウハ沢に大常木沢。1本目より2本目・3本目の方が周りも見えてきた感じで、特に大常木では、滝を登ったあとのロープ回収。ロープを回収しながら巻道を歩く、他人から見れば大したことではないかもしれませんが大きなことでした。何であれ着いて行くだけ沢から、小さくとも一歩進めような気がしたからです。
何週連続で山に行ったと言う話は、自分にとって羨望であり嫉妬でもあります。
目標は、うまくなること。その為に、月に一度でいいから雪山・岩トレ・沢に参加したい。技術という石を少しずつ積み上げて、世界を広げ、山頂に立ちたい。何年かかっても。
山岳会に入って、知らない世界へ行きたい。技術を身に付けて行きたい。そう思って、入会申し込みのはがきを書いた初心に帰って、今年も今後も会の一員としてがんばりたい。
あと、口下手が少しでも直ればと思う。

コース及びタイム
12月30日
日向山ゲート6:30→扇沢9:10、9:40→大沢小屋付近尾根取付12:30→1900m付近14:30
行動時間;約8時間

12月31日
天幕場7:30→2206m付近13:30、13:45→天幕場14:05
行動時間;約6時間半

1月1日
天幕場7:30→大沢小屋付近8:15→扇沢10:30→日向山ゲート12:05〜12:20
行動時間;約4時間半から5時間