骨折日記

2002年9月22日
 北岳バットレス中央稜にて落石骨折。
 駒ヶ根市にある伊南総合病院に入院。
 夜、傷口の洗浄及び縫合手術。

9月23日。
服巻さんや両親が来たが話しをすると気分が悪くなった。あまり心配かけてもいけないと思い、無理をすると反動が大きい。向こうの山岳会の会長・副会長さんがきた。パーティーのふたりは、藤原さんと田中さんという名前。(毎週お見舞いに来てくれた)

9月29日。
源水さんたちや長谷川さんなどが見舞い。嬉しかったが話しをすると疲れが体中に廻る感じ。本を借りたが読むと頭が痛い。20分程度しか読めない。体温も急上昇した。寝ていると事故の瞬間及び状況を思い出す。(何故だか嫌な気分がしない)

10月1日。
骨の接合手術。全身麻酔で目が覚めたら終わっていた。終了時間が14時頃。手術後は、ボーとしていて親と何を話したか覚えていない。救急救命センターで翌朝まで過ごす。し〜とした広くて静かな部屋。ここから長い1日が始まった。あまり眠くないし、絶飲食なので何も口にできない。本もない。定期的に点滴を替え、体温測定と血圧測定がある。胸には心電図。口には酸素吸入器を付けていなければいけない。ただ寝ているだけ。麻酔のせいで寝返りもうてない。夜になっても静かすぎて目がランラン。夜中になると上半身を起こして休んだり、(たしか、起こすと頭に麻酔が廻って痛くなると言われた)独り言の多い面白い看護婦さんと話ししたりして、時間を潰した。(ほんとうはいけないかな・・)

10月2日。
午前10時半。医師の許可が下りて、やっとお茶を口に出来た。ぬるかったが美味しく感じて御代わりをした。太陽の光が射し込み、心地よい。窓の外には「北岳が見えるよ」と言われたが起きて見ようとは思わなかった。病棟に戻る。ホッとした。食事も美味しい。

10月4日。
リハビリが始まった。が、全然動かない。「えっ」と思った。10日ほど寝たきりで、こんなにも筋力が落ちるとは夢にも思わなかったからである。貧血も収まらない。薬を使用する。妊婦さんが出産後に飲んだりする薬らしい。看護婦さんも「飲んだことあるよ」と言っていた。機械で膝を曲げる運動がメイン。中々自力で曲がらない。夜は少し寝返りができるようになったが足腰が痛い。眠れない。1日1〜2時間ほどの睡眠。看護婦さんが座薬や睡眠薬を使用するかと聞くが断る。薬に頼るのはキライ。市販の薬でさえあまり使いたくない。効きすぎるのである。処方してもらうなら小児用にしてもらわなければダメだと言った。以降、薬のことはあまり言わなくなった。しかし寝不足は、いらいらとストレスを溜める。退院するまで腹の不調があり、2回ほど食欲減退。

10月6日。
源水さん、倉林君、長谷川さん、山田さん、伊沢さんに杉浦さんが来た。この頃になると話しをしても辛くない。ベットの周りで、山田さんが「顔の前で両腕の肘をつけて、目の高さまで上げられると若い証拠なんだよ!」とか言うと、みんながやり始める。なんか見ていると得体の知れない新興宗教のポーズに見えた。ちなみに自分は出来る。(やったね!まだまだ若いのだ!)

10月9日。
尿道から管が外された。外すのも痛かった。

10月10日。
今日からリハビリテーション科でリハビリ開始。気分転換になる。

10月12日。
松葉杖を使って歩けるようになる。嬉しかった。下の世話をしてもらわなくてよくなった。自分で用を足せるのは幸せなことだ。体重は8 Kg減っていた。ただ、5分くらいしか立っていられない。(貧血を起こしてしまう)

10月13日。
自分でシャワーに入る。3週間ぶりだ!毎日、暖かいタオルで身体を拭いているのに、すごい垢がでた。非常にスッキリした。鏡に写った自分の裸を見ると病人の身体という感じ。未だに右足は別人。
同日、中村さんが見舞いに来た。連れがいると言う。馬籠へ遊び行く途中で運転をお願いしているとのこと。てっきり女友達かと思った。帰り際、その人を見る・・男だ!何時の間に彼氏が・・驚いて、きちんと挨拶できなかった。中村さんは本を持ってきてくれた。中々面白い本ばかり、充実したベット上の生活ができた。

10月14日。
倉林君と中田さんがお見舞い。熊のぬいぐるみを戴く。中村さんの話しをすると倉林君が興奮していた。久々の明るい話題と・・

10月19日。
この頃になると廊下を10往復くらい出来るようになる。約1Km。額や上半身から汗をかく。非常に心地よい。清々しくなる。生きている喜びがある。
窓から南アルプスが見える。青空に映える仙丈に北岳、間ノ岳と塩見岳が見えた。南部の山山も見える。紅葉が美しい。雪を被って夕日があたった姿も見ほれてしまう。つくづく自分は山が好きなんだなあと思った。
外へ散歩に出てみる。歩道と車道を歩いてみる。病院の廊下と違って微妙なうねりがある。結構難しい。でもひんやりとした空気は気持ち良いし、退院に一歩近づいた感じ。(振り返ってみると、パジャマで外をうろつくのは結構変な人だったかもしれない・・)

10月も後半になると、機械で膝を曲げる運動も楽になってきた。看護婦さんと話す余裕も少し出てきた。若い看護婦さんは「曲げるのって大変だよね〜」と言って足を上げて、膝を目の前で曲げてみせる。太股を露わに見せてくれる。結構無頓着。
(太股を見せるのは何ともないのかな?)

10月26日。
服巻さんと長谷川さん、小嶋さんが広沢寺岩トレ中止で見舞いに来た。外へソフトクリームを食べに行った。許可を貰わずに外出したので注意された。久しぶりですごく美味しかった。

10月29日。
階段上り下りの練習。地下から屋上まで1往復した。汗をダラダラかく。この日からEVを使わなくなった。階の移動は階段で・・

10月31日。
すっきりとして退院したかったから、夕方、散髪に行く。行きは松葉杖で行き、帰りは店の奥さんが送ってくれた。詰め所に報告しに寄ると看護婦さんのうち何人かが、好青年に見とれていた。(勘違いにもほどがあるよ!)

11月1日。
115度程曲がるようになっていた。「11月中にまた来るからね!」「顔を覚えておいてよ!」と看護婦さんに言うと「忘れないよ」と言った。(ほんとうかな?)どうやら入院中にずいぶん話題を提供してらしい?(CPMによる膝曲げや自主トレ、2回の食欲減退事件などなど)(喜怒哀楽がはっきりしているからか?)

雨の中、「入院は2度といやだ!」という気持ちを抱いて帰浜。途中で高遠の“さくらの湯”に入った。温泉は気持ちいい。

11月2〜4日。
実家で過ごす。食事とかは楽だが、何だか落ち着かない。

11月5日。
鎌倉に戻る。懐かしい空気。湘南鎌倉病院へ通院するようになると筋力トレが主となり、曲げる角度を増やそうとはしない。無理すると骨折した部分の筋肉の硬い所がよけいに硬くなるらしい。骨折近くの筋肉に骨の再石灰化がある。それによって稼動範囲が狭まる可能性があると言われた。避けられる可能性もある。半々位。12月の整形の診察で方向性が判るようである。筋トレは筋肉痛を起こす。毎日筋肉痛と向き合わなければならない。入院中も足がだるかったり軽い筋肉痛を起こしていたが、身の回りのことをあまりしなくて良かった。これからは自分で何もかもしなければいけない。意外と食欲が湧かない。駅まで思ったより速く歩けた。1.3Km位を30分以内で行ける。

11月6日。
例会に顔を出す。みんなの顔を見られてよかった。帰り、恒例の飲み会に参加。46日ぶりにビールを飲む。最初の一口は言葉に出来ない。

11月9日。
中西さん宅へ遊びに行く。新川崎の新居!14時頃から20時半頃までお邪魔した。奥さんに初めて会った。和恵さんと言っていた。可愛いいらしい方でお似合いであった。長谷川さんと年末年始に天城山に行こうかという話しがでる。ちょっと気が早いかも知れないが、それに向けて「頑張ろうかな?」思った。帰り、新川崎の駅階段を降りている時、電車に乗ろうと急いでいたら、松葉杖を引っ掻け転びそうになった。右足で踏ん張れたので落ちなかった。(火事場の馬鹿力か、よく踏ん張れた)しかし、「山は無理かな?」と思った。知らない女の人に叫び声を出させてしまった。

今のアパートでは生活しづらいので、引越しの準備をするが、思うように身体を動かせないので苦労する。正座できないのがつらい。こんなにも荷物があるのかと驚く。本だけでダンボール25箱くらい。ほかにも・・(部屋も決まらない)

雨の日はリハビリに行けない。1日家にいることになる。自主トレをしたりするが、身に入らない。全体的に右足の筋肉が痩せている。筋肉が戻るのは大変らしい。駒ヶ根で、お尻と脹脛の筋肉は落ちやすく付きやすいと言っていたのを思い出す。足を伸ばす筋力が復活しない。復活しないと歩きに支障が出る。当然、山なんかには行けない。中々、目に見える変化がない。ほんとうに直るのだろうか?山に復帰できるのだろうか?

11月某日。
NHKで黒木投手の特集をしていた。肩の筋肉を傷めて、1年4ヶ月も実戦から離れているらしい。あんなに努力しても中々復帰できない。頑張る姿に励まされたが、自分はどのくらいの期間かかるのだろうか・・とてもじゃないが年末の天城山は無理か・・来春のハイキングや沢歩きも無理か・・

11月某日。
及川さんから「輪かんを貸してくれ」とメール。会山行の八方尾根に参加だそうだ。「いいな」と思ったが口にしてはいけない。

11月16日。
右足の腫れが退いてきているような気がする。膝上の筋力は未だ復活せず。右足を真っ直ぐ伸ばせない。膝上をパックリ開くケガをした影響が大きい。この頃、右足がだるくなりやすい。

11月17日。
TBSのZONEという番組を見た。石毛投手の戦力外通告からテスト入団(阪神)までを追った番組だった。最後には入団できたのだが、こういう番組を見て頑張ろうしている自分がいた。

11月18日。
天気が良い。快晴。昨日の天気が悪かったのでよけいにそう感じるのか?太陽が無いと右足に違和感がある。冷え性になってしまったみたいだ。前向きでいない自分がいる。柳下君からメール。未だに握力が戻っていないとのこと。

11月20日。
車を退院後初めて運転する。思ったより足がスムーズに動いた。行動範囲が広がる。右足に荷重をかけやすくなってきた。早く片松葉になりたい。心機一転。成せば成るという気持ちでいっぱい。諦めずにいればいつか報われる。

時々(夜になると)「よく生きていたなあ」と思う。「あの石で当たり所が悪かったら、今ここにはいないだろうなあ」と振り返る。今でも落ちてくる石の重量感や空気を切る音を肌で感じられる。上半身に当たっていれば・・を考えるだけでゾクゾクする。震えが止まらない。「ほんとに生きているんだ!」

11月25日。
34回目の誕生日。迎えられて良かった。

「あ〜何時になったら忘れられるだろうか?」
「何時だろうか?」
「岩や沢での滝登りを克服できた時だろうか?」
「その日は来るのだろうか?」
やってくるのだろうか?」
「元の身体に完全には戻らない。解っているけれど戻らない」
「また、山に行けるのだろうか?」
「ハイキングは?」
「縦走は?」
「岩は?」
「沢は?」
「雪は?」

自問自答する。そこに答えはない・・

12月21日
雪の天城山に登る。(ダブルストックで登れた)(リハビリの先生に話したら驚かれた)

2003年1月11日
松葉杖が取れる。

1月15日
 安部奥の八紘嶺に雪山登山。登りは良いが下りが辛い。(膝が笑う)

1月16日
 クライミングジムJウォールに行く。右足に力が入らないのでスラブはまったく登れない。
(5.8と5.9だけ)(その後、毎週木曜日に通う)