オーストラリア
タスマニア島Mt.CRADLE登山とメルボルン市内観光

4月11日から27日までオーストラリアへ旅行に行った。ついでに手頃な山にでも登ろうと思い、候補に挙がったのがクレイドル山である。標高は1545mである。日帰りで行ける山である。縦走できるコースもあるが、相方が「体力に不安がある」と言って却下された。

11日夜
成田空港からメルボルンへ飛行機で向かう。時間には余裕があったので難なく乗り込めるだろうと思い、ぶらぶらとしていたらアナウンスが無く「おかしい」と再確認してみると搭乗口C86をC83と勘違いしていて、出発時間1分前に飛び込むこととなった。空港で走るとは夢にも思わなかった。我々が最後の搭乗であった。先行きに不安を感じさせる出発であった。

12日(曇り)
空港からバスで市内へ。ザックを背負いながら市内をあちこち散策した。(20km以上)そのため、相方は潤む。(疲れて・・)市内を流れるヤラ川で一息ついてから行った場所はフィッツロイ公園。戻ってきたあと市内ではカトマンズという山道具屋。着いた日は休日で午前中は人の動きがまったくなく、がらんとした市内だった。午後になるとどこから溢れてきたのかいうくらいの人人だった。その中大きなザックを背負った二人は異質であった。後日市内を歩いていたら、ザックを預けられる大きなロッカーがフリンダース駅にあった。相方からは“苦しい思いさせて・・コノヤロウ”というような目で見られた。昼はフィッツロイ公園のカフェでフィッシュ&チップスとチキンサンドを食べた。量が多く一皿ずつで十分だった。(24A$)夕方、コップを日本から持ってきていなかったので山道具屋で買った。2つで23A$。休日セールで50%引きであった。市内からフェリー乗り場まで歩くことにする。3kmほどの道のりと思ったが4km以上あった。最後の方では、相方はグロッキーになりつつあった。途中、港近くの住宅街に住む人が犬を散歩。じゃれてきて、それが気分転換なったようで最後まで頑張ってくれた。それが無かったらどうであったか・・

12日夜
ポートメルボルンから大型フェリーでタスマニア島のデボンポートと言う町へ向かった。このフェリーは非常に大きく部屋がどこにあるのか迷ってしまった。最後部から船に乗り込んだが船首のほうに部屋があったので分からなかった。ぐるぐる回ってしまった。部屋はコンパクトで中々良かった。船内の食堂で夕食1人当たり10A$。好きなだけ摂って、ゆったりと寝た。

13日(曇りのち小雨)
目覚めたら到着間近で、あたふたと部屋を出たら客は我々だけだった。港の近くでレンタカーを借り、クレンドル山近くのキャンプ場へ・・日本でマニュアル運転の練習をしてきたが、事故を起こさないようにと運転しているとオーストラリアのダンプ(大型トラックも)が飛ばしてくる。狭く曲がりくねった道の制限速度が100kmでその道を120〜130kmくらいのスピードで煽られたときは困りました。脇に止められる場所があったので譲る。食料の買出しのためシェフィールドという町に寄り、インフォメーションセンターが開くまで買ってきたサンドウィッチを車内で食べた。調べてみるとここは壁画の町ということだったので、ちょっと散策。昼過ぎにCRADLE MOUNTAIN VISITOR CENTREに到着。95kmほどの走行だった。生憎の雨だったが時間もあるのでDove Lake(ダボ湖)へ行ってみようかとなり、無料送迎バスに乗って、Dove Lake Car Parkへ向かう。この日はDove Lake(ダボ湖)の周囲の散策ルートを歩いた。2時間ほどのルートである。クレンドル山は雲に隠れていて見ることができなかった。木道で整備されていて歩きやすく老若男女が歩いていた。再び、VISITOR CENTREに戻って、キャンプ場へ・・場所ははす向かいであった。が、相方がバスに酔いダウン。キャンプ場は1泊25A$(1張)で2泊した。テントサイトまで車で入ることが出来て、空いている場所であれば好きなところに張ることができた。食事はキャンプキッチンで作って食べた。とてもきれいで電磁調理器や電気のバーベキューコンロにコンセントがあり、プロパンガスが置いてあり、流しはお湯が出て・・(利用した全てキャンプ場がそうであった)他の人たちは家からあらゆる電化製品などを持ち込んで調理していた。暖炉もあって暖かく過ごすことができた。トイレ棟にはシャワーが付いていて広く使いやすかった。全てテント代込みである。テントに戻るとポッサムという野生動物がうろついていた。他にも動物が潜んでいる気配が濃厚なキャンプ場であった。

14日(雨のち晴れのち雨)
クレンドル山に登る日である。起きたら雨だった。すぐには起きず8時頃に朝食を作りに行った。調理をしながらぼんやり外を見ているとカンガルーの仲間のPademelonがいて、思わず見入ってしまった。
9時10分のバスでダボ湖へ向かう。VISITOR CENTREで入山料3.5A$(1人)を支払う。前日は知らずにバスに乗って出掛けてしまった。地図は4.5A$だった。Car Parkを9時半に出発。昨日は見えなかったMt.CRADLEが見える。15分ほど昨日歩いた湖畔を歩き、OVERLAND TRACKを目指して登り始める。標高差200m程。歩きにくいところは無く10時過ぎにMarions Lookoutへ着く。青空ものぞいて気持ちよい風が吹き抜ける。相方も荷を背負っていないので足取りも軽そう?である。ここから先は木道が整備されているが、ほとんどが水没に近い状態だった。周りは湿原のようであった。KITCHEN HUTという避難小屋のそばで昼食。ここから岩がごろごろした斜面を歩く。ルートはポールが立っているだけで日本のように赤ペンキで懇切丁寧ではない。岩は乾いていれば問題ないが濡れていると滑りやすい。鎖やハシゴなどの補助もない。途中からは手足を使って登っていく。
登っていくとコル状のところに着く。ここで引き返す人が多いようである。というのも岩登りなどを少しでもかじっていれば問題ないが、経験がないとちょっと嫌らしいところが数箇所あった。自分にとっては非常に楽しめるルートであった。コルから少し下り再び登り返して山頂に12時25分に着いた。山頂に着くと周りは次第にガスが立ち込めてきた。山座同定は出来ず、記念撮影をして下山にかかる。湖やこれまで歩いてきたルートが見えるところでリンゴを食べながら小休憩。下山時には多くの登山者にすれ違った。中高年夫婦や若いカップルなど・・水だけを持って登っている人が多く手ぶらの人もいた。ある女性が“Go to Peak”と聞かれたので“Yes”というと親指立てて笑顔を返してくれた。帰りはFace Trackを通って、湖畔を歩いてCar Parkに戻った。途中で細かい雨が降ってきたがあまり気にならない。再び送迎バスに乗ってVISITOR CENTREへ戻った。昨日掲示板で見かけたウォンバットツアー(無料)に申し込もうと思ったら日時が昨日であった・・がっかり。夜になると空は満点の星空だった。食事を作る前にシャワーを浴びたのだが、相方の方は途中でお湯が水になってしまったらしく、ガタガタ震えて戻ってきた。色々なことが相方にのみ降りかかっていた。キャンプキッチンで料理を作りノンビリと過ごし、テントで寝ると雨。かなり強い雨だった。今日はコロコロと天気が変わった一日だった。

15日(雨のち晴れ)
今日はホバートへ移動する日である。名残惜しくもレンタカーで出発。天気は大雨だった。ジーハンという町で車内での行動食を買う。ビスケットが美味しく、この後毎日買っては食べていた。クイーンズタウンという町で燃料を補給した。この頃から青空が出てきた。
途中セントクレア湖に立ち寄る。Mt.CRADLEからここまで登山道が整備されていて、地図を見てみるとポイントポイントに避難小屋が整備されているようだ。ここでは1時間ほどの散策を楽しんだ。カモノハシの観察ポイントがあったのだが、カモノハシは朝と夕方しか行動しないらしく見ることは出来なかった。相方は見られるまで居たいと“だだ”をこねた。ビジターセンターへ戻る途中で湖の湖畔へ寄ったら、道のど真ん中にワラビーがいてびっくりしたらピョコンピョコンと草むらへ移動してしまった。ゆっくりしていたいが先は長いので車を走らせた。青空の下、風景は穏やかな丘陵地帯で非常に気持ちよかった。しかし丸く収まることはなくホバートの町に近づき、そこからキャンプ場へ向かうのだが場所が今ひとつ分からない。帰宅時間に遭遇したため車も多く、道路標識を見落としたり、逆に行ったり市内に戻ってしまったり、スーパーの駐車場に誘導されてしまったりとうろうろした。何とか日が暮れる前にキャンプ場にたどり着いた。キャンプ場のテント代は13A$だった(1張り)来る途中、自分がちゃんと“ナビ”してよと言うと地図でナビしていた相方は目を潤ます。テントを張り一息つくとお腹が空いた。間違えて入った“Coles”というスーパーへ買出しに行く。スーパーは大きく。物珍しくうろついて、色々買ってキャンプ場に戻った。が、ここでも簡単には戻れなかった。時間は夜。暗くてよく標識が分からなくて住宅街を走ったりして、行き15分帰りは30分かかった。でもホバート市内の夜景を見ることができたので“良し”とした。キャンプ場に戻ると空は満点の星空で南十字星や逆さになっているオリオン座などを見た。自分は疲れたのでシャワーに入らず寝てしまった。この日は508km走った。

16日(日中:晴れ、夜:雨のち星空)
キャンプ場を10時前にのんびりと出発。空は雲ひとつ無い青空。1時間半ほどホバート市内を散策。町並みは落ち着いていて自分好みだった。歩いている途中できれいな女性が居て、目を合わせてしまいちょっとどきどき。ここから80km離れているAirwolkという所へ向かう。インフォメーションで日本語のパンフレットをもらった。多くの人が訪れていた。高さ20mほどの高さを歩く。雲が出てきてしまったが気持ちよい時を過ごせた。Painwolkというところも歩いた。今日の泊まりはビジターセンターで目星を付けたところへ行ってみた。Srugという町にあるキャンプ場である。相方の英会話で無事利用することができた。(1張り16A$)海が目の前で潮の香りとささやきを聞きながら一晩を過ごした。家族連れとカップルが多かった。相方がシャワーを利用しに行ったあと土砂降りの雨が降る。戻ってこられないでは?と思うくらいの滞在中一番の雨だった。スコールのようにあがった後は、満点の星空だった。この日は200km走行。

17日(晴れ)
朝日がテントの中に差し込む。波の音がやさしい。ロマンチックな気分になれるかなと由美子を見上げると相変わらず・・・・であった。明日メルボルンへ向かうフェリーに乗るため、デボンポートまでの移動がある。8時過ぎに出発して、再びホバート市内へ向かう。2時間ほど時間をとって、港の方を歩いたり、喫茶店で寛いだりした。このあと交通量の少なくゆったりとした道を北へ向かう。北へ向かうにつれて黄葉がきれいだった。途中アルパカの牧場があったらしく相方は興奮していた。信号の無い一般道を110km以上のスピードで走らせるのは気持ちいいしまったく疲れない。途中ロンセントンという町へ寄る。調べてみるとタマリバークルーズというのがある。20分後に出航することが分かったので、その場所まで走る。が、数分もしないうちに相方・・アウト。早歩きに変えて行くが今度は受付場所が分からない。飲食店ばかり。ウロウロしていると端っこのほうにあった。60分のクルーズを楽しんだ。その後デボンポートへ向かう。市内までは問題なく到着。インフォメーションでキャンプ場の位置を探し、今晩の食料の買出しをしようとするが、ぱっと見てもスーパーがない。相方が見かけたというのでそちらのほうへ歩いて行くがない。またウロウロするが疲れが溜まっていたのだろうか足取りが重い。相方が再び潤みそうになる。マックで諦めようかと思ったその時、見慣れた“Coles”というスーパーがあった。思わず“やった”と声をあげてしまった。今晩も海の近くだった。タスマニア最後の日だからというわけでもないのだが、砂浜をのんびり歩いたりした。夕焼けがきれいだった。暗くなってからキャンプ場内を歩いていたらポッサムが居たのでびっくりしてしまった。

18日(晴れ)
タスマニア島を離れる日。ちょっとさびしい。テントを出るとカモメがたくさんいる。パンが余っていたのでちょっとあげてみるとたくさん集まってしまった。撤収してレンタカーを返しに行ったら、メーターを一言。「ファンタスティック」と言った。走行距離が1000km越えていたからだと思う。自分でもびっくりしていたから・・港に行くと船の入港が遅れているらしい。50分の遅れの9時50分に出発。島が遠く離れるまで最上階の船尾で島を眺めていた。入船時、財布には現金が5A$ほどしかなかった。“トラベラーズチェックかカードで買えばいいだろう”と思って、お菓子とジュースを買って食堂で本などを読んだりして寛いでいた。相方が“コーヒー”が飲みたいといって買いに行ったら「トラベラーチェックは使えない」と言われたらしい。が、よく理解していなかったようである。そのときにはコップにコーヒーを入れてしまっていて(セルフなので)途方にくれたらしい。すると「只で?いいから行きなさい」言われたと言って、只でコーヒーを飲んでしまった。コーヒーは2A$するのだが、「その程度のお金も持っていないのか?」と哀れんでくれたらしい。そのあと再度コーヒーをカードで買いに行ったら(今度は二人分)“カード”は「10A$以上でないと使えないとさっき言ったでしょ」とレジの人に言われたらしい。要注意人物としてレジ交代の人に教えていたらしい。結局余りお腹が空いていなかったが料理も買って食べることにした。メルボルンに到着してから、また大変だった。トラムを乗り継いでサウス・ヤラという地区へ行って、借りる予定のアパートメントはすぐに見つけることが出来たのだが、鍵を借りるオフィスが見つからない。疲れていたせいもあって、道の両側をきちんと見ずに歩いていた。目指す場所が無い。「おかしい・・」重いザックが肩に食い込む。自分は疲れてくるし相方ももう歩けないという顔をしている。荷物を投げ出したくなったころ、道の反対側にPowell st.40があった。オフィスの場所である。さっきから何度も行ったり来たりしたところである。どっと疲れがでた。ポストから鍵の入った封筒を取り出して、予約していた場所のアパートメントに向かう。近くになってふと封筒を開けてみた。なぜだか分からないが・・中に書いてあったアパートメントの場所はオフィスの隣にあるワンランク上のアパートメントだった。「うそでしょ?」再び歩いてきた道をトボトボと戻る。部屋に入った後は、シャワーを浴びてすぐに寝てしまった。

19日(曇り)
朝、当初と違う場所のアパートメントを宛がわれたので、確認のためにオフィスに聞きに行く。「No problem」と言われたので安心して使った。まずは溜まった洗濯をした。
今日の予定は食料の買出しがてら付近の散策だったので、洗濯終了後買い物に行った。すてきな商店街?といったら言いのだろうか。ブティックやカフェがたくさんある通りを歩いた。洋服や靴などが相方の心に響くらしく(値段も安い)、のんびりとウィンドウショッピングをした。スーパーではお米を買ったのだが2kgで3.4A$だった。帰宅後、ベッドで読書していたら、いつの間にか二人とも寝てしまって起きたら翌午前2時だった。いまさら夕食でもないので再び寝た。寝ていたら相方の左足をダニが食ったようである。赤く腫れていた。

20日(晴れ)
午前中は王立植物園を通りながら市内へ行く予定でアパートを出る。植物園は広くゆったりとしていて気持ちよいところだった。芝生の上をみんなが歩いたり寝転がったりしていた。寝転がると気持ちいい。地元の学校の授業できている学生や中国か台湾の旅行者がいた。この後、様々な場所で中国系旅行者に出会った。植物園内で結婚式を挙げているカップルがいた。青空のもと思わず見とれてしまった。市内に出た後、昼に近いので“シーフード”を食べようとうろつくが手頃なのが見つからない。あちこちと1時間ほど歩いていた。結局、ベトナムヌードルと書いてある店に入った。(混んでいたのでおいしいだろうと思った)食べたがおいしかった。量もあり満足して店を出た。今日の目的であるメルボルン博物館へ行く。この頃になって自分の右足のアキレス腱が痛い。のんびりと歩いて博物館では閉館まで滞在した。帰り昼食を食べた近くにあったケーキ屋さんに行き、ケーキを買ってアパートまで歩いて帰る。ケーキはどこの店でもだいたい3.5A$前後だった。

21日(晴れ:暑い)
今日はメルボルン動物園に行く日である。1日券を買いトラムを乗り継いで行った。昼近くに到着。小学生の団体が大勢いて、他にも家族連れなどがたくさんいた。公園のような動物園だった。暑いので木陰の下で、朝に相方が作ったサンドウィッチとりんごを食べた。久しぶりに行く動物園は楽しかった。ペリカンの餌の時間にその場所へ行ったらペリカンがたくさん集まっていて大騒ぎだったし、スマトラタイガーを見に行ったら現地の状態に合わせた場所で悠々と歩いているタイガーを見ることができた。カンガルーは暑いのかマンガに書いてある格好で寝そべってこちらを見ていた。また動物園のあちこちに色々な鳥がいて賑やか(日本だと鳩かカラスかスズメくらいだが)暑いので途中アイスを食べようかと言ったら、子供のように喜んだ相方がいた。(滞在中、相方は何故かこちらから言わないと遠慮して我慢する)
帰り、再び市内のケーキ屋に寄る。今日はギリシャ系のケーキ屋でティラミスを買って帰った。
トラムは、1日券5.8A$(値上がりしたようであった)動物園は、18A$(1人)

22日(晴れ)
アパートの近くにある(4Km)コモハウスという所に行く。ここはガイド付で歩き回らなくてはいけなかった。当然のことながら英語である。何を言っているか分からない。だが、有り難いことに日本語解説のパンフレットをもらうことができたので良かった。が、思いっきり誤字及び的外れの訳が載っていたりした。ハウス自体は古くなっていて、保存するのが大変な感じがした。午後、買出しに行く。プラナーンマーケットに寄ったのだが、とてもいい。色々な食材が売っている。残念なことに滞在期間がわずかなので、ここで買うのをあきらめる。タスマニアでもここでもスーパーは“Coles”だったので、今回は違うところへいった。“Safeway”というスーパーである。品揃えは前記のスーパーよりも落ちた。

23日(雨)
傘が無いので外出できず、1日部屋で読書と昼寝を繰り返した。窓際が雨漏りしていた。

24日(曇り)
午前中、レンタカーの予約。再び王立植物園を歩く。前回は行かなかったインフォメーションに寄ったりした。市内のインフォメーションでレンタカーの予約をしようとしたら高いので、宮内憮然とする。市内を歩いて探すことにする。地図上にあるレンタカーの名が書いてあった地区へ向かう。キョロキョロ見ながら歩いているとタスマニアで利用したレンタカー店があった。結局安かったのでそこで予約した。ヤラ川沿いを歩くとフードコートのあるビルがあったのでコーヒーを買ってベンチで寛ぐ。そのあとメルボルン水族館に行った。ちょっとしたアトラクションがあってちょっと覗いてみようと並んでみると3分ほどのアトラクションであった。これがすごい。画面に合わせてシートが動くのだが衝撃がすごい。シートベルトをしないといけないのだが始まるまでは、たかを括っていたがしていなければ外に放り出されるくらいの衝撃だった。ほかにも水槽で餌を与える時間があって見入ってしまった。亀に与えた餌を他の魚が横取りしたときは、集まっていた人たち全員から「ウォー」とも「アー」とも聞こえるため息?が出ていた。質問コーナーの時間が設けられていたが、こちらの子供は積極的である。何回も質問していてスタッフの人が「質問はこれで終わりです」のようなことを言わなければいけないくらいだった。帰りアパートの近くにあるケーキ屋でチョコレートケーキとラズベリータルトを買う。他の店よりも1A$近く高かった。でも大きさが半端じゃなかった。

25日(曇り)
セントキルダという地区へ日曜市を見に行く。歩いていったのだが結構遠い道のりだった。4km位のはずだったが1時間以上もかかってしまった。途中、セントキルダのメインストリートを通るとすごい人がいた。しかもカフェやケーキ屋の前は多くの人だかり。何のケーキを食べるか物色していた。自分たちも見てみるとおいしそうなケーキがあちこちの店にある。とりあえず海岸へ行く。行ってみると生憎の天候の中、見に来ている人が多くいた。(自分たちもだが・・)ここは工芸品だけを集めた市だった。カードが使えるところもあった。ここでHand&Body Balmを買った。行きに覗いた店へ戻る。小腹も空いていたのでケーキとカフェラテをそれぞれ頼んで寛いだ。
夜、油がはねて自分が左手を火傷した。自分に対して機嫌を害していたら相方に悲しい思いをさせてしまった。滞在もあと一日なのに悪いことをしてしまった。火傷は軟膏を買ってきてくれたおかげでひどくはならなかった。

26日(晴れのち雨)
火傷も治まってきて、運転ができそうなので出発する。マニュアルの値段でオートマが宛がわれた。左手に負担がかからないのでラッキー!予報は悪いほうへ向かっていたが、出発時には青空も見えていた。朝、市内へレンタカーを借りに行ってフィリップ島へ・・見るべきものはコアラとペンギンパレード。月曜日なので市内近郊は混んでいたがそれを抜けるとガラガラに空いていた。到着後、コアラを見に行く。日によっている場所が違うらしく、いる場所の近くに移動式看板が立っている。またコアラは動きが早いということが分かった。木道を巡らせている場所があったのだが、1頭だけ起きているコアラがいて、手すりの上を速いスピードで歩く。カメラを構えると立ち止まる。非常に愛嬌がある。コアラは神経質だと聞いていたが例外もあるのだろうか?最後には50cm位離れていた木に飛び移り、あっという間に木の上のほうに登ってしまった。このあとガウスという町へ移動。昼食を取ろうとしたらほとんどの飲食店は閉まっている。月曜日だからか?開いているのはフィッシュ&チップスの店だけ、今日こそはシーフードを食べるぞ!と意気込んだが無いもの無いのでフィッシュ&チップスで妥協した。1つずつ頼むと量の多いものがどんと出てきた。とても食いきれないので群がったカモメたちをからかいながらチップスを振りまいた。このあとシールズロックというアシカが生息する島が見えるところへ行った。船で近くへ見に行くことが出来るのだが、貧乏な我々には関係無かった。歩くコースは木道なのだがあちこち土に穴が開いている。最初は何だろう?思っていたが、実はペンギンの巣だった。木道に下にペンギンがいるのを他の観光客が見つけていた。
ペンギンパレードを見るために移動し、観覧スタンドに向かった。この頃から空模様が怪しくなった。多くの人が集まってきた。闇に包まれる頃、とうとう降ってきた。予め用意した雨具を着た。が、上しか持ってこなかったのが失敗。だんだん強くなり、地べたが濡れてきて互いのズボンが濡れてしまった。「レンタカーで来ているからまあいいや」と見ていると右に左にペンギンたちが上陸してきた。とてもかわいい。でも遠い。ある程度数がまとまるまでは波打ち際に留まっていた。かもめが1羽上空を飛んだだけで一斉に海に戻っていく。パレードを始めると始めは歩みがゆっくりだが、砂浜の中央付近まで来ると走り出す。ペンギンは必死なのだろうが見ているほうは微笑ましく感じてしまう。ふと振り返るとたくさんいた観光客の3分の2程度が居なくなっていた。後半になると寒く感じるようになってきたので「立ち上がって見よう」と言って動いてみると、ペンギンの帰るルートがスタンドのそばでヨチヨチ歩いていくペンギンを近くで見られた。上陸するペンギンも減ったので帰ろうかと歩き出すと、下着まで濡れているので歩き方がペンギンのようになってしまう。通路の両側にたくさんのペンギンが鳴いている。通路に出てくるペンギンもいたりして中々歩みが進まなかった。帰路の車中では互いにズボンを脱いでエアコンで乾かしながらアパートまで帰った。交通違反して警官に止められたりしたら大変と思い、きちんと法規を守りながら・・

27日(曇り)
とうとう帰国である。振り返るとあっという間の日時だった。考えてみたら毎日歩き回っていた。毎日最低10〜15kmは平気で歩いていた。相方はよく付いてきたと思う。一般的な女性であれば飽きられていただろう。本人は「染まってしまった」と口にしている。でも互いに痩せなかった。甘いものを食いまくったからだろう。また日本人には全然会わなかった。
暗いうちから車に荷物を積んで空港へ出発。途中で燃料を満タンにして空港の近くまで行くと返す場所が分からない。気づいたときは車線変更できる状態ではなく空港の玄関口まで来てしまった。再度戻って、間違えないようにゆっくり行ったら今度は一般駐車場のほうへ入ってしまった。すぐ気づいて後方確認後、思いっきりバックし、本来行くべき車線へ段差を乗り越えて無事到着できた。やれやれであった。あとは出発時間まで買い物をしてカフェでクッキーなどの甘いものとカフェラテを味わった。店のおばさんがそんなに食べるのか?という顔をしていた。毎日甘いものを食べてきた。(ケーキにビスケットに・・)相方には甘いものを与えておけば幸せということがよくよく分かった。さて飛行機に乗ると乗客が全然いない。離陸後はみんな好きなところに座っていた。機内食は昼夜食が逆の順番で出てきた。客が少ないので気分が乗らなかったのだろうか・・日中の10時間は長かった。

※ 旅行代195,000円(17日間)
   (航空券代、キャンプ代、アパート代、フェリー代、食費、現地交通費含む)