by @Kaikou.          カウンターです  

日記  屁理屈  Photo  Flying  Lyrics  Books  Writing  俗物    BBS  Links  at 


屁理屈の目次に戻るには、上のタブをクリックしてください。

タブが見えない方は、文末に、目次に戻るリンクテキストがあります。




屁理屈  嘘デンジマン



  以下、阿呆が馬鹿な話を書く。

  昔テレビでやっていた特撮番組「電子戦隊デンジマン」の主題歌(Vo.成田賢)を聴いた。聴いてみたら、次のような、番組本編とはまったく関係のない、嘘八百な脳内俺流ドラマの構図がふいと浮かんだ。

  協和的な理念のある行動集団、と見せかけて、実は洗脳により人員を用意した破壊と殺戮を手段とする悪の組織と、その一員として一度は殺戮に荷担するものの、内部の真実を知る善意の協力者の手回しによって実は洗脳されておらず、子供を殺しかけ、脱走して医者につれて行くものの死なせてしまい、癖のある、しかし腕の良い医者には貴様のせいだと詰られて、深い後悔と自責の念から自らを嘘つきで人殺しの死者と見做し、せめてもの贖罪のつもりで反乱者になることを決意した数名が、隊を組んでデンジマンを名乗る、という物語の構図だ。

  もちろん本編にそんな構図は存在しない。主題歌を聴いた阿呆が勝手に脳内で妄想した物語に過ぎない。もともと主題歌の悲壮かつ勇壮という高度にドラマチックなメロディと、あまり動機付けや悲壮さには深みが少ないテレビ本編の内容との間には若干の違和感があったので、逆に主題歌どおりの印象を受ける別の物語だったなら、と考えてしまったのだろう。素人の浅はかで勝手な思い付きだ。

  だが、それは多くの人々がカタルシスを味わい得る物語に見える。

  我々は人間に【そうあって欲しい】からだ。

  知らぬとはいえ悪辣な行為に荷担しながら、後悔と自責の念で声も出さずに絶望して泣く人間は可哀想である。そして彼の者達が、自らが属していた組織による殺戮と破壊を阻止せんと起ち上がるとき、我々の多くは密かに嬉しく思うことだろう。そこには怒涛の普遍的なカタルシスが存在する。

  暴力に対し、私利私欲のない強力な抵抗者が存在するという、我々の密かな希望通りの構図を実現してみせるからである。虚構だけれど、抵抗者が苦労の末に勝てば、我々の多くはカタルシスを得られるだろう。

  我々の多くは物語に【そうあって欲しい】と願っている。悪辣な者たちが暴力をふるって幸福になるを物語なのやら現実なのやらの構図を、我々の多くは望んでいない。

  構図内の虚構の強弱はひとまず置くとして、【そうあって欲しい】ドラマを描き出す構造を、我々の多くは喜んで受け入れるだろう。

  勧善懲悪の物語は、手を変え品を変え、贖罪の構図を織り込めば、最強のお涙頂戴物語になる。特に私のような阿呆はすぐに涙腺が緩んで感動の涙を流すだろう。主題歌を十回も聴いて感動に胸を熱くするくらいだ。深い後悔と絶望から立ち上がった贖罪の戦士としてのデンジマンが苦労の末についにかつての仲間に勝つ術を得て(デンジパンチ!)初めて有効な戦力としてかつての仲間を迎え撃つとき、この「ああ電子戦隊デンジマン」が流れてきたら、私の涙腺などダム決壊並にダダ漏れである(自分で思いついた物語で勝手に感動して泣くというのも些かどうかと思わないでもないが)。

  感動はするけれど、このあざとい物語の構図を、実は、あざとさ故にいまひとつ好きにはなれない。臍曲がりな考え方だが、臍は生来曲がっているので仕方がない。なによりも、我々の多くは、確実にこの物語に感動するだろう、と感じられるところが、そして自分も泣くであろうところが、自分で思いついておいて気に入らない。

  それは要するに、機械的に必要な要素を必要な順番に並べて開陳し、丁寧に技術的な演出を加えて観せることで、我々の多くはたぶん感動するのだ、という原理のようなものにさえ見える構造がちゃんと機能するであろうそのことこそが、馬鹿にされているようで嫌なのである。いや、感動して泣くけれども。

  ていうか勝手に物語を変えて考えたのは自分なのだし文句を言う筋合いのあるはずはないのだが、自分で思いついたこの一工夫のある勧善懲悪の構図に自ら感動し、たぶん多くの人々も感動するだろう、と思えるところがヒト種の普遍的な道徳観、美的感覚を、安易に利用するようでちょいと嫌だ。

  でもこの複雑で自虐的でストイックなヒーローの(勝手に作った)物語はとても好き。無条件で熱く格好良いと思う。でもこのあざとい物語は本当のところ実現して欲しくない。

  二律背反とはこのことである、人間ってのは複雑ですな。でもこのことには、物語性のカタルシスと道徳的な希望の普遍的な構図と、その中に入ってしまっては生まれ得ない、それ以外の【ブンガク的な場面の開発】=【物語の普遍的な構図によって取りこぼされる人間の行動を発見しようとする行為】との分かれ目が正にここに在る、という秘密が隠されていると思う。どちらが良いとか悪いとか、そういうことではないのだけれど。

  特撮戦隊ものの主題歌でそんなこと考えるなよ、という気もするし、正直、偉そうに書いているがオリジナルの「電子戦隊デンジマン」にはたぶん微妙に失礼な文章なのだと思うが、実際、私のような三太郎はそうとまで深く考えてしまうのだからこれまた仕方がない。

  どう思います?  いやどうでもいいんですけどね。


2013/09/23

屁理屈 (目次)に戻る

TOPページ(目次画面)に戻るには、あるいは別のコーナーへ行くには上部の各タブをクリックしてください。タブの見えない方はこちらメニュー(目次画面)へ戻るからどーぞ。

ページ上部に戻る

all Text written by @ Kaikou. "Hirohumi Kinoshita"

文責:@Kaikou <木下裕文>