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つくづくやなタイトルだなぁ


田舎モンあいでんてふぁい

*今回は文体が硬くなっております。ゴメンナサイね♪


  私はド田舎に生まれ育ち、いまも暮らしているので、住宅密集地で暮らす皆さまについて若干の疑問がある。
  私の家は古い農村に建つ家の例に漏れず、四方向が人家には接していない。当然私の暮らす部屋もそうだ。家の立地自体は、この地に建って百年にも満たぬ程新しい家なのだが、配置が昔風なのと周囲がちぃとも発展しないのとで、古い農村の家の形式をそのまま保っている。田圃に接した道と、その裏山とを中心に集落が形成された古い農村の形態を思い浮かべていただければ良い。そりゃあ道は舗装だし、宅地もちょこっと密集してきてはいるし、ハイカラな家も建ってはいるが、配置はそのまんま、昔の農村である。田圃の縁に私の家はある(下総の言葉で「へたっこ(へた)」と言いますな)。
  例を出すに、私の家は道路をのぞく三方が畑に接している。私の住む部屋には三つの窓があるが、一方を開くと畑が見え、その先は古い川にぶつかるまで続く田圃の海である(ちなみに川の向こうはというと、その先の山にぶつかるまで畑と田圃だ)。一方を開くと小さな畑があり、その先は隣の農家の納屋だ(建て売り住宅四軒分はあるが)。納屋の向こうは人家だが、その家は納屋に隠れて見えない。残った一つの窓を開くと母屋の壁が見える(わたしは倉庫の二階に住んでいるのである。近年びみょ〜にヘンテコな改築を経て母屋との間に通廊が開通してはいるが、要するに別棟だ)。その先は畑だ。畑を挟んでその先は人家だが、無論母屋に阻まれてその家は見えない。
  お気づきだろうか。つまり私の暮らす環境からは、どの窓を開けても人の住む家は見えず、もっとも見晴らしの良い方向でもはるか川向こうまで家が無く、当然、誰もこの家を(この部屋を)見る者はいない。
  悪く言えば孤立した、良く言えば周囲の家から独立した立地なのである。敷地は狭いにも関わらず、別段壁など巡らさなくとも、余所様の家が見えることはなく、余所から見られることもない。
  私の家に限らず、周囲の家や古い農家にはそうした立地が多い。特に古い農家などは敷地面積が半端ではなく、その上周囲に林(垣根ではない)を巡らす形態が一般的なので、一見密集していても両隣の家とは接していない。当然、そこでも余所の家が見えることはなく、また見られることもない。
  一方住宅密集地はといえば、窓を開ければ隣の家だ。四方どの窓を開けても隣の家が見える、という環境も珍しくはあるまい。当然、そこではどの窓からでも「誰かに見られる」ことが有り得る。
  この環境の違いは、そこに育つ者の人格にけっこー大きな違いをもたらすのではないかしらん、とちょと思うのだ。
  私の家のような四方隣に家がない環境では、ごろ寝していようが着替えようが屁をしようが誰に見られることもない。なんなら阿波踊りを踊ったって見る者はいない。
  一方住宅密集地では、自室にいようが二階にいようが、いずれ誰かに見られている可能性のあることは意識せずにはいられまい。隣の家を見てしまうことも意識せずにはいられまい。田舎モンが、そんなことごくたまにしか思い出さぬのとは対照的に(ひょっとしたら思いこみかもしれないのだが)。
  いきおい、住宅密集地で育つ者は常に「余所様の目を意識する」習性を身につけずにはいられぬであろうし、一方農村ではンな事ハナから気にもしねぇ習性が(別に意識をするわけでなく)身に付いてしまうのはいかんともしがたいのでは無かろうか、と思うのだ。
  ナニを詰まらぬ事を、と思われるだろうが、この事は、生活のテリトリーの中に何を意識するか、しないかの、つまり人格の前提となる意識の違いをもたらし兼ねぬのではなかろうか。針小棒大な見方かも知れないが、常に人目と、人を見てしまうことを意識の底に持ち続けて育つ者と、そうでない者とに、人格形成の差が出ないなどとはどうも私には思えない。つまるところ、世界観に決定的な差が出てしまうほどの、これは大きな生活形態の違いではなかろうかと思う。(無論、そのことは私自身の人格の形成に影響を与えていないはずがない、とも云える)
  私は農村の環境に育ち、今も暮らす者だから、私にとって、窓を開けると隣に家がある、(別に開けなくともあるにはあるのだろうが)、見られる、見えてしまう、という生活環境は、その作り出すメンタリティにずいぶん影響するのではないのだろうか、と、こう思わずにはいられない。(もちろん、一方の意見だ)
  私などに言わせれば人間もどーぶつさんの一種だから、落ち着いて生活するには一定の範囲を保ったテリトリーが周囲にあることが必要で、それが無いのは不自然じゃないのか、などと思うのだが、実際問題、少なくともこの国の多くの住民はそうでない環境に育ち、いまも暮らしているのだから、別に狂ってしまうほど不自然なことではないのだろうか。そうだろうか。
  だがこれは、案外に大きなメンタリティの差を生み出すことのように思えてならないのだ。
  ヒトのアイデンティティの安寧に、これは結構重要な差では無いのだろうかと、これは案外、人間の安楽な生活にひどく大切な、些細で、それでいて重大なコトなのではないかと密かに疑問だったりする。
  どー思います?

いま流行のスローライフってヤツですか違いますか
つーか、ンなコト思うの私だけ?  
(2003.05.25)


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