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ダニエル・クィンさんの

「イシュマエル」
〜ヒトに、まだ希望はあるか〜

VOICE 社



「拘束=捕らわれ」



「当方教師
  生徒募集。
  世界を救う真摯な望みを抱くものに限る。
  本人直接面談のこと。」



  ↑こんな新聞広告から、この本は始まります。

  「知的冒険小説」というコピーがついていますが、要するに小説形式の啓蒙書です。

  主人公はある朝新聞でこの広告をみつけ、バカにしながらもつい広告に書かれた住所にでかけてしまいます。

  後悔するに違いない、バカバカしい、と思いながら行ってみると、部屋には でっけぇゴリラ がどでんと檻の中に座っています。

  んでこのゴリラが、その教師だったりします

  ゴリラのイシュマエル先生曰く、授業のテーマは「拘束=捕らわれ」。人間はある物語に拘束され=捕らわれている、と教えます。

  テーマに沿った授業から、主人公は人間社会がどうして今あるようになったのか、どのような状態にあるのか、どうするのが最善の策なのかを教わります。つまり主人公が、ゴリラのイシュマエル先生に「世界の救い方」を教わる、というのがこの小説の骨子です。

  とんでもない話ですな。

  でも、このゴリラの先生の語ることが「いちいちもっとも」で「どう見ても正しそう」だったりするから、この本は侮れません。

  イシュマエル先生が音声言語は使わず、テレパシーのように相手の心に語りかける、という点がめっちゃ胡散臭いですが、まぁそうしなければ会話が成り立ちませんから目をつぶりましょう(小説だしね)。

  非常にあたりまえの、しかし意外で、斬新な視点からゴリラのイシュマエル先生は話します。

  人類のほぼ全体が、数万年前から同じある「神話」の中を生きていることを語り、人間の文化を「取る者(農耕文化)」と「残す者(採集文化)」に二分し、取る者の社会が病に陥り、死滅しつつあることとその理由を指摘します。

  ゴリラなだけに、人間以外の生き物の視点に立ってみせることで。(そのために、この先生はゴリラである必要があったのでしょう)

  イシュマエル先生の語ることは非常に平易で、それでいて、それまで気づきもしなかった斬新な指摘に満ち、しかもなお「ごくあたりまえ」です。言われてみれば「しごくまっとう」なことを語ります。

  読んで膝を打つ、というよりは読み進むほどに「確かに」「もっともだ」「・・・(←声も出ない)」とあきれ果てるような話です。考えもしなかったような、しかし言われてみれば不思議でもなんでもないことをイシュマエル先生は教えてくれます。

  しかしそれらのことは、イシュマエル先生に教わらなければ・・・まずわかることはないでしょう。そうと気づくのが難しい、しかし「当たり前」な考え方をするんですね、このゴリラさん。

  この手のヒッピーの啓蒙書じみた本は正直いくらもありますが、この本のすごいところは(ある立場からの意見であるにせよ)「本当に世界の救い方を教えてくれちゃう」点です。断言しちゃうんですね。自信を持って。「こうすれば世界は救われる」と。

  ただし、それは実現がとても難しい方法です。原理はごく簡単なことなんですが、実現はかなり難しいでしょう。

  しかし少なくとも、疑問には答えてくれます。「世界を救うにはどうしたらいいの?」と一度でも思ったことのあるハートに愛を持つあなた、この本に答えが書いてあります。少なくとも、ちゃんと書いてあります。それも、やればできるような方法で。実現は難しいにしても。

  このような紹介を読んで、この本を環境保護主義の産物や新興宗教の聖書と混同してはイケマセン。

  この本に書かれていることは、「価値観の転倒」に過ぎないからです。作者のクィンさんは、おそらくこの本が価値観の転倒しかもたらさないことを承知の上で、確信犯のように読者にびっくり箱を仕掛けているのだろうと思います。この本を読んでくれれば世界が変わる、などとはクィンさん自身思っちゃいないでしょうし、憶測ですがこの人は、読者に「びっくりした?  考えつかなかったろ?」と言いたくて、この本を書いたような気がしてなりません。ささやかな悪戯を、しかし真剣に世界救済の願いを込めてしかけたのだろうと思います。そして確かに、この本がもたらす「価値観の転倒」は極めて有用です。

  世界は(すぐには)救わないにしても、読んだ者に、開いた口がふさがらないような驚きと、迷いを断ち切る魂の救済をもたらすからです。

  断言しても構わないでしょう。この本は世界こそ(すぐには)救いませんが、あなたを救います。

  ゴリラのイシュマエル先生の言葉は、あなたにものの考え方を教え、人間たちがどのように生きているかを教え、どうすれば問題がなくなるのかの解決を与えます。

  人類全体がそうするべきだとするその解決は、とうてい実行が難しそうに思えます。

  いや、正しいんですよ?

  イシュマエル先生の主張は、確かに正しい(まるっきり、主張のすべての点が正しいとまではいいませんが)。そうすれば世界は救われるでしょう。しかし、我々の全体にも、個人にも、その実行はとても難しい。

  なんでもないことなんですが、実行は難しい。ゴリラのイシュマエル先生自身、希望はある、という言い方しか主人公から引き出せませんから。不可能ではないでしょうが、かなり難しい。

  しかしイシュマエル先生の教えることは、あなたの頭をぶん殴り、シェイクして、はっ、と気がつかせるでしょう。

  我々が、本当は何だったのか。本当はどうするべきだったのか。どうすれば、我々は幸せになれたのか。

  そのことは、あなたの生き方を根本から変えてしまうかもしれません。少なくとも、あなたが一度でも、作者のクィンさんと主人公のように、世界の救済を願ったことのある、そしてがっかりしたことのある、優しい愛を持つ人ならば、あなたは求めていた答えがそこにあるのを見つけるでしょう。

  これはとてもモノスゴイことです。世に本は星の数ほど在りますが、そんな答えを教えてくれる本を私は他に知りません。この本だけです。

  僭越かも知れませんが、この本は必ず読むべきだとわたしは思います。たとえ見つけ難くとも、執念深く探し出して誰もが読むべきだと思います。

  この本にはそれだけの価値があり、きっと、読む人を真の意味で幸福な人生へと導いてくれるからです。あなたはこの本からきっと、自分に、いままで考えたこともなかったような生き方があり得るのを知るでしょう。

  よい本とはこういう本のことをいうのです。

  たいへん読みやすく、誰にでもすらすらと読める名訳で書かれていますから、本を読み慣れない人も心配は要りません。カンタンに読めます。

  物語のラストには、胸を締め付けられるような結末が用意されています。どうしてこういう結末になるの?  と思わずにはいられない結末ですが、しかし、この胸狂おしい結末にはこの本全体の主張そのものが示されています。我々は心して、この物語の切ない結末を受け入れなければいけません。

(余談ですが、本書の二百ページを過ぎたあたりで主人公とゴリラのイシュマエル先生が演じる即興芝居に登場する「神様」という言葉は、「世界」と言い換えることで、キリスト教に馴染みの薄い我々日本人にも理解しやすくなります)

  最後に、ゴリラのイシュマエル先生が物語半ばで口にする、なにげない言葉を記しておきましょう。やがて物語が後半にさしかかると、イシュマエル先生がとんでもないことをさらさらと語り始めますよ。

「人類に根本的な欠陥はないのだ。世界と調和して生きる物語を与えられれば、人は世界と調和して生きるだろう。世界と争う物語を与えられれば、つまり君たちの物語だが、世界と争って生きるだろう。世界の統治者を演じる物語を与えられれば、世界の統治者を演じるだろう「世界は征服すべき敵である」という物語を与えられれば、世界を敵として征服するだろう。そしてある日、必然的に、敵は人の足下に横たわり血を流して死ぬだろう。今、世界がそうしているようにね」(p.83)






  

  2002.10.03

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All Text Written by @ Kaikou. "Hirohumi Kinoshita"

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