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屁理屈  人工の幸福




  幸福は人工の存在である。自然界には存在していない。

  幸福は人間がそうと感じ取ることによって発生するものだ。言葉は悪いが、光化学スモッグのようなものである。そうと感じ取る反応が起きない限り、発生しない。

  感じ取るのは広い意味での心である。意識、無意識を含む、入力情報を記憶を元に分別、判断し、意味や価値を与えて感じとり、反応する「心」が、その中に幸福を発生させる。(心の中の意識の上に、というべきなのかもしれないが、無意識に感じているだけの場合もあるので、そうとは断言できないように思う)

  当然、心の内部反応であるのでそれは心の中にしか無く、人間の幸福は、人間の心の中にしか発生しない。しかも自然にではなく、個体が蓄積した経験記憶を元に個々の反応パターンに沿って自主的に形成するものである(意識が受動的な状態かどうかは、この場合は関係しない)。なぜなら、幸福を感じ取れるような状況下にあっても、心が能動的に幸福でない状態を感じ取る反応を起こすこともあるからである。自然状態には、「不安のない状態」、「安全な状態」、「危険のない状態」はあっても、「幸福な状態」はない。幸福な状態は、人の心が欲し、感じて作り出すものだ。したがって幸福は外部条件に左右されてではなく、内部条件に左右されて発生する。

  それは世界解釈のある状態である。意識と無意識を含めた心(と脳)の全体が行って発生させる、ある「世界の解釈」を、幸福と呼ぶ。

  心が作り出すものなので、幸福は物理的な状態ではなく、心の状態である。幸福を思い浮かべるとき、普通は空腹感のなさや寒暖の遮断といった、肉体の物理的な状態を含むように思われるが、肉体が物理的に不満足な状態にあっても幸福と感じる反応が生じることのあることから、これは肉体の状態とは無関係に発生し得る状態、つまり心の状態であることがわかる。心が行った分別と定義、つまり世界解釈の結果に対する、心の状態なのである。世界を「(それで)良いもの」、「満足のゆくもの」と解釈したとき、心に幸福が発生する。

  この世界解釈は一時的に発生して人に幸福を感じさせることもあるが、これは偶然に発生したか、あるいは外部の状態に依存した解釈であって、一般に、やがては違う解釈に書き換えられるものである。俗にこの状態を「ぼかぁ幸せだなぁ」と呼ぶが(呼ばないかもしれない)、これはたまたまというか、運よくそういった環境に出会ったと呼ぶような状態であって、一時的でない幸福もある。幸福を感じる世界解釈が脆いものではなく、恒常的に維持可能な体系、様々に起こる現実世界からの刺激に対する、包括的で懐の広い説明体系であり、なおかつその解釈が心に安定と自信(安心)をもたらすものであった場合、そしてそれがその個体の心の基底的な情報需要姿勢となった場合、このとき起こる継続的な反応をも幸福な状態と呼ぶ。より完成度の高い、柔軟で崩壊せずに生き残る幸福である。ある種の宗教家や、人格の完成者といわれる人々の心が、この状態だと思われる。他人事なので、推論でしかないが。

  ではその、いってみれば有意義な、持続的に幸福足り得る世界解釈は、意識の上から、心全体に影響させて反応が起きるように、意図的に作り出せるものなのだろうか。

  「解釈」は、「解釈の記憶」の積み重ねであるところの経験記憶をもとに、入力された刺激の情報(この時点ですでに、脳が基礎的な解釈を行ってから心に渡していると思われる)を元に心が行うものである。したがって経験記憶の質が、入力情報に対する初期段階の解釈の変更、ひらたくいえば考え方、受け取り方の変化によって書き換えられていけば、包括的な解釈、いいかえれば世界全体の受け止め方と言いたいのだが、それをも変化させていくことができるように思われる。

  つまるところ、世界解釈は、世界解釈それ自身の学習の結果なのである。

  そうであるなら、意識の間接的な努力によって「学習」の内容が変わることによって、継続的な「幸福である状態」を呼び起こし得る反応を、心に起こさせることは可能であるのではないか。

  学習なので、当然時間はかかるのだろうし、どういった学習がよろしいのかは、いくつか解釈が浮かんでどれと特定できない上に、自分で試してみないことにはナンともいえないのだけれども。

  さて、私は「幸福な状態」を作りだし得るだろうか。

  もっとも、幸福な状態にある者は、自分が幸福だ、などとは格別に意識しないものなのだろうけれども。

  蛇足ながら、当然、「不幸な状態」もまた、心が作り出す人工的な存在である。幸福な状態は、この不幸に感じる反応が、心に生じない、言い換えれば不幸を感じない状態だとも言える。



2000/09/23

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