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屁理屈   「切り離すモノ繋ぐモノ」




  いやナイフとか接着剤ではなくて。

  言葉の話である。

  言葉は、世界を切り分ける。もともと分かれちゃいないものを、個人の識別の仕組みにしたがって名付け、分断し、名前を付ける。名付けて別のものにする。名付けて別のものにして、別々のものによって構成される個人の認識世界を可能にする。

  これを勝手に「レッテル張り」と呼んでいる。例えば「手」と「手でないもの」とか、「私」と「私でないもの」とか、「あれ」と「それ」とかいうレッテルを張られ、「別々なもの」になったものごと達は、初めて「関係性」を手に入れる。言葉によって切り出されるまで、物事の間に関係性は成立しない。関係は、独立した別々のもの達の間にのみ成立するのだから。同一のものの中に関係性はあり得ない。関係は「別々のものが存在する」ことが前提なのだ。言葉によって、世界の中に「関係」が生まれる。

  ただし、この言葉は必ずしも・・例えば日本語といった・・共通言語である必要はない。一人の個人にしか理解し得ない言語であっても、世界を切り分け、関係づける機能は成立し得る(だから、言葉とは必ずしもコミニュケーションの道具とは限らない)。

  そして、世界は人間のものになる。言葉によって切り分けられない世界はなにやら胡乱で、不可解で、不快なものだ。言葉が世界を切り裂き、アタマがその中に関係を「発見」して定義づけたとき、世界はようやく、脅威ではない知り得た馴染みのものになる。

  日常になるのだ。だから言葉とは単にコミュニケーションの道具であるわけではなく、それ以前に世界に日常を作り出す道具でもある。

  言葉が世界を切り離し、言葉が世界を繋ぐことで世界は有意味なモノになる。その意味すらも、言葉が紡ぐものである。

  個人毎に異なる言葉で、世界は形作られている。世界は言葉だ。

  切り離し、繋ぐ機能を果たした後では、言葉は意味の体系となる。いささかアバウトな体系だ。言葉は意味の体系である故に、まさに論理を成すものなのに、その一部は必ずしも論理的である必要がない。意味の繋がりが確定していれば、それが論理的に真でなくともいっこうに差し支えはない。その言葉によって世界を繋いでいる人にとって有意であれば、それが論理的な繋がりでなくとも、かの人が生きる上で世界は破綻を来さない。経験がその論理的でない関係を作り直す必要を生じさせない限り、論理的でない関係が世界の一部にあろうとも、その人にとって言葉は有効に機能している。

  だから論理は言葉だが、言葉は論理ではないということになる。論理は論理的に構成された言葉のある面を指す。

  そうして論理的であったりなかったりする、しかし有意な言葉の体系を持って、人は世界を生きていく。言葉の体系を持って、人は世界を生きる舞台と成すのだ。言葉によって意味分けされない世界を生きることも無論生だが、大抵の人にそんな高度な能力はない。動物のように高度に完成された、言葉の不要な生き方は、人間にはめったと出来るものではない。

  言葉によって世界を意味づけることで、人は行動する。下手をすれば補食や就寝といった、およそ意味づけの必要のないものにまで、人は意味をつけて生きようとするものである。さらには自分にとってより深い意味を持つもの、より高い価値を持つ意味を可能にするような行動を切望する。

  人は言葉を持って世界を価値あるものにするのだ。価値は必ずしも無くても良いはずのものだが、人はそれを必要とする。言葉によってより高い意味を与えられた物事をこそ、人は生きようとする。

  その「意味」あるいは「価値」が、言葉に過ぎなくともだ。

  だから言葉は人である。言葉は人の生そのものなのだ。

  そして言葉は個人のものである。他人から見て、ある個人の言葉に価値があるかどうかは関係がない。個人の言葉は、その個人の中において意味を持つものであって、他人の言葉と比較して優劣を付けるものではない。言葉を操る個人が、世界を生きるために使うのだ。その個人にとって有意であれば、他者にとってもそうである必要はない。だからといって、あまり他人と重なりが無さ過ぎる言葉を使うと生きづらいのだが。(わたしは、普遍性という言葉をあまり信用していない)

  だから言葉は、個人が世界を生きる道具でもある。動物の爪や毛皮のように、生きるために生じた道具なのだ。

  毛皮や爪より、はるかに扱いの難しい道具なので、十分に意識して、それが世界を成すものであることに気をつけて使いたいものである。

  人生は、言葉次第だ。

2002/05/21

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