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屁理屈    「お仕事、お仕事」




  お仕事ってなんだろう、というわけで(あいかわらずどうでもいいことを考えているが)、三つほど思いついた。

第1の場合

  この場合、仕事というのは快適さに必要とされる作業の全般を云う。

  なにか求められる快適さがあって,その実現に必要とされる作業はすべて仕事と呼んで差し支えない。

  例えば雨が降込んで困る庭に向いた部屋の屋根を,日曜大工で延長する場合が、仕事だ。台所の吊り棚を作るのでもよい。なんなら自分の住む家を自分で建てるのまで、その種の仕事と呼んでもよい。報酬があるわけではない仕事であり、必ずしもやりたいわけではない作業であり、且つ、必要な作業だ。海に行って、子供たちのために日傘を広げるのも、まぁこの種の仕事と呼んでいいだろう。

  田舎モンのノンビリした仕事感覚が、実はこの感覚に相当する
  (必ずお茶するし)

第2の場合

  この場合、仕事というのは、金銭収入を得るために否応なく毎日毎日毎日毎日繰り返し行う反復作業の全般を云う。

  その作業が必要かどうか、意味があるかどうかは、この場合特に関係ない。繰り返して行うことで、金銭の報酬を得る種の仕事、つまり私も含めた皆々様が毎日やっている作業のことだ。

  それが創造的な作業であっても、非創造的な作業であっても、毎日毎日毎日毎日、繰り返し行われるとういう点では変わりがない。自分に向いているかどうかも、能力的な面では関係するが、気分的な意味では関係しない。

  要するに、金銭を得る必要があって、繰り返し行う作業を、毎日毎日毎日毎日反復して行うことで金銭報酬を得る作業が、仕事なのである。一見多種多様な内容を持つように思える仕事も、よく見ると同じ構造をしている。(ごく稀に、毎日毎日毎日毎日繰り返して行わなくても金銭を得られる作業というのがあって、たいへんうらやましい)

  現代人の大半が考える仕事が、これにあたる。

  毎日毎日毎日毎日、繰り返し反復して行うことで金銭を得るのが、この場合の(そして現代人のいわゆる)、仕事なのである。

第3の場合

  この場合、仕事とは生活を成り立たせるために毎日毎日毎日毎日(しつこい)繰り返し反復される、特に報酬のない作業のことを指す。いわゆる家事のことだ。炊事・洗濯・掃除・買い物がこれにあたる。

  不思議なことに、この家事というヤツは通常仕事とは呼ばれない。第1の場合と同じように必要があって行われる作業で、第2の場合と同じように繰り返し反復されるのに、仕事とは考えられていない。しかし必要な作業なので、これは遊びではなく、仕事である。

  この場合の仕事には第1の場合と同じように快適さ、あるいは不快でないことだけが報酬としてあり、なおかつ第2の場合と逆に金銭が存在することが前提にある。消費を伴なう仕事、とでもいうのだろうか(これは第1の場合も同じである)。本来は、おそらくこの場合だけが仕事だったのだろうと思う。金銭を介さない生活、狩猟・採集・農耕による生活は、要するに必要があって毎日毎日反復される作業、つまりこの種の作業だったわけだ。

  しかしながら現代社会では、ほとんど第2の場合のみを指して仕事と呼ぶ。

  この場合、仕事とは、毎日毎日毎日毎日(実にしつこい)繰り返し反復され金銭を得る作業が、日常になることである。

  第1の場合は日常ではなく、時折起きるイベントの一種だが、第2、第3の場合はそれが日常となって生活の一部、あるいは大半を占めるようになる。そして第2の場合は、金銭を得るために継続反復される作業である。

  金銭が得られるなら、内容は問わない継続反復作業であり、どういうわけか、どんな内容であっても必ず継続反復を前提とする作業である。

  金銭を得る必要があって、自分の意向とは関わりなく毎日毎日毎日毎日継続・反復され日常となる作業、あるいは金銭を得るために毎日毎日毎日毎日(すごくしつこい)継続・反復される日常的作業、それが、つまり仕事なのである。

  仕事とは、お金をもらうために継続・反復される作業が、毎日の日常となることを指す。

  しかも、終わりは前提に入っていない。金銭を得るために毎日反復される作業には、内容は変わっても、終わることなく毎日反復されるという特徴がある。なにしろ、日常なのだから。

  日常は、死ぬまで終わることはない。この日常が、「金銭を得るための作業」であることが、仕事である。この作業を日常としている人のことを、「仕事をする人」、あるいは社会人とか呼ぶわけである。   毎日毎日毎日毎日、繰り返し金銭を得るために作業することを、人は、仕事と呼ぶ。

  この「日常が仕事」な日常を、われわれの大半は生きている。時として疲れる日常である。それでいて、疲れてもいられない日常である(日常なのだから)。そして、それは生活して死ぬことと同義である。

  日常は、すべての人々が生きている世界だ。

  私は、なぁんにもしない日常というのを体験したことがあるが、気がついて恐ろしいことには、これとて、毎日毎日毎日毎日、繰り返し反復されるなぁんにもしない「日常」だったのである。

  仕事をしようと、なぁんにもしまいと、日常は繰り返し反復されるもので、われわれはその中をしか生きて行かない。だから、つまるところ、仕事とは生活それ自体に他ならないのである。特別な意味や、特別な価値とは異なる、日常に他ならない。


  (つくづく、どうでもいいことを書いてますナ)

2001/08/24

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