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屁理屈    「爪を切る」




  皆さんはどんなときに足の爪を切るだろうか。

  手の爪ではなく、足の爪である。

  手の爪ならば、毎日目にしているものだから、目で見て長いから切ろうと思うこともあるだろう。だが、足の爪は?  やはり靴下を脱いだときに、目で見ておや長くなっていると思って切るのだろうか。

  私は違う。私は、風呂に入ったとき、足の爪が、長すぎて湯船のステンレスを「嫌な感じで」引っ掻いたときに、足の爪を切ろうと思って切る。

  足の爪が長くなってきて、それがなにかに引っかかって身体が不快感を感じるとき、私は足の爪を切る。感覚が、身体性の感情を引き起こして判断するのである。

  この身体性の感覚と判断こそが、人間の本来持っている唯一の「世界」のはずである。

  現在ある感覚と、それに基づく判断。人間の持っている本来的な世界は、たぶんこれだけだ。この「爪が引っかかって気分が悪い」という感覚から、爪切りで爪を切ろうという判断に至るまでに、私は言語も、観念も意識していない。

  ここでは言語と観念は二次的な道具に引き下がり、哲学の問題にするような思考の主な内容ではない。この意味で、人間が本来持っている世界は言語的ではない。ここでは、感覚と判断、言語と観念は一連の反応の過程であり、連動する一個の運動である。

  この現実の、現在に対する感覚と、言語も観念も道具として従属させた判断が、人間個人の、生きている世界なのである。この判断は意味や価値を含む判断というより、ただ反応と呼ぶ方がふさわしい判断だ。良い、悪い、優れている、劣っている、意義がある、ない、美しい、醜い、うまくいっている、いっていないといったような、人間が日々気にし続けている、少しオーバーだが形而上の意味をいっさい含まない、運動する身体と感覚器官の(反応という)世界だ。

  人間にはたぶん、本来的にも究極的にも、この世界しかない。

  人間は、誰であれこの身体性の世界でしか生きてはいないし、ほかの世界を持ってはいない、はずである。

  しかるに人が生きているのは、この身体性の世界に様々な意味や価値の付け加わった、主観固有の意味と価値の世界である。そう思いこんでいるし、前述のように爪先の感覚が引っ掻かない限り、身体性の(たぶん唯一の)世界は忘れ去られている。言葉と観念が紡ぎ出す多様な価値と、哲学的なそれを含めた意味の世界は、生涯、この身体性の世界の従属物、言ってしまえばおまけのようなものであるのに。

  私も含めて、たいていの人間はこのおまけのような意味と価値の世界、優劣と不満、軽い満足と絶え間ない欲求の中で右往左往して生きてゆく。

  それは人間が、意味と価値の世界を、唯一の世界と勘違いする、ヘンテコリンな本能を持っているからだ。人間は、「勘違いする動物」なのである。勘違い類勘違い目ホモ・ミステイクスと分類してもよいくらいである。

  しかしそれはおそろしく首尾一貫性の薄い、混乱した世界なので、人は日々あくせくと、意味と価値の一貫した秩序と、希望的完成を目指して七転八倒を繰り返す。そしてある時ふと、爪先の不快な感覚に身体性の「唯一の現実世界」を思いだし、やっと少しだけ、意味も価値も存在しない現実を生きる。

  思い出して、では身体性の世界を生きるのかというと、不快感の解消後は即座にそれを忘れ去り、再び意味と価値の不毛な世界に言葉の剣を振りかざして飛び込んでいくのだから、始末に負えないとはこのことである。

  言うべきことは一つしかないかもしれない。

  ダメだこりゃ、だ(by いかりや長介)。

  それはたぶん、それなりに幸せなことなのだろう。

2001/03/20

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