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屁理屈    「私の記憶」




    あまり聞こえのいい話ではないが、先頃愛車を駆って帰宅途中に、考え事に没頭して1分間運転の記憶を失うという真似をやらかした。(文字通り「無謀運転」である)

  はたと気がついてはびっくり仰天である。たしか交差点を通過したような、しないような、いや確かにあったはず、ってんで不安になって確かめに行ったりしてしまった。なにしろそこまでの1分間に起こったいかなることも知覚した記憶がない。たとえ人をひっかけていたとしても、おそらく素知らぬ顔で通過していただろう。幸い通過路には何の異常もなく、無事に通過していたことと安心したが、恐ろしい話ではある。

  人を轢いていても気づかなかったろう、という点も恐ろしいのだが(なにしろ何の記憶もないのだ)、かてて加えて、その間の行動の記憶がない、とうことがなにより不安に感じられた。行動の記憶、といったって、普段の行動なのだから、いつもなら一晩で、いやそれどころか下手をしたら数分で忘れ去ってしまうような重要度の低い記憶である。それがほんの1分、まったく記憶がないというだけでおおいに不安だったのだ。

  その間の行動が確定されていない。問題なく行動したかも知れないし、してはいけないことをして気づかずにいたかも知れない。確実でない行動の記憶。それがエラク不安に思えてならなかった。

「私」が、「私という記憶」の、蓄積されたモノだからだろう。こうした、ああした。こう考えた。こうしようとして、失敗した、成功した。その記憶の全体が、他ならぬ「私」だからなのだろう。

  そこで思った。私が不安に陥ったのは、記憶していないその間が危険を含んだ(と予想される)時間だからであるだけでなく、その間に、現実に生きた「私」が「なかった」からなのだろう。いつもは記憶などしないくせに、明確に記憶がないとなると途端に、その間私が欠けていた、と感じるからだ。

  その間、私はなんだったのだろう?  (世界はなんだったのだろう?  と言い換えても、たぶん同じだ)

  私は私が欠けていたことに、揺るぎ無くそこにいたと言い切れるだけの私がその間なかったことに、強い不安を感じたのだろう。いずれ大した記憶でも、大した経験でもないクセに。記憶が思い出せなかったとき、私は急に、私が不安になったのだ。現実を知覚していなかった私。いや知覚はしていたのだろうが、記憶していない私。その間、私はいたのだろうか。世界は、あったのだろうか。記憶の欠けた私はナンだ?  私はどこへ行ってしまったのか?  私が、「連続した私」であるために、私はきちんと連続している(していた)はずの、私の記憶が欲しくてならなかった。

  つまるところ、「私」とはそうしたものなのだろう。その程度のモノ、と言ってもいいが、たんにそうしたものなのであろう。

  そこでモひとつ考えた。

  どうして「私」は、記憶が連続したモノでなくてはならないだろう?

  記憶の連続していない「私」は、私ではないのだろうか?

  そんなことはないはずだ。私は認識するモノなのだから。認識する現在になら私はおり、私は「認識する」である。(←動詞を名詞として扱っています)

もっともそう考えたとしても、いずれ私は記憶をするだろう。イヤでも記憶を貯め続け、「記憶の私」を私と呼ぶようになるだろう。

  そこで私はふと思うのだ。

  そうでない私では、在れないのだろうか。

  記憶の欠けたことを、不安に思わない私。連続していない私。「私」は、そうでは在れないだろうか。

  それは、もしやしたら、幸せな「私」ではないのだろうか。

  単に狂気であるのかも、それは知れないのだけれども。

  「私」が連続したモノでなくてはならないとは、少なくとも法にはないのだから、連続しない「私」があっても、別段構いはしないのではないか、とふと思うのだ。

  もちろん、夢想に過ぎないけれども。

(俗物みたいですな)

2001/07/26

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