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屁理屈 Kaikou  「今日の良いこと、悪いこと」




  人は、自分の経験したことに、これは良いこと、これは悪いこと、というレッテルを貼る。今日は良いことがあった(嬉しいことがあった)、悪いことがあった、と思い、物事の良い、悪いを判断する。

  判断するのが好きなのだろう。

  ところが「良い」と判断したことは歓迎するが、「悪い」と判断したことは歓迎しない。歓迎しないどころか、厭いさえする。悪いことは起きねばよい、というわけだ。だが、それは無理な望みというものである。

  良い、という判断をするならば、人は、必ず、悪い、という判断を覚悟しなければならない。 良いこと、という判断は、構造上必ず悪いことの判断(発生)を含んでいるからだ。それはその判断が、価値の定義という物差しの適用であり、価値の判断という物差しには、「良い」ことだけを判断する物差しはなく、必ず「良い・悪い・どちらでもない」の三者、あるいはそれ以上の判断を含む物差ししかないからである。価値判断という物差しは、都合のいいようにはできていないのだ。

  だからある物事を「良いこと」と判断するならば、「悪いこと」という判断が必ずどこかに発生する。判断する、弁別する、ということは、そういうことだからである。

  あることの集合を、Aという種類のグループに切り出せば、A以外、という集合が発生する。「良いこと」という判断を行えば、そこには必ず、「良いこと」の判断基準に合致しない物事が産まれる。そして、価値判断の適用とは物事を名付け、類別する事だから、ほかの物事も当然類別されて名付けられ、発生してくる。集合からAというグループを切り出せばA以外が、例えばBとして名付けられ発生してくるように、本来弁別する、識別するとはそういうことなのだ。(価値判断でなくとも、判断とはすなわちそういうことである)

  物事の中から「良いこと」を名付け発見すれば、それは同時に「良くないこと」の発見を意味する。良い、という判断の適用は、同時に悪いことを判断してしまうのである。

  価値であれ何であれ、判断は判断しないことをすることができない(判断なのだから、当たり前なのだが)。判断の適用は、下したい判断と同時に、下したくなくてもそれ以外の判断、類別、識別を含むのである。残念ながら、「良いこと」だけを選りすぐって判断し、それ以外を意識しないで済ませられる判断は存在しない。価値判断であれ何であれ、判断する、という行為は、そんなに都合良くはできていないのだ。

  物事の中に「良いこと」を見つけたければ、その人は、悪いことの発見も、覚悟しなければならない。

  逆に言えば、悪いことの発見をすれば同時に良いことも発見されざるを得ないのだから、「悪いこと」は、実はそう悪いことではない。

  それでもわがままに、どうしても悪いことを体験したくないのなら、良い悪いの判断は一切しないことだ。

  たぶん無理だが(笑)

2000/06/09

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