その三畳ほどの巌穴は深い闇の中にあった。

  男は漆黒の中で、両手に握った火打ち金を二、三度打ち付けてほくちに火を点し、その火種を硫黄を塗った杉の附木に近付ける。ぼう、と音を立てて炎が高く上り、湿った岩壁を照らし出すと、そこに張り付いていた一匹のいもりが逃げるように姿を隠した。
 黒く変色した陶器皿の中に注がれた魚油がその炎を受けると、途端に大量の黒煙が立ち上り始める。その煙の行き先である天井の縦穴は狭く、どこまでも続き、本当の「地面」はその先にある。ここは枯れ井戸の底に岩壁を削って作られた横穴の中だった。
  やがてともし灯りが落ち着くと、岩壁に立て掛けられている錆び割れた大鏡が、狭い空間に乱雑に散らばる様々な物体を写し出した。

  例えば、それは枇杷材で作られた幅広の木剣だった。
  例えば、それは得体の知れないぬらぬらと光る獣肉の塊であり、黒くうす汚れた包帯であり、何らかの液体や粉末が注がれた様々な形の壺や竹筒だった。

  男は濡れた岩床に胡座をかくと頭から被っていた黒地の麻布を外し、背後から旅枕程の大きさがある木箱を引きずり出してその蓋を片手で開けた。
  箱の中に収められている物、それは奇妙な仕掛けのついた薬箱のようにも、黒金の大砲筒のようにも見えた。だが、その筒の一方には数本の留め金のついた革紐が伸び、もう一方には五本の鉄の棒が突き出している。鉄の棒は人の手指のように互い違いの長さで三つの間接をもっており、またその指先にはそれぞれ針で開けたような小さな穴が穿ってあった。
  男はそれを膝の上に置き、筒を肘で押さえながら鉄の四指を引いた。
  歯車やばね、また鋼線やくじらの髭…現れた指の内部には複雑細緻な仕掛けが詰まっている。彼は傍らの竹筒を手に取り、その仕掛けの中にある注射器のような硝子筒に白い粉を注いでいく。四度、四指に対してそれを繰り返して鉄の指をもとの位置へと押し込むと、かちり、と鉄と鉄の噛み合う手ごたえがあって、指の内部では鼠の鳴いているような薬品の溶ける音が小さく鳴った。

  次に男は麻布の中からその左腕を晒した。
  その左腕は肘間接の先で寸断されており、端には幾重にも包帯が巻かれている。男は黒金の筒を右手で持ち、左腕の端にあてがってねじ込みながら、革紐を肘に巻いて一つ一つ留め金を止めていった。作業が終わるとその感触を確かめるように肘を曲げ、伸ばし、その義手を眼前にかざす。すると四指は、ばちん、とばねの音と共に物を掴むように強く握りこまれ、もう一度同じ音をたてて元の位置に戻った。
  明かりを灯した皿の上を、迷い込んで来た一匹の蛾が舞っている。
  男はゆっくりと義手の指先を伸ばし、揃えた指先をそこに向ける。と、その先端から細い噴射音が発せられ、白い粉を浴びた蛾は痙攣するように羽ばたきをながら炎の中へと落下していった。

  立ち上る煙に一際黒い筋を描きながら、羽はいつまでも激しく燃えていた。