シリーズ・関東における近代産業の発展と盛衰、その遺構の現状と都市デザイン

第1回 カラクリ人形と

ノコギリ屋根・桐生

1.桐生開催の趣旨

かつて絹織物の拠点であり、群馬県東部の中心都市であった桐生市であるが、絹織物の退行とともに勢いを失い、広域における中心性も低下している。しかしながら、歴史ある文化性や新たな機械産業の進展等、桐生独特の雰囲気を持っているのではないか、との思いから、キャラバン・シリーズ第1回の開催地となった。都市環境デザイン会議(以下「Judi」)関東ブロックのこれまでの視察会が、群馬県を未訪問であったことも有力な理由であった。

2.日時、行程など
2003年3月1日(土)
行 程 
新宿駅西口 9:00発
・貸切りバスにて桐生市へ
有鄰館着
まちなみ見学
・寄合所しんまちさろん
・買場紗綾市通り
・無鄰館
・桐生天満宮 
・群馬大学工学部同窓記念会
市民文化会館着 
・意見交換会 ・懇 親 会
新宿駅西口 23:30着

3.協力団体、参加者等

桐生大会の開催については、桐生市都市計画部の全面的な支援を頂いた。視察行程の選定、視察場所での説明者の確保、意見交換会への出席者のお願い、さらにはJudiが乗って行った貸切りバスの駐車スペースの確保や誘導等、視察の全体について骨折り頂いた。

参加者はJudi側が14名、桐生市側が18名(足利工業大学為国先生、市役所7名、市民まちづくり団体等10名)であった。

4.桐生市の概要

第1回桐生大会は必ずしも好天ではない2003年3月1日午前9時、新宿西口集合から始まった。例によって一人のメンバーが時間までに現れず自宅で寝ていることが発覚、バスは待てないので一人だけ現地集合とした。参加者は合計14名である。

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桐生市は796年、官社山田郡賀茂神、美和神の建立から始まる。その後桐生氏は足利家に仕えて隆盛を誇るが1573年桐生氏は滅びる。館林領に組み入れられたり、旗本に分給されたりした後1722年三井呉服店の絹買継店を桐生新町に設置され、1738年西陣織物師弥兵衛・吉兵衛が桐生新町へ高機を伝えるなど、絹織物のメッカとしての地位を築いていく。1739年には新居藤左衛門が7人組合を作り紗綾織を始めている。1841年の桐生新町商人の年間織物取引高は約70万両といわれ内35万両は江戸を相手にしていた。明治に入ってから1868年岩鼻県、1871年群馬県、1872年栃木県、1876年再び群馬県と変遷、1889年両毛線開通、1913年東武鉄道開通、1921年市制施行、1934年昭和天皇行幸、戦後は多くの台風による被害を受ける。

人口は昭和50年の13万4千人を最高に微減が続き、現在11万5千人である。

産業は年間出荷額約1000億円の機械産業、各500億円前後の繊維関係、輸送用機械器具、電気機械器具となっている。パチンコ機械の生産が盛んで、その全国シェアーは約70%を誇る。

街全体がファッションタウンを目指している。

両毛線の中央部に位置しており、桐生から高崎へ39km、41分、小山へは53km、61分となっている。東京へは東武伊勢崎線特急により102km、87分で北千住まで行くことができ、高崎経由新幹線利用上野まで約100分より早い。

5.桐生市まちあるき

桐生のまちあるきでは、市が寄贈を受けた蔵等からなる有鄰館をスタートし、街路事業が未施行なため古い街並みを残す本町通り(1・2丁目)を中心に、その横道である買場紗綾市通り等によりつつ、本町通りの北にある天満宮、さらに北にある群馬大学工学部同窓会会館までの道程を歩いた。

 

本町通りは桐生新町として天満宮を起点に1591年から1606年の間に町立てされた在郷町である。間口7間、奥行40間の短冊状の町割りであり、細分化されつつもその町割りは現在に良く伝えられている。本町1・2丁目周辺には、街並みを支えてきた鋸屋根の織物工場が点在している。木造の他、石造、煉瓦造等もあり、桐生を代表する近代化遺産となっている。その他、本町通りには蔵造りを含む古い商家建築が多く残されているものの、現代に至る過程で看板を始めとする様々な外装をまとっており、往時の姿は直接は見られない。

(1)有鄰館とからくり人形芝居

定刻12時、桐生市「有鄰館」到着、桐生市都市計画課長皆川さんと課長補佐の稲村さんの出迎えを受け、おいしいかつ弁当をいただいたのち、皆川課長から桐生市の説明。

 桐生市は古くから京都との交流があり、その機織り技術は昔から高く評価されていた。しかし、第二次世界大戦で機織り機を全て供出してしまい、その後機織りが隆盛を極めることはなかったが、伝統芸能になっている「からくり人形芝居」が昭和30年代まで行われていたので、そのころまでは経済力を維持していたものと思われる。からくり人形芝居の人形の装束は正絹の高級品であり、からくりと合わせて目を見張る技術力を見せつけている。現在では有鄰館の一角で地元の保存会の皆様の手により「忠臣蔵」、「曽我兄弟の夜討ち」等が上演されている。保存会の竹田賢一氏が演じる台詞は天下一品である。有鄰館というのは18世紀初期に近江から来た商人、矢野久左衛門が築いた蔵を中心等する商業拠点で、米、味噌、塩、酒などを蓄えていた。いわば桐生市経済の源であり、平成5年、市が土地・建物を借り受けたのを機に国土庁の「地域個性形成事業」により修復を行い、市指定文化財として市の管理となり、ロケ、音楽会等に利用されている。平成8年度末には、土地・建物共に市の所有となり、利用に拍車がかかった。

(2)寄合所しんまちさろん

 「寄合所しんまちさろん」は、本町一、二丁目地区のまちづくりを考えるための地元の拠点となるための施設として開設された。空き店舗を利用した施設で、その活動内容は(1)IT機器を介したまちづくり情報の集積と発信、 (2)歴史資産や文化遺産等を対象にまちづくりの関連資料を「まちづくり情報ライブラリ−」として整理、公開する、 (3)町並み案内所としての窓口機能とされている。

(3)のこぎり屋根と無燐館

 桐生市の名物はのこぎり屋根工場であり、戦後の最盛期には800棟ほど有ったものが現在は二百数十棟を残すだけである。そのうちのひとつ、北川家の所有する工房は「無鄰館」と称して世界的な芸術家などのアトリエや工房として文化の発信地になろうとしている。館長の北川氏は建築家であり桐生近代化の足跡として「のこぎり屋根工場」の保存に情熱を燃やしている。残念ながら邸内の女工寮は全焼し、北側の煉瓦塀だけが保存されている。

(4)買場紗綾市

 その近くの買場通りは通行止めとして毎月一回「買場紗綾市(かいばさやいち)」を出しており、買場音頭なるものも作られている。当日も多くの町衆が屋台を出したり踊りの練習をしたりしていた。屋台で売られていた金糸、絹糸は実に美しく昔の面影を残している。

(5)本町1・2丁目

 この買場通りは本町1丁目にあり、本町通り北端に鎮座する天満宮から南へ1丁目から6丁目まで商店街が続いている。3丁目から南は街路事業により道路が拡幅されとぎれとぎれのアーケードがついた商店街になっており、2丁目から上は道路に対して少し角度をつけた建て付けをしている古い町並みが残っている。間口7〜8間、奥行き40間の区割りで、現在では細分化されている敷地が大部分であるが、部分的には昔の区割りの残っている所がある。しかし、これらも無道路地のため利用度は低い。本町1・2丁目には「春秋往来」というタブロイド判の新聞があり、第2号が3月1日に発行された。ちなみに第1号は2001年8月1日だから1年半ぶりの発行である。

(6)桐生天満宮

 本町通の北端に位置する桐生天満宮は菅原道真を祀り、1591年の建立になる。この一帯の一の宮で、当時の瀟洒な天神社が桐生市最古の木造建築物として保存されている。天満宮そのものはその後改築されているが、外壁の彫刻は見事なもので、日光東照宮造営からの帰りの彫刻師が彫刻したものとのことである。その境内で催される骨董市は東郷神社、川越と並んで関東三大骨董市といわれている。説明していただいたボランテイアの阿久津さんの説明によると、神社背面の彫刻には「孟宗」が刻まれており、親孝行息子の筍探しが描かれているとのことである。なお、孟宗竹の北限がここ桐生かどうかは定かでない。境内に「東郷元帥お手植の松」、「牛石」、「亀石」などがある。

 

(6)桐生天満宮

 本町通の北端に位置する桐生天満宮は菅原道真を祀り、1591年の建立になる。この一帯の一の宮で、当時の瀟洒な天神社が桐生市最古の木造建築物として保存されている。天満宮そのものはその後改築されているが、外壁の彫刻は見事なもので、日光東照宮造営からの帰りの彫刻師が彫刻したものとのことである。その境内で催される骨董市は東郷神社、川越と並んで関東三大骨董市といわれている。説明していただいたボランテイアの阿久津さんの説明によると、神社背面の彫刻には「孟宗」が刻まれており、親孝行息子の筍探しが描かれているとのことである。なお、孟宗竹の北限がここ桐生かどうかは定かでない。境内に「東郷元帥お手植の松」、「牛石」、「亀石」などがある。

(7)群馬大学工学部

天満宮から北東に隣接して群馬大学工学部がある。これは大正4年に設立された桐生高等染織学校を前身とした国立大学であり、当時の官立学校としては珍しく民間資本を活用して設立され、桐生の経済力の大きさを物語っている。その講堂は国の有形文化財に指定されて「工学部同窓記念会館」として利用されている。庭には行幸記念碑などもあって桐生の往時の姿を偲ばせている。ここもロケ地としてしばしば利用されている。

5.意見交換会

意見交換会は、Judiのメンバーによるまち歩きの後、地元のまちづくり団体、市役所の方々の参加を得て行われた。意見交換会には、桐生市鄰接の足利工業大学の為国先生も駆けつけて下さった。

Judiでは当初、概ね10人づつテーブルに分かれ、テーブルごとにテーマを掲げ、興味のある人に集まってもらい進めようと企画していたが、現実にはテーマは限定せず進めようということになった。ちなみに準備していたテーマは、@伝統産業の盛衰とその後のまちづくり、都市デザイン、A市民のまちづくりへの参加のきっかけ、B中心市街地活性化のまちづくりと都市デザイン、C高齢化社会のまちづくりと都市デザイン、であった。

意見交換会は、桐生市山形都市計画部長にご挨拶を頂いた後、会議の進め方ポイント等をブロック幹事(小浪)より説明した上で、テーブルごとの議論を進めた。各テーブルの司会進行は、第1テーブル(伊藤洋)、第2テーブル(菅孝能)、第3テーブル(小浪博英)とJudiが担当した。

1)第1テーブル記録

本一・本二

まちづくりの会

森壽作

大内栄

:本一・本二まちづくりの会 会長

:本一・本二まちづくりの会

ファッションタウン桐生推進協議会

井置晃子

竹田賢一

:生活文化委員会委員長

:生活文化委員会副委員長

桐生市

山形賢助

:都市計画部長

都市環境デザイン会議

伊藤洋

土田旭

横川昇二

山田郁子(学生会員)

三牧浩也(非会員)

CAU・プランニング (座長)

:M都市環境研究所

:M横川環境デザイン研究所

:日本大学

:M日本都市総合研究所

[要約]

 

竹田;ファッションタウン推進協議会の中の生活文化委員会において、「生活文化創造事業支援プロジェクト」のリーダーをしており、色々な市民運動の中から面白そうなものを見つけては支援を行っている。

伊置;生活文化委員会の委員長をしている。生活文化委員会は“小さなことでもできる事からやっていこう”という活動を行っており、@ファッションタウン大賞提案プロジェクト、Aものづくり仲間づくり事業プロジェクト、B生活文化創造事業支援プロジェクト、Cこだわり食文化創造プロジェクトという4つのプロジェクトがある。

山形;桐生市の都市計画部長をしている。今まで古いものを色々壊してきたが、最近になって古いものの重要性を実感している。これからのまちづくりにおいては、新旧のものをどのようにマッチングさせていくかが問題だろう。

土田;都市環境研究所を主催しており、都市計画の仕事をメインとしている。21世紀はもう新たな開発は無いだろうというのが私の持論であり、地方において補修的な仕事も手伝っている。日本はどこに行ってもまちが汚い。これは世界的にも有名で、我が国におけるまちづくりの今後の大きな課題である。

大内;市内で建築の設計事務所をしている。「本一・本二まちづくりの会」で、本町1・2丁目地区に住んでいる人達の視点で今後のまちづくりを考える活動を行っている。また、建築設計の方では「群馬森と住まいのネットワーク」という取り組みをしている。

森 ;本町1・2丁目地区でまちづくり活動をしている。今後は、ソフト的な活動も含めながら、伝建地区指定を目標にまちづくりを行っていくことが最善の方向だと考えている。現在は、「まちうち再生総合支援事業」という県の補助事業を受けているが、我々全体でどういうまちづくりを目指すのか、地域として勉強中である。

横川;JUDIの関東ブロック幹事をしている。都市環境デザインに関わっているが、最近ではまち全体の計画づくりの仕事が多くなってきた。今日は桐生での色々な活動の様子をお聞かせいただいたうえで、何か助言できる事があればさせていただきたい。

三牧;今の仕事では駅周辺の大きな開発に関わるもの等が多いのだが、学生時代から古い町並みや地方都市の中心部のまちづくり運動のようなものに興味を持ち、関わらせていただたいこともある。桐生では今も残る産業を活かしながら、“とにかくお客さんに来てもらえばいい”というのとは違う方向でまちづくりを考えておられる印象を受け、興味を持っている。

山田;大学で都市計画を専攻している。こういった都市デザインに興味を持っていて参加させて頂いている。今勉強中なので色々なお話を伺えればと思っている。

伊藤;JUDIで関東ブロックの運営委員をしている。仕事では都市再開発事業が中心であるが,地方が再生しなければ日本の経済は再生しないと考えており、仕事とは別に趣味で研究会等をやっている。まずは桐生市の方から、今まちづくりをしている中でお聞きになりたい事や今問題になっている事をお話いただきたい。

大内;住民参加のまちづくりを進める中で、人と人との関わりを作っていくことが大切だと考えている。桐生において、歴史的な資源を生かしたまちづくりを行う上では、そこに住んでもらうことが一番のテーマである。こうしたことも含め、どのような形で人と人との関わりを作り出していくべきなのか、お話いただければと思う。

土田;住民参加をやる場合も、まとめたりリードしたりする役割で専門家がどのように関わるのかが重要である。住民であって、かつ専門家でもあるという立場で関わると立場が曖昧になってしまう。専門家は、あくまで住民と違う立場で関わる事で、住民からの多様な要望に対して違った角度から対応でき、コラボレーションする事が可能になると考えている。

   “まち”に住むということに関しては私も大賛成である。“まち”に住む生活文化、ライフスタイルというのは実は日本中無い。生活文化委員会で取り組みをされるなかで、是非、桐生独自のライフスタイルを作って頂きたい。飲んで食べてという場所を町の中に作り出していければ、むしろ東京よりも“まち”に住むというライフスタイルを確立しやすいのではないだろうか。

伊藤;人が減るとまちの賑わいも減るのは当たり前と考えがちだが、ヨーロッパでは人口5万、10万とかの町でも日中まちなかに大勢の人が出て活動している、それは年配の人と子供達である、と先日読んだ本に書かれていた。つまり、ソフトによって、お年寄りと子供がまちなかに出て活動しやすいような仕組み、生活のパターンを作るという方向が一つあると思う。

大内;今の本町1・2丁目は明治時代から作られてきたまちで、今の生活スタイルに合わない部分も多いのだが、そういった所をもう一度見直し、生活しやすいまちにしていく事が、人が住む事に繋がっていくということだろうか。

山形;桐生は戦災を受けなかったため、駅周辺を除いてはまちの再構築が進んでいないというハード面での課題がある。ただ、一定水準の都市基盤整備は終わっており、ここから更に再構築を進めるべきなのか、それとも再構築は行わず、古いものを保存しながら活用していく事を考えるべきなのかというところが今重要になってきている。

伊藤;私の印象では、地方はモノはできているが、そこに都市生活が出来ていない。都市に住んでいながら都市の生活をしていない感じがする。

竹田;まちが活性化するためにはモノと人と金が動く事が必要だと思っている。桐生では今のところ、金はともかくファッションタウン推進協議会を中心としてモノと人は非常に活発に動いている。

横川;私の出身地である山形県の米沢は中心市街地が崩壊した代表のようなところで、歴史的なものもほとんど失われているが、桐生と同じように織物のまちだった。そこに住んでいる人だけでは、なかなかそのような歴史的資源に気づかないことも多く、その点でよその人がそういうものの大切さを指摘する事の重要性が大きいと思う。

土田;広島のある田舎町では、まだ若い町長さんが中心になって、“自分達の住んでいる所ぐらい綺麗にしよう”、という取り組みをしている。お客をもてなすという事よりも、自分達がもう少し気持ちよくまちに暮らせるようにしようと、コンクリートの三面張りだった川を畑から出てくるゴロ石の護岸にするといった事をしている。このような日常的な気遣いによってまちは良くなる。これから、日本中どこでも役所のお金が無くなっていくなかで、ある程度ゆとりを持った上でもう少し柔らかいまちづくりを考えていかなければならない。

   道路については、通過交通を防ぐという観点からも、路上駐車を徹底的に認めてはどうだろうか。今ヨーロッパの政策は車を入れない地区と合わせて、どんどん路上駐車を認める方向である。そのためには、周りの迂回道路は作らなければいけないが、そのようにして今の道路を拡げないというやり方もある。防災面では、多少過密であっても建物が倒れなければよく、別にコンクリートの必要はない。もう少し安いやりかたでやる方が日本人にも合っていると思うし、そういう方法を考えなければいけない。今の制度や国が作った規準は過剰装備ではないかと感じる事が多く、もう少し知恵でカバーできるものがあるのではないかと思う。

   近代化というのは即ち産業化、産業化は軽工業、繊維産業から始まるもので、そういう意味で北関東をキャラバンの対象にしている。桐生にも繊維産業の遺産がもう少しあるのかと思っていたが意外と少ない、という印象を受けた。鋸屋根はたくさんあってそれらが活用されていくのは良い事だが、産業遺産としての中身が無い。

大内;本町1・2丁目地区においては稼動しているものはもう無いが、まだ桐生市として繊維産業は盛んであり、260ある鋸屋根の工場のうち100ぐらいはまだ織機が稼動している。

土田;ただ、本町1・2丁目を見れば、鋸屋根の建物が残っているのだから、そこに昔ながらの織機を入れて、という事を考えてはどうだろうか。観光になってしまうと言われるかもしれないが、中身がないのはどうも寂しい。そういう方向ではないというのであればそれで結構なのだが。

伊藤;建物だけではなく、そこで営まれてきたものを含めて考えるという事だろうか。それが行き過ぎると、昔の製法で織物を織ってという何とかミュージアムのようになってしまうと思うが。

森 ;その辺が非常に難しい。中身がなくなってしまっているというのは、すなわち経済性が無くなっているということでもある。

伊藤;先程、竹田さんがモノ、人、金ということを言われたが、私はその金という所が少し違うのではないかと思う。地方が独自に活性化していくということを考えると、お金も桐生の金と横浜の金、前橋の金は違う。モノの動き方が違うし、人の使い方も違えばモノも変われば金も変わる。独自の価値を作らずに、統一して全国一律になってしまうと地方の活性化は出来ないのではないだろうか。

土田;単にモノを売るという事だけで言えば、郊外店に基本的にかなわない。中心市街地で勝負できるのは、身の回り品や食品、職人が直接オリジナルのものを売るといったもの。

森 ;ものづくりは桐生の得意分野であり、その中でも繊維産業は未だ残っていて色々な物が作れると聞いている。いわゆる地場産があって、郊外店とは全く違う物なので十分対抗していける。エコマネーも面白いと思うが、地場産を売り出していく上では、地域の中だけでは再生産できないと感じている。基本的には作る人が直接売るのが一番いいが、そのためにはまちの魅力をしっかり育てて、桐生の面白さを伝えられるようにしなくてはいけない。

伊藤;おそらく東京で買えるのであれば東京で買う。桐生に買いに来てもらうためには、ただ桐生で売ればいいというのではなく、桐生に来る事による付加価値がなければいけない。

森 ;その地域の特徴が生きるもの、そしてそこに行かなければ無いというものをどれだけたくさん作っていけるか、それがポイントだと考えている。

土田;まちのスケールは異なるが、岐阜県の郡上八幡というまちは、伝統的に用水をまちの中に引き込んで生活に活かしてきた所だが、今、アメニティ形成の中でそういった用水を活かして色々な工夫をしている。

山形;桐生も昔は水車があって疎水が街中を流れていたが、下水が普及する中で埋めてしまった。

土田;地形が変わっている訳ではないので、もう一度水路を復活させる事も考えられるかも知れない。商店街では橋がたくさん架かる事になってしまうので難しいし、風景としてもあまり綺麗ではないだろうから、水路を作るなら裏道の方がいい。

森 ;今になって見れば川が恋しくて復活できればいいというのはあって、やるとなれば技術的にも出来るのだろう。ただし、一番問題なのは、そこに住んでいる人が、自分の事だけでなくいかに全体の事を考えられるようになるかという事。人々の意識をいかに変えていくかという事が大きな課題である。

土田;話は変わるが、この辺では何か名物料理のようなものはないのだろうか。

伊置;桐生はうどんのまちなので、うどんを何とか広められないかと考えている。

土田;うどんならば、それに乗せる合鴨を使って有機農業をして、ついでドジョウやイナゴが取れて、というように色々出来るのではないだろうか。

伊藤;森会長から、“自分の事だけでなく広くモノを見られる人が増えなければいけない”という事が今後の課題として挙げられた。21世紀は色々な事が言われ始めていて、その中で日本らしさ桐生らしさに繋がる少しでも赤く太い糸を探り出していくような作業が各場所で必要ではないか、という気がしている。都市デザイン会議としても、また桐生の皆さんとお会いできる機会があればと、思っている。

       

2)第2テーブル記録

ファッションタウン桐生推進協議会

石原 雄二

金子由美彦

山口 正夫

 桐生商工会議所

(株)桐生さくらや

桐生市

上原 泰洋

 桐生市経済部

都市環境デザイン会議

安倍 貞司

菅  孝能

高見 公雄

高見なほ子(非会員)

八木 健一

(株)日本設計

(株)山手総合計画研究所

(株)日本都市総合研究所

 無職(元、設計事務所勤務)

 八木造景研究室

[要約]

八木;造景という分野で仕事をしている。まちはその場に行って生で風を感じないと分からない。今日、桐生を初めて訪れたが、印象として確かに古い建物、景観が残っていると感じた。

高見;都市計画の仕事をしている。いいものがあるのに現代化の中で隠れてしまっていると感じた。ある一時期に気付かず壊してしまったのものがもったいない。また、先月にも桐生に伺っているが、このような性格の都市の中心市街地のとして商店街が元気なのではないか。

高見(な);大学で建築を学び、設計事務所にいたが現在主婦。先程天満宮の骨董市で良いものを見つけ購入した。住んでいる世田谷にも似たようなボロ市という祭りがあるが、桐生は桐生特有の繊維関係の機械等も出されており、あって興味深く拝見させて頂いた。

安部;建築の設計をしている。地元でまちづくりボランティアの活動をしていることもあり、市民参加、参加のデザインをお聞かせ願いたい。住んでいる所は東京の府中市。桐生と同じように歴史的なものを生かそうとしている。桐生を見て羨ましいと思った点は都市化の違いもあるだろうが、府中には古い建物が残っていないのに比べ桐生はだいぶ残っている。行政だけでなく市民もこれを今後どのように生かしていくのかに興味を持った。桐生は面的にまちが出来ていると感じ、中心市街地はいうほど深刻ではないのでは、と個人的に思った。伝統があり、力がある街だという第一印象だ。

管 ;横浜で建築の設計と都市計画の仕事をしている。群馬県の冨岡の中心市街地計画の相談を受けていて、前に桐生の有鄰館を訪ねたことがある。富岡も赤レンガの製糸場という歴史的遺産があるがまちづくりに上手く生かしていけないという問題点がある。桐生の中心市街地は活気がある方ではないか。人口規模も一定程度あり、製糸産業で培ったものがあるのではないかということ。2つ目として桐生の市民が古い街並みを生かそうと頑張っている印象を受ける。横浜では行政が頑張っているが財政も難しくなっているので、古い建物等を買い取れなくなってきている。民間の方でも低密度な古い建物よりもそれを壊してマンションを建てた方がいいと考えているので、行政に限界が来はじめている。

金子;市内で一番店舗数の多いレディースの専門店をしている。家賃と人件費がかなりかかっていてこれを工面するのに苦労しながらもナイトバザール(夜市)を去年の12月まで月1回開いていた。住民参加というのは説明よりも共に参加・協力する事によって住んでいるだけの住民ではなく、市民になってくる事で元気になってくる。地域には地場産業というものがあり、桐生はものづくりのまちだ。桐生はファッションタウンという事で色んな企画が出来るし今は民主導でも行政が協力してくれている。桐生が規模の割に元気なのは民・官が協力できているからだ。

上原;産業振興課に勤めている。中心市街地の関係で今一番頭を痛めているのは桐生を歩く人が非常に少なくなってきている事だ。これをどう解決するのかが一番の課題である。また商店の売上が減少する事によって空き店舗が生じていて、この空き店舗をどう埋めていけば活性化するのか。もう一つは後継者問題だと思うがまちが疲れている印象がある。これを解決していかないと桐生の中心市街地は立ち直らないのではないかと思う。店をやっていても現状では儲ける事が難しいので後継者がいない。商店街でさえも郊外に家を建ててサラリーマン的にここに通っている。これも大きな課題だ。行政として市民がするイベントに積極的に参画しているが、桐生の中で一番素晴らしいと感じるのは桐生ファッションタウン推進協議会の活動だ。その活動が桐生に溶け込んでいる。また桐生は平成9年から各商店街でハード整備を進めてきたが、今その返済が始まっており商店街の負担になっている。

山口;桐生は子供達も感性が高く、感性の高い生活文化環境にしていく事が桐生の生きる道では。大量生産・大量消費の社会ではなく、完成度の高いいいものを。ファッションタウンというまちの受け皿が出来た事でまちが一つの方向に向かっている印象も受けるし、行政ともいい形でやれている。そういう意味では理想的な方向に転がっている。どこでもそうだが民と官が上手く機能していかないとまちづくりは難しい。

石原;商工会議所にいる。なぜ商工会議所が出てきたのかというと、産業よりの方に行ってしまいがちであるのでもっと生活者寄りに出来ないかと考えたからだ。桐生では商店街近代化事業を中心商店街で行い、これを引金に3、4丁目の商店街近代化事業を行っている。

山口;今求められているのは個性。桐生ならではの、例えば近代財産を活用しながらどんなまちが作られるか、桐生にしかない雰囲気のまちづくり等。商店街一つを作るにしても私はプロデューサーがいないとまとまっていかないのではないかと思う。

管 ;全国共通の問題で地方の人口が減っている。桐生もそうだがそれについてどのように取り組んでおられるのか。まちを歩く人が少なくなったという話も人口が減っている事に関連しているのだろうが。あと商店街近代化事業についてだが、先程歩いた商店街も都市計画道路が途中で止まっいてその先はどうなるのか分からないという問題がある。来るまで買い物に来るから道路を広げたい、駐車場を作りたいという話はどこにいっても共通している。一方で買い物というのは歩いてもらわなければいけない、その事をどのように考えておられるのかお聞かせ願いたい。

八木;今日1、2丁目を見せて頂いたが、ああいう古い建物は3、4丁目にも昔はあったのか。

  ;あそこまでは古くない。まち自体は新しい街並みになっていくので。

管 ;天満宮の配置も人工的に作っている印象を受けた。道路を拡幅した当時、このまちをどうしていくかという議論はあったのか。

上原;昭和30年代は桐生は財力があったので、全国に先駆けて近代化に着手してアーケードを作った。今はその近代化の建物も古くなり、今後その建物をどうしていこうかと考えているが難しい。私が子供の頃は人が溢れるくらい歩いていたが、今は歩いている人も少ない。中心市街地の空いているスペースに住宅を作っていこうかと思っている。長崎デパートがあったところに4階建てのアパートは、設計に入っている。近代化事業の際、全部同じ顔の商店街を作ってしまったので店の個性が全く表に出ていない。これが大きな課題ではないかと思っている。これからは店の個性を表に出していかなければ、まちにお客さんは歩かないのではないか。

高見;1、2丁目を見せて頂いて思ったことがある。古い瓦を古臭いからと看板で隠したが、看板を取り外したら中から瓦屋根が出てきたという事と関連する。昭和30、40年代に作った商店街近代化の共同建物は多くの都市でぱらぱらと建っているのでは格好悪いが、桐生ではかなり多く連なって建っているし、一定の街並みを形成していると思うので壊すべきではないという印象を受けた。これは先程の看板の話と同じで、その時代のセンスで少し古いものを壊すということが危険であるという認識。

八木;伝統的な古い建物がぽつぽつと建っていて、ある所ではその伝統的建物をどうするかという方向に視線が行く一方で、中途半端な昭和初期の建物をもっと見直す事も重要な課題だと思う。建替えなくても良いがある種の調和関係で見た時に、古い建物をそのまま綺麗に残すのとその鄰にあるちょっとどうにもならない建物をどうにかするという事で調和が保てるのでは。話は変わるが、私は町の皆さんが元気でエネルギッシュな印象を受けた。また先程子供達の感性が高いという話があったが、去年学生向けにランドスケープの本を分かり易く書いたら、素人向けの本を書かないかという話がきた。という事は環境やまちづくりに関心が高まっている。環境やまちづくりは専門的な話だと思われがちだが、ドイツでは小学生の頃から環境教育を学校でしているので、環境に対して子供達の美意識が育っている。日本の場合はあまりやっていないのではないか。50年、100年の機関で考える必要があるが、当事者だけが一生懸命になるのではなく、子供に対して環境教育をもっと行わなければ意味が無いのではないかという心配がある。基礎のようにまちづくりのデザインのマナー等がもっと一般になっていく仕掛けがいるのではないか。

高見(な);大学があってあまり学生を見なかったが、駅から学校に行くには学生はバスか何かで?

上原;バスで大学に行く。今は休みということもあるが、大学生に限らず、若い人があるきたいと思うような魅力的なまちにまだなっていないため、あまり街には出ていない。

高見(な);家の近くに東京農業大学という大学があるのだが、ここの商店街は学生が行き来するので活気がある。東京でも高齢化は進んでいて、住んでいるブロックで子供がいるのは我が家だけだが、通りを若い人が通るのでかなり活気が出ている。しかしここでは大学まで歩くには少し遠い。バスで素通り

安倍;スターバックスコーヒーを誘致している自治体がたくさんあるが、向こうも市場調査をしっかりするので場所があっても中々来てくれない。それで問題になっているのは長野市で、スターバックスを誘致する会というものを市民が作っても来てくれない。しかし外でコミュニケーションを取ることがないという事は、裏返せば1個人、1家族が非常に充実しているのだろう。

高見(な);東京だと家が狭いので他の所で集まろうとする。

管 ;大学生、女学生とまではいかないが、今日案内してくれた方はまだ若い方だし。最近デザイナーの方が桐生に目を向けているのはファッションタウンという活動の成果でもあるし、方向性として桐生は特に繊維の部分では全部揃っているし、その部分を情報として発信できるようになってきている。

山口;今日、無鄰館をご覧になったと思うが、のこぎり屋根は耐水性があって明るいのでものを作る空間でいうと非常に良い。桐生にはあと二百数箇所のこぎり屋根が残っているが、何とか活用できるように市にお願いしている。残すにはお金がかかるが、ただ残すだけではなく活用していけば伝統的なのこぎり屋根も貴重な空間だと思う。

上原;そういう意味で今年から無鄰館のようにいわゆる商店街の空家活用ではなく、作家であるとか工場に改造してそこで創作活動をするような県の新しい試みがスタートする。

菅 ;時代は変わってきてしまっているが、何か作るというよりも余分なものを消していくという事が大事なのでは。景観的な計画とはまた違うと思う。


3)第3テーブル記録

為国 孝敏

福島 長治

足利工業大学

高崎市都市整備公社

市民活動推進センターゆい

笹川 八洋

ファッションタウン桐生推進協議会

角田  亘

北川紘一郎

 

無鄰館主催

桐生市

長尾 昌明

皆川 欣也

経済部

都市計画部

都市環境デザイン会議

今川 俊一(非会員)

加藤  源

小浪 博英

渡辺 裕康(非会員)

(株)都市環境研究所

(株)日本都市総合研究所

 東洋大学

 東洋大学

[要約]桐生は天領としての独特の気風があり、保守的でもあり、進取の気風でもあり、足の引っ張り合いでもある。その中で、ブテック等、若者を引きつける何かが町中に点在し、他の町よりは活気がある。これからは、本町の歴史を残す方向で思い切ったプロジェクトを模索したい。

小浪;今日はファッションタウンの方が来られているので産業の話もしたいが、その前に本町の道路をどうするのか、という所から入ってみたいと思う。現在3丁目辺りまでは街路事業で整備が終わっているが、1、2丁目は未整備の状態で止まっている。果たして街路整備はあれで良かったのか、またこれから1、2丁目の部分はどうしていけばよいのか。

為国;今、紗綾市等をやっていた買場通りを中心に地元の人達とどんな道にしていこうか、というワークショップをやっている。3年程前、1、2丁目は都市計画道路の整備が出来ていない状況の中で、地元の人達がどう思っているのかを学生達と一緒にアンケートをとってみた。その結果を見るとほとんどの人達は関心が無かった。多数の無関心な人達にどうやって自分達のまちという意識を持たせるかという事が非常に重要ではないか、と思っている。しかし、もう3年経ってしまっているのでもう一度調べてみたいと考えている。

小浪;地元の動きがいまいちという事だが北川さんはどう思われるか。

北川;今の点について話すと、先程のアンケート結果は当然だと思う。これは直感なのだが、桐生は天領だったために自由人が多く、城下町のようにお殿様がやれと言って、そのままやるという所ではなかったので、市長がこれをやれと言うと皆反対を向くという気質・DNAがある。だから、「まちづくりをやろう」と言っても一つにまとまらないのは分かり切った事で、それが桐生の特徴であり、その上で逆に長所として取り入れる方法が無いかどうか今模索している。それと、道路については私見だが、幅員はあのままで昔あった堀を復活し、歩道を広げて車は片側通行にする等にして潤いのある道を取り戻したい、と考えている。

小浪;そもそも1、2丁目は車が邪魔ではないか。

皆川;今日はイベントもあったので特に車が多かったということもあるが。本町1、2丁目でのまちづくりの会の支援等は県の補助事業であるまちうち再生総合支援事業として行っているのだが、今年は3年目を迎えるので、改めてアンケート、座談会を行い、なかなか表に出てこない桐生の市民性を聞いてみたいと考えている。

小浪;少なくとも1、2丁目を昼間のお客さんが来る時間帯に限って車を締め出して歩行者天国にするとか、あるいは堀を作った場合には半永久的に歩行者天国になるが、その場合車をどうさばくのか。そういう事に地元の方を巻き込んで、堀と水車が復活してその水車が回ってからくり人形を動かすまちになって、という風に。地元の組織はNPOとして組織されているのか。

北川;NPOにはまだなっていないが、100名前後いるだろうか。

為国;かなりの人は一応入っているが、今まちづくりの機運は盛り上がっているがそれはまだ最近の動き。昔から住んでいる人にとってはそういう動きは何なのかよく分からないし、自分には関係ないという認識が非常に強い。これはどこのまちでもそうだと思う。

加藤;為国さんの話をきいて思ったのが、全国どこの都市に言っても中心市街地に対して「自分達のまちの中心市街地だ」という意識が非常に弱い。それは行政についても言える事。例えば特に商業面について言えば、あちこちでお店がある訳だから「中心市街地だけという訳にはいかない」等であるが、その辺にすごい問題があると思う。中心市街地にお金を使うという事は全市民にとって財産的にも文化的にも非常に大切だという事を市民も行政も理解しなければいけない、そういう事が今の日本には非常に欠けていると思う。桐生もまちなかの人は頑張ってはいるが、そういう意識が市民全体に伝わっていない。だから、広報等を通じて訴えていかなくてはいけないと思う。そうすると議会の人達もやってもいいという風になっていく。時間はかかると思うが。

長尾;桐生市の場合は支援策というとほとんどは中心市街地に重点を置いている。そういう面では中心市街地にお金をかけていても批判は起きていないし、みんなが中心市街地は何とかしなければならないという意識は持っていて、桐生はその点では恵まれているのでは、と思う。

小浪;しかし、僕から見ると足利や栃木と比べると何もやってないように思うのだが。

加藤;必ずしもやっていない、という意味ではなく、もっとお金をかけていいと思う。真ん中の道路の問題も、私も多分一方通行にするぐらいが一番いいと思うが、それを支える裏側の道路2本を時間やお金をかけてでも拡幅していくという事に皆で合意して投資していく、という事だと思う。もう一つ、今日思ったのは、桐生の中心市街地はまだ非常に元気である。郊外に大規模なショッピングセンターが無いことが幸いしていると思うが、それでも今は微妙なバランスでやっと持っているという状況だと思う。このバランスはいったん崩れ始めるとあっという間に崩れてしまうから、本当に早いところで手を打ったほうがいい。

小浪;僕が心配しているのは大抵商店街というのは路線沿いに伝統的なのがある。その真ん中とか両側に核となる人寄せパンダ的になる店が1つか2つある、というのが普通だが、桐生の場合はそれが何にも無い。やはり何か核的なものが必要なのではないか。

笹川;果たして核が必要かどうか。僕は桐生の出身ではないので住み始めてすぐ車を持ったのだが、歩いて生活しようと思えば出来るまちでとても便利なまちだが、群馬全体としては車社会だから、それがおかしくしてしまっているのだろうか。

北川;本町1、2丁目の古い町並みのある所と3丁目から末広町までの中心商店街は全然形態が違う。その中で末広町を含めた中心市街地はわりと若者にも見直されていて、ブティックも含めた核とかパンダというよりはゲリラ的な戦術が功を奏していると思う。こういった成熟した社会で若者がいかに帰ってくるかという事を考えるとある意味でゲリラ的な方が面白いような気がする。末広町にはところどころに駐車場があり、結構夜中まで若者が帰ってきて楽しむ所が出来ている。

笹川;私は群馬大学出身で、群大生もまちでは桐生出身の若者と遊ぶことが多いが、桐生の若者はやりたい事、新しい事を発信していく人がとても多いことにびっくりしている。遊び場所や遊び方を自分で作ってしまうのが上手い人種だ、という事をまちの外から入ってきて痛感している。

小浪;そうするとファッションタウンということになると思うが、どうか。

角田;中心市街地が必ずしも独立してある訳ではなく、周りの人達の応援があって初めて成り立つ、といったような事を本で読み、こういう視点から攻めてみようという事でファッションウィークをやることになって、これまでに7回行っている。その後ファッションタウンの方では中心市街地活性化プロジェクトをしたが、当時はシャッターが閉まっているところが多く、県や市の応援をもらい、入居者募集を行い、埋めたことがあるが、先程加藤さんが言われたように、とにかくかなりの資金を投入すべきだという観点に立ち、実際にそこに何かが出来たときに初めて周辺の人もそれをあてにして集まってきたり、集合体が出来てくるんだという事を感じた。駐車場や車止めの問題等色々あり、歩行者天国のお願いも何度も警察に言ったが、なかなか聞いてもらえない。警察としては交通の循環を考えているだけで、このように歩行者天国ひとつとっても、個々の戦いではやりきれない。

加藤;商業施設の応援だけではなく、もっと色んな形で中心市街地にお金を投じる事を皆が合意してくれるように仕向けていかないと、中心の人達だけ頑張っても上手くいかないと思う。今の時代、皆モノを買わないのだから、中心部に行くのは楽しい時間を過ごす、時間消費が目的なので、そういう事が出来る空間が大事である。それから、特に高齢者はまちを歩きたがっているが、トイレが無い。特に女性は困っている。小さな問題だが、そういう事もきちんとやる、皆が合意していくという事を仕掛けていかないとなかなかモノになっていかないと思う。先程の警察の話だが、今、国交省の都市計画課が中心になって、国がお金を出して、道路・公園・広場・河川空間といった公共施設の利用を通じてまちに賑わいを出そうという研究会をしている。それは都市部だけではなく、地方も主だった都市で公共施設を活用してまちづくりをしている人にも入ってもらって、来年度からは警察も参加してもらって制度を含めて検討していく予定になっている。

角田;本町の通りは県道で県警管轄だから市警ではどうにもならない。県警に話を持っていくと道路はあくまで交通を循環させる事が目的だという事になる。

加藤;国の検討会では警察庁に入ってもらうつもりでいるので、だんだん変わっていくとは思う。

為国;足利の北側に北仲通りという通りがあって、電線地中化をしているのだが、ここをワークショップでは住民として車を走らせない道にするつもりだったのに対し、県警の見解はあくまでバイパスとして車をさばくという姿勢だった。警察というのはまだまだ交通をさばくための道路という認識が強いようだ。

加藤;彼らはやはり道路交通法を後ろに背負っているから、いわゆる管理者としての性格が強い。

小浪;桐生市を見ていると、川向こうが遠からず動き出すと思う。しかし市内でも本町は他に無い資質を持っているのでここだけは桐生の心臓として大事にいい地区にしていく、それなら議会も納得していくと思うのだがどうだろうか。

渡辺;今まで聞いていて2つの事があり、1つは桐生としてのアイデンティティが身につけられるようなまちを作る事と、もう1つは商売の面で買い物をするような所ではなく遊びでお金を稼ぐようなまちを作る、といった事だったが、この二つを両立させるのは結構難しいのでは。例えば洋服を買うのが似合うようなレンガ敷きの道路を作ったとして、その横に水車とかが回っていると多分若者は感性が繊細で贅沢だから「何だかな」と思うだろうし、もし純粋に和風で石敷きにすると若者は「日本式でいい所だな」と言って通り過ぎてしまう気がするので、この二つを両立するのは難しいと思う。僕はどちらかを犠牲にするしかないのか、と感じたのだが。

小浪;確かに足利学校の前に立つと通過してしまうだけだ。「いいな」とは思うが。

為国;僕はそれでいいと思う。全ての年齢層が同じように満たされる事を目指すとかえって無理がある。

小浪;若い人のご意見はいかがですか?

今川;僕はまちばでこれから僕達の時代で何が出来るか、という意味で興味がある。それと歴史的なものを残すという意味では、桐生で残して欲しいものはたくさんあると思う。最近では色々な「歴史的なまち」というのもあまりに固定的な概念で辟易するところがあるのも確かだし、一方で「歴史を受け継ぐ」ということに関しては、方法や程度等にかなりの多様性が出て来ているように感じる。そういう中で僕の桐生の感想というのは、少ししか見ていないが、「おしゃれだな」と思った。

加藤;確かにいいまちだな、と思って僕も見ていた。

今川;お店をやっている若い人達を見て「僕も同じように共感できる物が、東京ではなく、ここでも出来る」という事と、さらに本町の通りのような環境があって、という事でいいな、と思った。若い人達がモノを生み出す環境と地域の歴史的な環境が一体になっているのは、魅力としての幅が大きいと思う。

為国;商売ではなく、まちで遊ぼうという人達が集まれる場所、まちになるというのはすごくいいと思う。それがお洒落になると思うし、結果として商売になるかもしれないが、最初から商売を狙って入ってくるというと合わない。

北川;渡辺さんの視点も若さがあり非常に面白いと感じた。それと今川さんは桐生をかなり良く見ている。何を見ているかというと、風景の事を話したけれど、桐生は確かに混在しているがそれが桐生にしかない良い所なのだ。それを彼が指摘してくれた。

今川;僕は普段の会社とは別に副業でも手作りで始めるお店を持てる時代にならないか、と思っているのだが、桐生はそうした外からの人達のまちなかへの入り易さという点ではどうなのか。

北川;桐生人はものすごく足を引っ張るのが上手。そういう事を承知の上で入ってこなくてはならない。だからまとまらない訳だが、それも良い所と悪い所があって、それだけ個性が強いというか、先進性、デザイン、流行を作り出すという気質がある。桐生文化市というのを仕掛けた人がいて、鋸屋根を使って自由な発想でいろんな分野の若者達が集まって大騒ぎした事があった。そういう中で若者達が桐生は面白いと感じてUターンして帰ってくる事になればいいと思う。彼らを上手く育てればまちの財産にもなると思う。

渡辺;カオスと言ってもそれを見れるものにするために調律していく役割が必要で、それを例えばアーティストが担うという事だろうか。

北川;「調律」という言葉が出て、これは「ハーモニー」という事だと思うが、それはまちには要らないと思う。自然にハーモニーというのは出てくると思う。それを作ろうとすると大変だと思う。

小浪;ところで、まちをつくりかえるための区画整理というと、定規を当ててピッピッと描いたような のが多いけど、それとは違うフリーハンドな区画整理というのはできないものでしょうか。ここはそういうフリーハンドな方法で今の形を生かして、本町1−2丁目あたりの30ヘクタールくらいの区画整理ができるといいですね。今までのような、杓子定規の区画整理ではつまらないですよね。

北川;30ヘクタールのハードの部分と、それから、ソフトの面では桐生全体でのこぎり屋根を使って、アートを使って文化のあるまちづくりをしていきたい。そういったところに集まるアーティストたちはたくさんの友達を持っているし、いろいろと勉強してきた下地を持っているんです。そういう意味で桐生の文化レベルが上がっていくと思う。だから、企業誘致ならぬ人材誘致ということをどんどんやっていったらいいと思うんです。

小浪;この30ヘクタールの中にはのこぎり屋根はどのくらいあるんですか。

北川;中にはあまり無い。外のほうが実はたくさんあるんです。ですから、そういうものを見ると混在しているというのは大変面白いことだと思うんです。若い人たちの感性でペンキを塗ったりしておもしろいのこぎり屋根になりつつあるところもたくさんあるんです。そういう意味で、これは非常に面白い都市のデザイン要素になると思うんです。若い人、外から来た人たちが仕掛けをしてくれたりというネットワークができたらいいなと。そのためには所有者の理解を得なければいけないという課題があります。

福島;北川さんが「いろいろ混ざっている」ということを言っておられたんですが、都市計画図を見てびっくりしたんです。この準工の広さというのは全国でもなかなか無いと思います。私は在職時代に都市計画課にいたので、まちに人や企業を誘致する仕事があったのですが、その際、誘致する前にしなくてはいけないことも多くありました。やはり外から来たときに第一印象がよくなければ来てくれないんです。そのために、市民に説得をして、中心市街地に一生懸命お金をかけました。そんなにかけていいのかというくらいかけました。そしてそれについてはおおむね市民の方の合意を取れてきました。それによって企業が積極的に移ってくるというところまではいっていないのですが、少なくとも減少が止まってきたということはあります。

小浪;議論は尽きませんが、時間が来てしまいました。このグループの結論としては、何かやれる素材があるのにやらないのはもったいない。何か形になることを、見えることをやっていこうよ。ということになるのでしょうか。それではこれでお開きにしたいと思います。ありがとうございました。