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    visitors since January 16th, 2004.




随筆のリスト

こんなことを雑然と考えている。順次記載したい。

悲しい話だね,今日の話題は。...自分のことであり,その他の同じ立場の人達のこと。...

内容:

先ず初めに

こんな悲しい題名での原稿を以前から作り始めていたのだが、本当は掲載したほうが良いのか悪いのか全く分からない。しかし、余り公開していない場所に、すなわち、余り直接にはアクセスできない場所にひっそりと掲載してみようと考えている。その内、検索エンジンには引っ掛かるだろうから、検索されたら終いだけど。でも、本当に悲しくなるような現状が続いている。[検索エンジンにヒッカカラ無いように、2ちゃんねる風の表記を採用しています。]

トウキョウ工業大学に通学している学生がいるとしよう。それが、学部は何とか過ごして卒業(終了)したものの、トウキョウ 工業大学は、全学生が修士を終了することを目指しているという有名な大学であるが、日本のテクノクラートを大量生産しているのかもしれない。どの方がこの大学を卒業されているか分からないが、何れにせよ、地位的に第一B地帯に属する大学である。残念ながら、工学が専科であるので、総合大学とは言わないのかもしれないが。

それが、大変な状態なんですよね。石破れ繁 防衛●長官のような方が沢山おられるような大学だと思うのが良いかもしれない。だから、といって直接的にその大学の制度を否定するわけには行かないのは当然なのだが、その中で、大おか谷キャンパスが本部なんですね。これは、相当な街中にあって、少なくとも町の生活に溶け込んでいる、そして、近隣住民の方も、その大学の存在に対して誇りを感じているかもしれないし、学生自身に対しても良い感情を持っているかもしれない。学生に対する生活環境もかなりのレベルで整備されているといって良いだろう。しかし、問題は、この大おか谷キャンパスから、電車で約45分ほどの所にある、くぼ地か、森林を開発したような場所に建つ広大な敷地を占拠しているすすかげ台キャンパス(以前は '長つたキャンパス' と呼んでいたが、場所と名前が一致しないため、最近変更されたようだ。)には、広大な敷地を覆う、目も当てられないような、コンクリート打ち放しの建物が林立する。その間には、森や畑が散在するような場所です。もちろん、直近の私鉄の駅からの距離はそれほど遠くないのでキャンパスの敷地としては非常に理想的であろうと考える。しかし、大おか谷キャンパスが備えているような、学生に対する環境が整備されていないため、近隣住民との間のコミュニケーションはおろか、営利事業を営むような業者さえも近づいてこないようなへんぴな場所にあるわけである。

それが、それ自身としては何も意味を持たないのだろうし、誰かがビルの屋上から飛び降りたことがあるとしても、何も他の場所、他の大学と異なるようなことは無いのであろうが、しかし、そのコンクリートの打ち放しのビル群は少々異様な感じがある。また、入り口も、通用門に相当する、電車駅から近い場所にある通用門は、通常「ギ口チソゲート」という不名誉な名前を与えられており、余り好印象を持つような環境でも無い。幅が1メートル余の歩道に、自転車が高速で通過できないような防御の装置を備え、犬を連れての入場をお断りという、少々気のめいるような敷地が広大に広がっている。

その中で何が行われており、何が行われていないのかは全く部外者には分からない。しかし、その中は権力闘争であり、本部の大おか谷キャンパスとは異なる雰囲気での特殊な雰囲気が流れている。いわば、流刑地のような雰囲気といって良いのであろうか。だから、権力を求める人が外部からどんどん入ってきているが、それをコントロールするのは、大学の知性でも、理性でも、高度な学識でも無い、単に権力闘争そのものといえよう。だから、この地で何らなの実績を収めるために、全国からの草刈場のような状態で教授、助教授、助手、講師連中がやって来る。それらが、大おか谷本部からは余り疎外されているために、独自の文化が育っているようだ。そして、大おか谷本部からのコントロールが完全にできかねていると言っても良いかもしれない。

本部からのコントロールはほとんど効いていないようだ。しかも、このような独自の文化を持つ集団を効率的にコントロールする組織も育っていないようだ。だから、この中では、弱肉強食。権力欲の強い教授がトップに立ち、自分に反対する勢力を追い出し、自分の城を造る。その中でどれほどの恐ろしい、徒弟制度の隷従関係が行われているのだろうか。実に恐ろしいことが行われている。唯一コントロールすることができる機能は、事務方である「教務課」である。そして、その中で学習する生徒、学生の権利を守るのは、誰だろうか? 誰もいない、と言えば言い過ぎだろうか。だから、隷従関係で、隷属関係、奴隷制度に近い徒弟制度の中で培われたのは、上には甘く、下には厳しい、とても研究機関とは呼べないような粗雑な組織運営である。その中で、生き残るのは、単に元気な学生だけかも知れないが、要領が良い学生、ストレス耐性の高い留学生などなどであろう。

何人かが、この高いビルの上から身を投げたということも聞くし、いつの間にか来なくなった学生たちも多い。それに対して、責任を取ったという教授が居たということも聞かない。だから、このすすかげ台キャンパスに来る人は、このような状況を十分に認識し、その中でも他人を傷付けることなく、自分の欲求を全うするだけの決意を持つ人だけが来て欲しい。他人を傷つけることは是非やめて欲しい。貴方が傷つけようとしている彼らも、貴方と同じ地位にある学生なのだし、彼らも貴方と同じ可能性、将来性を持っている[多少は]有能な学生なのだから。お互いに、脚の引っ張り合いはやめよう。むしろ権力欲にぼけた、名誉欲にぼけて、まともな教室運営、研究室運営も出来ず、単に名誉欲に駆られ、違法な実験装置運営、などなどをしている、リーダー格の教授に対して、きちんとした態度を取ろうではないか。このようなリーダー格の教授は、たとえば、NEDOなどからの工学の委託研究費などを取ってきて、余り稼働しそうもない設備を作り、それを若年の、経験の乏しい、しかも、(毒性ガスなどの取り扱い責任者としての)資格を有しない学生にその装置のお守りをさせる。そして、その組織の作り上げる環境は、「秘密主義」である。何が起こっても、決して教授に上げることは無い。だから、X線バッジが取り扱いが面倒だからといって、各自が胸に付けるのではなく、ロッカーにしまわれている。そうすると、このX線バッジは一体何のために使われるのだろうか?高圧ガスの危険なシラン[ワイ]ガスを使用するような実験装置で、シリカが蒸着し、通気管を塞いで、爆発寸前になったことがあるが、この爆発寸前の状況も魚里シ召教授には報告されなかったようだ。シラン[ワイ]ガスが漏れていたら一体どうなったのだろうか?危ないことだ。これが、かの有名なコソピナトリアノレちゃんばーです。この「コンビナトリアルチェンバー」は検索エンジンで沢山のヒットがあるようだが、彼らの研究の実験結果のずさんなこと、研究の基礎であるデータの信憑性についての検証がなされず、どんどん学会誌に投稿・採用されている様子。すべからく、この魚里シ召教授の権力でしょうな。私が以前査読委員をやっていた時は、そのようなデータ採取に関する信憑性に対しての記載の無い論文は、絶対に採用されなかったと記憶しているが。実際、彼らのデータは桁が4桁レベルでばらつくんですよ。そんなばらついたデータの中で、一番上になったデータを採用して意味があるのだろうか。

そして、この教授は、現在はショウセラゲンの所長をされている、魚里シ召教授だが、T大学からの流れ者で、手負いの輩だろう。やはり、さすがT大学卒業だけあり、弁舌のさわやかさ、飴とムチの使い分けの上手なこと、政治力の的確さ、金集めのうまさ、そして、黒を白、白を黒というのはお手の物。夜討ち朝駆け、で相手におもねること、場合によっては相手を打ち倒すこと、そういう人生をやってきて、彼の人生に何が残るのだろうか。まさに、親の漂流状況がここに見えるというものだ。この魚里シ召教授も子達の親だろうが、この親自身も漂流し、一体どこにたどり着くつもりだろうか。彼自身は得意の絶頂にあるので、何も感じていないだろうが、たぶん、この世を去る直前に、マイナス勲一等の叙勲を受け、その暫く後には、このような栄養過多の方は多分すぐに亡くなるのであろうが、そうすると、名誉を一身に受けた「葬儀」をしてもらってこの世を去るのであろうが、到着する先は三途の川を渡り、入り口では厳しい審査が待ち受けている。その審査は、多分この教授が毎年実施している「博士」の審査より厳しいものであろう。実際に今までやってきた善行と悪行を審査されるわけだから、この教授の得意技である、ウソ、偽り、隠し立ては一切通用はしない。そして、そこが天国だろうか???多分誰も知らないが、誰も彼も、彼を知る人は全て、「ジコク」へ行くことを期待し、信じているであろう。

私にはとても、魚里シ召教授の将来が天国であるとは思えない。もちろん、名誉欲に駆られることは男性として恥ずかしいことではないが、人間としていかに恥ずかしいことか、以て銘すべきであろう。これにより、どれだけの人間が、人間性を剥奪され、それで人生を全うに送れなくなっているとしたら、彼の、直属の部下である、マツ気博士、松モ卜助手はきちんとした手だてをとるべきであろう。また、教務課の、池[イヤ]ヤ氏、松ヲン掛長、さらには、教務課の課長、理化学研究科科長も然るべき責任を取るべきだろう。最近の動向では、どうやらこの魚里シ召教授も同僚の専攻を同じくする教授連から、魚里シ召教授のやったことに対する非難が続出しているようで、「自分の蒔いた種は自分で刈り取るように」とのことらしく、やっと、大学人にして全うな動きをしているような。この魚里シ召教授も、定年を来年の3月に控えているが、その前に、ショウセラゲンの所長をしているとは言え、専攻学科の長は下ろされているようで、最後を汚すような動きに、自らを反省することが強いられている様子。まあ、その人をしてその組織はあり、その組織をしてその人をあらしめるのであろうが、余り好ましからぬ人物をきちんと整理するだけの自浄作用を持たない組織は自壊の道をたどることになるのであろう。この教授は、自ら手を下しておとしめた学生に対し、彼らの一生を償うだけの責任を負うべきであろう。一体何人の有為なる学生をこのような道に追い込んだのであろうか。このような教室運営を見過ごした東エ犬の学校当局、専攻、研究科などなども、各々責任を負っていると考えるべきであろう。社会から弾劾されなければならない。(2004年3月10日追記)

−−−−

実際、自分が書きたかったのは、上記のような暴露記事ではない。こんなことはどこの社会でもあろうし、どのような企業においても、政府機関においてもあるのだろあう。しかし、思い出すのは、山崎豊子の書いた「白い巨塔」にもあるような隠蔽工作・権力闘争を書きたかったのではない。自分は、親として、そのような年ごろになった人間として、もっと若くて元気で、何でも出来そうな青少年が陥る「タコ壺」「奈落の底」入った移動なんだろうか?どうすれば、彼らをそのような「奈落の底」から救い出すことが出来るのだろうか?また、そのような「奈落の底」に入るような状況に誰がしたのだろうか?それを、我々の年代の人間が救えなかったのだろうか?ということが主な内容なんだが。そして、手を見ると何も手段が無い。そして、我々に残された年月は10年ぽっち。今まで60年余、苦労に苦労を重ね、子供たちを育て、また、社会に貢献し、そして、歌会から奪い取り、今から、年金という形で、社会から奪い取るような状況になってしまっているが、だからといって、給料の後払い、というような性格の「退職金」払い込んだ預金を戻してもらうつもりの「年金」それ自身が、社会を、会社を、組織を潰しているとしたら、我々のしたことは何だろうか?と言うのが素朴の疑問である。

我々は、平和憲法を守ってきた。そして、60年安保で日米同盟に反対してきた。しかし、あまりにも軽い「小泉」「石破氏」にかかって、今まで必死に守ってきた平和憲法は、国民の大多数が改憲するべきだという風潮になってきた。この風潮は一体どのような所から来ているのであろうか?改憲すれば、戦前の暗黒が来ると直ちに結びつけるのは間違っているのだろうが、また、徴兵制度、侵略戦争が来ると考えるのは間違っているのであろうが、こんなに簡単に、平和憲法を守り通して来た日本が、ここ数年の間に「改憲」に賛成する人の方が多くなるというのは一体どういうことだろうか?私の怖いのは、このような、流れ、右へならへの風潮、その日本人の根本思想である、「他人と違うことをすることが怖い」という思考回路が怖いのです。

だから、今小中学校にまん延している。「喧嘩をせずにみんな仲良く」そして、「易しいことを噛んで含めて、みんなが理解するまで」進める教育からは、まともな学生は育たないだろう。取っ組み合いの喧嘩をし、相手の痛みを自分の痛みとして身にしみて感じて、喧嘩の程度をきちんとわきまえるような教育が必要だと考えるのは、老人の繰り言か?我々は、そのようにして育ってきたのではないか。欲しいものがあれば、一言口に出せば、直ちに準備がされる優しい母親、そうではないだろう。一生懸命に説得し、努力し、交渉し、やっと手に入れるのではないのか。自分で努力せずに手に入れた果実がおいしいはずは無い。一生懸命に努力し、到達するから、山は高いのだ、尊いのだ。バスで登れる富士山が尊いとは思わない今日この頃。エベレストもある程度はそのようになってしまっている。

だから、みんな「バーチャルな世界で遊ぶ」「バーチャルな世界で戦争をする」湾岸戦争がそうだった。そして、今まさに、イラクでの戦争は、そのバーチャルな世界の戦争から、誰かが必ず死ぬ戦争にと移行している。そうすると、アメリカ兵に「派兵拒否」「鬱病」がどんどん出てきている。バーチャルな世界ではない、生身に人間を開いたして戦争をしてゆく、何も大義の無い戦争をするとしたら、そのようなことになるのは目に見えているだろう。日本は、「人道支援」だから、大義はあるわけだ。しかし、相手を殺すわけには行かぬ。非常にしんどいのが現実だろう。

そこで、どこの親も、下記のような社会状況において、何もすることが無い、何も出来ない、ただ「漂泊しているのみ」というその状況を嘆いて、この文章を書いているのだが。一体結論はどうなるのだろうか?(2004年1月26日追記)

−−−

最近,悲しいことが多いね。でも,韓国のサッカーの試合を観ていて,日本人もあんなにガッツのあった時代もあったのかな..と懐かしく思ったり。ガッツのなくなった日本人はどこに行くのかな。若者だけではなく,年寄りも同じかも知れないし。そんな勝手なことが言えた柄かよ,と言いたいけど。日本だけではないかも知れない。最近読んだ本では、あの厳しい軍事訓練を2年間以上全若者に課している韓国でも同様の状況が起こっており、これは、「儒教」的な教育が影響しているのではないかと言われている。まさかと思ったけど、彼らは、厳しい軍事訓練が影響していると考えていたらしいが、日本でも起こっている事を知り、がく然と来たらしい。どうやら大変に難しい問題のようだ。

それを無視するのも自由だし,そうだと納得するのも自由だし,色々な対応があると思うが,自分自身がそのような状況に陥ると,確かに悲しいものがある。私達60年代の人間にとって,NHKの「プロジェクトX」も良いかも知れない。我々の通常の,最も基本の生活を,さも,特別のように描いて一般の人達に示す番組。古い昔のセピア色をした過去。物がわかった人に言わせると,当り前のことを当り前にしていることをドラマにしたって意味ないよ。NHKの報道局の担当者に言わせると,「本当に過去を振り返ることが意味があるの??」と言うことになり,「クローズアップ現代」のような番組の方がアタックする意味がありそうだが,私達から見ればどちらも同じ。

昨年、一昨年は,悲しい事件が多かったね。

  • 年末の世田谷の住宅地で起こった一家皆殺しの事件,
  • 神戸の住宅地で,小学生(2人)が殺害されたサカキバラの事件,→この人も、2004年3月10日に少年院を出られましたようで。ご愁傷様です。今後どのような生活を送られるのか、少々気になるんですが。まだまだ21才では未完成、その人間、6年程度では何も変っていないのではないかと、自分自身を翻ってみるに、思う所 "多" である。
  • 池田小学校で自動が多数殺害された事件,
  • 九州からの長距離バスで乗客が殺害された事件,
  • 桶川のストーカーの関係者の殺害された事件,
  • 少し前には新潟で10年以上も亘って少女を監禁した事件,
  • 宮崎何とかという人が少女を多数殺害した事件,
  • 大阪でおこった殺害事件,
  • カレーのマスミ容疑者の事件,
  • もちろん,保険金をかけて関係者を殺害した事件,
  • 外国女性をどうやら殺害した誰かさん,
  • 東電OLの事件,
  • もちろん多数発生している医療ミスによる患者の殺害事件,
  • 安楽死を装った事件,
  • 医局員が殺害したように見せかけた医療機関の事件
  • もちろん、米国はニューヨークの貿易センターツインビルの爆破
  • それに伴う、米国によるアフガニスタンのオサマ・ビン・ラディーン氏への攻撃
  • 中国瀋陽公使館への北朝鮮人の集団駆け込みと、これを排除した外務省官僚。。。。

そして、今年(2003年)もいくつかの事件が起こってしまった。一つ一つを記載するのもおっくうであるが、記憶に残っている事を記載すると。

  • 長崎での中学生殺害
  • 福岡での小学生の幼稚園生の殺害

これらはいずれも14才以下の少年による凶悪犯罪です。...

  • 米国ブッシュ政権による、イラクフセイン政権への攻撃と、フセイン大統領の長男、次男殺害

余りに多くの事件が起こりすぎた。私がそれらの事件を一々コメントするような時間はないけど,「新潮45」や「噂の真相」などの社会派の雑誌が詳細にコメントしてくれている。これらの雑誌を毎月購読していたがもう止めた。自分の立場が怪しくなってきたから。

と言うことで,これらの事件を総合して、今回の題「漂泊する若者と親たち−− 夢も希望も無くしてどこに行けばいいの?」です。

しかし,本当は最近になって手元に持った本「井田真木子著: ルポ十四歳消える少女たち, 講談社文庫」と「高田宏著: 旅の図書館,白水社」が起因していることは否定できない。このような本をたまたま手にすることが出来た幸せをこのサイトに掲載したい。

おかしい人が多い日本って国

昨日も居た。その前も居た。おかしそうな人達。ホームレスは良いかも知れない。ある程度社会的に認知されているから。でも,そうではない種別の人達,社会的に認知されていない人達が多すぎる。

良く居るんだな。「ぼーう」っとして,ウォークマンなんかを持って、鞄をもって,水やお茶の入ったボトルを持って,何をするで無し,ぶらぶらと歩いている人達。そして,別の種類の人達は,「ぶつぶつ」と独り言を言っている。酔払いや,競輪でまけた男達の荒んだ姿とはもう一つ異なる。もちろん,ホームレスとも異なる。余りひどい格好はしていない。不潔というような服装はしていないが,それほど特徴のある服装ではない。誰か,面倒を見ている人のお仕着せの服装かな。自分の服装には見えないけど,少々アンバランスが特徴。

そして,これが,あちこちに居る。自分が用事があっていくつかの場所を訪問して戻ってきてもやはり居る。何もしていない。この間万引の特集をある番組でやっていたが,これらの人とも違うが,店ではあちこちと見ているが,目的があるわけではないから,視点が定まらない。

仕事があるのだろうか??

私は、現在はサラリーマンを卒業した身分だから、仕事は持っているが自由時間が多い。そして、その自由時間は、一般のサラリーマンの男性軍とは異なる。すなわち、女性軍、主婦層、そして、家事手伝いの若い女性たち、学生、特に女子中・高・大学生。これらの人に囲まれて街をうろついている事が多い。それ自身、私は何も違和感は無いのだが、その中に[いわゆるリストラされたばかりの]男性軍も混じる。確かに、リストラされたような、一見サラリーマン風であるが、特に何をする当ても無く、時間を潰している人がいる。これはこれでいいのだ。彼らは、会社をリストラされ、ハローワークでも自分の適する職業を見つけられない人たちだ。これらの人たちがどんどんこれから増えてゆくだろう事は想像に難くない。統計上、失業者数、失業率は横ばい、乃至、減少しているらしいが、実数は増加しているはず。失業者とは、「職を求めている人で就職出来ない人」と定義されているが、「職を求めている人」とは、ハローワークで、自分が適するという職業を見つけられ、それに応募する事が出来る人を指します。だが、実際にハローワークを訪問した経験がある私が判断するに、50歳を超えた人は、今までの経歴・業歴を生かして、多少、人間的な職業を見つける事は不可能に近いような状況です。やはり、ガードマン、警備員、駐車場の案内、道路工事の安全保安員、それに近い職業しかないが、これは、元警察官にリザーブされている職業で、一般の知的労働?をしてきたサラリーマン、管理職には向かない。もちろん、営業職もあるが、「サラ金」の営業かもしれないし、ポケットテッシュを配っている人かもしれないし、保険の外交員かもしれない、電話による勧誘をする人かもしれない、風俗関係かもしれない、...これらの職業に応募するだけの勇気のあるサラリーマンはいないだろう。そうすると必然的に、50才でも、統計上は「失業者」ではないけど、実際には失業者で、職を持たない人ができ上がる訳だ。彼らは、年金には縁が無い。現在では、61才、ないし、62才にならないと公的年金、会社の企業年金をもらう事は出来ない。そうすると彼らはどうするのだろうか。マクドナルドでパートをする訳にも行かないだろうし、..それが高じると、川崎駅のコンコース、多摩川の河川敷、その他、で夜を過ごすことになる。→最近は、横浜、青葉区、荏田西当たりの高級住宅地で、マンションが余っているらしく、某建設会社が地権者から借用して独身寮に活用していたマンションが余ってきて、これを、これらの方達のための宿舎に活用しようとNPOの方が活動されているらしい。生活補助の月13万円の内、6万円ほどを、13平方メートルの部屋を3人で同居しているその部屋代に、5万円ほどを3食代に取られて、残るは2万円ほどが手元にあるわけだが、このように考えると、生活保護費と言うのはすごい金額だと思います。大卒の新入社員の給料が20万円強で、それから、税金、社会保険などを取られると、手元に残るのは10万円程度だから、全く働かずして13万円も貰えるのは、みんな生活保護を受けたくなるかもしれないな。これも税金から取られているのだが。2004年3月9日追記)

当然このような人は沢山いるだろうが、彼らが特に問題になる訳ではない。自分自身をいさめる(自死のこと)可能性が非常に高いが、それはそれで仕方のない事だろう。今、幸せにも職業を持って、リストラにも遭わないで仕事を続けて居られるこれらの年代の皆さまは幸せなんです。また、60歳を超えて、年金を受給されている人たちは幸せなんです。問題は、45才から60才までの元サラリーマンです。もちろん、自由業や会社経営をしていた人も多いでしょう。これらの人も、自分の会社を潰すと、負債だけが残り、生活の糧は失う事になります。そうすると、その先は見えていません。どうしたらいいのでしょうね。公的なサポートはありません。セイフティーネットワークと言うのかな。それとも社会保障というのかな。そういうもの、たとえば、「生活保護」が受けられるのかは知りませんが、元サラリーマンで、生活保護を受ける事が出来るような人はいないのではないだろうか。

だから、これらの多数の男性・女性にとって、非常に厳しい状況にある事は否めません。彼らが、年間3万人を超える自死の数の中に入ってゆくのか、それとも、多摩川河川敷、新宿副都心のハウス、上野公園のハウスに行くのかは知りませんが、遠からずこちらの地域も満員になってしまうでしょうね。

10年間を仕事無しで過ごす事は非常に厳しい事です。だから、彼らは彼らなりに何らかの職業を得る事で生活をしてゆくのでしょうが、年収50万円から100万円で何とか生活をする術を得る必要がある。これは、月間で5万円以下です。家を持っていると、光熱費が最低でも合計で月間で5,000円以上はかかる。これで、あと、生きてゆく必要がある。扶養家族がおれば、彼らの生活を見る必要がある。もちろん、国民健康保険は強制的に取られる。国民年金も徴収される。あああああ....

覇気があるのだろうか?

余りこの話題は適していない気がする。実際、私がこのような人たちと直接コンタクトを持っている訳ではない。だから、私のサイトへの質問、掲示板への書き込みなどなどから推察する以外に方法がないのだが、それ以外にも、ニュースソースはある。新聞であり、TVであり、雑誌であるが。

それらをひっくるめて、「若者に覇気があるのだろうか?」という疑問。と言うより、自分のおかれている立場立場を理解して、それに応じて自分のやるべき事を認識して行動を起こしているのだろうか?という素朴な疑問である。学生としての活動、就職・求職活動、会社生活、転職、退職、自由業、フリーター、アルバイト、さらには、風俗店、風俗系の仕事、援交、....

これらの一つ一つは非常に多岐に亘る事象を含んでいる。しかし、その全てを統括している事は、多分、これらの範疇にはいる人は、18歳を超えているのだろう。または、20歳を超えているのだろう。そうすると、もう成人式を越えて、大人の仲間入りをしている訳だ。しかし、体や意識は大人かもしれないが、実際の行動、思考過程は、全くの子供である。子供というのは言い過ぎかもしれないが、自分の行動が論理的に説明出来るかどうか、すなわち、自分が何をしなければいけないか、そして、その目的に応じて判断をし行動をしているのだろうか?また、他人や教師、両親、友人などに助言を求めるであろうが、それらの助言を元に行動をしたとしても、自分の責任において行動をしているのだろうか?自分は、他人のアドバイス、命令に従って行動をしているだけで、結果は自分に責任はないと思っていないだろうか。この状況を称して、「子供」だといっているのだが。

自分の時間、能力を有効利用して活動をしているだろうか。学生は、勉強やクラブ活動に大部分の精力を割いているのだろうか?無為に時間を潰していないだろうか。携帯でメールやチャットをやっている人も多い。ゲーセンで時間や金を浪費している人も多いだろう。もっと問題は、自宅の私室にこもりっきりで、PCでゲーム、通信ゲームをやって時間を潰していないだろうか。彼らの行動は外部には現われないので、私には何も分からないけど、問題をおこす人(おこした人)は、どうも、このような人間関係から疎外され、ないし、疎外して生活をしていたような気がする。自分の殻に閉じこもり、外部との接触を断ち、そして、事件を起こす。自分は、外部から疎外されている、それは全て外部の人間が悪いという認識になる。弱者をあやめる。それが上で述べた各種の事件になっているのではないだろうか。

オンラインゲームにはまる儒教の国「日韓」の青年達...(2004年1月20日NHKクローズアップ現代取り上げ)

日本で、不登校が話題になり、「戸塚ヨットスクール」が問題になりました。そして、この方法は否定されました。しかし、否定されるだけで、別の代替案があるわけではありません。多数の小中高生、さらには大学生、また、卒業した青年達、それらの人たちの中でまん延している「いじめ」「不登校」「登校拒否」「引きこもり」「就業拒否」「フリーター」、そして、「パラサイト」などなど。

小学校での、横並びで、「けんかせず、みんな仲良し」が原因だとも言われるし、「鉄拳制裁」が暴力といわれ、もちろん、「叱ること」「叩くこと」は厳しく規制されている。これが原因だと考えられていた。そして、「戸塚ヨットスクール」で「自分の力で生きることを学ばねば、将来は開かれない」ということは自明の理になったような気がするが、この手段自身が司法の手によって取り上げられてしまった。戸塚さんが逮捕され、刑を執行されているはず。

もちろん、日本に韓国のような「徴兵制」はない、韓国では、25ヶ月の徴兵が待っている。大学が合格すると、卒業までは延期されるようだが、男子すべて、18歳になればこれから、25ヶ月は徴兵である。厳しい訓練の日々が待っている。それほど、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮のこと)の脅威が強いわけではないが、ほんの1キロ程度の境界線を越えれば、共産主義の国が存在すること、それがこのような徴兵制と、25ヶ月の訓練をもたらしているのであろう。何れにせよ、25ヶ月の厳しい訓練が待っているから、男子にとっては、「自分を見つめる」機会が与えられ、集団生活の機会が与えられる。だから、韓国は日本にような「不登校」「引きこもり」は無いと日本では思われていた。

一方、韓国では、受験競争が非常に厳しい。なぜならば、上記の徴兵制により、浪人は許されないから、受験に失敗すると「直ちに徴兵」が待っている。そのため、中産階級以上の家庭では、子息の教育(熟、家庭教師)などに投入する金銭的な負担は、家計の負担で一番大きい部分を占めるに到っているという。それほどの投資をしても、どうして「引きこもり」「不登校」などなどの現象が現れるのだろうか? と思われていたようだ。そして、これは厳しすぎる受験勉強競争で、子供に甘い体制が出来てしまって、子供を甘やかせるからだと言われて研究がされていたようだ。(新潮45に記事に詳しい。非常に不思議なのだが、新潮45のある記事が著作権関係なしに掲載されている。世田谷事件について記述されたものであるが、日韓共通の引き篭もりの記事ではない。こちらを見て下さい。)

ところが、日韓の研究者が集い、話をした所、何と現象が似ていることか? しかも、各々自国の制度がそれを招いていると考えていたけれど、他の国ではそのような制度は無いのに同じ現象が発生して居る。だからどうしたのか?どうしてか?ということになり、いろいろ話し、研究がされたが、どうやら結論は日韓とも「儒教的な家庭教育・家庭制度」がある。これが原因らしい。ということになり出した。欧米を見てみよう。少なくとも、アメリカでは、18歳を超えて自宅に親と同居しているのは「異常」と見なされ、いわゆる「独立」をする。そして、学費はおろか生活費も自分で稼いで、自分の大学生活を送るために一生懸命になる。これで独立心が育成される。多分そうなんだろうね。

ところが、日韓の「儒教精神」では、親に対する孝行が最優先である。それに対して、親は子供を猫かわいがりをする。そのため、親子の密着度は格段に欧米に比べて高い。そのため、どうやら、「独立する能力を失った青年が大量生産されているらしい」と言うのが、この日韓の研究者達の結論であるらしい。

そして、今話題に上がっているのは、ITの先進国である「韓国」で、インターネットを通じたオンラインゲームに一日15時間以上も浸りきりになる青年達が多発しているのだそうだ。そして、主婦もその例に漏れることなく、オンラインゲームに浸るため、夫に約束をして、一定の時間しかやらないで、後の時間は食事作りや家事をすると約束するらしい。しかし、そのような制約を持たない、家に居る甘やかされた青少年は、当然、自分用のPCも持ち、インターネット接続環境はADSLのお陰で、定額低料金であるから、つなぎっぱなし。しかも、このオンラインゲームは、自分とは別の人格をえることが出来るらしい。簡単に言うと、弱い人間は、強いキャラに、性別も、男は女のキャラに、女は男の強いキャラに、...などなど、ヴァーチャルの世界で15時間を過ごすそうな。インターネットカフェも意外な所でお役に立っているのですね。

これの結論はありません。「たばこ依存症」「お酒依存症」「麻薬依存症」などなどを直すのと同じような手段で、「ゲーム依存症」を直す以外、方法は無いのでしょうね。悲しいことです。お父さん、お母さんが汗水垂らして働いているのに、子供を大切にしすぎた結論がこの「ゲーム依存症」なんだそうです。それで、上記のような、「おかしい現象」が出てきているのかどうかは全く不明ですが。とりあえずのお話として掲載しました。NHKの「クローズアップ現代」の放送は必ず「再放送」がありますから、是非一度ごらんください。

少々古いが、未だニュースが載っているので、ここに引用したい。2002年4月の記事だが、ソニーのオンラインゲーム上で、エバークエストを休まずにやった息子がピストル自殺をしたのは、SOE(ソニーオンラインエンターテイメントのせいだとして、ソニーを告訴した。古い話だが、ご参考までに。こちらをどうぞ。(2004年2月17日追記)

最近、「禁ゲー宣言」と題するサイトを見つけました。元ゲーマーだった人のサイトです。2001年1月に無事、ゲーマーから脱出し、普通の仕事に戻れた人のサイトです。どうぞご覧ください。こちらです。大変に勇気づけられるサイトです。また、斉藤環(たまき)さん主宰の爽風会佐々木病院では、「社会的引き篭もり」に対応する外来、入院治療、デイケアなどが行われております。こちらです。本当に勇気づけられる活動をして頂いております。(2004年2月4日,5日追記)また、日本精神科病院協会では、このようなサイトで種々な情報の提供を実施しておられます。今までの、放送による情宣活動の原稿まで掲載されています。こちらをご覧ください。

ここに朝日新聞2004年2月8日に掲載された「書評」がある。土井隆義氏の「<非行少年>の消滅」に対して、苅谷剛彦試の書評である。一時代前の少年非行(我々が少年だった頃も同じかもしれないが)は、徒党を組み、非行文化を学習した上で及ぶ犯罪であったが、私が上で記載している数多くの少年犯罪は、これら、公式の非行少年群が消滅し、彼らの反抗の対象であった「社会」に対するリアリティーさえも失った、社会性を欠いた若者が犯行を犯している。犯行の動機は,「わけのわからない」動機であり、我々自身の不安感・不条理感があり、根拠無く凶暴化してゆくのではないかと言うイメージが漂うと、評者は読む。我々日本人は、若者の個性や人格は、他社とのかかわり合いを通じて、人としての成長の中で「徐々に体現されてゆくもの」と考えていたが、今や、彼らは、他社との異質性と向き合うための関係の取り方を学ぶことなく、自分の感じたままを素朴に表出することを、本当の自分=個性の発現だとする見方が広がっている、と評者は読む。これを「個性神話」と呼ぶが、この個性神話の延長線上に、衝動的な犯罪や自傷に向かう若者がいると著者は云う。まるで、エッシャーの「だまし絵」の世界にいるようなものだ。この世界から抜け出して、正常な世界へと足を踏み出さない限り、未来は無いと、私は思う。この未来が、「犯罪などが無い、平和な、天国のような社会、非行も、差別も、暴力もない桃源郷」ではないことだけは確実であるが、少なくとも、自分の道を自分で選択するだけの意欲・意識を持ち、自分の選択からもたらされる結果を自分の責任だと考える、「正常な感覚」を持つ人の集合体であって欲しい。

青年達の抱く「夢」について、雑感です。(2004年2月5日掲載)

「夢」については、私のサイトには多分載っていないでしょう。初めての話題ですね。

私を含めて、みんな、昔は「夢」がありました。社長になるだの、偉くなるだの、ノーベル賞を取るだの、世界で初めてのものを作るだの、二級の日本を一流の日本にするだの、これらが夢でした。今は違いますね。二流の日本がだんだん三流、四流に落ちてゆくのが現状です。誰の責任か分からないけど、何かが欠けているのです。哲学でしょうか。それともプライドでしょうか。我々が、何にかけても実現する、という、意志でしょうか。これが欠けているのでしょう。だから、だんだん落ちてゆきます。

GDP規模では世界で二位でも、色んな調査で、実力はタイより下だったり、小中学生の学力がどんどん落ちていたり。今の大学生を見ていると「10年後の日本が誰にも相手にされなくなる様子が良く分かる」と、アジア系の学生に言われています。これはいけませんね。何が足らないのでしょう。冨の蓄積はどんどん消耗してゆきます。GDP規模より大きい額の借金を抱えて四苦八苦しているのが日本の経済力です。それで、むだ遣いをしている。

我々にはどうしようもないことだけど、このあたりがフランスや、英国などとのプライドの差でしょう。ドイツと日本は敗戦で、立ち上がりを失敗しました。技術志向は良いのですが、文学、芸術は駄目です。哲学も駄目なのでしょう。隣国から、戦争中の破廉恥行為を指摘されると、両国とも「謝罪する、補償する」だけです。だから、それ以上のことが出来ないのです。文化を傷つけたことに対する贖罪のため、新しい文化に対する挑戦が出来ないのです。

我々が何を夢に持つべきか? それは、我々が「プライド」として、英仏に勝つだけのものを持つべきでしょう。アメリカは田舎者の物量作戦だけだから、映画を見ても良く分かる。殴り合いと、CG、作り物(ヴァーチャル)だけ。それ以上のセンスも哲学もなし。私の「夢」は、私は生まれ故郷の神戸に帰ること、英仏伊をこころおきなく、時間の制約無く、旅をして得るものを得る。。。アジアを旅行し、彼らの活力を学ぶこと。私自身は持っているが、私の子供たちは、残念ながら、このような認識は無い。アジアは日本より劣っており、何も学ぶことは無い、旅行をしても、欧米の成功者の宿泊するようなリゾート地に宿泊し、現地の人との交流も出来ずに帰ってくるだけ。彼らの持つ、日本に対する意識、敵意、好意、その他の感情を交流を通じて学ぶこともしない。逆に欧米に対しては、ステレオタイプの認識しか持っていない。彼らは、我々より上を行っている、何も勝つことは出来ない、...だから、交流は成り立たない。お互いにイーコルであると認識し、お互いがGive and takeになれると言う認識が重要。

どんどん、ソフトウエア、SEの世界は、インド、韓国などに負けてしまいます。頭が違うからです。ハングリー精神が無いからです。これこれを実現しないと、自分が無い、自分の将来は無いと言うハングリーな感じが無いから、どうでも良くなるのです。勉強に熱が入りません。友人との交流も、うわべだけです。男女の交際もうわべだけ、「好きよ、嫌いよ」といっているだけ、その中身は?欧米の映画で、男女がどれほど厳しい言葉のやり取りをしているか、生きるか死ぬかのやり取りをしている。その議論の結果が、愛であり、別離であり、なんだ。....アジアの人との付き合いだって、そうだ。喧嘩をする気できちんと論議をするだろうか? あんたの所の国を理解し、日本を理解し、そして、それらの中の交流を実現してゆかなければ、何も得るものは無い。

中国、台湾での商談活動で徹底的な論戦を張ったことがある。1年2年はあっという間に経ってしまう。しかし、その間に交流させた言葉(文字)の量はすごいものがある。その時、競合会社として、ドイツとアメリカの会社があった。それらの会社に打ち勝って、日本の自分の会社が受注を獲得するためには、何をアピールするか? それですよ。日本の、自社の、自分の何をアピールするか? それが無ければ、ドイツ、アメリカの会社に勝って受注できませんよ。一生懸命に考えることです。そして、何か足らないことがあれば、それを開発する、作り出す、考え出す、、、、、絞り出すのです。知恵をね。

今は、コンピュータの世界は、ハードもOSもアプリケーションも、周辺機器も、プロトコル、セキュリティ、WLLなんて技術も、全て、欧米にやられています。日本が持っているのは、液晶技術だけ。これも韓国に取られそう。そしたら、貴方は何を売るのですか?ちょっと時間がかかりすぎた。この文章をお読みの貴方は、以上の私の愚痴を聞いて何か答えを出してください。そして、ご自分で考えて下さい。全ては、情報収集だし、勉強だし、...金融に関しては私のサイトのどこかに載っていたような気もするが。

そして、青年達が自らの「夢」を抱けない、描けないのが現状であるとしたら、その親たちである、私たちは、何か間違っていたのではないだろうか。そして、彼らが「夢」を抱けるようになるまで、描けるようになるまで、漂泊しなければならないのだろうか? いや、そうではないだろう。「夢」は自分たちで描くもの、抱くもの、獲得するものだ。だから、彼らが、彼ら自身で何かを掴む必要があると言うのだろう。それまで我々が手を貸さねばならないとすれば、それは、過保護でやり過ぎと言うもの。自重せねばならない。石の上にも三年、達磨は、壁に向かって七年、寝ていても精々三年(三年寝太郎)、なまけんぼートミーは、自分で食べることも出来ないほど太って、ようやく改心したようだ。だから、全て、自分の力で。でも、あの浦島太郎は、竜宮城でたったの3日を過ごしただけで、300年を過ごしてしまった。だから、帰ってきた時には300歳で、時代も変ってしまっていた。そのようなことにならないよう、常に自重せねばならない。

−−−(2月5日に追記しました)−−−

一つの話題は、青年達が自信を失っていることだろう。ただ単に「若い」と言うことで、「未熟者」「経験不足」という評価を自ら下し、同輩、先輩とのとことんの論議を避けていることであろう。こんなことは、何と言うことも無いことなのだ。私自身も、以前は若造だったのです。何も知らない生意気な若造だった。...しかし、何が違うのだろうか? あの頃を思い出すと、若造で、何も知らなくても、恥ずかしいとは思わず、それを埋め合わせるためエネルギーを使っていたような気がする。そして、自分の意見、提案、考えを上の人に投げて居た。だから、まっとうな論議もしていたような気がする。今みたいに論議自身を逃げていない。議論のための議論ではない。命を懸けた、プライドを掛けた議論でした。これは、同輩達の間でも同じ。今は、論議を逃げている。なぜだろうか? それが分かれば、一つ見えてくるのだが。やはり、青年達が「裸になれず」、「自信を失っている」ことであろう。これは一つのポイントである。

ついで、日本が豊かだから、ハングリー精神を持てない、って本当だろうか? 本当に日本は豊かなんだろうか? 確かに、まあまあのレベルの生活は出来るかもしれないが、40才、50才になっても、住む家は兎小屋だし、持ち物だって何を持っているか? 休暇すらもまともに取れない、単なる「社畜」に過ぎない。朝早くから夜遅くまで、自分の意志を通して仕事をしているだろうか? 何か後ろ向きの、他人に命令されたつまらない仕事ばかりをしている。週末も家族団欒はあるのだろうか? これは、豊かさではない。アジアの人の方がよほど豊か。たとえば、台湾、シンガポール、マレーシア、香港....彼らの方が自信を持って仕事をして、そこそこ、イヤ、十分に満足し、虎視眈々とやっつける相手を見定めているのではないだろうか。

「今が、日本の今が、他の国より豊かであると言う認識」が、ハングリー精神を無くしているのではないだろうか。もし、日本が豊かだと考える人が居たら、たとえば、1週間でも良いから、欧米を旅行したら分かる。私はついこの間英国に行ったが、英国人の彼らの方が心もずーっと豊かで、地下鉄に乗って通勤して居る、労働者(サラリーマンではない)の方が、日本のサラリーマン(知的労働者)より、良い顔をしている。にこにこしている。我々東洋からの旅行者にほほ笑みかけてくる。労働者でもそうなんだ。もちろん、知的労働者は、その地位に応じた「知的な雰囲気を醸し出す」だけのものを持っている。会話が弾めば、その知的雰囲気が飛び出てくる。日本の知的労働者が飲んで話すことは何だろうか? 愚痴、カラオケでおしまい。 家族との楽しい旅行の話、読んだ小説の話、音楽の話、自分の詩作の話などが出てくるだろうか? 日本は知的に、文化的に、精神的に豊かでないのです。だって、大の大人が通勤電車で漫画本を読んでいるのですから。そして、携帯での疑似会話に熱中しているのですから。日本には、ほんのちょっぴり、お金があるだけです。

今の日本人に、公の場で、自分の意見を言うだけの気概があるだろうか? 学生時代に自分の意見を言う機会が無いとすれば、会社に入ってからは、ますます自分の意見を言う機会は無いと思ったほうが良い。自分の意見を言って、それを実現してゆくために全力を投球する、そして、仲間をつのって活動をする。コミュニティを形成する、それが政府への反対活動になるかもしれないし、賛成活動になるかもしれないが、少なくとも自分と言うものを持ち、それを表に出して、正々堂々と勝負をしている。それを実現するのが、自分の人生であり、自分の社会的貢献なんだ。これなしに、仲間内で飲んで、上司の悪口を言い、日本国の悪口を言ったって始まらない。今の日本に、外国からの旅行者に微笑みかけ、話しかけ、ヘルプするだけの余裕があるだろうか? それだけの能力があるだろうか? 小さく、小さく、凝り固まってしまった島国根性の人間の巣が「今の日本」です。日本の方が優れている、外国に学ぶことなど無い、外国は嫌いだ....これって、国粋主義者の始まりではないだろうか。

もう一つ追加したいこと。「不条理を見て、これを正さないことは、不条理に加担することになる」というのが、60年安保世代の常識であった。私も同じ世代であるが、本当にそう思う。もちろん、実力では喧嘩など出来ないし、やくざや、切れた若者の相手など出来ないに決まっているが、この「信条」は未だ生きている。私のサイトで、色んなことを記述し、批判していることもその一部なんだが、先日(2004年2月16日)、巣鴨の「とげ抜き地蔵尊」の前で、老人たちが「反戦デモ」を行ったのが新聞に載っていた。この点から言うと、彼らの方が意識が高い。日本の若いインテリ層が全く行動を起こしていないことが非常に気味が悪い。労働組合が「ストライキ」「反戦デモ」をしなくなって10年から15年経つのではないだろうか? 奥田某のような日経連の馬鹿な会長が日本を牛耳っているのだから、悲しいことだが、労働組合がストライキも打てないほどの組織率ではどうしようもないわね。(2004年2月17日追記)

 

以上

     


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