百年の恋


天より見下ろす遥か地上、闇に煌く数多の灯りは、頭上の星空と見紛う景色。夜の鏡に、映った様かと思う。
 其の瞬きを縫う如く、響く鐘の音は、妄念を絶つとか聞き及ぶ。
「こんな高くまで、響くものなんですね」
 穏やかな声を彩り、遠く、近く。百と八を数えて、人を悟りへ近づけるという。
「此処まで響いても、わしらには効かぬだろうがな」
 側で、笑う気配がした。同時にふわり、酒が香る。
「人ゆえの苦しみ、煩悩じゃ。人を捨てたものには、関わりのないこと」
 盃を干す、横顔が闇に白い。対して髪は、溶けるような黒で。
 其れをを眺めて、眩しげに目を細めた。
「そうとも云えませんよ。特に、僕なんかは」
「其の歳で、未だ迷うか」
 意地の悪い言葉でも、奥には穏やかな優しさが見える。──自分も、同じだと。
 唇に刻んだ笑みは、共犯者のそれで、
「──何より、宗旨違いだ」
 硝子の盃に、鐘の響いたのが見えたように、掲げて目を、眇めた。幼い貌が、妖艶にすら見える。
 楊ぜんは微笑んで、酒を注ぎ足してやった。其れに目顔で礼を返し、太公望がまた、酒を含む。
 晦日の夜天は、身を切るような寒さである。ゆらゆらと、天を漂う浮島でふたり、寄り添うて酒を呑んでも、吐く息が凍る。 
 其れでも、地上の騒めきが昇ってくるのか、夜気は凛と張り詰めて、年の変わるのを待ち侘びているようであった。

 酒器を取って、太公望が楊ぜんの盃を満たす。揃いの硝子は、煌めきが月より冴える。
「それにしても、今年はまた、えらい騒ぎようだな」
 盃に口をつけた楊ぜんから、下界へ瞳を流し、不思議そうに呟いた。足元の島国だけではない、海を隔てたどの大陸でも、いつになく、騒ぎが大きい。真夜中近いというのに、どの窓も灯りが消えず、戸外に道に、人が溢れる。大きな催しも、幾つか見えるようで。
「唯の年越しではないのかのう」
 答えを求めるように、向けられた瞳に、楊ぜんは酒を干して、笑い掛けた。
「西洋の暦だと、百年の区切りにあたるそうです。来年の二千一年は、新しい百年──新しい世紀の始まりだとか」
「それで此の騒ぎか」
「ええ」
 ふうん、と頷いたものの、太公望は未だ、得心のいかぬようで、しつこく下界を見詰めている。
 ややあって、ふと──言葉を零した。
「たった、其れだけで」
 思わず、といったふうに、口から出た言葉は、浮島の下、夜の中へと舞い落ちてゆくが、地上へ届く筈もない。
 相変わらず、灯りは星の如く、鐘の音もまた、響いて止まず。
 側の盆に盃を置いて、楊ぜんも同じく、下界を見遣る。
「そう。其れだけ──なんですけどね」
「それでも、」
 ぽつり、と。
「それでも、人にしてみれば、百年か」
 太公望が、後を続けた。

 人の命は、長く、短い。
 生まれ落ち、死んでゆくまでに──どれ程のことを成そうとも。
 百を数えず、逝くが常ならば。

「幸運、──否、稀なのですよ。生まれた時期(とき)の御蔭で、百年の節目に立ち会うことが出来る。多くは其の、百年のうちに、死にゆくというのに」
 そうして、次の百年が訪れる頃には、中の誰もが、生きてはおらぬ。
「随分な確率です」
「人にしてみれば、な」
 笑いあう、其のどちらにも、嘲りや同情は見えず。
「ならば此の騒ぎも、仕様がないか」
 ふたりには、もう幾度も、見慣れたものであっても、其処に込められた、想いが特別なのであろう。
「僕らにしてみれば、百年は短いですけれど」
「人ゆえの喜び、だな」
 鐘の音が、遠く近く──過ぎた月日が其処に見えるか、太公望は顔を上げ、音を追うて、天を仰いだ。
「わしらはもう──どれだけ月を数えたか」
 声と同じに、夜天には月。月光は白金、黒髪を藍に透かす。
「幾つの国が、生まれ、滅んで。戦いを見て。平和を見て」
 百年を、幾つ数えたろう。
 刻が止まって、淀んで。ぼやけてゆくようで。
「羨ましいですか、」
 応える声も、月光に染まる。
「少しな」
「僕はそうでもないですよ」
「どうして、」
 見遣った貌は、蒼い髪が瑠璃に輝く、優しい瞳の、いとしい笑顔。
 楊ぜんは太公望を見詰め、静かに、告げた。

 短すぎる、と。

「こんなにあなたを好きなのに。永遠の命がある、今でもまだ、愛し足りないのに」
 百年に満たぬ命では、短すぎる。
 百年でも、短すぎると。
「幾ら愛しても、足りないんですよ」
 そう云った楊ぜんは、少し困ったような、其れでも酷く、しあわせそうな貌をしていた。
 鐘の音が、聞こえる。
 人を愛し、執着するのさえ、妄念というのだそうで。
「其れほどの想いならば、此の鐘でも、無理か」
 むしろそうであれと、願いを込めて、太公望が笑う。
「確かに百年では、短すぎるのう」
 自分も、同じだと。

 其の時ふと、足元の疎らな雲が、切れた。
 柔らかな、消炭の色が退いた後には、天にも地にも、煌々と満ちる星々。
 刹那、天が──月光も星の瞬きも、息を詰めたような静寂(しじま)に満ちて、知らず、ふたりも口を噤んだ、其の、一時後、

「──ああ、」 
 其処彼処で、歓喜の騒めきがあがる。天を貫く、其れは祝いの詩(うた)。
 年が──新しい世紀が、明けたのだ。

「声が、聞こえますね」
 不意に楊ぜんが、そう言った。そのまま耳を澄ますようにして──酒を満たした、盃の縁に唇をあてる。
「声、」
 意味を図れず、太公望は首を傾げた。紫紺の闇には、さらさらと地上の騒めきのみ、波の音にも似て渡る。
 けれど、
「──あ、」
 中で途切れ途切れ、意味を成すものがあった。

 
 今年も。
 今年こそは。
 良いことがありますように。
 幸せになれますように。
 

 天に届けと、祈り願う、人々の声。
「こんな処まで、届くのか」
「神様は、天に住まうといいますから」
 顔を見合わせ、笑いあった。
 そして、同じように祈る。
 詠うように、誓うように。
 遥か高みへ向けて、己へ向けて。

 次の百年も、此の恋が続くように。
 次の百年も、此の愛が続くように。
 命のある限り、此の身がいとしい人と共にあるように。
 そして。
「楊ぜんに、」
「師叔に、」
 どうか、幸せのあるようにと。

やまと都さまより頂きましたV


 <作者さまのコメント>

二千一年は新世紀の始まりということで、それを意識して書いてみました。
舞台は現代。仙人は不老不死といいますから、まだ生きてるだろうということで。
あたしらが年越ししてるとき、上でこんな会話が交わされてたんですね、実は(違)。
大晦日の天気は、多分何処も余り良くなかったんじゃないかと思います。北の方では雪が凄かったとかいいますし。
この話では、晴れになってますけど‥‥演出ということで!見逃して下さいませっ。

やまとさんの寒中見舞い作品ですVお言葉に甘えまして、小説・画像共に頂いて参りました(笑)
自然に共にある二人に、寄り添う二人に、何だかとても安心してしまいました。やまとさんとこの楊太さんは、互いが互いに負けぬよう、深く深く想いあっていて、もうもうほんとに理想型なのです(>_<)

やまとさん、素敵な小説をありがとうございました!(>_<)

柚木拝 01/01/27