君のとなりに

優しい声。
視線を上げれば、いつでもそこにある瞳。
呼びかけると、目線を合わせるように上体をかがめてくれる仕草。
さらさらと流れる髪。

彼という存在を構成するもの。


晩秋に近い森の中は、紅葉した落葉樹と、深い緑のままの常緑樹が入り混じって、とても華やかだった。
空気は少し冷たく澄んで、足元では降り積もった枯葉が一歩歩くたびにかさこそと音を立てる。
なかば葉の落ちた木々の間からは、ふんだんに眩しい、穏やかな陽射しが降り注いでいて。
姿は見えないが、小鳥たちのさえずりが絶えることなく響き、また時折、リスや野ネズミらしい影が梢を駆け抜けてゆく。

その中をゆっくり歩いていた太公望が、ふと足を止めた。

「師叔?」
隣りを歩いていた青年の穏やかな声が問うように名を呼ぶのを聞きながら、かがみこんで足元の枯葉の間から何かを拾い上げる。
「何ですか?」
「ドングリだよ」
その言葉通り、小さな手のひらにはつやつやと薄茶色に光る木の実が転がっていた。
「樫の木だな」
言いながら、太公望はすぐ傍らにある木を見上げる。見事に枝を張った常緑樹は天に向かって誇らしげに伸びていた。
しばし、その力強い様を見上げてから、手のひらにまなざしを戻した太公望は、小さな木の実を転がしながら口を開く。
秋の陽射しを受けて、木の実は一つ転がるたびに新しい艶を放った。

「……わしは内陸の草原地帯の生まれだから、崑崙に上がるまで、こういう木の実は見たことがなかったのだ。だから、最初に見た時は物珍しくて両手一杯、拾って帰った覚えがあるよ」
そんな昔を懐かしむ優しい声に、楊ゼンも微笑む。
「子供はそういうものが好きですからね。僕も小さかった頃、師匠に散歩に連れて行ってもらうたびに、色々なものを拾い集めましたよ。木の実や綺麗な石や……」
「松ぼっくりなんかも、形が綺麗なのを見つけると嬉しかったな。あれ、湿気が多いとカサが閉じるのを知っておるか? で、乾くとまた開く」
「ええ。それで、あんまり色々溜め込むものだから、師匠にいい加減にしなさいと叱られて……」
「でも、また拾ってきて?」
「叱られると分かっていてもね、好奇心に勝てないんですよ。少しずつ宝箱の中身が増えていくのが嬉しくて」

子供の頃の思い出を語り合いながら、くすくすと二人は笑う。
その小さな動きに合わせて、楊ゼンの髪がさらりと肩から流れる。
視界の端をかすめたその動きに、ふと、太公望は目を留めた。
「師叔? どうしました?」
恋人の注意が木の実から逸れたことに目ざとく気付いて、楊ゼンが太公望の顔を覗き込む。首を傾けたせいで、更に癖のない髪が広い肩から零れ落ちて。
誘われるように、太公望はそっと手を伸ばした。
「師叔……?」
しなやかな髪を一房、手にすくい取り、まなざしを上げると、彼が身をかがめているせいで、いつもよりも近い位置に優しい色の瞳があって。
太公望は何となく嬉しくなり、小さな笑みを口元に浮かべて、手にした髪をくい、と軽く引っ張る。
すると、楊ゼンも太公望の意図に気付いたように微笑んで。

そっと頬を傾けた。

ごく軽く、優しく唇が触れ合い。
さりげない想いが、触れ合った温もりから伝わる。

そうして至近距離で瞳を見交わし、微笑んだ太公望が、あ、という顔をした。

「どうしました?」
「リスが見ておった……」
太公望の視線を追って楊ゼンが振り返れば、確かにすぐそこにある樫の木の枝にリスが一匹、ちょこんと座っている。
そして、こちらを見つめながらせわしなく頬袋に木の実を詰め込んでいて。
楊ゼンも、おやおやという表情になる。

「──まぁ良いか」
しばらく大きな瞳でリスを見上げた後、太公望は肩をすくめた。
「良いんですか?」
「リスだからのう。覗き見するなと叱るわけにもいくまいし」
「そもそも、ここは彼の住処なんですしね」
「そうそう」
小さく笑って、太公望は足を踏み出す。
そして、木の枝の上にいるリスに、手のひらを差し出した。
その上でドングリが秋の陽射しを受けて、つやつやと光る。
「良ければ、これも冬を越すための支度に加えてやってくれ」
人に慣れていない野山の獣である。
逃げるかと思いきや、小首をかしげるようにしたリスは、ちょこちょこと小さな足を踏み出し、太公望の手のひらに乗って新たなドングリを両手でつかんで頬袋に詰めた。
そして、ぽんぽんに膨らんだ頬袋を揺らしながら枝に戻り、すばやくどこかにある巣穴へと駆け去ってゆく。
その様子を見送って、太公望は笑いながら楊ゼンを振り返った。
「ひどい顔だったのう、あの頬袋……」
「随分、欲張って詰めてたみたいですね」
くすくすと笑う太公望に、楊ゼンも穏やかな笑みを浮かべて歩み寄る。

そして、背後から両腕を伸ばし、華奢な身体をやわらかく胸に抱き寄せた。

いとおしむようにやわらかな髪に頬を寄せ、目を閉じる、その仕草を太公望も振り払わずに受け止めた。
己の体重を軽く青年の胸に預けるようにして、穏やかな温もりに包まれる。
と、

「……観客もいなくなりましたから」

もう一度、と優しい声でささやかれて。
太公望は軽く目をみはる。
それから小さく微笑して左手を上げ、自分の肩に零れ落ちていた長い髪を一房、つんと引っ張った。
それを合図に少しだけ腕を緩めた楊ゼンの胸の中で、体半分ほど彼の方に向き直り、恋人を見上げる。
そんな太公望を楊ゼンも優しい瞳で見つめて。
先程と同じように、どちらともなく目を閉じてそっと唇を重ねた。
二、三度軽くついばみ、それから少しだけ長く触れて、ゆっくり離れる。
やはり、ただ優しいばかりの……愛しいと伝えるだけの口接けに太公望も微笑んで。
それから、すいと楊ゼンの腕から抜け出した。

「もう少し歩こう?」
「ええ」
誘いかけられて、楊ゼンは微笑む。

そのまま、また肩を並べて森の中を歩き出した二人の頭上に、黄色くなった葉が枝から離れて舞いかかる。

さやかな葉ずれの音と、小鳥たちのさえずりと。
にぎやかに小さな生き物たちの生命が息衝く秋の森は、近付いて来た冬の香りをかすかに感じさせながらも、どこまでも穏やかだった────。

古瀬晶さまより頂きましたV


 <作者さまのコメント>


最初に謝ります。こんなヘボヘボですみません(T_T)
柚木様の素敵な素敵な作品を拝見して、「私もたまには、まっとうな楊太を!!」と思い立ったのですが・・・見事玉砕してしまいました。
甘い以外に何がある!?、という感じですね。
こんなものを送りつけてしまってすみません〜(>_<)
ただ、師叔も、楊ゼンが師叔を想っているのと同じくらい、楊ゼンをとても大事に想ってる話が書きたかったんですが・・・。

何をおっしゃいますか〜!!>落ち着け。
なんとゆーか、情景が鮮やかに浮かびます。静寂と、穏やかな空気。何より静かに深く想いあってる楊太さんが〜っ(>_<)。静かに確かに両想い。ツボ過ぎです……(感涙)互いが互いに対する優しい仕草が堪りません。

古瀬さん、素敵な小説をありがとうございました!(>_<)

柚木拝 01/11/05