碧玉がくるくると光っている。
外見だけ見れば年相応の、大層無邪気な顔で彼は言った。

「星狩りに行こう」

光降るの色

 夜の空は風が強く、視界を雲が次々と横切っていった。雲の向こう側にも星が見えそうなほど「満天」というに相応しい眺め。
 星祭り。人々は川辺に集い、星を仰ぐ。昼間の賑やかさとは異なる喧噪が、岸には溢れていた。緩やかに流れてゆく水面が、小さな燈篭の明かりを弾く。

「珍しいですね」
「何が」
 顔半分だけを後ろに向け、太公望は聞き返した。勢いで頭巾の布地がひらりと揺れる。手には砂糖菓子の包み。先ほどからひょいひょいと口に入れているから、直になくなるだろう。
「貴方がこういった風流なものに関心を向けることがです」
 どうせ目当てはそういった菓子なのでしょう、と。片腕は笑顔で揶揄する。
 普段さして城下へと出ない彼は、道中散々に視線を浴び続けているが、それに動じる気配はない。大凡、周囲のざわめきはここから派生しているように、太公望には見受けられたのだが。
「相変わらず言葉を飾らぬ奴よのう」
 ついでに相変わらずの厚顔振りだ。
「いつもと言うこと違いませんか」
「黙っとれ」
 言い捨て、顔の向きを戻すと手を振る。
 その仕草を見た楊ぜんは、喉の奥だけで笑った。


 人の集まっている広場を避け、辿り着いた場所は開けた草地だった。ひっそりと、虫の鳴き声だけが空間を満たしている。頭上には変わらぬ星空。歩いている内に、少しだけその位置は動いているようだが。
 楊ぜんの前を歩いていた太公望の姿が、突然掻き消えた。
「………師叔っ!?」
「おう」
 何のことはない、ただ地面に横たわったというだけのこと。
「脅かさないでくださいよ」
 思わずその場にしゃがみ込んでぼやくように呟けば、返るのは何とも楽しげな笑い声。
「気配までは消えておらぬだろう。そうも慌てるでない」
「そうは仰いますが」
「むしろわしは驚かれたことに驚いたぞ」
 修行が足りぬのう。その言葉が固まって、頭の上にどっかりと重い石を乗せられたような気分になった。
「あなたにかかったら僕なんていつまでも修行不足ってことになりませんか」
「まさか」
「どうだか」
「何を拗ねておる」
 笑ったまま、太公望は自分の左側の地面を叩いた。草が揺れる。
「ほれ、おぬしも寝てみよ」
 釈然としないまま、言われた通り横に転がった。彼の楽しげな横顔を見やり、ふと、何気なく首を元の位置に戻した。途端。
 視界に星が飛び込んでくる。
 仰のいて。空と真っ向から向き合う、ということをしたのはどれ程前のことだろうか。簡単に思い出せそうになかった。
「掴め、そうですね」
「ああ」
 星は思ったよりも近くにあって、そのまま手を伸ばせば指先に触れそうだ。そう、見える。
 けれど触れ合うことは決してない。ありえない、錯覚。
「きれいだな……」
 遊ぶように右手を挙げる。すぐ近くにある気配がこちらを向くのがわかった。
「欲しいのか?」
 からかいを多分に含んだ声音。
 もし。もしもあの遠くにある光が手に入るというのならば。

 彼と自分の間にある距離は、腕を伸ばせば十分埋まる程度。暗くてはっきりとした色まではわからないが、あの碧色の光彩は今もこちらを見ているのだろう。
「欲しいですね」
「何故?」
「何故」
「何のために?」
 用途など、本当は必要ではない。それは理由ではない。
「さぁ」
 少なくとも物理的距離が光年の単位で離れているわけではない、人間界の、今、ここで。歩数にして半歩もない、この間を埋めるなら。
 楊ぜんは身を起こすと、それでもそのまま夜空を見つめ続けた。
「願い事でも、してみようかと思いまして」
「………ほう?」

 風が吹くと、周りの草がさやさやと鳴った。葉擦れと虫の音色が重なり合って響く。
「天へは到底手が届かぬが」
 太公望は懐から小さな包みを取り出した。包み、というよりも箱のような形をしている。手を出せ、と言うが早いか楊ぜんの右手を引っ張った。
「はい?」
「星をやろう」
 掌に乗せられた小さな箱。太公望が蓋を開けた。その、中から。
 ふわり。
「あ――――――」
 するりゆらゆらと軌跡を描いて。
「驚いたか」
 悪戯が成功したときのしてやったり、というような顔で得意気に笑う。その顔の前を光が横切った。
「蛍、ですか」
「そうだ。先ほど蛍売りが出ておったのを見なんだのか」
「……気付きませんでした」
 柔らかな光が辺りを漂う。周囲が明るくなった分だけ、空の星が遠ざかったように感じた。そう言うと、黙って聞いていた太公望は、面白いことを考える奴だと笑った。
「河原辺りに行けばたくさん飛んでおるだろうよ」
「そうですね」


 天には星と月。地には蛍。水面は星の冷光を写し、蛍の幻光を震わせる。
「それで?」
 大きな手袋で蛍を掬うように捕らえた太公望は、楊ぜんの顔を振り仰いだ。
「それで、とは」
「願い事はせんのか」
「ああ」
 彼の掌に小さな光を閉じ込めるかのように、本来ならば二回りは大きな手を重ねて。指の隙間から明かりが零れている。
「願うのではなく、自分の力で何とかしますよ」
「ほう」
 至近距離で、碧色が瞬く。
 身を引き、覆っていた手を放せば、そこからゆうらりと蛍は空へ浮かび上がった。
 ゆらりゆらり。二人揃って光の後を追ったが、しばらくするとどれがその光であったか、わからなくなった。


 天の星を手に入れることが出来るのなら、きっと直ぐ近くの星に手を伸ばすくらいは簡単だろうと。単純に考えてみたのだけれど。
「帰るとするかのう」
 どちらも結局は同じように難しいのだ。
 太公望が笑って言った。
「楊ぜん、おぬし星を髪にくっつけておるぞ?」
「え?」
 一つ。
 鮮やかな蒼色を照らしていた光は、浮かび上がると夜の中へ溶けていった。

◆祝 月宵庭園 二周年◆

コノエさまより頂きましたV

<作者さまのコメント>

去年お祝いし逃したので(そんな日本語あるんだろか)僭越ながらお星様をお贈りいたしたく、こんなもの書いてみました。
よろしければお納めくださいませ。
去年、アンケートの時に頂きました「青空」にしよかと思ったのですが、自分で空は書いたものがあったと、だって七夕だし!月宵だし!とわけわからない理屈こねてこんなことに・・・。
でも、実を言いますと、去年の七夕の時点でこれをお送りしようと思っていたのですよ・・・本当は(涙)

改めて2周年おめでとうございます。
今後も素敵な作品を拝見できればと思っております。
無理なさらないよう、活動続けてくださいませね。



二周年祝いにコノエさんより頂きました。
しかも七日ぴったりに。

……良いのか?良いのかわしっ(あわあわ)
あああコノエさんだよーコノエさんの世界だよー(涙)

夜の音。
夜の匂い。
あの空気。

そいでもって、コノエさんちの楊太さんの、あの微妙な距離感が大好きです。

コノエさん、素敵な小説をありがとうございました!(>_<)

柚木拝 02/07/14