一日の仕事がようやく終わって、戻ってきた私室。
明日はあれとあれを片付けて、あの問題の詳細を詰めなければ、とあれやこれや次の仕事の段取りを考えつつ、袷の夜着に着替えてから、いざ寝ようと寝台に向かって。
その傍らで、ふと足を止めた。
手を伸ばしてシーツに触れてみれば、女官に頼んで温めてもらってあったはずの寝具も、予想外に遅くまで残業をしていた間に冷え切ってしまっている。
こんな冬の夜に、冷たい寝具に横になるなんて、考えるだけでも寒い。
こんな時。

行く場所は決まっている────。

つめたい

警護の兵だけを残して、城中が寝静まっているに違いない夜更け。
近所迷惑にならない程度の強さで、でも気忙しく叩かれる戸の音に、楊ゼンは、寝支度を整えていた手を止め、戸に向かった。
錠を外し、頑丈そうな木製の戸を開いた途端。

「寒いーっ!!」

飛び込んできた布の塊、に見えたのは、防寒具代わりのシーツでぐるぐる巻きになった太公望である。
「師叔」
予想外、ではない。
こんな夜更けに楊ゼンの私室の戸を叩くような、ある意味とても非常識な相手は、太公望以外には存在しない。
だから突然の訪れにも大して驚きもせずに、小柄な身体を受け止めつつ、楊ゼンはひとまず片手で戸を閉め、元通りに錠をかける。
そして、ここまで寒い廊下を歩いてきたせいで冷えた肩を抱くようにして、部屋の奥で赤々と燃える火の方へと誘(いざな)いながら、やわらかな微苦笑を口元に浮かべた。

「今日は疲れたから、ゆっくり眠りたいとおっしゃっていたのは、つい先程のことだった気がするんですけど」
「うるさいのう」
ぐるぐる巻きのシーツの中から、太公望はもごもごと反論する。
「わしから来てやったのだから、素直に喜ばぬか」
「そう言われましてもね」


暖炉の前に敷いてある分厚い毛織の敷物の上に座るよう促し、楊ゼンは一旦、太公望の傍を離れて、部屋の中央にある卓へと足を向ける。
そして、太公望のために熱い茶を入れながら、笑みをにじませた声で、シーツにくるまったまま暖炉の火に手をかざす太公望に語りかけた。

「あなたの魂胆は見え透いてますから。本当は一人で寝るつもりだったけれど、寒くて眠れないから湯たんぽ代わりに腕枕をしろと言われても、恋人としては喜ぶべきなのか悲しむべきなのか迷ってしまいますよ」
「喜べばよかろう。このわしの湯たんぽに選んでやったのだぞ」
「迷いもせずに僕の所へ来て下さったというのは、ものすごく光栄なんですけどね」

言いながら、楊ゼンは甘い花の香りがふくよかに立ち上る、熱い茶を太公望の元へ運んでくる。
品のいい白磁の茶器を両手で受け取って、太公望はそっと口をつける。

「美味い」

やさしい味わいと熱さに、本当に嬉しそうな笑みが太公望の頬に浮かぶ。
その無邪気にも見える表情に、楊ゼンはわずかに苦笑の混じった、いとおしげな色を瞳ににじませた。
太公望の隣りに自分も腰を下ろし、指を伸ばしてやわらかな頬にかかる髪を、優しく梳き上げる。
その感触に、茶器を手にしたまま、太公望は間近にある楊ゼンの顔を見上げた。

まっすぐに向けられる、炎の映える深い色の瞳に微笑して。

楊ゼンは、唇に触れるだけのキスをする。

「楊ゼン」
咎めるでもなく名を呼ばれて、答えるようにこめかみにも優しい口接けを落として、太公望の大きな瞳をのぞきこむ。
「先程は疲れたとおっしゃっていましたけど、今夜の湯たんぽを務める特典は戴けるんですか?」
嫌だとおっしゃるなら、本当にただの湯たんぽでも我慢しますけれど、と冗談めかして問い掛ければ、太公望はむーっと口元を小さくへの字にした。

けれど、それも僅かな間だけで。

「───仕方がないのう」

溜息をつくようにそう言って、太公望は空になった白磁の茶器を床の上に置く。
そして。
「明日も仕事があるのだから、手加減せいよ」
広い肩から零れ落ちている楊ゼンの長い髪を、一房、くいと軽く引っ張った。

それを合図にして、触れ合う唇が少しずつ温度を高めてゆく。
キスの合間に、ふと開いた瞳を見交わし、小さく笑い合って。

二人は互いの背に手を伸ばした。

「───ん…っ」
優しく横たえられたシーツの冷たさに気を取られたのは一瞬で、すぐに全身を包む甘い熱に意識を奪われる。
どこまでも優しく触れられ、口接けられて、思わず震えるような吐息が零れる。
灯りは落としたものの、暖炉の火は赤く燃えたまま、室内を温かく照らし出している。
その中で、彷徨わせた視線の先に楊ゼンの瞳を見つけて、太公望は小さく身じろぎした。

「師叔?」
「──そ…んな目で見るな……」
「そんな目と言われても……」
「だから、そういう目だ」
見つめる楊ゼンのまなざしから逃げようとするかのように、太公望はふいと顔を背ける。

───楊ゼンのまなざしは、いつでもどうしようもないくらいに優しい。
まっすぐに受け止めるのが気恥ずかしいくらいに……、色恋には疎い自分でも分かるくらいに愛しさがあふれていて。
こんな状況で見つめられていると、身体の芯から甘くとろけてしまいそうになる。

そのまなざしが自分に向けられていると感じるだけで。
苦しいほどに。
心拍数が跳ね上がる。

「────」
拗ねているとも恥じらっているとも見える太公望の素振りに、楊ゼンは微苦笑して、あらわになった細い首筋に一つ、口接けた。

「どんな目か、言って下さらなければ分かりませんよ」
甘く低い声が、耳元でささやく。
その感触に、太公望はびくりと躰をすくめた。
「お…ぬし、分かって言っておるだろう……っ」
「いいえ?」
「嘘…!」

抗議の声は、重ねられた唇に飲み込まれる。
優しく絡み合う、甘く深い口接けに、かろうじて保っていた意識も思考力も白く薄れてゆき。
そのまま、楊ゼンの注ぐ優しいさざなみのような甘い熱に、太公望は溺れていった。


「ねぇ師叔」
「ん…?」
全身を包む気だるさと温もりに、急速に眠気に襲われつつあるらしい太公望は、半分眠りかけた声で、それでも返事をする。
そんな太公望のさらさらと流れる髪を、ゆっくりと指で梳きながら楊ゼンは穏やかに言葉を続けた。
「僕も、あなたに見つめられると、ものすごく心拍数が上がるんですよ。あなたが僕を見ていてくれるのが嬉しくて、あなたが愛しくてたまらなくなって……。本当に不思議なくらいに胸が高鳴るんです」
「───…」
「だから、あなたももっとドキドキして下さいね。僕のこと以外、何にも考えられなくなるくらいに」
甘やかな睦言とともに、優しくこめかみに口接けられて。
太公望は反応に困るように、かすかに身じろぎする。

「……なんでおぬしは、そういう恥ずかしいことばかり……」
「でも、そういう僕を好きでいて下さるんでしょう?」
今夜も来て下さったし、と言われて、太公望は言葉を続けられなくなる。
そんな太公望に微笑んで、楊ゼンは華奢な身体を、胸にそっと抱き寄せた。

「愛してますよ、太公望師叔」
「……知っておるよ。そんなことくらい」
ダァホ、と拗ねたような小さな憎まれ口とともに、零れ落ちている楊ゼンの髪を一房、指に絡め取って、太公望は目を閉じて、抱き寄せられた温かな胸に顔をうずめる。

全身で感じる互いの温もりが、たとえようもないほどに心地好くて。
窓の外の寒さも忘れて、二人は寄り添う。

そして、もう一度だけ、甘く触れ合うだけの優しいキスを繰り返して。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
小さく笑みを見交わし、静かに目を閉じた。

End.

古瀬晶さまより頂きましたV

<作者さまのコメント>

お約束をしたとはいえ、毎度ヘボ作品を押し付けてしまってすみません(>_<)
柚木様の描かれる作品のような、静かで優しい雰囲気を目指したはずなのに、今回はどうにも師叔が可愛くなってくれませんでした〜(涙)
しかも「どさチュン」(どさっとベッドに倒れこんだ次のシーンでは、既に夜が明けて雀が鳴いていること)ですし。
これこそ本当の「ヤマなしオチなし意味なし」ですね!

修行して、また出直してきますので、呆れずにお付き合いいただけましたら幸いです(T_T)
本当にごめんなさいでしたm(_ _)m



その実この素敵小説は去年の十二月に頂いたものです。それが何故今更アップされたのかというと、

どうしても挿し絵が描きたかったからです。

が、修羅場が重なりズレにズレ、私のトロさも仇となり、季節はすっかり春。とことん季節外れ。結局一年近くこのお宝は隠されてきたのです。

何処までもダメ人間でごめんなさい……

だけどもどうしても描きたかったんですー!>だったらはよ描け。
それというのもこの素敵小説は、とある冬の日の妄想日記が元となっているからなのです。↓
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しかし寒い……冬は妄想の季節だね!いや春夏秋冬何かしら妄想してますが(危険)師叔は寒がりなイメージなので(だってあの厚着)楊ゼンさんの布団が暖かくなった頃を見計らって潜り込んできて欲しいです(笑)そしてそんな妄想を妹に話していたところ、>話すなよ
「暖かくなる所じゃすまないね。きっと。」

……!Σ( ̄□ ̄)
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相も変わらず妄想だらけのアホ日記(ホントだよ)。それが!こんな素敵な形で昇華されるなんて!
とゆーか何処をどうするとあのアホトークがあんな素敵作品に仕上がるのか
心底不思議です。
あああ古瀬さん!本当に本当にありがとうございました!
そして遅くなってすみません……っ(T_T)
妄想も吐き散らして見るもんだなあと、つくづく思いました(笑)
そしてお約束通り、挿し絵は古瀬さんへ捧げます。いやもう本当に今更ですが(汗)

古瀬さん、素敵な小説をありがとうございました!(>_<)

柚木拝 03/9/27