天才達の贈り物八話
休みの日によく鯖と玉葱に自家栽培の
ねぎを中華風に料理して食べている
いわゆる手料理である
玉葱を3個も切っている時は
涙がでてくるがそれはなにか悲みも
呼びさます
所謂、心理的あとずけ効果である
悲しみが先か涙が先か今も心理の世界で
明確な答えはない、 でも
玉葱で涙を流せば分かる悲しみは
どこからか後からやってくる
悲しみが先か涙が先か
嘘でも役者のように怒りを演じてください
根拠はあとからついてくる
怒りは何か自分の思い通りにいかなかった
ときや理不尽を感じた時、寂しさや疎外感、
不安、悲しみによって後から湧いて
くる感情とされている
故に玉葱を切って涙を流している人に
変に関わってはいけません
きっかけしだいでは
いつでも怒ってやるぞという体制ができて
います
ところで
本日の出来はどうだったかって ?
なにか言って笑いましょう笑わせましょう
ユーモアや笑いは自分の心の居所を呼び覚まし
そしてどんな料理でもそんなこと
どうでもよくなる
カントは言った、笑いは期待が突然、無に帰した
ときに生じる
「笑いは懲罰である」ーベルグソンー
もったいつけて言わんででええ
料理あかんかったんやな
以上、究極の料理でした
<晩年のフランクル、今を語る>
平和で物の豊かな今をフランクルは昔より生き易く
ましな時代と言っていました
でもそれは表面上の話で生きる意味は
死や苦悩、理不尽がある限り
どんな時代にも問われているというような
ことも言っていた。
別の視点から述べれば
エーリッヒ・フロム(1900ー1980)は今を
人々の目的は、もっと多く生産し、
もっと多く消費することだ
それが生きる目的になってしまっている
すべての活動は経済上の目標に奉仕し、
手段が目的となってしまっている
いまや人間はロボットである
おいしい物を食べ、洒落た服を着てはいるが
自分のきわめて人間的な特質や機能にたいする
究極的な関心をもっていない。・・・
・・・
エーリッヒ・フロム著「愛するということ」
鈴木晶 訳
紀伊国屋書店
より引用
エーリッヒ・フロム(1900ー1980)
ヴィクトール・フランクル(1905-1997)
同じ戦争の時代を生きた心理学者です
エーリッヒ・フロムは社会心理から
自由を得たはずの個人が、なぜ独裁者を生んでし
まったのか、戦争はまた繰り返されるのか
それを阻止する人間の特質や機能とはなにか
時代は表面上は変化していっても
その中にひそむ仕組みはそうそう変わらない
フランクルも同じようなことを言っている
アドラーも軍医として従軍し兵を治療しながら
兵もほんとうはお互い憎しみあって戦っている
のではない、もし撃たれた相手が自分だったら
彼にも母や父がいる妻や子供もいるか分からない
自分と同じではないか
アドラーの器官劣等や劣等からくる優越(力)への意志
に次いでつぎの争いを避ける共同体感覚に
きずかせることにとりかかったようです
そして三人を貫く串のようなものの概念は
それは・・・(これからなので言わない)
またみなさん何十年後からしか絶賛認められなかったのも
歴史という時間の検証が必要だったのでしょう
前回からある素朴な問いをもち
フランクルはあのホロコーストの中
どのようにして一部の仲間と
生き延びることができたのか
さあ語ろう
<人生で二度目の夜と霧との出会い>
一、プロローグ
二、アウシュヴィッツ到着
三、死の蔭の谷にて
四、非情の世界に抗して
五、発疹チブスの中へ
六、運命と死のたわむれ
七、苦悩の冠
八、絶望との闘い
九、深き淵より
「夜と霧」ードイツ強制収容所の体験記録ー
V・E・フランクル 霜山徳爾 訳
みすず書房
の205ページの文章の内、三の死の蔭の谷にて
の前半部分を終えた時点ではなんと
半分を越えていました
これは何を意味していたのかですが
大きな力で個人をかき回す歴史的な背景の説明、
この体験記録を残すにあたって何に留意したのか
それは(自己観察・他者観察)
プロローグのことはここでは省略します
フランクルはどこで手に入れたのかは
知りませんが鉛筆でボロ紙に
強制収容所で起きた
忘れてはいけないことを速記で記録していたそうです
先ずは
立錐の余地のない暗闇の死の貨物車で家畜の
ように運ばれ、事実到着した時には何人も亡くなって
いた
生きる為人はまずその関門を通過しなければ
なりませんでした
次にアウシュヴィッツ到着のとき
後で知ったことでしたが指がさす
方向の意味を知らない
フランクルは
選別官の指がガス室を
指していたにも拘わらず
偶然知り合いの医師を見つけ
これもまた偶然選別官に見つからず
無意識にその医師についていくととりあえずは
生きることのできる強制収容所だった
神の存在を信じないフランクルが
それに代わる目に見えない大きな力の存在が
自分を救ったことを後に知りました
この話は事実です
それをフランクルは人の知る認識、
現実の生きる意味を超えた
大きな意味が命じたのだ、それは
超意味(究極の意味)として
その存在を感じたと言います
この言葉なき超意味の真意を感じたのか
収容所を解放されてから妻とともに
収容所の事実や出来事、囚人の心理を
後の世に残そうと
そして自分の若き頃から構想していた
ただ死に向かうだけの空虚なひとときの実存に
生きる意味をもたせ
人生を肯定し豊かな意味のあるものにすることに
ますます確信をもって多くの人々に広めて
いきました。
生かされた自分の意味とは
超意味の真意とはそういうことだったのでしょうか
そうしてアウシュヴィッツ強制収容所に到着した
そこでは命以外のすべてを奪われる境遇を受け入れ
なければならないことを知る段階です
三、死の蔭の谷にての前半では
理不尽なことにも
心を守るため無感動になった段階です
第一段階は心を守るため無感動になる段階です
そうして「死の蔭の谷にて」の後半
次にフランクルを襲った試練は発疹チブス・・
以下は「死の蔭の谷にて」の引用です
私は発疹チブスのバラック病舎に横たわって
いた。そこでは全てひどい高熱で譫妄状態(せんもう)
(意識が混濁として死期が近い状態)の患者であり
・・・もはや何の感情の動きをひきおこすことも
ないのだが。
私は囚人仲間が次々とまだ暖かい屍体に近づき、
一人は昼食の残りの、泥をかぶったじゃがいもを
素早く獲得し、もう一人は屍体の木靴が自分の
よりまだましなことを確かめてそれを取り替え・・・
発疹チブスのバラック病舎でのこと
貧すれば鈍する
このような羅生門のような光景をこれでもかこれでもか
と描写されている
そうして続々と語られてるのは栄養失調からくる
食物への憧憬、食物への脅迫観念的なもの
それが人に何をもたらすのか
フロイトから
学んでいたフランクルは
第二段階
栄養不足による性欲の消滅の事実
夢にまでもそれは現れることはなかった
と述べられている
しかし精神分析的に「目的を阻まれた努力」が
愛への憧れとなり、それは夢にまで
現れるようになったと記されている
これはおそらく防衛機制の昇華のことでしょう
なんとも切ない話です
さて次は四、非情の世界に抗して
になりますが
ここからはいよいよ囚人達と
フランクルの心の葛藤
や精神性を覗く機会が増えてきます
そうして諦めない一部の仲間と
絶体絶命の局面で
どうして生き延びることができたのか
それは偶然でないこともうっすらと見えてきます
いよいよ核心部分の入り口です
つづく
~~
?
?
おいっしっかりしろ
寝てるんか
なんやて !
今日はね昔昔の話だが
近所の古本屋で一日20円で
借りて読んだ漫画の話をします
それは定かでない記憶ですが
確かなことは
松本零士作 スタンレーの魔女だったと思います
その話はほんとうにあった話を
題材に創作されたものだったと思います、
ただここでは記憶が頼りないので
そうとう創作しました、ただ
ストーリーは大きくは違わないとおもいます
確か・・・
ラバウル島とニューギニア島の南側に
ポートモレスビーという街があり
その間は標高4千メートル以上の高い高い
スタンレー山脈に
遮られていた
そこにはスタンレーの魔女という
幻のような魔界の美女が現れ
山脈を越えようとする飛行機を追い返していた
松井君(仮名)は飛行機好きで7人の仲間とあちこちから
部品を集めてとうとう双発爆撃機を作りました
それに好きな人の名前を付けて(ここでは 駒子とします)
駒子に7人全員乗り込んで
友軍の護衛機とともにラバウルよりポートモレスビーに
出撃しました、無事任務をはたした駒子と乗組員は
帰路につきます
そして間もなくスタンレー山脈だという時に
敵戦闘機に遭遇します
駒子と彼ら乗組員は必至で戦い追い返しますが
2つあるエンジンのうち一つが機能しなくなりました
操縦士の松井は片肺の愛機駒子と乗組員と共に
見上げるようなスタンレー山脈を乗り越えることを
決意しました
--乗組員
乗組員
乗組員
おーおーおー
操縦士
さあいくぞー
--乗組員
乗組員
乗組員
おーおーおー
これがスタンレーだ
操縦士松井//ほら間もなくだ 今 高度2000
乗組員//おーー おーー おーー
操縦士松井//駒子がんばれよ 現在の高度2500
乗組員//おーー おーー おーー
操縦士松井//駒子どうしたなかなか浮上しないぞ 現在の高度2800
乗組員//おーー おーー おーー
操縦士松井//みんな荷物を外にほりだして軽くしてくれ
乗組員//おーー おーー おーーポイポイポイ
操縦士松井//現在の高度3500 あと少し頑張れ駒子
操縦士松井//みんなもう少しだ
乗組員//おーー おーー
操縦士松井//今 高度4000
乗組員//おーー
操縦士松井//だめだもうだめだ 越せない ぶつかるーーー
操縦士松井//地面がすぐ下だーー
操縦士松井//えっ うそだ ! 乗り越えたぞ !
見ろみんなとうとう乗り越えたぞ !
と振り向いた松井の見たものは
だれも居ない機内だった
みんな駒子の為に飛び降りたんだ
そう思うと松井の目から涙があふれだし
涙の向こうには松井と駒子を見送る
ドライアイのスタンレーの魔女が現れた
スタンレーの魔女
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えっやっぱりあのねがワンコ連れてる
いつもながらの所ですが
御用とお急ぎでない方はまたいらして
ください
ありがとうございました
|一つ前へ(あまりにも個人的なページ)| | TOPへ戻る|