天才達の贈り物四話


<ミミズの生きる意味>

ふざけているのではありません。

それは土の中でひたすら
穴を掘りながら腐ったものを見つけては
土と共にパクパクとのみ込んでいる そんな
ミミズさんの話ですが

進化論で有名なダーウィンが(1809ー1882)
何十年もミミズの研究をしていたことは有名ですが
いやどちらかというと、
ミミズの観察のほうに夢中になっていたんでは
ないでしょうか。
目的は違いますが
ミミズが好きという意味では、たぬきやモグラと
同じ仲間の人です。

ミミズは掘った穴を乾燥から防ぐ為にちょうど良い
落ち葉の切れ端を見分けなぜか尖った方を咥え
穴に持ち込み塞ぐという。
(日本のミミズさんのことではありません)

そこでダーウィンは人工的な物で色々実験観察したが
やはり同じく尖った方を咥えたという。

生態心理学の始まりです
いや形態心理学(ゲシュタルト心理学)も入っています

ミミズにとって教えられなくとも本能でなくとも
穴をふさぐ物の形状には意味と価値があるのです。

別の言い方をすれば尖った物のある環境はミミズに
知覚を刺激して
穴を塞ぐことを与えているのです。

周りにある状況がミミズに何かを与える
これはアフォーダンスです。

こうしてミミズが増えミミズの腹を通過した地中の有機物と
土は団粒化され良質の堆肥糞として地表に還元される
ミミズに耕された土は植物を助け植物に虫や動物が集まる。
植物に窒素が必要以上に増えればその汁を吸う
アブラムシ(汁泥棒)も現れたり

それに対してアブラムシを親子で食べることを生業とする
テントウムシ(警察官)も天敵として登場します。
わんさか関係者が集まってきます。

またその死骸や糞や残渣は再び微生物やミミズの餌となり
炭素が循環されてゆく。
土の変化が起こればミミズの種類も変化してゆく。

こうして草原や森となり
最初のミミズと尖った物の価値情報は環境を変化させ
多様で巨大な生態系が作られてゆく


どんな観察や実験でもミミズに人のような
心や人生の意味があるとは思えません。
ただこの生態系が十分にミミズに生きる
意味を与えていると思いませんか。

周りにある状況が人に、生物に
なにかを与えている(提供する)価値情報
アフォーダンスの提唱者
ジェームス・ギブソン(1904ー1979)

と、
人生が私たちに何を期待しているかを重視して
どのような状況でも
未来への希望をもって生き抜くよう
努力することの意義を説いた
ヴィクトール・フランクル(1905ー1997)

知覚と人生と私との違いはありますが
このお二方似たようなことおっしゃっているように
聞こえるのですが、空耳でしょうか
生まれた年も似通っていますし
何か特別のお知り合いなのでしょうか
又はどちらかが影響を受けたのでしょうか
それとも
ユングの言うシンクロニシティなのでしょうか
それは分かりませんが
天才達はこのようなコペルニクス的転回が
お好きなようです。

ややこしい話はここまでとしまして

ヴィクトール・フランクルが強制収容所に
連行されたのは37歳のときです。
それまでは心を病んだ人達を治療して
いました。
(ここは哲学者とは違い心理学者は生活の為にも
実際の人に治療をしたり、また
行動を実験観察し数値を駆使して
科学的に理論だてたりします)

その中に
なぜか生きる意味を見出した者は嘘のように
なにごともなかったように元気に復帰してゆく。

想像ですが
そんな人達を目の当たりにして
人の悩みや心の病は生きる意味を見失うことに
よって生じるのだと考えたのでしょう。
そこでフランクルは人の根源はそれぞれ
自分の人生を意味あるものにしたいと、
それを名付けて
意味への意志と呼びました

ちなみにアドラーは劣等感の補償などを観察し
人が生きるための根源を優越性の追求
権力(力)への意志
考えたみたいです。
これはニーチェの超人思想と似ています


話が益々混沌としてきましたが
フランクルのお仕事は心を病んだ人にその人の
生きる意味を気づかせる又は見出せるように手助け
する、そんな治療態度だったようです。

もしあなたが自分の不運をなげいたり
辛い現実に不満をつのらせたり
深く人間関係に悩んでいたりして
心を痛めてそれが病気として現れる又は
世を儚むなら
あなたは自分の人生の意味を見出せていないか
あえてきづかないふりをしているかであると

人にはそれぞれの人生があり
それは
哲学者の言うような人生の意味ではなく

心理学者や精神科医の言う人生の意味は
具体的で今を生きる意味であり無意識に
生きてゆく生きたいと言う力をなにか
具体的なものに替えて行く行動にする考え方
にする
意味のあるもの(〇〇の為にとか)
スタンダールに言わせれば
自分の人生とは、生きた、書いた、愛した
と刻まれています、

意味のあるもの(例えば〇〇の為にとか)

もっと切羽詰まった話では
阪神淡路大震災のときに全てを失った人が
もう死のうと刃物を持ったときに隣の娘さんが
いかなごのくぎ煮をもってきてくれた
それがあまりにもうまかったので
それを食べる為にご飯を炊く
毎日生きる意味が出来た。

とドラマ化された実話を誰かから聞きました。

すると
刃物は自身を傷つけるものではなく食材のため
生きる為の意味に変わってくアフォーダンス。

ただ生きるという目的を具体化してゆく。

人生は意味で満たされているとフランクルは言った。

ならばフランクルの治療法を少しでも
理解する手がかりができたと思っています。

どのような過酷な状況でも、それぞれが
自分の人生の意味を見出す(問う)ように運命付け
られている。

それはアウシュヴィッツで最後に生死を分けた
ものとなりました。


二、アウシュヴィッツ到着

フランクルは一縷の望みを持ち
アウシュヴィッツに送られる前に
外套の胸ポケットに学術書の原稿を
忍ばせ持ち込んだ

到着すると
親衛隊を扶けている古い囚人の一人に
そっと頼みごとをしようと試みた。外套の原稿を
示して「ねえ君、聞いてくれ・・・
実は私はこの原稿をとっておきたいのだ・・・
それは私のライフワークなのだ、わかるかい?」

すると彼は理解し始めた、そして顔を歪め、憐れ
むように、次に侮りあざけるように、最後には
怖ろしい顔でフランクルの頼みをたった一言で
片づけてしまった

彼は怒鳴った。「糞くらえ !」

そこでフランクルは事態をのみこんだ
ここでは今まで積み上げてきたもの
頼りにしてきたものは意味をなさない。
今までの全生活に棒を引いたのであると
ーー甘い恩赦妄想から今は囚人の一人へーー

それは次に続々と起こってくる

財産はもちろん身に着けたすべての物を奪われ
その上に体中のすべての毛を剃られ
本当に今までの人生の結果すべてを失い
丸裸にされ悪いことをしてもいないのに
囚人服を着せられる
その上に気に入らなければムチに打たれ、
横向きにしかなれないような多人数
で眠る寝床で気を失うように眠る。

同じ囚人であるブロック医師がフランクルに
言った
髭を剃れそれは若く健康に見せるためだ
命が救われようと思うなら、たった一つだけ
方法がある
労働が可能であるという印象を引き起こすことだ

ちょっとしたキズで足を引きずろうものなら
翌日はガス室行きは受け合いだ
もう一度言う、髭を剃れ、そしてまっすぐ立って
歩けと

それがアウシュヴィッツ強制収容所でした。




さあ



あ そうね うたた寝してたの
じゃぁ芸人さん呼んでくるわね

えーあなた達どうしたのその姿 !

何食べたらそうなるの ?


<アドラー心理学>

アドラーは人間関係をこじらすものの一つ
に競合的態度をあげた
このような態度をとる人とは友になれません
近づいても不愉快になるだけです。

それでは芸人さんお願いします


<乙女の誓い>

B,今日は気分もいいし私たち仲もいいもんね
お寿司食べにいこうか

A,いこいこ
A,うーんでも今月ちょっとピンチなの
B,じぁあ鰯とかアジとかイカとか安いもの
ちょっこっとだけにしよね
A,そうしよそうしよ約束よ
B,うん私たち仲いいもんね




へい らっしゃい アイヨお待ち






板さん 私たちにきゅうり巻きくださいな

へい カッパ巻き2貫 お待ち

私に相応しい 鯛くださいな
へい 鯛 お待ち



私に相応しい ヒラメ握って

私は とびっきりのブリちょうだいな

ホタテ ! なに ! 中トロ くそ ! 大トロ
のどぐろ ! 蟹 ! イクラ !
エエイッ みんなもってこい ! !


決着ツケタレ !


それで そんな姿になったのね

まだやってんの



オラオラなんやて かかってきなさい



ーー乙女の誓いーー





いつまでもこんなところですが
お越しくださった方、ありがとうございます。
変わりたいと思えば人は変われます
最近また好奇心が旺盛になって
いろいろ学んでいます。
ではまたここに来てやってください
ありがとうございました





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