作られた私のペルソナ(仮面)
カメレオンを山盛りのトマトの中にいれると
カメレオンは赤く染まります。
黄色いバナナの中に入ると黄色くなります。
テレビの前に置くとコロコロ変わる画面に
パッパッパッと合わせようと努力します。
いくらなんでもね
つまり外の世界に合わせようとしているのです。
そのように人間も色々な場面に応じ
て色々な顔や態度を使い分けてゆきます。
ただ人間はカメレオンのように外敵から隠れるためではなく
相手が期待するらしさを振る舞っている。(役割期待)
ある時は父らしく、ある時は営業マンらしく、
ある時は妻に命じられ懸命に皿洗いをする姿
ある時は妻に失敗をきつく指摘され、
死んだふりをしている姿 ?
ある時は旧友と笑顔で釣りをしている姿 。
そのような外に向かって見せている作られた私を
ユング心理学のユングはペルソナ(仮面)と呼びました。
似た言い方でいえば猫を被っている状態のことですね。
その仮面を被ることによって素顔を隠し
社会で生きやすいように自分を演じてゆきます。
もともとペルソナはギリシャの劇場で
使った仮面のことです。
そしてもっとも強いペルソナは個人の
個性をも隠してしまいます。
その強いペルソナとは警察官、軍人、医師など
個人の姿よりその制服の
印象が強く残る職業です。
ペルソナは幼児の頃より家族や近所の家庭、
接する人をまねて作られてゆきます。
最近はあまり見かけませんが、以前は
ままごとなどで母や父、兄弟姉妹の役割演技、
お客さんが来た時の接客などを通していくつもの
小さなペルソナを育ててゆくのを見ました。
そうして家の中では親の前でいい子のペルソナを
つけてさえいればかわいがられ
褒めてもらえることを覚えたりもします。
学校に行く歳になれば仲間の前で親とは違う顔を見せ
好きな人、嫌いな人によってもパッパッとペルソナを
付け替えてしまいます。
(好きと嫌いの心理はまた今度やってみたいと思っています)
先生の前でもまた友達とは違う顔を見せるようになります。
そうしてペルソナの下の素顔ではペロリと舌をだしていたり
しめしめとか、ヤッターとかウルウルとかしたりも
しています。
そんなペルソナも疲れる時があります。
< フィクション、シーン1 <ペルソナの疲れ >
春野 梅香さん(仮名)は母の自慢の娘さんでした。
父は働き者で夜遅くしか帰ってきませんでした。
そんな毎日に母は梅香さんに意図せず多くの関心と
期待を寄せていました。
素直な梅香さんも意識せず母の期待に答えようと
遅くまで勉強や部活に励んでいました。
そうして母が←夢見た大学に合格しました。
その日、母は心より祝福しようと梅香を待っていました。
すると突然、梅香から電話がありでると梅香の声
がします。
「お母さんこれでもう気がすんだやろ !」・・・
(これ以上はアドラー心理学、嫌われる勇気にも
通じてくるので、アドラーさんはまた改めて)
一つ言えることは自分にとって「いい子」
とは母にとって「都合のいい子」だったのです。
< シーン2 、 ペルソナ張り付いた >
老人ホームにゆくと、時々大広間のほうから
オーイ〇〇遅いぞ、遅刻じゃ、
ちゃんとやって!、何回言うたらできるんや!
と聞こえる
職員にあの方、元教師やったんではと聞くと
その通りですと返答があった。
ペルソナが自我に素顔になってしまった。
時をおいてまた大広間からドンドンとテーブルを
叩く音がする。職員の方を振り向くと
あの方はもと刑事です、と聞く前に言ってくれた。
みなさんいつまでもお盛んですこと。
進化論のダーウィンが言ったのか
最も強い者が生き残るものではない。
最も賢い者が生き残るものでもない。
生き残ることが出来るものは、
変化できる者である。
では、では、今宵はこの辺で
今度は、またユングで
男性の心に住む女性の性
女性の心に住む男性の性を語りたいと思います。
よろしければ同じくユングでシャドー(影)もどうぞ
ほんとうにお付き合いいただきありがとうございました。
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