東北デミオ旅行記 中尊寺

去る2001年9月19日から2001年9月22日にかけて、デミオで東北を旅行しました。行きは一般道、帰りは東北自動車道という 予定です。一般道では、福島と八幡平で宿泊し、青森まで行って一泊した後、東北道で一気に東京まで帰ってくるという 旅程でした。そのうち、2日目に立ち寄った岩手県平泉町の 中尊寺と、3日目に回った青森県津軽半島の 様子をお伝えします。

国道4号線のすぐ傍にある駐車場から、参道の入り口までもすぐでした。しかし、境内案内書を見ると、そこから 有名な金色堂までは遠いようです。参道はまずだらだら続く、勾配がきつめの坂で、月見坂というそうです。そこを 登りきった所に弁慶堂があります。

弁慶堂

弁慶堂は、その名のとおり、弁慶と源義経の像が祀られていました。像の写真撮影は禁止でした。

再び参道に戻って奥のほうに進んでいくと、本堂があります。本堂では、ちょうどお経が唱えられているところでした。 ちなみに、「金色堂」はまだこの奥です。

本堂

再び参道をすすんでいくと、「拝観券発行所」という看板が見えてきました。お目当ての「金色堂」と、宝物館である 「讃衡蔵」は、共通拝観券を買わないと拝めないようになっています。そこで、拝観券を買い、「讃衡蔵」と「金色堂」を 見て回ることにしました。

讃衡蔵 金色堂

左が「讃衡蔵」、右が「金色堂」です。あれ、金色堂って、金色じゃないの? と思った方、僕もまったく同じことを 思いました。しかし、その写真に写っている建物自体が「金色堂」ではないのです。じゃあ金色堂はどこに…。 それはまた後ほど。

まず、「讃衡蔵」を見ました。やはり撮影禁止でした。宝物は煌びやかだったものの、これから目にするであろう 金色堂のことを考えてると、あまり印象に残らなかった、というのが正直な感想です。さて、金色堂です。入り口傍の 庭園には、宮沢賢治の詩碑がありました。

詩碑

で、あの写真に写っていた建物のほうに向かいます。その中に入ると、なんともう一つお堂がありました。そう、 それこそが金色堂です。つまり、金色堂を風雨などから守るために、その周りにもう一つお堂を被せてあったのです。 さらに厳重に、金色堂と順路は、ガラスで仕切られていました。しかし、ガラス越しからでも、眩い金色は十分に 伝わってきました。思ったより小さいお堂なのに、大きく思えるのは、その金色の威力なのでしょう。

金色堂を出て、参道をちょっと奥に行くと、「経堂」と「旧履堂」があります。写真左上の「経堂」の傍には、 松尾芭蕉の像と句碑があります。あの「五月雨の降のこしてや光堂」の句は、金色堂のことを詠んでいるのです。

経堂 旧履堂
芭蕉 句碑

写真右上の「旧履堂」は、その名からも分かるとおり、金色堂を覆う建物の一代前のものです。以上、中尊寺でした。

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