北岳バットレス

日時;2002年9月21日(土・発)〜23日(祝)

メンバー;L倉林、源水、宮内

コース&タイム

9月21日
駐車場12:00→広河原12:20→大樺沢→白根尾池14:30

9月22日
御池3:30→大樺沢→bガリー取付5:30→第4尾根取付6:10→中央稜取付9:00、9:30
→3ピッチ目(落石・骨折)11:00?→中央稜取付17:30頃にてヘリ救出

 

21日の朝、車で山梨県の広河原へ向う。中央高速が混んでいたのでほとんど一般道を走る。広河原の駐車場は大混雑。この日は天場となる御池まで登る。肉体的にきつかった。二人に遅れをとる。大樺沢経由で行こうと言ったのを後悔した。天場ではビールを飲み寛ぐ。倉林君が他パーティーを見てカモシカの人たちだと言っていた。

22日の早朝、天場を出る。他のパーティーも準備をしていた。大樺沢で先に出た3人組みに追いつき、先行する。源水さんは相変わらず歩くのが速い。倉林君もついていっている。緊張と岩への恐怖で心がドキドキしながらの歩き。bガリーに5時半頃到着。倉林君はロープを出そうとしていたが、3級の岩なのでロープはいらないと言って、自分は先に行かせてもらう。難しい所は無い。登り始めると恐怖心を押さえられるようになった。適度な緊張が心地よい。上で2人を待つ。段々周りが明るくなり今日の登攀を約束してくれているようだった。ここから第4尾根へ移動して、6時半頃取付きに到着。
すぐに開始となる。すべて自分がリードする。難しいところは特に無かった。天気が良く、岩が乾いていればノーザイルで行ける。一の倉南稜より簡単。有名なのでちょっと拍子抜け。経験不足か、やはりランニングの取り方が下手。ルベルソを持っていなかったので倉林君が貸してくれた。使いにくかった。流れが悪くなってしまう。登っている途中で富士山が見えた。池山吊尾根などの周りの景色を楽しむ余裕があった。前に1パーティーいるだけ。後ろから煽られることもない。マッチ箱から懸垂をして、その後3ピッチ登ると4尾根終了。中央稜に取り付く為、懸垂をする。長さは45mめいいっぱい。状況は一変する。崩れやすい岩がゴロゴロしている。前のパーティーが中央稜に取り付いている。離れた所で30分程待つ。

ここは、源水さんと倉林君がリード。4尾根に比べると難しい。が、その分楽しい。2ピッチ登り、3ピッチ目から倉林君がリード。し終わると「下で待ってて」と言う。「上は場所が無さそうだけど、途中で待てる所があるんだがなあ・・」前のパーティーが4ピッチ目に行く。自分が思うルートと違うところを行く。岩が動くらしい。声が聞こえてくる。立ち往生している。一直線上の位置、嫌な予感がする。落ちてきたら自分達の方へくるだろう。

11時頃、起きた。岩が外れた。前のパーティーのリードの人の怪我はなさそうだが、頭で描いた通りに落ちてくる。途中のハングの所で分散される。逃げようが無くなった。源水さん側にも細かいのが落ちていく。自分に一番大きいのが迫ってきた。上半身と頭に当てないようにしようとするのが精一杯。足に当たるのを覚悟する。右足の腿に直撃。“ゴキ”という音とともに膝下の足が動かなくなる。傷がぱっくり開く。
後で判ったのだが頭とザックにも落石があった。右耳上に大きなたんこぶが出来ていた。(入院中に気づく)ザックの中にあった水筒が凹んでいた。(退院後に気づく)

「取り合えず生きている」「折れたなあ」と最初に感じた。「あと3本は沢にいきたかったなあ」「これで冬合宿に服巻さんと行けなくなって残念だなあ」という思いが交錯した。服巻さんと行く合宿は正直楽しみしていた。ステップアップ・レベルアップできると思ったからだ。悔やんでも悔やみきれない。体が急に寒くなってくる。震えが止まらない。ツェルトを被り、シュラフで体を覆い寒さをしのぐ。少しすると落ち着く。が、繰り返し続く。寒さがこみ上げてくる度に体力が落ち、感覚が鈍っていくのがわかる。さらに、貧血気味になる。思考能力も落ちてきたので、それを維持するのに一生懸命となった。と言っても、いろんなことは考えられない。事故の状況を繰り返し思い返したり、行きたかった山行や過去の楽しかった山行を思い出していた。むなしい時間が過ぎていく。何回かヘリが近づいたようだが、ガスで救出が難しそう。源水さんが懸垂で下に降ろすことにする。2ピッチ目のテラス状の所で休もうと考えたみたいだ。この懸垂が辛い。とにかく内出血で貧血になり腕の力が入らない。体全体の力もすぐ抜ける。右足も痛い。降ろしてもらうのに一苦労させてしまった。テラスで休む。気分が悪くなっていくがどうにもならない。ひたすら我慢。異様に喉が渇く。このまま夜を迎えたら、朝まで持つか・・心配になる。音が聞こえる。ヘリが来た。ガスが晴れた。「取付きまで降ろせ」と言う。そうすれば救出できると言っている。最後の力を出して、懸垂してもらう。この頃になると異様に足が痛い。ちょっと岩に触れるだけで絶えられないくらいの痛みが走る。ホバーリングできる所までみんなが体を運んでくれる。しかし、足首とか脹脛を持つので折れた所が異様に痛い。「痛い、痛い」と言うと「我慢しろ」と救出に来た人が言う。無茶なことを言う。自分の手で腿を支えた。17時半。肩の小屋まで移動。フックをカラビナ介してハーネスに付け、ちょっとした空中遊泳。吊り下げられるように運ばれる。夕焼けがキレイだった。小屋周辺には登山客がいた。吊られている所をカメラに収めている。フラッシュがスゴイ。小屋に一度運び込まれて飲物を戴く。少し落ち着いた。また、ヘリに載せられて病院に向う。「助かったな」と思ったら、疲れがどっと出た。「甲府の病院かな」と思っていると夕焼けの方にヘリは飛んでいる。「あれ何か変」と思うがどこでもいいやという気持ちもあり、景色を堪能する。富士山と中央アルプスが綺麗だった。

ヘリに乗るのは二度とないだろうから・・(あってはいけない)

どこかのグラウンドに降ろされた。パトカー先導で救急車が来た。警察官に名前と年齢などを聞かれ、救急隊員にも同じことを聞かれた。駒ヶ根市の病院に6時半頃着。どこの病院だか全然判らない。救急隊員がハーネスを外してくれる。震えが止まらない。ズボンと下着を切り刻まれ、尿道に管を入れられた。すごく痛い。1時間くらいで点滴を両腕に5本づつ入れられる。少しずつ震えが止まってきて体が温かくなった。落ち着くと「よく生きていたなあ」と思う。「あの石で当たり所が悪かったら、今ここにはいないだろうなあ」と振り返る。鎌倉に帰ってきても、落ちてくる石の重量感や空気を切る音を肌で感じられる。上半身に当たっていれば・・を考えるだけでゾクゾクする。

担当医から手術の説明を聞いて、8時半からキズ口の手術。医師1人に看護婦4人。傷口の洗浄及び針で縫う。あと牽引される。そのまま入院。夜中、すごく喉が渇く。うがいをさせてもらう。ガスが出ないと水分を摂ってはいけないと言われた。頑張ってガスを出す。音が出た時は嬉しかった。早速、看護婦さんに「水を飲ませてくれ」と言ったら笑われた。骨折箇所は、骨の脂肪が肺に溜まらないか?また内出血や感染症の状態を見て手術するという。

翌日以降、貧血が起きて辛い。食事をすると気分が悪くなった。自分がするのは寝ることだけ。右足は牽引されているせいもあって痛くない。右足はすごく腫れていた。力士の足のようで別人だった。左足は華奢だった。

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