忘れられた村 |
一時の休息を終えた大王とその遠征隊は再び進軍を開始していた。 「大王様、ハークロクロの村はいかがいたしますか?」 遠征隊の隊長を任ぜられていたディスル・フィラムが言った。 問われた大王はディスルの顔を見ると意味ありげな笑みを浮かべて言った。 「ディスルよ、お前は『哀れな絵描き』という民話を知っているか?」 「いえ、私はあまりそういうものには興味がありませんので。」 ディスルは大王の意図が読み取れず首を捻った。 「まぁよい、その民話によるとな、あの村の名はもともと絵描きの名前だったそうだ、その絵描きと言うのが実力も無い癖に師の威光を己の力と思い込み大言壮語を吹きまくった挙げ句に師を侮辱したために民の反感を買い、この地まで逃げて来たそうだ。」 「はぁ・・・」 「そして絵描きは師や民に対する恨み辛みを残してこの地で果てたそうだ、この村はその絵描きの子孫たちが今でもその恨み辛みを抱きながら引き蘢っているらしい、ディスルよ、お前ならそういう奴らを帝国に併合したいと思うか?」 「そのような奴らであれば私もお断りですな、そのような輩は帝国にとって害にこそなれ利をもたらす事は無いでしょうから。」 ディスルの言葉に大王は我が意をえたりと頷いた。 「そう言うことだ、あの村は捨ておけカーモカキーコの難所を越える前に無駄な労力を使う事もあるまいて。」 こうして遠征隊はハークロクロの村を無視し、一路カーモカキーコを目指したのであった。 ハークロクロの村は、幸か不幸か帝国軍にすら相手にしてもらえず、哀れな絵描きの末裔たちはそんな事実も知らないまま永遠に引き蘢り続けたのである。 そして遠征隊はさらに歩を進め、難所カーモカキーコを通過していた。 隣の大陸との唯一の接点であるこの場所は、細長く伸びて北の海を分断していた。 その特異な地形と過酷な環境は奇怪な風景を作り上げ、まるで生物を拒んでいるかのような印象であった。 季節は夏だと言うのに海岸には流氷が押し寄せ、吹き抜ける風は肌を刺すように冷たかった。 僅かに残った潅木は、海からの強風に晒され、まるでハークロクロの心のようにその身を捻曲げ大地にしがみついていた。 「夏でもこの有様とは・・・冬に来たら一体どう言う事になっているんだ。」 ディルスは初めて見るカーモカキーコの風景に思わず息を呑んだ。 「冬の方が今の時期よりも美しいかもしれんぞ、雪と氷に閉ざされてな。」 そうは言いながらも大王でさえ心の中では、冬にここへ来るなど死にに来るようなものだなと思っていた。 「いや、私はご遠慮申し上げたいですな、冬にここを訪れるなどそれこそ自殺行為ですから。」 ディスルは苦笑しながら返事をした。 「うむ、それが賢明と言うものだな、今回の遠征は慎重過ぎるくらいで丁度よい、お前を隊長に任じたのは間違いでは無かったな。」 「恐れ入ります大王様。」 ディスルは感極まって深々と頭を下げた。 その後、遠征隊は順調に歩を進め、まもなくカーモカキーコを抜けようという頃、物見に出ていた兵士たちが戻って来た。 「隊長、この先におかしな集落を発見いたしました。」 兵士たちの報告は意外なものであった。 こんな場所に集落が存在する事自体がおかしな事であると言うのに、おかしな集落とは、遠征隊の一行に動揺が走った。 「ええぃ、おかしな集落だけでは要領が得ぬではないか、もっと具体的に報告出来んのか。」 ディスルは苛立たし気に報告に来た兵士を叱りつけた。 「はい、申し訳ありません、実はカーモカキーコを抜けて大陸に入ったすぐの所に小さな集落を発見いたしまして、近くまで寄って様子をうかがって見ましたところ、一番大きな家の横に多数の墓標のような物が並んでおりまして、1人の老人が何やら文字を刻み込んでいるのが見えたのであります。」 「ふむ、他に何か気付いた事は無かったか?」 「ええ、暫く監視しておりましたが、それ以外の動きは全く・・・・」 兵士は申し訳無さそうに言葉を切った。 「むぅぅ、これでは判断がつかぬな・・・大王様、いかがいたしましょうか?」 ディスルは迷った挙げ句に大王の決断を仰いだ。 「待ち伏せされているような気配はなかったのか?」 「は、はい、全くありませんでした。」 大王の問いかけに兵士は慌てて姿勢を正し答えた。 「ならば躊躇する理由は無いな、このまま進むぞ、詳しい事はその老人とやらに聞けばよい。」 そう言うと大王は前進を決断した。 その決断を受けてディスルは部下に次々と命令を下していった。 「搬送部隊以外は全員戦闘配備、前面の守りを固めてこのまま前進する、何が起こっても慌てずに対処せよ。」 その様子を見ていた大王は心の中でそっと呟いた。 ・・・この男、なかなか使えるではないか、まだ多少頼り無い所はあるが最小限の指示で適確な判断を下している、 今の地位に胡座をかいている無能な将軍どもよりは数倍マシだわい・・・ 大王はディスルを見てニヤリと笑うと、よく通る声で命令を下した。 「前進!」 その言葉を合図に遠征隊はゆっくりと前進を開始した。 やがて海岸線が途切れ、未知の領域・隣の大陸に足を踏み入れ暫く進むと、物見に出た兵士の報告通り小さな集落が見えてきた。 遠征隊は辺りの様子に細心の注意を払い、その集落を目指した。 すると、その音に気付いたのか集落の中から1人の老人が現れ、遠征隊の方へと近付いて来た。 大王は右手を挙げて遠征隊の動きを止めると、老人の方へと歩き始めた。 「だ、大王様っ!」 「よい!」 慌てて止めようとするディスルを一喝すると大王は再び老人の方へ歩を進めた。 そして互いの顔が分かる距離まで近付くと、まるで互いを値踏みするように見つめあった。 幾ばくかの沈黙の後、老人は穏やかではあるがよく通る声で言った。 「このような場所にお客様とは珍しい、いったい何十年ぶりであろうか、ともかく歓迎いたしましょうぞ、忘れられた村カーモウタへようこそおこし下さった。」 そしてその老人は深々と頭を下げた。 |