昔語り |
「儂らの祖先は元々ここよりずっと南の地に暮らしておったそうです。」 そう語り始めた老人の声は、まるで子供に子守歌でも聞かせるかのように静かで優しいものだった。 先ほどの酒の所為もあるのか、大王はその声がまるで頭の中に直接響いて来るかのような錯覚を覚えた。 老人もまた、身じろぎもせずジッと話に耳を傾ける大王の姿に満足そうに微笑むと続きを語り始めた。 「儂らの祖先の暮しと言うのも今とはそんなに変わる所は無かったそうです。 多少は集落間の小競合いなどもあったようですが、自然と共に生きるという事に何ら変りは無いですからな。 ところがある日、ハナーと言う一人の男が立ち上がったのです。 私は神の啓示を受けた、世界を創造された神に感謝を捧げよ、我々は神を祀る為に選ばれし民なのだ。 ハナーには圧倒的なまでのカリスマがあったのでしょう、彼は近隣の民までも従えると自らを教祖と名乗り、神を祀る神殿を作り始めたのです。」 「うむ、その話は聞いた事がある、700年程前に滅亡したと言うホンダラ教の事だな。」 大王は頷くと老人に続きを促した。 「左様、そしてハナーは彼の地に神殿を作り終えると多くの民を引き連れ旅に出たのです、次の神殿を作るために。 そして彼は途中立ち寄った集落で神の教えを説き、その信者の数を増やしていったのです。 従う者は旅の列に加え、従わぬ者は異端と見なし容赦なく弾圧する。 それでも多くの民はすすんで彼に従ったそうです。」 「ほぅ、それは興味深い話だな、何時の世でも専制君主というものには多くの敵が存在するものだが。」 大王は我が身を振り返り苦笑しながら言った。 そんな大王の様子を気にも留めず老人は淡々と続きを語った。 「それはおそらくハナーの日頃の行いにあったのでしょう、彼は強引な布教と過激な弾圧を繰返し行ってはきましたが、教祖という地位に甘える事無く常に先頭に立ち自ら率先して神殿の石積みを行っておったそうです、また、神を祀る者は神の下全て平等であり身分の上下は無い、と言う教えが民の共感を得たのでしょう。」 「なるほど、俺もハナーのように、と言う訳にはいかぬだろうが心には留め置くようにしよう。」 「それが宜しいでしょう、心に甘えがあると知らず知らずのうちに目が曇ってしまいますからな、そして当のハナーですが、この大陸にあった集落の全てを巡り、さらに多くの民を従えて二つ目の神殿を作り終えると全ての民を率いてこの地を訪れたと言う訳です。」 「ほう、ハナーも隣の大陸つまりは我らの住む大陸に進出しようとしたのか。」 「はい、その時一緒について来た信者の一部が儂ら一族の祖先と言われております。」 老人の話を聞いていた大王は頭の中にふとした疑問が浮かび上がった。 「御老人、そなたの祖先は何故ハナーについて行かずにこの地に残ったのだ?」 「はい、それはハナーがこの地で一人の男と出逢ったからと言われております。」 そして老人は哀れみの表情を浮かべた。 「ほぅ、それはいったい何者なのだ?」 「その男の名はカーモ・ハラン、いやハークロクロと言った方が通りがよいですかな?」 「ハークロクロだと? 奴がハナーと逢っていたと言うのか。」 老人の口から出た意外な名前に大王は驚いた。 「もっとも、カーモがハークロクロと言う名で絵を描いていたというのは後から分かったことですが、そしてカーモは大勢の民を率いてこの地を訪れたハナーに戦いを挑んだのです。」 「戦い? あのハークロクロがか?」 大王は意外そうな表情で老人に問いかけた。 民話に出てくるハークロクロは傲慢ではあったものの戦をするような人物とは思えなかったからである。 「それは力による戦いではなく智慧による戦いであったそうです。 カーモはハナーが民に神の教えを説いている処へふらりと現れハナーに論争を挑んだのです、そして何の気まぐれかその挑戦を受けたハナーはこの地に暫く滞在する事を決め村を作らせたのです、それがこの村の始まりという訳です。」 「御老人、ハークロクロは、いや、カーモは何故ハナーに挑んだのだ? してその結果は?」 「今となっては真実はいかであったか図り知れませぬが、おそらくは嫉妬だったのではありますまいか、カーモの目にはハナーが多くの民にかしずかれてその頂点に君臨しているように見えたのでしょう。 カーモという男、常に人目を惹き、その中心でもてはやされていなければ気がすまぬ性分のようでしたからな。」 そこまで言うと老人は席を立ち隣の部屋から幾ばくかの薪を持って来ると、数本を暖炉にくべ衰えた火の勢いが盛りかえしてきたのを確認すると再び椅子に腰をおろし口を開いた。 「話の途中ですみませんでしたの、さてどこまでお話いたしましたか。」 「いやかまわぬ、俺も少々考える時間が欲しかったところだ、してその論争はどちらが勝ったのだ?」 大王の問いに老人は何かを考えるように暖炉の火を見つめ、そしてゆっくりと語り始めた。 「結果は論争が始まった時にすでに決していたのかもしれません。 何故ならそれは論争と呼ぶには余りにもお寒いものだったからです。」 「お寒い、と言うと?」 老人の口調に哀れみのようなものを感じた大王は訳を尋ねた。 「カーモの主張はまず結論ありきでした、と言うよりもカーモは己に都合のよい解釈で導き出した持論を、そこへ至る過程を語る事無く結論しか述べなかったそうです、そしてカーモの論拠は世の中で極々当たり前に言われている事を、さも自分が確立した論理であるかのように振るまい、世の中は自分の説を広く受け入れている故に自分の説は正しい、それに異を唱えるものは全て誤っている、というものでしたからな。」 「それに対してハナーはどう答えたのだ?」 「物事の一部分だけを捉えて結論づけようとするカーモに対して、ハナーは様々な視点からの切口で多くの可能性を説きカーモの考えを一笑に伏しました。 そしてカーモの説を次々と論破していったのです。 そこでカーモが素直に敗北を認めていれば儂らの一族がこの地に残る事は無かったかもしれませぬ。」 「つまりは御老人の祖先がこの地に残るようになったのはカーモの所為と言うことなのか?」 「ハナーはカーモの心の中に罪深き業のようなものを感じたのかもしれませぬな、その後もカーモは己の体面を保つために無理に後付けした理屈や苦しい言い訳を延々と述べ続けたのですから、しかしハナーは容赦しませんでした。 ハナーはそれらの言い訳すらも論破していったのですから。 そしてカーモは自説の拠り所を全て論破され答に詰まると、『お前のような奴とは議論出来ぬ』と吐き捨てて去って行ったそうです。 その後風の便りでカーモがあちこちの集落を廻り、この時の恨み辛みをふれまわっていたと聞いております。 その時のやりとりを書き留めていたのが儂らの祖先というわけなのです、そしてハナーはこの地を去る時に儂らの祖先に、この地に残り罪深き業を後の世に伝えよ、と命じたのです。」 「ふぅむ、ハナーの感じた業とはいったい何だったのだ?」 「ハナーは教祖という立場にありながら常に民と同じ処に居ようと心掛けておりました、しかしカーモは常に民よりも高い処に居ようとしていたのです、民より高い位置を求めればそれだけ民から離れてしまいます、過ぎれば民の姿が見えなくなってしまうでしょう。 民の姿が見えなければ、その考えは自ずと独りよがりなものになってしまいます。 神を敬い自然に感謝する心を失えば、後に続くのは滅びへの道のみ。 ハナーはそれを後の世に伝えたかったのでしょう。」 「するとこの村はそれを後の世に伝えるためにこの地に存在するという事なのか?」 大王は信じられないとばかりに老人を見た。 たったそれだけの理由で過酷なこの土地に暮らしているという事を理解する事が出来なかったのである。 「信じられぬかもしれませぬが、儂らはこの地で暮らしてゆくのに何の不自由も感じてはおりませぬ、必要なものは全て自然が与えてくれますからな、古の民は必要以上のものを求めて世界を滅ぼし、そして自らも滅んだと聞き及んでおりますゆえ。」 そう言うとて老人は窓の外に目をやった。 窓の外には野営地から大王を迎えに来たディスルの姿が見えた。 「日が沈まぬゆえ時のたつのもすっかり忘れておりました、どうやらお迎えの方が見えられたようです。」 老人は大王に迎えが来た事を告げると、ゆっくりと立ち上がった。 「おお、もうそんな時間か、それではそろそろ暇をするとしよう。」 「それでは近くまでお送りいたしましょう。」 老人はそう言うと家の扉を開けた。 扉がその造りに相応の重厚な音とともに開くと冷たい空気が流れ込み、二人の頬を撫でていった。 大王が外にでるとディスルが直立不動の姿勢で待っていた。 「大王様、間もなく撤収作業が完了いたします、後は出発のご命令があればいつでも。」 ディスルの言葉に大王が野営地の方角を見ると野営地はほとんど綺麗に片付けられいつでも出発できる準備が整っていた。 「うむ、御苦労だった、御老人、我々はこれで・・・・」 振り返り、老人に別れの挨拶をしようとしたところで大王はふっと口籠った。 昨夜はまるで気にもしていなかったが、老人の家の横には無数の石碑が立ち並び、その石碑に一人の村びとが何やら文字のようなものを刻んでいる姿が目に入ったのである。 「御老人、あれはいったい何をしているのだ?」 大王は、そう言うと石碑の群れを指差した。 「あれは歌を彫っております。」 「歌? いったい何の?」 「カーモがハナーに挑み、その愚かさと業ゆえに自滅していった顛末を歌にしたものでございます、儂らはその顛末を後の世に語り継ぐことで己を戒め、常に神を敬い自然に感謝する心を忘れないようにしているのです。」 老人は石碑の群れに目を向けると、まるで自分に言い聞かせるように言った。 「それにしても随分とあるのだな。」 「はい、今のところ三百六の歌が刻まれてあります、そしてそれらの全てにカーモの所業を通じ、感謝の心を忘れて欲に走った者への戒めが込められておりまする。」 「ふむ、今はその全てを読む時間が無いが、いずれかの機会に読ませてもらうとしよう、耳の痛い話もあったがなかなかに有益な話であった、我々はこれで出発する、世話になったな、御老人。」 「良薬は口に苦し、と申しますからな。 こちらこそ年寄りの長話におつき合い頂き感謝申し上げます。」 そう言うと老人は深々と頭を下げた。 「いずれまた逢う事もあるだろう、それまで達者で暮らせよ。」 そう言って歩き始めた大王であったが、何か心に引っ掛かるものを感じ足を止めた。 「そう言えば、御老人、そなたの名を聞いていなかったな。」 大王は何かを期待するような思いにかられて老人に尋ねた。 「儂の名でございますかな? 儂の名はキロサトール・ミーロと申します。」 そう言うと老人は再び頭を下げた。 |