第七話「ピンチのあとにはピンチあり」 1998年8月8日午前8時00分 |
一行はようやく長野市内の駅のほど近くにある修理工場に到着した。 遠くでセミの声が聞こえた。 伊良部は思ったよりいいヤツだった。 本来はJAFに契約している本人が同乗していなければ特典が得られないのだが特別措置として、 今この場で隊員の誰かがJAFの新会員として加入すれば、特典がうけられるというものであった。 全員一致ですぐさま団長に白羽の矢が立った。 人徳である。・・・人身御供とも言うが・・・ ゼンソン号の修理が完了するまで、我々は付近のファミレスで待つことにした。 いったい修理にいくらかかるのか?もっぱら話題は料金のことだった。 そのファミレスでは不運にも「カレ〜フェア」なるものをやっており、 隊員たちから、 「この時期にカレ〜フェアなんていい度胸してるじゃねぇ〜か」とか、 「俺は、青カレ〜ね」などたちの悪い冗談が飛び交っていた。 団長は秘密情報員のMaroと連絡をとって事情を説明していた。 しかし団長はこんな危機一髪の時にも 「眠くなるから、俺はジュ〜スでいいや」 さすが団長!と感涙にムセビながら他の隊員たちはバクバク食べました。(血も涙も無いぞ『カニカニ団』) さすがに全員睡魔には勝てず、修理工場のお客様ロビ〜で仮眠を取ろうということになり、醜態をさらけ出して30分ほど爆睡したのだった。 ゼンソン号の修理が完了したのは9時半だった。操縦手はミケくんに代わり再び出発! あきらかにエンジン音が軽くなり、パワ〜も上がっていた。フィルタの目詰まりって恐ろしい〜! 訪れる予定ではなかったのでセンタ〜の前の道に出たとたん迷子になった。 色ツンが現在地とル〜トを懸命にはじきだす。 じきにゼンソン号はミケくんにとってイヤな思い出満載のエムウェ〜ブの前を通った。 いけないと分かっていても彼はついそっちの方を見てしまう。 長野五輪なんてクソくらえだっっっ! それより一刻も早く高速に戻らねば・・・もう日が高くなり始めていた。 ゼンソン号の調子は絶好調だった。 大きな橋を渡り高速(上越道)の入り口が見えてくる。 ここでまたどっち方向? やはりカニが横にしか歩けないのはグ〜ゼンの一致なのだろうか・・・。 並走する観光客の車が目立つようになってきた。渋滞3Kmの表示も出てきた。 ヤバい!またまたパ〜キングで一服ということになった。 危機感をまったく感じさせない『カニカニ団』であった。 渋滞3Kmをどう取るかというのが今回のミ〜ティングの議題であった。 ミケくんは強行突破を主張した。 渋滞3Kmなんて笑わせるぜというのがコンキョであった。 だが隊員たちの顔から笑顔が消えるまで時間がかからなかった。 鬼渋滞であった。微動だにしないので皆死んでるのかと思ったほどだった。 そうこうしているうちに雨まで降り出す始末、それはまるで亀にト〜フを載せたような状態だった。 貴重な時間があっと言う間に過ぎていく。 為す術がなかった。またもや『カニカニ団』ピィ〜〜〜ンチ!時計の針は11時を回っていた。 ようやく上越道の終点である中郷に到着。これからは一般道を行き、海岸沿いの北陸道に躙りよる作戦だった。 一般道に降りてからはことのほか車は流れてきた。 すでに東京を出てから12時間になろうとしていた。 |