天才と謎の存在、2
人生の始まりにはほとんどが出会いだが、
人生の真ん中では再会が増え、
そして後半も過ぎると別れが増えてくる。
<ユングの人生の正午>
ユングは人生を大きく午前と午後に分けた。
その分けた2つを薄くまた2つにわけ、
少年期、成人前期、中年期、老人期、とした。
そのど真ん中が人生の正午ということです。
少年、成人前期には目の前に朝日があり
それを仰ぎ生きてゆく。
まぶしくて
こんな時間が永遠に続くのではないかと
時には錯覚してしまう時もある。
(ほんとうに若い時は若さは意識されない)
時々振り返り自分の影になぜか
不安になる時もあるが
その影もやがてわが身に内包されてゆく。
そうして河合隼雄さんの説明によれば
人の午前中は生活の安定のため勉学仕事
自己の確立の為に奔走する時間という。
ライフスタイルがイコール性格そのものという
アドラーさんに言わせれば午前は
その確立の時間でしょう。
ヨシッ ! 決着つけたる !![]()
えっ突然なんのことや
ふわふわとした支えのない幸福感もやがて・・・
そしてユングは人生の正午は40歳前後と形容した。
それは世界中同じような節目で、日本では
節目節目に男女別厄年というものを定めている。
その最大の分水嶺が40歳前後という
![]()
円軌道上の太陽は南中点に、自らを確認する
座標上の影の先端点は0の位置で見えない。
(領域変容のためのリセット)
若い時のようにはいかない
時には自分の人生というようなものを
これでいいのかとも、なげいたり愚痴ったり
虚ろで自分を見失い、いらいらしがちな
世に言う危ない時間帯のことです。
そうして"死と再生"とでもいうような時を
無事に受け入れると今度は、はたと自分の前に
影ができていることに気づく
影とは今そこにある悲しみであり苦しみであり
過去の過ちであり自己の姿態の変容であり
嫉妬や憎しみを感じる
なぜか嫌いな人の正体に気づいたり
流す涙にも理由や出所の知れないものがあったり
ただ、 それは裏を返せば情の楽の
心の充実と一対になる片方です。
私は中身のない人は嫌い![]()
中身の詰まったピーマンください
つまらないから次はたこ焼きにしよ![]()
前向きに考えることさえできれば意識しなくとも
その向こうには分厚い幸せが待っています。
もちろん個人差はあります。
心の世界では大発見があっても
それが100%ではないのがかえって興味
深いところです。
(テレビで心理学者があなたは○○でしょうと
言ってもちょっとチャウとよく否定されている)
そうして具体的な経験や認知を積み
享楽的なものに目覚めすぐに絶望し
次に超自我、賢人の生き方に目覚めまた絶望し
最後に"自分を超える存在"の繋がりにやっと
希望を見出した、
死に至る病(絶望)の哲学者キェルケゴール
(記憶が正しければ)
かくも
何かを信じ続けていたい
人の心(社会心理・フェスティンガー)
なんややっと本題に近づいたんか
必要だから生まれてきたものもあるわよ![]()
素性の知れないあなた様はいったい誰
私は
![]()
幽霊の愛でやっと"解" 決か
フロイトの
無意識の発見にもそれがないと説明が
つかなかった。
ユングの自分を超える存在も古代の世界中の
共通するもの(例えは土偶とか神話とか)が
なければ説明がつかなかった。
じゃあ天才数学者の名をほしいままにした
ラマヌジャンはどうだったのか
出来の悪い学生だったラマヌジャンが
どんな出会いが彼の何を目覚めさせたのか。
<--奇蹟がくれた数式-->
----空集合----
つづく
なんやふざけるなよ語り集合いれろよ
相変わらずのところですが
またお越しください
心よりお待ちしております。
ほんとうに
ありがとうございました
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