ストレスの調理法


<悩みの料理教室>

最近、興味のある心理学者の人物のことを調べて

いると気づいたことがあります。

今より栄養や医療、衛生環境が良くなかったにも

かかわらずみなさんほんとうに長生きされている。



独断と偏見で有名な人12人を列挙してみます。

日本の時代の目安に、朝廷へ政権を返上した
大政奉還があったのは1867年です。


ヴントに強い影響を与えた
グスタフ・フェヒナー(精神物理学)
(死亡1887-生誕1801=享年(生きた年数) 86)

ヴィルヘルム・ヴント(実験心理、近代心理の父)
(1920-1832=88)

ヘルマン・エビングハウス(記憶と忘却曲線)
(1909-1850=59)

ジークムント・フロイト(精神分析学)
(1939-1856=83)

幼少より医師も匙を投げるくらい体の弱かった
アルフレッド・アドラー(個人心理学)
(1937-1870=67)

カール・グスタフ・ユング(分析心理学)
(1961-1875=86)

ジョン・ブローダス・ワトソン(行動心理学)
(1958-1878=80)

マックス・ヴェルトハイマー(ゲシュタルト心理学)
(1943-1880=63)

ジャン・ピアジェ(発達心理・認知発達)
(1980-1896=84)

エリク・H・エリクソン(発達心理・精神分析)
(1994-1902=92)

アブラハム・マズロー(人間性心理学・欲求5段階説)
(1970-1908=62)

レオン・フェスティンガー(社会心理学・認知的不協和)
(1989-1919=70)

20世紀初頭の日本や欧米の
平均寿命はおよそ40の半ばから50程度
(平均寿命とはその年の0歳児が平均
後何年生きられるのかを推計した統計値)


そしてこれも

独断と偏見で同じ時代の
日本の文豪や人気作家を12人列挙してみます。

作品は自分の"お好み"でいれました。

森鴎外(高瀬舟・安楽死について)
(1922-1862=60)

夏目漱石(こころ・坊っちゃん・赤シャツ登場)
(1916-1867=49)

樋口一葉(たけくらべ・思春期の切なさと別れ)
(1896-1872=24)

島崎藤村(破戒・差別とは)
(1943-1872=71)

永井荷風(墨東奇譚・老作家の遍歴)
(1959-1879=80)

志賀直哉(小僧の神様・読むとお寿司食べたくなる)
(1971-1883=88)

谷崎潤一郎(春琴抄・目に針を刺す、衝撃)
(1965-1886=79)

芥川龍之介(羅生門・目糞鼻糞を笑う)
(1927-1892=35)

川端康成(雪国・夜の底が白くなりそこに雪景色)
(1972-1899=73)

梶井基次郎(冬の蠅・運命に翻弄される不甲斐ない投影)
(1932-1901=31)

太宰治(津軽・故郷津軽と仲間達)
(1948-1909=39)

三島由紀夫(潮騒・潮騒にかき消されそうな恋)
(1970-1925=45)

単純に引き算しただけなので
正確な享年はわかりませんが
誤差は1年以内でしょう。



では集計してみましょう。

願いましては・・・

<では発表します>

心理学集団 享年の平均76.6
作家の集団 享年の平均56.1


そろばん集団、はないのか? 
よほどの生活苦にならなければ長生きしてる
じゃ保険かけとこかな ↑
それで、受取人だれやねん、やま!



かわ!




驚きの20年差ですが
集計していてハッと気づいたのは

日本の文豪、人気作家には

自死(自ら死を選ぶこと)が多い。

芥川龍之介は服毒
ノーベル賞作家の川端康成はガス
太宰治は入水、三島由紀夫は割腹

なぜか

因果や理由付けは簡単だけどそれは
周りの憶測でしかなく
それを選んだことは本人しか分からない

または本人の思い込み
もしくは本人にも分からなかったかも
知れない。

ふざけているのではなく
カミュの異邦人のように
ただ太陽がまぶしかっただけなの
かもしれない。

頭のいい人達だから何か明確な理由が
あると思ってしまうのだけど
よく勉強した人もそうでない人も

自分の生きている間なにが起こるか何をどう
思っていくか予定表を正確に書ける人はいない。

心の世界に100%はない

個人的にそう思う。


===その話はここまでにしよう、でなければ
目鼻口眉毛の具のない真っ黒な顔の棒人間sが
どこからともなく集まってきそうです。===


耳なし芳一みたいに全身になんか書いとけ

お地蔵様は首に書くの忘れたらしい
お腹にも書いとかなお腹かじられるぞ
今時平家の亡霊なんかおれへんわ

誰か集合かけてくれ

集合 ! 山 !

川 !


令和に赤穂浪士の合言葉かいな



<フロイトが晩年見出したこと>

破壊と死の衝動デストルドー

生きたい、生きて友達と遊びたいし愛したい
美味いものも食べたいし、いい仕事もしたい
ひとから承認されたいし・・・諸々

という生の衝動があるなら

その対極に戦争の悲惨がありそして自殺者や
自傷行為が存在する現実。また
毎日死にたいという患者を診ながらその奥底に

それを言わせている死の衝動デストルドー
を認めざるをえなかった。

そしてフロイトは朝早くからタナトス(死の神)に
とりつかれた人達の治療をしながら
夜遅くまで執筆活動を続けたという。
それでも長生きされました。

今でも地震や大災害の後のPTSDや孤独不安うつ、
又はそれを引き金とした自殺を危惧し
医師と共に心理カウンセラーが駆け付ける。


<関係ありそうな話でセリグマンの実験より>

犬(人も)の実験で叫んでもあがいても逃れようもない
現実のストレスに長い間さらされると
それを学んで無力感に襲われる。
何をしてもどうせだめなんだを学んでしまう。
これが世に言うセリグマンの学習性無力感
です。

この呪縛には心理的対抗策があって
今度また語りたいとおもいます。


<死に至る毒ストレスをフグで例えるならば>

ふぐは美味しい魚ですが
調理を間違えれば重大な事故にいたります。
故にそれに詳しい専門料理人がいます。

---もしも心理学者がふぐの探求者だったら---

フェヒナーならまず毒の量により人体に
どのくらい苦痛をおよぼすか調べます。

そしてエビングハウスはふぐのどことどこを
食べてひどい目に会ったかを
記憶し忘れない工夫をします。

フロイトは目に見えないふぐの毒の分析を始めます。
そしてテトロドトキシンを発見します。

ワトソンはふぐを食べてひどいめに会った人は
次にふぐを見たときどのような反応をするか調べます。

フェスティンガーは食べたいけれど危険過ぎる
ふぐ肝に、きっとあの肝は腐っていて
食べれたものじゃないと自分に言い訳をする。

最後にアドラーは実存的で主体的に過去にとらわれず
"ふぐを食べる勇気"。を与えます。


しかられるぞ


あららら・・・ら

自己ちゅにつれづれに語っていると

画面が足りなくなり

アニマ・アニムスのこと

語れなくなりました。

でもあの現れた顔はなんと
同級生のライバルの女の子だったのです。

そしてそれから次々と変容し
いきなり自意識が鮮明になってゆく。
その話は次回にしたいと思います。


ああ雪

ついさっきまで故郷の
静かで美しくも辛い雪景色が
なぜか頭に浮かんでいると
なんと偶然にも
振り向いた窓の外に
雪が降っている。

これがユングのいうシンクロニシティ(共時性)
だったりしたら個人的にまた良い変化があるの
かなと多分考えすぎでしょう。


寒くなりました、風邪にも気をつけてください

見てくださった方
ほんとうにありがとう
ございました。
また今年中に色々語りたいと思います。

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